だんだんと訪れる時間が遅くなってくる夕暮れもとっくに迫り切った、午後七時。
仮面ライダーとしての姿を持つこともあり、普段あまり風都から出たことがない翔太郎であったが、今日は久しぶりに夜を別の場所で過ごすことになっている。
電車を乗り継いで辿り着いた先にあったのは、落ち着いてはいても夜の懐に抱かれるつもりがない、人工の光が溢れる街であった。
老いも若きも、男も女も皆が小綺麗な身なりで闊歩するメインストリート。
華やかだが行き過ぎないネオンで飾られた、洒落た雰囲気を漂わせるビル。
抑え目である一方で、心から空間そのものを楽しんでいることが伝わってくる低い声の会話。
翔太郎を包む空気に満ちた街の雰囲気を形作る要素の一つ一つに、大人の夜を彩るスパイスが効いている。そのどれも、風都では馴染みが浅い洗練された香りを感じさせた。
彼が向かったバーもその例に漏れず、入り口であるビルの地下へ向かう階段からして都会的な空気を纏っている。間接照明がところどころに据えられた、小綺麗な廊下の突き当たりにある木製の自動ドアをくぐると、思ったよりも広々とした空間が彼を出迎えた。
「お……」
意識せずに、吐息とともに小さな声が漏れる。
磨き上げられた黒大理石の床にはバー全体の姿が映り込んでおり、その上を歩くバーテンダーやウェイターの影も忙しげなシルエットを落としている。壁際が深みがあるブルーの照明に照らされているせいか、ゆとりを持って並べられているテーブルやカウンターについている客の姿はあまり目立たない。客はそこそこ多いのにざわついた印象がないのは、控え目な音量でジャズが流れているのと、声が響かないよう配慮されたインテリアになっているからなのだろう。
いかにも流行に敏感な若い女たちが飛び付きそうな雰囲気の店ではあったが、どっしりとしたカウンターやずらりと洋酒のボトルが並んだ木製の棚がほどよく使い込まれており、古き良き時代を思い起こさせるところは翔太郎好みだ。
今日ここへ自分を呼んだ女は流石に同業者なだけあって、知り合ってから日が浅い人間の好みも把握するのが早い。
と、彼が感心し、近寄ってくるウェイターの様子を見つつ愛用の黒い中折れ帽に手を伸ばしたところで、後ろから誰かにひょいと目標をかっさらわれた。
「あ!」
翔太郎が間抜けな一声とともに空を掴んだ手を慌てて下ろし、視界の隅を掠めていった帽子を追いかけると、いつの間にかすぐ後ろに未来が立っていた。
「室内では、帽子を脱ぐのがマナーだよ」
十センチ以上は上にある翔太郎の頭から取り上げた黒い帽子をくるくる回しながら、未来は側まで来たウェイターに目配せした。長めの黒髪を後ろでまとめたウェイターとは知り合いらしく、先に立って奥へ案内を始める後ろ姿に彼女はそのままついていく。
「今取ろうと思ってたところだ」
「遅いっつの。取るのは店に入る前。ハードボイルドを気取りたいんだったら、立ち振舞いは完璧にしなきゃね」
女にエスコートされるのは性に合わないが、仕方なくと言いたげに従ってきた翔太郎へ、未来は帽子を返してきた。
二人が案内されたのは店の一番奥にあるテーブルで、少しだけ他のテーブルより広めの間隔が取られている。さりげなく観葉植物の鉢や熱帯魚の漂う水槽で視線も遮られるようになっており、密談に向いた配置になっているようだった。
「色々気にしてたら、折角の酒が不味くなっちまうだろ」
「あんたがあんまりごちゃごちゃうるさいと、奢ってあげないよ?それに、ここは私が贔屓にしてるお店なんだから。私の顔に泥を塗るような真似したら、速攻で叩き出すからね」
互いにスツールに腰を下ろし、小さなテーブルを挟んで向かい合っても、翔太郎に睨みを効かせてくる未来の強気な態度は今までと全く変わらない。恐らくそれは、これからアルコールを口にし始めてもそのままなのだろう。
この洒落たバー「テンパランス」へ翔太郎が呼び出されたのは、プライドとの決着がついた翌日のことである。窮地を救ってくれたお礼に酒を奢ると、未来から申し出があったためだ。
が、ただ一緒に酒を酌み交わすだけと互いに考えていないのは明白で、込み入った話になることは見えている。だから、未来もわざわざこんな位置のテーブルを押さえたのだ。
