こちらのサイトでは初めて投稿しますので、至らない点も多いかと存じます。
見づらいなどのご意見があれば修正しますので、何かありましたらご指摘をお願い致します!
春眠暁を覚えず。
岸辺で花開かせた桜が己の美しさを誇るように舞い散り、川面を薄っすらと儚げな色で覆う春の昼下がりは、まさに言葉そのものの空間をもたらしている。
しかし、あまり雅な雰囲気は自分に似合わない。
癖のついた髪にのせた黒い中折れ帽にふわりと下りた桜の花びらを指先で払いながら、彼はそう考えていた。
何故なら自分は、常に乾いた風と人の様々な想いを身に纏う探偵なのだから。
ぬるま湯のような日常に浸り切り堕落した毎日を送っているようでは、今もこの街のどこかに巣食い、人々を泣かせる黒い影を吹き払うことなどできはしないのだから--
自称ハードボイルド、他者の印象はハーフボイルドである左翔太郎が目を伏せ、目の前の水面を物憂げに見やったときである。
「何、寝とるねん!」
すぐ後ろから若い女の甲高い声が上がり、軽快な衝撃音が重なった。
クリーンヒットした緑色のスリッパが帽子を弾き飛ばさなかったのは、ツッコミの主である鳴海亜樹子のせめてもの配慮であると見るべきなのであろうか。
「あたっ!何すんだ、寝てねえよ!」
「今、引いてたのに!翔太郎くんがさっさと釣り上げないから、逃げられちゃってるじゃないのよ!」
振り向いて反射的に亜樹子へ抗議した翔太郎であったが、切り返ししに慌ててまた正面に向き直った。
彼が座っている岸辺から数メートル先の水面を漂っていた蛍光色の丸い浮きは、ぴくりとも動かない。そっと右手に握った釣り竿を持ち上げてみても、やはり手応えは皆無だ。目一杯まで竿を引き上げてみると、先端から垂れたテグスの先には釣り針だけが空しくぶら下がっているのが見えた。
「餌だけ取られたか……」
翔太郎が軽く息をついて釣り竿を振り、手元に針を戻す。
「そんなんじゃ、今日の食費を稼ぐ前に日が暮れちゃうわよ。ほら、さっさと餌つけて続けた、続けた!」
スリッパを振る亜樹子に急かされた翔太郎は、足元に置いてあった練り餌を丸めて針の先に刺したが、その手がはたと止まる。
平日の午後は、普通なら鳴海探偵事務所のデスクで依頼人からの相談を受けたり、事務処理をするのに忙しい。こんなところで引退後の暮らしを楽しむ老人よろしく、釣りなどしている場合ではないはずだった。
なのに自分は、一体何をしているというのか。
「あー、もう止めだ止め!だいたい、何で探偵の俺が近所の川で釣りなんかしなきゃならねえんだよ!」
「仕方ないでしょ。結婚資金貯めるのに、節約しなきゃならないんだから。竜くんにばっかり苦労かけてられないのよ」
釣竿を放り投げて折りたたみ椅子から立ち上がった翔太郎に、亜樹子が勢い込んでかかっていく。眉を吊り上げながら張りのある声で翔太郎と喧嘩する亜樹子は、童顔が手伝って翔太郎の妹のようにも見えるが、実際は立派に成人した女性だ。
鳴海探偵事務所創設者の娘であり現所長である亜樹子は、風都警察署の刑事である照井竜と婚約中の身であり、結婚式を数ヵ月後に控えていた。
照井はその若さに見合わず警視という地位にいるものの、亜樹子はそこに依存することなく彼を助け、共に人生を歩んでいこうという意思に今から溢れている。
その志は立派だ。
立派だとは思えるが、貯金になし崩し的に付き合わされる身にもなって欲しい、と翔太郎はここ数日特に感じることが多かった。
「そんなけなげな花嫁にぃ、翔太郎くんは協力しようと思わないの?」
「そりゃ、まあ……」
しかし一転して甘えた声を出す亜樹子を前にすると、翔太郎は頬を掻いてごまかすしかない。何と言っても亜樹子は鳴海荘吉の忘れ形見であり、言ってみれば恩人の娘なのだ。どうして拒むことができるだろう。
「だったら、今日の夕食の分を稼ぐの!最近ただでさえ依頼が減ってて厳しいんだから」
「じゃあ、亜樹子も手伝えよ。竿はそこにまだあんだろ」
だからと言って、彼女の言われるままになるのも癪に障る。
傍らに残っている一振りの竿を指差してささやかな反撃を試みた翔太郎であったが、亜樹子は胸を張って見せた。
「私は料理担当だから、今は休憩よ」
