彼女が海に出かけたら   作:タン塩レモンティー

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彼女が海に出かけたら

 翌朝、目が覚めても胸の中がモヤモヤしていた。もう起きようと思ってベッドから這い出たけれど、まだ夜明け前だ。スマホを見るとSNSの通知があったらしくライトがついている。それを開くと、やっぱり美鈴ちゃんだった。

 

『ゆうべはお楽しみだった?』

 

 私は『ばーか』とだけ返信してから、布団に突っ伏したが、眠れなかったので朝の散歩をすることにした。すると、福田先生がそこにいた。私は意を決して近付く。

 

「ちょっと海岸に行きませんか?」

 

 私はちょうどそこにいた福田先生を誘うと、先生も頷く。

 二人は砂浜へ歩いて行った。空を見上げると、ゆっくりと明るくなりつつある空模様が、静かに見守っているようだ。

 私は砂浜に座り、静かに佇む。

 

「良かったです。先生と歩けて」

 

 穏やかに、一言一言噛み締めながら、口を動かす。先生は黙っているが、小さく揺れているみたいだ。

 

「もう一緒に歩けないかと思っていましたから……」

「真礼、どうした……?」

 

 彼は胸が苦しそうな仕草を微かに見せる。気持ちが徐々に重くなる。

 

「……好きです」

 

 空気の流れが止まったかのような静寂が訪れる。断られるとか、そんなことは考えていない。

 

「……それは受け入れられない。でも、気持ちは嬉しい」

「私たちは生徒と教師なんですから!」

 

 ……うん、想定内だ。むしろ、告白を受け入れたら、間違いなくドン引きした。

 なのに、頬をつたる液体がしょっぱい。そもそも、覚悟完了して今ここに居る、……筈だったのに。

 

「想い人の手を離しちゃ駄目ですよ」

 

 私は精一杯笑いながらウィンクした。先生の表情が大きく動く。

 

「……僕からは離さないよ。……離されるかもだけど」

「そうならないように、ね」

 

 私はゆっくりと先生に向かって歩き出す。 そして、断ち切るかのように先生の肩を力強く叩く。去り際に先生から目尻を撫でられた。

 

「……時間を取らせてごめんなさい」

 

 私はそう言いながら、すこし悲しそうな笑顔を先生に向けた。その笑顔が、彼の胸をさらに苦しめていくような気がする。

 

「たまにでいいですから、またこうして歩いてくれたら、嬉しいです」

 

 先生の表情は見えなかったけれど、右手でこめかみを押さえつつも僅かに口角を上げた、ような気がした。

 立場を全部すっ飛ばせるなら、自分が一緒に歩きたかった。さっきの散歩で嫌と言うほど思い知らされた。 歩くだけで、これほどまでに満たされるとは思ってもいなかった。

 私はお辞儀すると、笑顔のようなものを残して、その場から全速力で走り出した。

 

 

 帰ってくるといい匂いが部屋を満たした。朝食だろう。

 

「真礼さん、起きてた?」

「おはようございます」

 

 お箸を持った紗季さんが顔をのぞかせている。昨夜の出来事が嘘みたいだ。私は一息ついてから、リビングへと向かう。福田先生と朗希くんはもう座って待っていた。

 

「みんな揃ったな。じゃあ『いただきます』」

 

 四人の声が響き渡った。私と先生の間でさっきあったことはおくびにも出さず、朝食はつつがなく終わった。

 食事を終えてから、私達は車に乗り込んだ。後部座席に紗季さんと並んで座り、福田先生がハンドルを握る。

 

「今日はどこに行くんですか?」

「まぁ着いてからの楽しみということで……」

 

 福田先生がもったいぶる。何なんだろう? しばらく走って、車は住宅街へと入った。どうやら目的地はこの先らしい。やがて車が止まったのは大きな門の前だった。

 

「着いたよ」

「……え?」

 

 紗季さんが声を上げる。車を降りるとそこは広い庭のある立派な家だった。玄関には表札がない。ここは一体……。

 私が首を傾げている間に、福田先生がインターホンを押す。すると中から女性の声が聞こえてきた。

 

「こんにちは、福田といいます。昨日ご連絡した通り、連れてきましたよ」

「待っていました。今開けますね」

 

 そう言って女性は鍵を開ける。そして扉を開いた瞬間、パン! という音が鳴り響いた。クラッカーの音だ。カラフルな紙吹雪が舞い散っている。その先には笑顔を浮かべた五人の男女がいた。

 

「ようこそ! 我が家へ!」

 

 目の前で手を叩かれたような衝撃があった。言葉を失う私の横で、紗季さんが口を開く。

 

「お父さん……お母さん。……どうしてここにいるの!?」

 

 彼女は呆然と呟く。どうやらこれはサプライズイベントらしい。

 

「実は紗季の誕生日パーティーの準備をしていたんだ。なかなか予定が合わなかったけど、ようやく全員休みが取れてさ。こうして集まってもらったんだよ」

「そんなこと一言も言っていなかったじゃないですか!」

「言ったらサプライズにならないじゃないか」

 