「ここはカクテルが売りなんだ。何を頼んでもいいよ」
それでも、笑顔を見せながら翔太郎にメニューを渡す彼女の顔に緊張は見えない。
見慣れない洋酒やカクテルの名前のびっしりとした並びを翔太郎が眺めている間に、未来はテーブルへ案内してくれた先のウェイターを呼んでいた。
「私、ボストン・クーラー」
「……バーボン。ストレートで」
メニューを見ずに自分のカクテルを注文した未来に続き、翔太郎が低い声を意識して告げる。ウェイターが下がったのと入れ替わりに、彼女は驚いた顔を翔太郎の近くに寄せてきた。
「ちょっと……そんな強いの飲んで、大丈夫なの?」
「カクテルは女が飲むものだ。バーボンの癖がある香りこそ、ハードボイルドな一日を締め括るに相応しいってもんだぜ」
視線を目の前の女からわざと外して答えた翔太郎は、いつもの調子で軽く自らの作り出した空気に酔っている。彼の上司である亜樹子がいれば反射的にスリッパを飛ばしていたのだろうが、それがない今は完璧に決まったと思い込んでいるのだ。
映画の主人公が口にするような気障な台詞を臆面もなく言ってのけた青年に、呆気に取られた未来が大きな目をしばたかせる。彼女が二の句を継ぐタイミングを計り損ねて沈黙したのを察したのか、ウェイターはすぐに二人の酒とナッツの皿を運んできてくれた。
馴染みの店ではこういったことに融通が利くのがありがたいと、未来はその心遣いに感謝してグラスを掲げた。そうでなければ、自分もあの「女子中学生」所長の如く突っ込みを入れていたに違いなかっただろう。
「まあいいや。助けてくれて、ありがとね」
「女を守るのも、男の仕事のうちだ。乾杯」
未来のボストン・クーラーがステアされたグラスと翔太郎のバーボンが注がれたそれが、高い音を立てて合わせられる。未来が炭酸の細かい泡が美しい、爽やかな香りのカクテルに口をつける様子を横目にしながら、翔太郎は琥珀色のバーボンを喉に流した。
途端、焼けるような刺激が口の奥を刺した。
香ばしい、と言うよりも慣れない者には焦げ臭く感じる強烈な香りと濃厚なアルコールが嗅覚の深くまで貫き、慌てて吸い込んだ空気までも、頭がぐらつくほど芳醇な風味に満ちているかのように錯覚させる。
結局翔太郎が「大人の男」に似合う酒に耐えられたのはほんの数瞬で、噎せるのを隠し切れず咳の連打に襲われた。
「……く」
自己陶酔していた翔太郎が一転して涙を浮かべ激しい咳に見舞われているのに、正面に座っている未来が吹き出す。店の雰囲気の手前、盛大に笑うわけにもいかない彼女は、口を片手で覆って必死に堪えていた。
「おい、笑いすぎだろ!」
「……ご、ごめん……ちょっと、お腹痛い……くくく……」
咳の嵐から解放された翔太郎が顔を赤くして怒りと羞恥心を小声でぶつけるが、背伸びした物言いと本性のギャップがよほどおかしかったのだろう。肩を震わせながら顔を伏せ、大爆笑の衝動に耐える未来の様子は変わらない。彼女は数十秒を費やしてようやく笑い声を治めると、目尻の涙を拭ってからウェイターを呼び寄せた。
「彼にも、私と同じものを」
まだ笑いを口許に残している未来が飲んでいるのは、ボストン・クーラーなるカクテルだ。
果汁が入った甘ったるいカクテルなど男が口にする飲み物ではないと固く信じて疑わない翔太郎が、憮然とした表情を見せる。
「俺はカクテルは飲まないって言ったろ」
「まあ、そう言いなさんなって。ガムシロップは入れずに甘さは抑えてるし、男の人の口にも合うよ。カクテルって言ってもラムベースだから、それなりにアルコール度は高いしね。ここは私の顔を立てると思って」
未来は嫌味で言っているのではなく、あくまで翔太郎を宥めようとする穏やかさが窺える口調である。それに彼女が言う通り、自分は招かれた身なのだ。たまには女の顔を立ててやるのもまた、ハードボイルドに要求される懐の深さであると言えよう。
もっとも、ウェイターが翔太郎の意見を最初から聞こうともしていなかったのには多少不満が残ってはいたが。
