「ほら、絵名、起きて」
「んぅ……」
「今日は朝から絵の練習をするんでしょ。早く起きて」
東雲家に住む少女――東雲まふゆは、布団に包まる東雲家長女、東雲絵名を起こそうとしていた。
まふゆは絵名の身体を揺するが、身をよじるだけで一向に起きる気配がない。
「うるさぃ……、すぐ起きるから……っ」
「なら、今から十秒以内に起きて」
「…………あと一時間」
「一瞬で矛盾しないで」
まふゆは相変わらずの絵名の寝起きの悪さに無表情ながらもため息をつく。
「起こしてって頼んできたのは絵名でしょ。さっさと起きて」
「んぅぅ……」
かれこれ十分ほど格闘してるが、一向に起きる気配がない。
そんな絵名を見て、まふゆは表情を変えないまま青筋を立てた。
――……絶対朝起こせっていったのは何処の誰?
今日は休日と言うこともあり、まふゆも正直布団の中でゆっくりしたい。
にもかかわらず『起こせ』と命令され、案の定目の前ですやすやと眠る絵名にだんだん怒りがこみ上げてくる。
――ぎゅ。
「……?」
そんなことを考えていると、突然絵名が布団をかぶったまま、まふゆにすがるように抱きついてきた。
「絵名?」
「……このまま起こして」
「…………(イラッ)」
グキ――ッ。
まふゆは、無意識にヘッドロックを決めた。
「まふゆ姉さん、そいつまだ起きねえのか?」
「彰人、絵名を起こさないであげて、死ぬほど疲れてる」
□ □ □
「もうっ、いい加減機嫌直してよまふゆ」
「デッサン人形の機嫌が悪くても悪くなくても、絵名はデッサンを描けば良いでしょ」
まふゆは真顔のまま椅子に座り、花束を持つ。
しかし、その顔はどことなく怒っているように感じる。
「自分を人形とか言わないの、悪い癖よ?」
「だったら早く終わらせて、体制を維持するの大変なんだから」
まふゆはそんな悪態をつきながら、身体はほとんど微動だにしていない。
「……っていうか。そもそもなんでいつも相手が私なの。彰人にお願いすれば良いじゃん」
「仕方ないじゃない、アンタが一番デッサンの写り良いんだから」
「……理不尽」
絵名の暴論にまふゆはため息をつき、ぼそっと呟いた。
相変わらず、彼女の暴君発言はここに来た十年間前から変わらない。
――……
「もう十年、か」
「……ん? まふゆ、何か言った?」
「別に」
「?」
絵名はまふゆの言葉を疑問に思いながらも、筆を走らせ続けた。
朝比奈まふゆ……その名を捨ててから、およそ十年の月日が経過した。
東雲家に来たのは六歳の頃。
まふゆの元両親はかなりの毒親で、まふゆが幼少期の頃から『医者』になるように教育されてきた。
――塾、稽古、勉強、そんな押しつぶされる人生だ。
そんな狂った人生でも、まふゆは頑張った。
家族のためだと、家族が幸せになるためだと……頑張れば報われる、と。
『口答えするまふゆなんて……良い子じゃない』
――しかし、努力したにもかかわらず、最終的にまふゆは捨てられた。
□ □ □
「…………」
まふゆは絵名のデッサンが終わると、すぐさま自分の部屋にこもり、医者になる勉強をし始めた。
「…………」
誰もいない静かな静寂の中、まふゆの書き殴る音だけが響いている。
(……早く医者にならないと)
まふゆは両親の束縛から解放されてもなお、医者になることを目指していた。
なぜなら、まふゆにはそれしか無いからだ。
「……まふゆ、いるか」
書き殴っていると、突然扉がノックされ、父親が顔を出した。
「あ、お父さん。帰ってたんだね。お帰りなさい」
一瞬父親の方を向いて笑みを浮かべた後、再度書き殴っていたノートに視線を戻した。
すると、父親はまふゆの机に飲み物とお菓子を置いてきた。どうやら持ってきてくれたようだ。
「ふふっ、ありがとう。お父さん」
「……また、医者の勉強をやっているのか?」
「うん、早く医者にならないといけないからね」
「……そうか。無理はするなよ」
父親はそう言うと、まふゆの頭を撫でた後、この部屋を去った。
「……ごめんねお父さん、無理しないわけにはいかないよ」
父親が去った後、まふゆは誰にいうでもなく呟いた。