 福田先生の言葉に紗季さんが食ってかかる。しかし彼は動じることなく言い返した。そこへ女性が割って入る。

 

「ふふっ、二人とも相変わらず仲が良いわねぇ。さあ、早く始めましょう」

 

 彼女の言葉で空気が変わった。再びクラッカーが鳴る。それからは大騒ぎだった。

 テーブルの上にはたくさんの料理が並べられていて、どれも美味しそうだ。特にメインディッシュであるローストビーフなんか絶品で、いくら食べても飽きない気がする。気づけば私は夢中で肉を切り分けていた。

 

「真礼さん、野菜も食べなよ」

 

 朗希くんに肩を叩かれて注意されてしまった。うぅ……お腹いっぱいなのに。

 

「それより、昨日クラゲに刺されたのはもう大丈夫なの?」

「そんなの関係ねぇ」

 

 彼はかなり昔に流行ったギャグをかましながらサラダを食べ始める。レタスの食感を楽しんでいた。ドレッシングも手作りらしく、とても美味しくて平らげてしまった。

 ホント、年相応なんだか、大人びてるんだか分かんないなぁ。

 ……あ、私もじゃん。福田先生のことを好きだって自認していたのに、紗季さんと先生の楽しそうな様子を見ていると思わず口角が上がっている。

 

「ところで、この子は?」

 

 紗季さんのお母様らしき人が尋ねてくる。紗季さんはまだ来ていないようだ。代わりに私を紹介することになった。

 

「初めまして。橘 真礼と言います。紗季さんとは仲良くさせていただいています」

「あら、ご丁寧にありがとう。私は紗季の母です。よろしくね」

「はい」

 

 緊張しながら返事をする。すると父親らしき人が話しかけてきた。

 

「あちらの男性は紗季の恋人かな?」

 

 恋人という言葉を聞いて心臓が大きく跳ねる。彼は先生を見ながら話す。向かい側に座っていた白髪の女性が目を細める。おそらくこの人は祖母だろう。優しげな雰囲気。

 

「違いますよ」

「えっ? そうなのか!?」

 

 なぜかホッとした様子のお父さん、それを見て祖母が目尻を細める。

 それからも料理が次々と運ばれてくる。食事中はあまり会話がないのかと思っていたけれどそんなことはなく、いろんな話で盛り上がった。

 

「発表があるそうだ」

 

 お父さんが唐突なことを言い出した。紗季さんが福田先生を連れてくる。先生の戸惑いが私でもわかるほどに。

 

「先生急にごめんね。人となりを見せたかったの。でも、合格です」

「……え、これは?」

「あー、うん。それはね」

 

 紗季さんはすごく綺麗な笑顔で、先生の口元に人差し指を押し付けた。

 

「婚約を前提としたお付き合い披露会」

 

 福田先生は鳩に豆鉄砲を食らったような表情をしている。私や朗希くんは言わずもがな。思考停止した私たちに紗季さんはとても魅力的な笑みで微笑んだ。

 

「サプライズ返しですよ、先生」

 

 紗季さんが歯を見せながら満面の笑みで言う。見に集まった彼女の家族も嬉しそうに話している。

 

「……なら、君も言うことがあるだろ?」

「え?」

 

 紗季さんが固まるが、先生は至極真面目に言っている。

 

「どう思っているのか自分の口から伝えて欲しい」

「え? ここで?」

 

 紗季さんが慌ててふためいているけれど、彼は追及を止めるつもりはないみたいだ。

 

「ちょっ、お父さんやお母さん、おばあちゃんの前だよ!」

「だからだ。皆の前でハッキリ言う!」

「……もう、分かりましたっ!」

 

 先生が絶対に引かない態度を見せていることで、紗季さんが観念したように肩を竦めた。真っ赤な顔で上目遣いに彼を見る。

 

「……わ、私は、……福田さんが、好きです!」

 

 その表情はまさに乙女そのものだった。今頃になって、頬が熱くなるのを感じているようだ。

 その時、私のスマホが通知音と共に震え出した。美鈴ちゃんからだ。

 

『人生には甘さも必要なのだよ』

 

 ミルクにホイップ状のコーヒーが一杯乗った、フォトジェニックなラテの画像付きで。分かった風な口聞いてくれるじゃん! 返信しようとすると、追加メッセージが届いた。

 

『帰ったら、カフェ行かない? 話くらいは聞いてあげる♪』

 

 口は悪いけど、私のことはある程度は理解して見守ってくれている。そんな悪友が、今は貴重な存在だった。

 

『了解』

 

 そして、私は紗季さんに少しだけ意地悪そうな笑みを見せると、彼女は小さく、でも楽しそうに、頬を膨らませた。祝福に包まれた会場で、私は朗希くんの肩をポンと叩くと、彼は苦笑いをしたが、機嫌が良さそうな感じだった。

 風も日差しもおだやかな昼下がり。そこには、ゆったりとした明るく暖かい空気が流れていた。




いかがだったでしょうか。
これにて完結です。

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