「うわぁ」
我ながら素っ頓狂な声を出して、師匠の向こう側を指さす。
師匠もその影には気づいているようで、師匠の手にする懐中電灯がその姿を照らし出した。
そこには小学校低学年くらいの男の子が立っていた。
癖っ毛で栗色の髪が印象的な、眼鏡をかけた普通の少年である。
いや、普通の少年がこんなところにいるわけがない。
けれどあまりにも自然にそこにいて、なんなら懐中電灯で照らした背後には影までしっかりと落ちている。
警笛を鳴らすように、心臓の鼓動が一気に早くなる。
少年の存在は違和感というよりも不快感が強い。
にやりと不気味な笑みを浮かべて、少年が師匠に近づく。
コツンコツンと、彼の靴が鳴らす音が図書室に響いた。
「師匠……」
幽霊と言うにはあまりにも明瞭な姿かたちでそこにいる意味を理解して、恐怖のあまり総毛立つ。
「おねえちゃん」
空気を振るわせて、甲高い声で少年が言葉を発する。
恐ろしさで今すぐこの場を逃げ出したい気持ちに駆られる。
少年は師匠から目を離さず、歳に似合わぬ下卑た笑みを浮かべて
「おっぱい揉――」
彼が言葉を最後まで言い終えることはなかった。
ドゴォと鈍い音を響かせて、師匠の渾身の右ストレートが少年の鼻っ面に刺さる。
頭に引きずられるようにして、少年の体が数メートル飛んでいく。
眼鏡はあらぬ方向へ吹き飛び、殴られた鼻は変な方向に曲がってしまっている。
「うぅ、ひどいや……」
鼻が折れて鼻声になってしまった少年が、泣きべそをかきながら闇に溶けていく。
「師匠、なにしてるんですか」
恐る恐る聞いてみる。
「あぁ、怖かった」と、師匠が軽い調子で応えた。
あんた、絶対怖いとか思ってないでしょ。
そんな僕の視線を感じたのか、
「クソガキが怖いのは本当だよ。
ああいう自分は何をしても許されると思ってるガキを見ると、イライラするだろ?
自分の内なる暴力衝動を見せつけられてるようで、怖えぇんだよ」
まるで普段は暴力的じゃないみたいな言い方をしていたけど、そこは触れないようにしよう。
「僕は躊躇なく子どもを殴る姿を見て、師匠が怖くなりましたよ」
「バカ!!」
師匠が駆け寄ってきて、僕の口を塞ぐ。
「んんんっ」
「黙ってろ」
師匠のその行動の意味に気づいた時にはすでに遅かった。
周囲の空気がピンと張りつめている。
僕の口を塞ぐ師匠の手に力が入る。僕は呼吸も忘れて暗闇を凝視する。
懐中電灯の頼りない明りが、闇を映す。
闇だ。闇の中に蠢く闇があった。邪悪な気配にえづいてしまいそうになる。
闇は煙のようにモクモクと蠢くと、やがて何かを形作る。
――すらっとした女性の姿。
冬用のジャケットにジーンズ姿。長い髪は後ろでまとめられていて、そのシルエットは非常に見知ったものだった。
「し、師匠!?」
隣に並ぶ師匠と全く同じ姿の女性の姿がそこにはあった。
『最悪だ』
ふたり同時に舌打ちをして、同じ言葉を吐き捨てる。
向き合うと完全に鏡合わせのようで、どちらが本物なのかわからなくなりそうだ。
パキパキと拳を鳴らすと、ふたりは超至近距離でメンチを切りあった。
「誰だ、このブサイクは」
「てめぇの方がブサイクだろうがよ」