まふゆはこの東雲家に救われた。両親に捨てられた自分を、この東雲家は温かく迎えてくれたのだ。
――だからこそ、恩返ししなくちゃいけない。
「…………」
いっぱい勉強していっぱい稼いで、締め付けられていた自分の人生を救ってくれた今の家族を……目一杯幸せにしたい。
お遊びにうつつを抜かしている暇は断じてない。今度こそ良い子に、医者にならなければいけない。
――今度こそ、自分の手でつかみ取るんだ。
「まふゆ、いる?」
と、そんなことを考えていると、ノックもせず絵名が入ってきた。
まふゆはため息交じりに口を開く。
「ノックぐらいしてよ、女の子の部屋なんだから」
「別に良いじゃない、家族なんだし」
「親しき仲にも礼儀ありってことわざ知ってる?」
まふゆは一旦勉強道具をしまい、絵名に目を向ける。
「それで、なんの用?」
「アンタさ、今日も夕食食べに来なかったわよね」
「そう、だね。それで?」
「それでって……」
無表情に聞いてくるまふゆに、絵名は心配そうな目で見つめた。
「ちゃんと食べにきなさいよ。お母さんも心配するんだから。最近はずっとそう、部屋にこもって勉強勉強……息抜きも娯楽もなーんにもせずに医者になる医者になるってばっかり――」
「…………」
「そんなに恩返しがしたい? そんなに自分のことよりも恩返しが大切? 自分も幸せになりたいとか思わないわけ?」
「っ」
「ねえ! 答えなさいよっ!」
「…………自分より恩返しの方が大切に決まってんじゃん」
胸ぐらを掴んで怒りの目を向ける絵名に対し、まふゆも珍しく怒りに満ちた視線を向ける。
その目を向けて、絵名はその手を離した。
「じゃあ、私にも恩返ししなさいよ」
「……絵名に、恩返し?」
「今私さ、あるチームで音楽作ってんのよ」
まふゆは絵名の言った『音楽を作っている』という発言に、ピクッと眉を動かした。
「私はそこでイラスト担当をやってて、けど今チームには作曲者がいない状態なのよ。ってことでアンタも手伝いなさい」
「…………興味ない」
「嘘つきなさい。アンタも夜な夜な音楽作ってたのしってんだから」
「……っ」
「『own』――結構有名よね」
「……その名はもう捨てた」
まふゆは冷たい目で自分の椅子に座る。
確かに彼女の言うとおり、元々『own』という名前で曲を作っていたのは事実だ。
しかし、それは趣味程度でなんとなく作曲していたというだけの話。今は勉強に注力したいため、もう作ってはいない。
「絵名、もうわたしは音楽を作る気はないよ。あれは楽しいだけ、誰も幸せにならないから」
「……曲を作るとき、アンタいつも楽しそうなの私知ってるんだけど?」
「楽しいと幸せになれるかどうかは別、わたしは何よりも今の家族を幸せにしたい」
普段だったら、絵名の頼みはなんだかんだ愚痴を言っても答えるまふゆだが、今回は違った。
なぜなら、もう一度あの楽しさを知ってしまったら……また戻れなくなりそうだから。
「悪いけど、別の人に頼んで」
「…………ふんっ」
その言葉を聞くと、絵名は鼻を鳴らし、腕を組んでそっぽを向いた。 それを確認したまふゆは諦めたと思い、目の前の勉強道具に目を向け――
ポジティブ♡ダーンスタイ――
「~~~~っ!!!!!!!」
がしっ!!!!
絵名のスマホからその曲が流れた瞬間、まふゆは顔をこれ以上無いほど朱色に染め、絵名の腕を掴む。
「このデータさぁ、ピンク色の髪をした『わんだほい』っていうのが口癖の子からもらったのよねぇ」
「……消・せ」
ニヤニヤという絵名に対し、まふゆは冷静を装いながらも顔を真っ赤にして威圧した。
「あはははははっ! やっぱりアンタにとってこれって黒歴史なのね! そりゃそうよね。アンタっぽく無い曲で変なポーズしてるんだもんっ!」
「っ、うるさい」
「じゃあこれをお母さんや彰人に見せたら……どんな反応するのかしらねぇ?」
「……そんな事したらマジで殺ス」
動揺するまふゆをニヤニヤと楽しみながら、絵名はこういった。
「と言うことで、協力しないならこればら撒くからね。つまりアンタには拒否ないってわけ」