不承不承ながらも翔太郎がそれ以上の文句を口にせず未来との話を続けていると、ほどなく彼の新しい、背が高いカクテルグラスが運ばれてきた。好き好んで甘いカクテルを飲んでいるわけではないと無言の主張を顔に表しつつ、翔太郎が薄いグラスの縁に唇をつける。
すると、意外さで彼は目を見開いた。
ジンジャーエールにレモンを加えたささやかな酸味にしつこくない自然な甘さが加わり、それでいてしっかりとラムの風味も効いている。あまり名前を聞いたことがないカクテルだったが、これなら甘さが苦手な男の舌にも十分合うものだと言えた。
「どお?」
翔太郎の反応から答えは見えているだろうが、未来がいたずらっぽい微笑みを浮かべて聞いてきた。
「……正直、美味い」
「でしょ。良くないよ?食わず嫌いは」
素直な翔太郎の答えに満足気な未来が軽く頷くと、今日は下ろしている長めの髪がさらりと音を立てた。
こうなってからやっと、互いに落ち着いて話ができる状態になったと自覚できたのかもしれない。翔太郎は更にボストン・クーラーを一口すすって喉に残るバーボンの香りを流してから、未来の大きな黒い瞳をとらえた。
「で、俺に何か話があるんじゃねえのか。わざわざこんなところに呼び出してるんだからな」
「ん。まあね」
すると、今度は曖昧に答えた未来がハーフボイルド探偵から視線を逸らす。一秒にも満たない間だけ褐色の粒がひしめくナッツの皿に目を落としてから、彼女は呟くように言った。
「驚いたよね?私のあの姿」
顔を上げた未来の言い方には感情が込められていないが、その態度は翔太郎の出方を見る姿勢になっている。
それも無理からぬことであった。
昨日C-SOL内部でプライドと戦闘になり、あわや敵を逃してしまうというところで咄嗟に助けに入ってきた彼女は、仮面ライダーと見紛うばかりの姿に変貌しており、自らを「人を殺すための道具」と称した。その後手短かに語られた話で、彼女が極秘の軍事プロジェクトによって生み出された改造人間だという信じ難い事実が明かされたのだ。
改造人間、言い換えればサイボーグである。
架空の世界にしか存在しないはず、たとえ実在したとしても遠い将来の世界にのみ認められるとばかり思っていた者が今目の前で酒を飲んでいるなど、翔太郎は未だに実感が湧かなかった。だが、考えてみれば自分たち仮面ライダーもまた、常識だけでは説明できない異物のようなものなのだ。それならば、現代科学の粋を集めて作られたという未来の方がまだ、存在そのものに説得力があるだろう。
それに未来が持つ人間離れした戦闘能力についても、戦いに特化した身体に強化されているからだと言われれば納得がいく。
と、理屈でわかってはいても、翔太郎の感情はクラス委員よろしく偉そうな口をきく若い女がサイボーグだということを、そう簡単に飲み込ませようとしてくれなかった。
その困惑した心を見透かすように、未来は翔太郎の顔からじっと視線を動かさない。彼は変に隠すことはせず、思ったままを言葉にした。
「……まあな。今でもまだ、ちょっと信じられないくらいだ。あんたが、その……サイボーグだなんて」
「それは、仮面ライダーのあんただってそうでしょ。左翔太郎」
やはり考えていたことは同じようで、幼さが残る顔に不似合いなほろ苦い笑いが、同じ酒をあおる未来の口許を横切っていく。少しだけ頬を上気させ、彼女は翔太郎が予想していた相談を持ちかけてくる素振りを見せた。
「頼みがあるの」
「……あんたの正体を他言するなってことだろ。心配するな。訳ありの身なのはお互い様なんだからな」
「ありがと。流石に、話が早いね」
バーの店内を流れるゆったりとしたジャズの調べに、似た者同士の男女の低い声が溶け込んでいく。
未来は翔太郎の嘘をつけない人柄を見抜いているのか、心底安心したような溜め息を漏らしていた。
「フィリップくんが調べて、どこまでわかったの?私のことは」
そして遠慮がちに聞いてきた未来の声には、少しだけ不安げな色が滲んでいる。
昨日の別れ際に交わした会話にも残されていた響きだと、翔太郎は全身が金属に覆われていた彼女の鎧姿を脳裏に描きながら感じていた。