彼女が料理担当と威張って言ったところで、事務所の食事メニューは大体お好み焼き、たこ焼き、焼きそばのローテーションだ。多分今日は、釣れた魚の身を具の一部として使うつもりでいるのだろう。
そろそろ大阪ゆかりのメニュー以外のものも練習した方がいいのではないか。
溜息を漏らして折りたたみ椅子に座り直した翔太郎だが、この場にもう一人いるはずのメンバーがやけに静かなことに、今になって気がついた。
「おいフィリップ!お前も、俺にばっかりやらせんなよ……って、何してんだ?」
翔太郎は隣で同じように座っている少年に声をかけたが、返事が返ってこない。
日差しが眩しいのか、少年は丈が長いノースリーブのパーカーのフードを目深に被っている。しかしその視線が向いているのは水面でなく、足元の地面であった。
よく見ると、彼は全く日焼けのない白い手に小さな石を握って、しきりに地面を掘り返している。
「おい、フィリップ?」
不審に思った翔太郎がもう一度声をかけると、フードの影に隠れた顔がこちらを向いた。
癖のある黒髪をいくつも撥ねさせて、視界を遮る前髪の一部を文房具のクリップで留めた特徴のあるヘアスタイル。その下にある繊細な顔に、子どものように純粋な好奇心に溢れた瞳が輝いていた。
これはまずい。
この少年、翔太郎の相棒たるフィリップが何か一つのことに熱中し出し、周囲が見えなくなる兆候だ。
「翔太郎、君は知ってるか?鯉という魚は雑食で、およそ何でも食べるらしい。こんな練り餌なんかよりも、生きている餌の方がよっぽど食いつきがいいかも知れないじゃないか。だから僕は、これを餌にして釣ってみることにしようと思う」
「ぎゃあ!」
熱っぽく語るフィリップを落ち着かせようと口を開きかけた翔太郎だったが、眼前に丸々と肥えたミミズが突き出され、情けない叫び声を上げることになってしまった。
「どうしたんだ、翔太郎?ミミズは別に害を及ぼす生き物じゃないだろう。それどころか意外と栄養が豊富で、貴重な食料源としているところだって……」
高さの低い折りたたみ椅子ごとひっくり返った翔太郎に次いで、フィリップは亜樹子にも土中からつまみ上げたばかりで鈍く光っている大ミミズを見せる。
「ぎゃー!こっち向けるなー!」
フィリップの説明は、当然ながら亜樹子の派手な悲鳴にかき消された。
「君までどうしたんだ、あきちゃん?」
彼が怪訝そうにして暴れるミミズを手にしたまま立ち上がると、亜樹子に続いて尻餅をついた状態になっていた翔太郎までもが慌てて逃げ出した。その様子を見てやっと悟ったらしく、フィリップが首を傾げる。
「……二人とも、ひょっとしてミミズは苦手なのか?」
「見りゃわかんだろ!」
あくまで翔太郎を盾にする亜樹子を背に、フィリップから数歩離れた場所で構えた翔太郎が吼えた。
「そうなのか。害虫でもないのに……」
「時々、お前の感覚にはついていけねえよ」
天才が感じることは、やはり凡人に理解できないところが多々ある。
まだ納得できず疑問を拭いかねているフィリップの表情を見ながら、翔太郎がやれやれと首を振ったときだった。
賑やかにして平和な騒ぎの渦中にあった皆の耳に、雰囲気にそぐわない騒音が飛び込んできた。
砂利道の小石を荒々しく擦り、タイヤを高く軋ませて疾走する車の音。誰かが乱暴に運転していることを思わせる大きな音は、一同がいる川辺よりも一段高い土手の方から上がってきている。土煙を上げてこちらに疾走してくるのは、白いボディに青い文字で会社名が書かれている営業車らしい小型の乗用車だった。
「ちょっと、あれ見て!」
亜樹子がただならぬ様子で叫び、車を指差した。
翔太郎が目を凝らしてみると、白いボンネットの上に灰色をした何かが貼りついているように見える。
いや。
貼りついているのではなく、取りついているのだ。
猛スピードで土手を走ってくる白い車には灰色の人影が、ただし「人」ではないものがしがみついていた。人間に近い形をした頭と手足を持ちながらも、その肌はごつごつした岩に覆われたようで、身の丈は明らかに人間よりも遥かに大きい。
風都にはびこるガイアメモリを使用し、おぞましい姿に変わり果てた元人間の怪人--ドーパントに間違いない。
そう気づいた翔太郎とフィリップの顔に、緊張が走る。
