都市伝説   作:水無飛沫

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夜の闇を走る

 

 

大学6回生の秋だった。

その頃の俺はずいぶんと自堕落な学生生活を送っていたのだったが、さすがに就職のしの字には追い詰められていた。

そんな切羽詰まっていた俺にも

「師匠」

ゴスロリ衣装に身を包んでいたのも今や昔、かわいさの欠片もなくなってしまった弟子が陰険な笑みを浮かべて「心スポ行きましょうよぉ」と俺を闇の道へと誘う。

「しんすぽ?」問い返す俺に「心霊スポットっスよぉ」と音響が答える。

「面倒くさい」と突っぱねると、「いいじゃん、デートしましょうよぉ」と妙にくすぐったい声で甘えてくる。

素材がいいだけに、甘えてこられるとドキッとしてしまう自分がいる。

……まったく、けしからん。

なまじっか付き合いが長いだけに、彼女のそういう方向への成長には少しだけ胸が痛む。

もしかしてこれって師匠と言うよりは、お父さんとか親戚の叔父さんとかの気持ちなのかもしれない。

ブンブンと頭を振って湧き上がってきた思考を隅へと追いやる。

「どこへ行きたいんだ?」

と聞いた俺の問いに音響は県外の場所を提示してきた。

「遠いな」

とボヤく俺に「ダメっスか、師匠?」と上目遣いで音響が問いかける。

 

こいつの『師匠』という言葉にはいっさいの敬意が込められていない。

――少なくとも、俺や師匠がその言葉を使っていたようには。

 

それでも、俺は彼女に少しでも彼らのことを、彼らの生きた足跡を知ってもらいたいと思っていたものだから……。

「しょうがないな」

気が付くとそう答えてしまっていた。

ショートボブから少し長くなった弟子の髪が、楽しげに揺れた。

 

「うへ、ずいぶんと雰囲気のある道っスねぇ」

貞操の危機を感じますわー。と棒読みで続ける音響を横目に、俺はくねくねと蛇のようにうねる坂道に車を走らせる。

俺たちは夜の山道に車を走らせていた。

「でも珍しいっスね、師匠が誘いに乗ってくるなんて」シートに腰を深く落ち着けた音響がつぶやく。

「たまには、な」答えた言葉が薄っぺらく浮き上がる。まったく、我ながら嘘が下手くそなものだ。

「怖いからって泣かないでくださいよ」

挑発するような音響の言葉だったが、機嫌よさそうに鼻歌なんか歌っちゃってまあ。

「うるせえ、お前だって怖くて漏らしそうになったら我慢しなくていいからな」

「うっわ師匠サイテー」

冷たい目で見てくる音響に、自然とアクセルを踏む力が強くなる。

「師匠は……」

音響がいいかけた言葉を飲み込む。

彼女が何を言おうとしたのか、察知して俺は口を開いた。

「お前は頑張ってるよ。服部所長も喜んでるだろ」

「依頼をこなすたびに見えてくるんです。みんなが何を求めているのか……誰を求めているのか」

音響の手がハンチング帽をもてあそぶ。

しまった。話題を変えるにしてももっといい選択肢があったろうに、どうにも俺はそういうのに鈍感だ。

いや、彼女から服部調査事務所の話は聞いたことがない――聞こうとしたことがなかった。

つまりはそういうことなのだろう。

かわいらしい青のワンピースに、少し大きめのジャケットを着こんだ音響に――

「まぁそんなに気負うなよ」

「あれ、心配してくれてるんですかぁ」

「お前に巻き込まれると碌なことがないからな。周囲の人間が心配だよ、俺は」

かつて彼女の持ち込んできた様々な苦労を思い出して、俺は大きくため息を吐いた。

 

「それで、そろそろ目的地に到着するわけだが……」

音響に心スポの詳細を聞くと、その土地のいわくを嬉々として語り始める。

こういう気分屋なところは昔と変わらないな。

なんとなく懐かしくなって彼女の声に耳を傾けていると、あれよあれよと可愛い口から恐ろしい単語が飛び出てきた。

「なぁ音響……」

ランランと目を輝かせる音響に、俺はできる限り恰好をつけて告げた。

「車で待機してていいか?」

「ダメに決まってます」

「今日は調子が悪いんだ。ほんとうだ」

「師匠の調子がよかったことなんて、一度もないじゃないっスか」

「そんなことはないぞ。俺だって調子がいい時は魑魅魍魎をバッタバッタと……」

「期待してますよぉ、師匠ぉ」

くそっ、この小娘が。バカにしやがって。

 

 