「『AWP』、『間未来』、『プロトタイプ3』。この三つのキーワードで調べてみなよ。私の口から説明するよりも、客観的な情報の方が信頼できるでしょ」
長い髪と僅かな顔の皮膚だけを露出させた未来が仮面ライダーたちに託したのが、この言葉である。未来が去ってからすぐに風都へ戻った翔太郎たちは照井が取り調べが終えるのを待ち、深夜に調査を行っていた。
とは言っても、実際に「地球の本棚」に入れるのはフィリップ一人であるが。
「検索を始めよう」
留守番に徹していた亜樹子を加えた仲間たちが見守る中、いつもと同じように意識を集中させて真っ白な空間に意識を飛ばした天才少年が、教えられた三つの手がかりを口にする。
「キーワードは『AWP』、『間未来』、『プロトタイプ3』」
地平線の消失点から雪崩のように迫り、形を変えていく本と本棚が通り過ぎていく傍らで、フィリップは未来の思い詰めたような表情を思い出していた。
彼女が地球の本棚のことまで知っていたのは多少意外だったが、女に甘い翔太郎のことだ。Wの正体まで知られてしまったのだから隠すこともないと、ご丁寧にも教えてしまったに違いない。相棒が心優しいハーフボイルドなのは今に越したことではないが、異性の前で必要以上にいい格好をしたしたがるのは程々にして欲しいと、フィリップはたまに真剣に思う。
そう口に出さずにぼやくうちに黒い表紙に白い機画学模様が描かれた一冊の本が絞り込まれ、彼の目の前に本棚ごと差し出された。早速厚みがあるその本を手に取ると、「PROJECT」の文字が表紙に浮かんで固着する。
フィリップは矢継ぎ早にページを指先で弾き、読み取った内容をある程度纏めてから自身の言葉に置き換えていった。
「AWPというのは、Advance Warrior Projectの略だ。人工のパーツを埋め込んで肉体能力を強化した人間……つまりサイボーグに、従来なら考えられないような重武装をさせて兵器として利用する、軍と民間企業が共同で行っていたプロジェクト。ベースとなる優れた肉体を持つ個体を選別して改造し、装甲服を着せ、強力な専用武器を与える。完全武装したサイボーグの戦闘力は、軍隊でも精鋭を揃えた一個中隊に匹敵するほどだ」
本の中身を確認するフィリップの眉間に皺が寄る。読めば読むほど信じ難い事実が述べられていることがわかり、ふと手を止めてしまうことも幾度かあったが、それでも仲間たちに伝えるために言葉を紡ぎ続けていく。
「AWPで作られたサイボーグは、これまでに三人存在するらしい。コードネームとして彼らに与えられた名前は、プロトタイプ1から3。あるいは、プロトタイプの頭文字を取ってP1、P2、P3。試作品1号から3号というわけだ」
「……その、三番目に作られたのが未来さんだって言うことなの?」
フィリップの耳に、外側の世界にいる亜樹子の声が響いてくる。彼は顎に指先を触れさせながら、更なる情報を求めてページに目を近づけた。
「そういうことになる。彼女はAWPの中で初の成功例とされた個体で、幾度かの実戦を経験し、そのいずれにも勝利して生き残ってきた」
「海外の戦場にでも派遣されていたのか?」
次に聞こえてきたのは照井の声だ。やや不安そうな色を含んでいた亜樹子のそれとは逆に、こちらは事実を積極的に受け入れようとする意思が見える。
ただ、フィリップが返した答えは恐らく予想と異なっていたに違いない。
「いや。彼女が戦った相手は、旧型サイボーグ二人だ」
「……何だって?」
それは翔太郎も同じだったようで、感情を隠していない反応には純粋な驚きが表れているのがわかる。皆へ更なる事実を伝えるべく、フィリップはもどかしげに本の文字を追い続けた。
「プロトタイプ3以外のサイボーグたちは失敗作に当たる。彼らは廃棄処分の直前に逃亡したが、表立った行動を起こしたために抹殺命令が下されたとある」
「廃棄処分で抹殺って……!」
「風都にもディガル・コーポレーションみたいな会社があるぐらいだ。業務命令で誰かを殺すことがあっても、驚くようなことじゃない」
絶句した亜樹子に、照井が重々しく告げる。彼も警察にいる人間なのだ。社会の暗部は、日常的に目にしているのである。
