大学3回生の春だった。
最近の師匠は元気がない。
初任給をパチスロで減らしてしまった俺にも原因はあるのだろうが、
それ以上に歩くさんの存在が大きい……ような気がする。
歩くさん……師匠の元カノは、就職と共にこの街を出て行った。
その際に携帯電話も変えてしまったみたいで、連絡が付かなくなってしまった。
妙に頑固なところのある人だったから、きっともう会うこともないだろう。
人間としては相当なクズに部類される師匠ではあったが、
さすがに彼女にフラれたのは精神的なショックだったのだろう。
そんなこんなで、最近の師匠の気の抜けようったらない。
日曜日の夕暮れ時、スーパーで安売りしていたコロッケを袋に下げて、師匠の住む安アパートに遊びに行くと、
ようやっと元気になって来たのか、師匠が「今日は出かけるぞ」とつぶやいた。
「お、いいですね。今日はどこへ行きますか?」
この頃になると実地のお化けツアーめいたこともお互い億劫になってあまりしていなかったのだけど、
師匠が元気になってくれたことが嬉しかった。
暗くなってからボロボロの軽自動車で山道を走る。
しばらくすると目的地に着いた。
古い一軒家……師匠の『物置』だ。
暗闇の中、テーブルにランプを置いて師匠と向かい合ってソファに座る。
ここは恐ろしい謂れのある家らしいが、今では師匠の格安の物置となっている。
物置と言ってもこの人が普通のものを収集するわけがない。
ふたりが座ってるソファーだってきっと耳を塞ぎたくなるようなエピソードがあるに違いない。
一日に一度だけ正確な時間を刻む針の止まった柱時計が、俺たちを見下ろすように鎮座している。
師匠は「探し物がある」と奥の部屋へ入っていった。
ランプまで持っていってしまうから、本当に真っ暗になってしまった。
正直、ここに一人取り残されるのは怖いが、師匠についていくのも怖い。
どうせ何もかもが呪われた品なのだ。俺は余計なものを見ないように目を閉じて師匠を待った。
深呼吸をする。
目を閉じていようと、開けていようと暗闇だ。
時折師匠がガサガサと何かを漁る音が聞こえる。――いや、それだけではない。
カタカタと窓が揺れる音、隙間風が泣き声のようにかすかな声を挙げている。
パキン。
家鳴りが聞こえてきた瞬間、もう耐えていられなくなって耳も塞ぐ。
暗闇と無音。
ドクドクと鳴る自分の心臓の音だけが聞こえる。
いや、耳を塞いだ時に聞こえるジーという血流の音も。
ふと、自分が無防備なことをしていることに気づく。
目を閉じて、耳を塞いで、一体何を怖がっているのだろう。
そっと目を開ける。
暗闇が広がっている。けれど少し落ち着いてきた。
そっと耳から手をどける。
――パキン。
やっぱり無理だ。咄嗟に目と耳を閉ざした。
「……なにしてんだ、お前」
ランプを持った師匠が戻ってくると、仄かな灯りが部屋を照らし出す。
ソファに浅めに座ると、ジャラジャラと大量の箸のようなものを手の中でかき混ぜている。
「なんですか? それ」
「どれ、占ってやろう」
道端見かける中国の易占いのようだ。
後で知ったことだが、筮竹というらしい。
どうせこれも変な謂れがある品なんだろう。
「占いなんてできたんですね」
「モノがよければ、術師の技量なんて関係ないんだよ」
ジャラジャラと混ぜて何かを確認して、という作業を繰り返す。
「ほう、女難の相がでているな。
お前の人生は女で不幸になる。気を付けろよ」
なんだか仰々しく真面目ぶって言うものだから
「師匠には言われたくないですよ」
と軽口を返してしまう。
「浮気はよくないぞ」
はて、何を言っているんだこの人は。
この数年間を考える。
歩くさんと付き合っていても、浮気して何度も怖い目に合っていたのは……
「それも師匠のことでしょ」
師匠の口に笑みが浮かぶ。
「女は怖いぞ」
「……ほんと、そうですね」
それは同意しかない。
「なぁ……もし……」
ガタガタと窓が揺れ、隙間風がひと際大きい泣き声を挙げた。
「いや、なんでもない」
この時は師匠も後悔することなんてあるんだなぁ、なんてことを考えたのだけど、
今にして思うとこのバカの人生は、ずっと長いこと深い後悔を抱えていたのだろう。