実際、その心霊スポットでの体験は恐ろしすぎて、記憶が曖昧になってしまっている。

「次はあっち行ってみましょうよ」と言って、音響がずいぶんと楽しそうに俺を引きずり回していたことだけは辛うじて覚えている。

お漏らししなかった俺を誰か褒めてほしい。

 

 

 

帰り道。

はしゃぎすぎたのか、音響は黙り込んでいる。

俺は俺で、疲れすぎて喋る気力も湧かずにいた。

沈黙をごまかすためにラジオをつけてみたけど、山の中だけあって電波を拾ってくれなかった。

――あの頃は、いつだってテープで稲川淳二を流していたっけ。

ふと、あのハチャメチャな日々が思い出される。

ちょっと前のできごとのようにも思えるけど、もうずっと昔のことなんだ。

CDとMDを入れるところはあっても、カセットテープを入れる場所はない。

あの頃師匠と一緒に乗ったあのボロボロの軽トラとは何もかもが違ってしまっている。

 

だからだろうか。師匠とやった、少し懐かしい遊びを思い出した。

 

「音響、目をつむれ」

「は? え??」

「行くぞ。いーち、にーい、さーん」

慌てながらも、ギュッと手を握り、律儀に俺の言いつけを守る音響を少し微笑ましく思う。

「目を開けていいぞ」

「なんです、これ」音響が首を傾げて問いかけてくる。

「ちょっとしたゲームだよ」

さすがにあの頃と同じことはできないので、俺なりにアレンジは加えているけど。

「はぁ、キスされるのかと思いました」

そういって音響が自分の唇に触れる。

「バカっ、運転中にそんなことするかよ」

「運転中じゃなきゃいいんですかぁ?」

返事をする代わりに、俺はレバーを操作して走行中の車のライトを落とした。

街灯もない山の中だ。完全に視界が闇に閉ざされたまま、車は走り続ける。

「いーち」

「ちょっと、何してるんですか」音響の焦った声が車内に響く。

「にーい」ブレーキは踏まない。ライトを消す前にまっすぐの道がしばらく続くことは確認済みだ。

「さーん」

車のライトを付ける。周囲と道を照らす明りに思わず安堵する。

「師匠」

非難するような音響の言葉を無視して、俺は彼女に告げる。

「昔、師匠とこんな遊びをしたんだ」

「……」

「なぁ音響。お前は飛べるか?」

 

再びライトを消す。

さすがに二回目ともなると、まっすぐな道がしばらく続くのはお互いわかっている。

けど……俺の握るハンドル、タイヤの向きが果たして本当に正確にまっすぐを示しているのか。

些細な誤差も致命的になりかねない。

0.1秒後には林に突っ込んでいるかもしれない。

視界の失われた闇の中で、死に向かっているかもしれないという恐怖はどうやっても引きはがすことができない。

 

「私は……」

 

きっちり3秒後に音響が「師匠を信じてます」とボソッと言った。

「でも、ドキドキしたろ」

俺は音響に笑いかけると、

「事故ったら殺してやろうと思いました」仏頂面で音響が答えた。

それなら……、と俺は前置きをしてから彼女に告げる。

「次はお前が選べ。何秒でも構わない。お前が付けてと言うまで俺はライトを付けない」

 

どうせ就活も上手くいってないんだ。

ここで音響と死んでも構いやしなかった。

 

 

 

*****

 

 

 

「今日はありがとうございました」

音響が珍しく礼を言ってきた。

俺にとってもいい気分転換になった。

そう告げると

「あ、師匠、あそこに光るお城がありますよ」

音響がめざとくホテルを見つけ出した。

「心スポかもしれないですよ。行ってみましょうよぉ」

「バカ。お前に付き合うのは、もう懲り懲りだよ」

車内の空気が変わる。違う、変えたのは俺だ。

俺はこれを伝えるために、音響の誘いに乗ったのだ。

 

「卒業、決まったよ」

「そうっスか」

そっけない返事をして、音響が助手席側の窓から外を眺めている。

その表情はこちらからは見えない。

「ねえ、師匠……」

これから彼女の前から消える俺に、その言葉の続きを聞く権利はない。

「お前は器用だから、きっと上手くできるだろ」

――加奈子さんみたいに。

その呪いのような言葉が、彼女を縛っている。

 

「お前は好きなように生きればいい」

「師匠、聞いて」

「お前はもう一人でも暗闇の中を歩いていけるはずだ。

だから、もう俺を師匠なんて呼ぶ必要はない」

「……」

窓ガラス越しに、彼女の頬を伝う筋が見えたような気がした。

「わかったよ、師匠。お別れなんだね」

 

 

 

あの夏に開けたいくつもの扉の最後のひとつが、錆付いた音を立てて閉ざされた。

 

 

 

 

 

 









――私の師匠が、あなたでよかった




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