二人が視線を交わして頷き合った時、車の前輪が土手から外れ、車体の前半分が一瞬宙に浮いた状態になった。タイヤが空回りする間もなく、白い車体が速度を落とさずに川辺へと滑る。
が、車を運転しているドライバーはボンネットの異物を何とかしようと躍起になっているらしい。傾いた車体の後ろ半分が突然大きなブレーキ音と共に振られ、車はスピンするかに見えた。しかしそううまくはいかず、土手の凹凸にタイヤが取られて車体が跳ね上がったのがわかる。
そのような状態にあるにもかかわらず、ボンネットに取りついているドーパントがフロントガラスに岩のような拳を叩きつけた。甲高い音が上がり、フロントガラスに蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「きゃあっ!」
亜樹子のものでない女性の悲鳴が車内からかすかに漏れたのを、翔太郎は確かに聞いた。あの車を運転しているのは、若い女なのだ。
反射的に彼が駆け出そうとした時、ついに車が横転した。
運転席のドアがその弾みで開き、小さな人影が土手の草むらへと放り出される。
小型の営業車は破壊音を撒き散らしながらあと二度転がったところで止まったが、ルーフを下にして川原まで滑り落ちた車体のガラスは全て割れ、ドアは歪み、無残な姿となっていた。
「いったあ……もう、一体何だっての……」
腰をさすりながら、運転席から車外に振り落とされた若い女が呟いて立ち上がる。
大きな怪我はないようだったが、グレーのジャケットから出た腕とデニムの下にある膝に擦り傷と打ち身があるようだった。車の損害に比例した衝撃が身体に及ばなかったのは、幸運だったと言えるだろう。立ち上がれはしたものの、未だ頭がふらついているようだ。
『おい、女!』
その彼女の眼前に先の怪人が立ち塞がり、片手を差し出した。女が幼さの残る瞳を見開き、驚きで息を飲む。
『お前が持っているガイアメモリを渡せ。そうすれば、殺しはしない』
「う……そ……し、喋った?」
ドーパントを生まれて初めて目にしたと見える女は立ち竦み、すっかり動転して相手の要求など耳に届いていないらしい。焦れたドーパントは手を振り、彼女に再び要求した。
『早く渡せ!』
「し……知らない。何、メモリって!」
ポニーテールに結った長い髪を振り乱し、怯えた様子で首を振る女の声は悲鳴に近かった。
『とぼけるな!嘘をつくなら、お前を殺してでも渡してもらう』
灰色のドーパントが、女に向かってじりじりと距離を詰めていく。彼女は成す術なく、後ろに下がるばかりだ。
「やばいな。行くぜ、フィリップ!」
「ああ」
女の下に向かいかけていた翔太郎が足を止めると、フィリップが頷いた。彼が握りしめていた緑色のメモリを掲げ、翔太郎がダブルドライバーとメモリを取り出す。ダブルドライバーが輝き、翔太郎の腰に装着されたタイミングで、メモリを振り翳す二人の声が重なった。
「変身!」
フィリップがメモリの起動スイッチを指で弾く。
『CYCLONE(サイクロン)!』
ガイアウィスパーが空気を震わせ、フィリップの腰に現れたダブルドライバーにメモリが差し込まれた。光を放ったメモリは、次の瞬間には翔太郎のドライバーに転送される。
『JOKER(ジョーカー)!』
今度は翔太郎が掴んだ漆黒のメモリの起動スイッチを叩き、ドライバーのスロットに滑り込ませた。これから始まる戦いに昂ぶる興奮を抑えつつも、力強くドライバーを開く。
『CYCLONE(サイクロン)!』
『JOKER(ジョーカー)!』
再び上がったガイアウィスパーが、突如として巻き起こった激しい旋風と共に翔太郎を包み込んだ。しかし風は翔太郎自身を吹き飛ばすことなく、彼の身体に地球が蓄えたエネルギーを実体へと換え、幾重にも纏わせる。
指先から腕へ、肩へ、爪先から腿へ、胸へ、全身に力が行き渡るのが感じられる。もう何度も経験した、無形の力と融合し一つとなる短い時間だ。それがおさまると大地に一人の、いや、二人が一人となった戦士が降り立つのだ。
翔太郎が視界を開くと、いつものように左手が黒、右手が緑に輝いているのが見えた。
「よし、行くぜ!」
今一度言葉に出して確認すると、意識の隅でフィリップが無言で頷いたのがわかった。
仮面ライダーWに変身した翔太郎とフィリップは、名も知らぬ女をドーパントから守るために地面を蹴った。