旧型サイボーグたちの「表立った行動」が何であるかまではわからないが、もともと軍事用サイボーグとして開発されたような者たちだ。逃亡の際に誰かを傷つけるか、殺すかしたのだろう。あるいは廃棄処分にされた恨みを募らせて、関係者を襲ったということも考えられる。
サイボーグの実戦投入という大規模で画期的なプロジェクトであるにもかかわらず、この場にいる人間の誰一人としてAWPという名すら知らなかったのだ。恐らくプロジェクト自体が軍事機密扱いのため、逃亡した旧型サイボーグたちとの戦いは闇に葬り去られ、情報も公開されることなく封印されたのだろう。
「その命令に従って二人を殺したのが、未来だってことか」
「殺したと言えば確かにそうだが……旧型サイボーグたちは逃亡後、一般社会にとって害を成す存在になり果てていたのは確かなようだ。返り討ちにしたと言った方が、しっくりくるのかも知れない」
翔太郎の呟きを言い換えて、フィリップが手にしていた本を閉じる。
未来が自らのことを蔑んだような冷酷な殺人機械なら、プロジェクトの詳細を知ってしまった自分たちを放ってはおかなかっただろう。だが、彼女は感情をちゃんと持っており、むしろ情に厚い性格だと言えるぐらいだ。
その未来が、命令だからと言って平気な顔をして人間を殺せるとは思えない。
そこまで考えたフィリップは、意識せずに未来をフォローするような理屈を組み立てていたことに気がついた。自分も翔太郎に感化されて、甘い思考を持つようになってきているというのだろうか?
が、今度の事件の核となる「七つの大罪」ガイアメモリを使って生まれたドーパントは、単独で相手にするだけでもかなり厄介な相手になることの予測はつく。今まで以上に慎重に、且つ冷静に状況を見極めていかなければならないだろう。
もう仲間が待つ物理空間へ戻るつもりで、白い世界に一人佇む少年は言った。
「いずれにせよ、これではっきりした。間未来は人の手で作り出された、戦闘用サイボーグだ。ドーパントに対してもメモリブレイクが不可能なだけで、十分に戦える力を持つと言っていいだろう」
「……とまあ、これぐらいだな」
翔太郎は昨晩フィリップが調査していた様子を思い出しながら、説明を終わらせた。彼の発言を一言も聞き逃すまいとして真剣な表情を保っていた未来が、息をついて頷く。
「そっか。そこまでわかってるんなら、変に隠す必要もないね」
アーモンドの欠片を摘まんでから、彼女はグラスに少しだけ残っていたボストン・クーラーを飲み干した。どうやら酒にはかなり強いらしく、グラスを下げに来たウェイターにもう一杯同じカクテルを注文している。
翔太郎も、こちらはまだかなり残っていたカクテルを一気に流し込んで、やはり追加の一杯を去りかけたウェイターに注文した。彼もこの口当たりがいい酒を気に入り始めているのだ。
「あんたのあの格好は、俺たちみたいに変身してなれるってことでいいんだよな?」
「ああ、パワードスーツのこと?違うよ。あれ、着るのが結構大変なんだ。昨日は慣れた人たちに五、六人がかりで着せてもらったから、短く済んだけどね。それに比べて仮面ライダーの変身は一瞬だもんね。羨ましいよ」
速いペースでグラスを空けたのに、未来には酔いを印象づけるものが殆どなく、翔太郎の質問に答える口調もこれまでと同じだ。
対する翔太郎は喉元が熱くなっているのを感じていたが、この程度ならまだいけるはずだった。未来よりも酔っていると思われないよう平静さを意識し、質問を続けていく。
「あんたが持ってたあのでかい銃は?」
「あのアサルトライフルも、私の専用装備。ダンプカーを撃ち抜くくらいの威力があって、もともとは装甲車とか戦車用なの。まさかあれが効かないとは思わなかったけど」
「あんたの話を聞いてると、サイボーグが本当に軍用兵器として作られてるんだと感心するな」
翔太郎は前日に見た未来の黒に近いパワードスーツ姿や巨大なアサルトライフルを思い出し、視線を高い天井へと上げた。
「やめてよ。そういう言い方は……」
が、軍用兵器呼ばわりされた未来は、ストレートな言い方をする翔太郎のデリカシーのなさに小声で反論してくる。見ると、彼女は傷ついたような顔で俯きかけていた。
この女傑がてっきり怒って突っかかってくるものだとばかり思っていた翔太郎は、不意打ちを喰らわされて慌てた。
「……済まねえ、気を悪くしたなら謝る」
「まあいいよ、あんたは間違ったことを言ったわけじゃないし」
思いの外率直に謝罪の意を示した半熟探偵に、未来は本気で腹を立てているわけではないらしい。しかしあんなに悲しげな瞳を見せられたのでは、逆に翔太郎の気が済まなかった。
「いや。相手をきちんと思いやれずに傷つけるなんて、ハードボイルドの風上にもおけねえ。だから謝らせてくれ。済まなかった」
改めて、翔太郎が頭を下げる。
すると、未来は困ったようにそっぽを向いた。
「もうわかったってば。あんまり謝られると、私が翔太郎を虐めてるみたいじゃない」
未来は未来で、翔太郎の基本姿勢である「ハードボイルド」を単なるポーズだと流しているところがあったのだ。それを本気で貫こうとしている彼の真面目さを目にして、認識を改めさせられることになっていたのである。
本当にもう気にしていないことを明確に伝えるために、彼女は話題を他へ移すことにした。
「それにしても、あんたが最後にドーパントを倒した時は驚いたよ。あれだけ派手な爆発があったのに、元の人間には傷ひとつないなんて」
「あれはメモリブレイクだ。ドーパントの身体にあるガイアメモリだけを破壊することができる。文字通り、俺たち仮面ライダーの必殺技なんだ」
未来の声の調子がやや明るいものに変わったことも手伝ってか、顔を上げた翔太郎の話し方も若干軽くなっている。自分が持つもうひとつの人物像である仮面ライダーへ話が及んだことに、悪い気はしないのだ。
そして仮面ライダーの戦闘に関する特殊能力については、やはり未来も気になるところなのであろう。彼女は大きな瞳を丸くして嘆息を漏らしている。
「へえ。おかげで、うちの研究所じゃちょっとした騒ぎになってるよ。ありえない方法で姿を変えて、科学だけじゃとても説明できないやり方で怪物を倒したって。今度来るときは、周りに注意した方がいいよ?是非とも研究させてくれって言う連中が、大勢いるからね」
「あのなあ。俺は研究材料じゃねえぞ」
「けど、変身やメモリブレイクなんかは、全く未知のテクノロジーだからね。あそこにいるのは、基本的に知的好奇心と探究心の塊みたいな人たちばっかりだからさ。大目に見てあげてよ」
未来が柔らかい笑顔を浮かべたところで、ウェイターが銀のトレイに並べた二杯のボストン・クーラーをサーブしてくる。話し続けたために乾いた唇をお気に入りのカクテルで湿らせ、未来は再び話題を変えた。
「でさ、永峰から何か新しく引き出せた情報ってないの?」
「健太の父親のことか」
この席を設けた理由の一つであろう、情報収集を開始した未来が頷く。
翔太郎は、永峰の取り調べを行った照井からある程度の話を聞いている。未来も当事者の一人なのだから秘密にする必要もないと判断し、彼は徐に口を開いた。
「残念だが、奴も血眼になって山波勇雄を探してたくらいなんだ。居場所については何も知らないみたいだな」
やっぱりそうだよね、と言いたげに肩を落としかけた未来に、翔太郎は続けた。
「だが、いくつかわかったこともある。永峰が健太の側についてたのは、山波が息子に接触しようとする可能性を睨んでいたかららしい。それと、山波は複数のガイアメモリを持っている可能性があるそうだ」
「複数って、どういうこと?あんなメモリを、山波は何本も手に入れてるわけ?どうして?」
「おおお、落ち着けよ!それをこれから話そうとしてたところじゃねえか」
考えてもいなかったことを耳にした未来が上半身を寄せて翔太郎に迫ると、二人の顔が至近距離にまで近づいた。途端にボストン・クーラーの甘さが残る吐息と、揺れる長い髪からふわりと女物のシャンプーの微かな香りが広がり、翔太郎の嗅覚をくすぐってくる。
不覚にもどきりとした翔太郎は、なおも身を乗り出してくる未来から慌てて半身を離した。彼女に動揺していることを悟られないように咳払いを一つ挟んでから、「七つの大罪」ガイアメモリについて簡単に説明する。
時折質問を返しつつ一通りの話を聞いたところで、未来は納得した様子で頷いて見せた。
「……そうか。そういう話なら納得がいくけどさ、山波は残りの六本のメモリを全部持ってるの?」
「照井が取り調べで聞いたところじゃ、山波は意外と抜け目のない奴で、残りのメモリ全てを持ち去った可能性が高いらしい。しかし、奴も逃亡中の身だ。金に困って何本かは手離したってことも考えられる」
ガイアメモリは風都において一本につき数百万で取引される闇のアイテムであり、一本だけでも売れば数ヵ月は生活できるだろう。一方、他人の手に渡ってしまったガイアメモリは回収が極めて困難になる。
山波が研究の結晶とも言えるガイアメモリをそう簡単に手放すとは思えないが、可能性の一つとして考えておかねばならないことだった。
翔太郎は、現時点におけるもうひとつの懸念についても触れた。
「それに、最後に現れたあのラストってドーパントが誰なのか……今のところはまだそれもはっきりしねえ。山波かも知れないし、他の誰かっていう可能性もある。何故あの場にわざわざ姿を見せたのかもわかってねえんだ」
翔太郎の脳裏に、新たに出現したドーパントの不気味なシルエットが浮かぶ。
昨日の戦闘終了時に姿を見せたドーパントは、永峰にラストと呼ばれたこと以外は詳細がはっきりしていない。照井は既に現場をざっとは調べていたが、砕けたガイアメモリの欠片が爆発に紛れて行方がわからなくなったことを除いて、特に変わった点もなかったということだった。
「いずれにしても、山波を探そうとしたら、必然的にドーパントが絡んでくるってわけなんだね」
「そうなるな」
未来が表情を曇らせてグラスを揺すると、中の透き通った氷が高い音を立てる。翔太郎は彼女の察しに同意し、警告の言葉を繋げた。
「だからあんたはもう手を引」
「それじゃあ、正式に依頼させてもらおうかな。鳴海探偵事務所のハーフボイルド探偵、左翔太郎に」
「……なに?」
が、翔太郎の口に自分の話で蓋をし、強引に割り込ませた未来のにんまり笑った顔を見て、彼の眉根に深い皺が刻まれる羽目となる。
「なにって、聞いての通りだよ。山波健太の父親探しを手伝って欲しいって依頼。料金は交渉させてね。こっちも一応プロなんだから」
彼女に澄ました顔で一方的に話を締め括られ、当然の権利として翔太郎は反旗を翻した。
「おい!そんなこと……」
「見てわかったと思うけどさ。私はあんたたち仮面ライダーみたいに、ドーパントからメモリだけを取り出して壊す、なんて器用な真似はできないの。ドーパントを元の人間ごと殺すことならできるけどね。いくらガイアメモリを使ってるとは言え、私だって非戦闘員を殺すようなことはしたくない。犠牲は少ないに越したことはないんだから」
ところが未来はビジネスの顔を翔太郎に向け、この話が冗談ではないことを言葉とともに彼へと示して見せてくる。
それに、彼女が言ったことは理にかなっていた。
生身の状態でもドーパントと十分に渡り合える力を持っているとは言っても、彼女はあくまで相手を殺すことしかできないのだ。翔太郎の心境としても、ここまで素の状態を知った未来にむやみな人殺しはさせたくない。
「だから協力して欲しい。ドーパント絡みの事件は、そっちが専門でしょ?戦闘が予想される場合は、力を借りたいんだよ」
言い方を変えてはあっても話の内容を重ねた未来は、再び正面からハーフボイルド探偵に向き合い、彼のまだ疑惑が混ざっている視線を受け止める。
その大粒の黒い瞳に、少なくとも妙な打算は見えなかった。彼女は純粋に、仮面ライダーの協力を求めているのだ。
「……人に頼みごとをするのに、いちいち態度がでけえんだよ」
「じゃあ、引き受けてくれるんだね?」
無愛想に翔太郎が返したが、その裏にある答えを見出した未来の声は僅かに高い調子になった。
「か弱い女性が困ってるのを決して見過ごさない。それが本当の男ってもんだ」
わざとそっぽを向いて流し目を作り、その先に未来を捉えた翔太郎であったが、彼女はさり気なくそれをかわしていた。
「残念、私はか弱くないからね。それどころか仕事を分けてあげるんだから、感謝しなさい」
「ちぇ、そういう可愛いげのない性格は損するぜ」
「生憎だけど、戦う女に可愛さは必要ないんだよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべる未来は、相手を煙に巻くしたたかさはあっても陥れようとする悪意は感じられないだけに、性質が悪い気さえする。やはり舌戦においては、若き女所長の方が一枚上手だ。
そう認めざるを得ない翔太郎だったが、未来はまた声をやや潜めて仕事顔を覗かせ始めた。
「それで、他に何か新しくわかったことってもうないの?」
先のくだけた調子からもうビジネスモードに移行した変わり身の早さにはいちいち面食らうが、ここでまた相手のペースに飲まれるのは頂けない。翔太郎はボストン・クーラーの減り具合を確かめると、こちらも声のトーンを落として、未来が求めているであろう情報を口にした。
「悪いが、俺が持ってる情報もこれぐらいだ。照井は、永峰の意識が戻り次第取り調べを再開するって言ってたけどな」
「……どういうこと?永峰は今現在、意識不明ってわけ?」
未来が細い眉をしかめると、翔太郎が頷いた。
「永峰は取り調べの途中、突然意識をなくして倒れた。それ以来一度も目を覚まさずに、今も風都セントラル病院に入院中だ。今までこんなケースは、俺も出くわしたことがない」
「ってことは、今までに倒したドーパントではそうはならなかったってこと?永峰が倒れたのは、身体の中のガイアメモリが破壊されたことと関係があるの?」
翔太郎の答えから推測した未来が新たな質問をぶつけてくる。彼女の頭の回転の良さに関心しつつ、翔太郎は説明を続けた。
「ああ。今まではメモリを使った人間は全身が衰弱したり、稀に記憶を失ったりすることはあったけどな。死ぬようなことはない筈なんだ」
「絶対に?」
「そうは言い切れない。メモリブレイクだって、百パーセント安全だと言える保証はないからな」
人の生命に関わることについてまで話が進むと、必然的に二人の話し方は重くなってくる。
これまでにメモリブレイクを受けてメモリが破壊されたドーパントたちは、人間の姿に戻った後に失神や心身耗弱のような後遺症が現れることは度々あったが、死ぬようなことはなかった。ただし、それも果たして全てがそうだと言い切れる根拠を、少なくとも自分たちは持っていない。
メモリに過剰適合した者やメモリの毒素に強く汚染された者は、助からない可能性が少なからずあるようにも思えるのだ。
井坂真紅郎がウェザーメモリをブレイクされた時、彼の肉体はぼろぼろに朽ちて消滅した。
そしてマスカレイドメモリを使用している者に至っては、身体からメモリを取り出すことすら不可能でもある。
何が起こってもおかしくないと考えるべきなのだろう。
「それに今回使われているメモリは正規品ではなく、試作段階のものだ。完成品ではないだけに使用者に与える影響は未知数だと、フィリップも言っていた」
「そんな危険なメモリ、早く何とかするに越したことはないね。何とかして山波を見つけなきゃ」
翔太郎が素の状態で上らせた真剣な言葉に、ようやく未来も素直に同調した。
が、こんな店であまり長く仕事の話を、それも重々しく語るのは気が滅入る一方だと考えたのだろう。
またしても、未来の口調は一転して明るさを帯びたものに変わっていた。
「と言うわけで、共同戦線に乾杯」
彼女は自分のグラスを低く掲げ、テーブルに置きっぱなしになっている翔太郎のそれに軽く合わせてきた。
「おい、そこはもっと……こう、何て言うか……渋く行くべきところだろ!」
「やだなあ、翔太郎は若い女に渋さを要求するわけ?あんたこそ、そんなこと言ってるとモテないよ」
ペースを乱されっぱなしの翔太郎がつけてきた注文に未来はしらっと、それでいて一、二を争うくらい心に響く一言をおまけにつけてくる。
「大きなお世話だ、このじゃじゃ馬!」
「うるさい、かっこつけハーフボイルド!」
店の雰囲気を乱さないよう、二人は最低限の声量で互いに思い切り悪態をついた。
彼らの手にするアルコールは、まだなみなみと残っている。
大人でありながら子どもっぽい言葉遊びを続ける探偵と便利屋の夜は、長くなりそうだった。