オフィス・ユースフルの社用車を停めた駐車場に至る中程にある公園で、堀内はようやく未来に追いついた。小走りでもかなり早く進んでいく未来に堀内が追いつくのはなかなか大変で、すっかり暗く静かになった公園では彼の荒い呼吸音が目立っていた。
「待って下さいって、所長!俺も一緒に……」
「だから、危ないんだって言ってるじゃない。あんたは怪我だってまだ治ってないんだし、相手はあのドーパントって言う怪物なんだから」
長い前髪を振り乱している堀内に呼び止められた未来は一旦足を止めて振り返ったが、言い放った口調は厳しい。控え目な街灯に背中から照らされている未来の表情は、五歩程度離れた位置に立つ堀内にはよく見えず、彼は叱られているかのように錯覚した。
自分は少しでも役に立とうとして未来を追いかけてきたのに、どうしてそこまで強く拒まれなければならないのか。
実は彼女は、自分のことを役立たずであるが故に避けたいだけではないのか?
何かにつけて怪我のことを盾にしてくる未来に、堀内の暗い感情がぶつけられた。叫び声とも取れる若い男の声が、闇に包まれてひっそりと静まり返った公園に響く。
「こんな怪我なんか、どうってことはないですよ!それを理由にして、俺を邪魔者扱いするのは止めてください!」
「邪魔者?とんでもないよ。それ以前の問題なんだから」
しかし、彼の期待した答えは未来から返ってこなかった。
彼女の非情とも思える一言は、殆ど抑揚が見られない無感情な冷たさに彩られていて、それがまっすぐに堀内の胸を突き刺してくる。
青年は、目の前の女上司が自分という存在を完全に無視したような気すらした。
「……俺がいても、所長の足を引っ張るだけってことなんですか」
息苦しさを感じた堀内の顔が自然と下を向き、喉の奥から辛そうに掠れた声が絞り出される。
「あ……ごめん、そういう意味で言ったんじゃないよ。でも、今度ばっかりは本当に危ないんだよ。私だって、あんな奴を相手にしながらあんたを守り切れる自信がない。危険な目に遭うのは、上司の私だけで十分でしょう」
部下を傷つけてしまったことに気づいた未来が、話し方を和らげた。
しかし、やはり堀内を拒絶するという意思が動いていないことは明白だ。
いくら未来が上司とは言っても、肉体的に男より劣る女であることに変わりはない。性別が異なる以上、守る者と守られる者という古来からの常識が覆ることもないはずだった。
「でも、所長は女性じゃありませんか。俺は男なのに……」
「堀内。あんたこそ、そんな風に男女で分けて考えるのは止めなよ。立場上で上にいる奴が下を守るために戦うのは、当然のことなんだからね」
当然堀内は未来が改造人間であることは知らないため、純粋に未来のことを想っての発言なのであろう。だが、未来が彼の怪我のことを気にかけるのと同じくらい性別にこだわっている堀内の考え方は、この戦いにおいて皮肉にも通用するものではなかった。
「俺は……所長のこと、守りたいんです。貴女をこれ以上危ない目に遭わせたくない。それに男が女を守るのは、それこそ当然じゃありませんか」
未だ食い下がってくる堀内は、すがるような目付きで未来の顔を凝視してくる。
しかし何と言われても、未来はこの青年の申し出に応じることはできないのだ。
彼と共に戦う道を選べば自ずとサイボーグであることが知られ、パワードスーツや専用武器のような軍事機密の流出を招くことになる。心を鬼にしてでも、堀内のひたむきな意思を突っぱねねばならなかった。
「ありがと、その気持ちは嬉しいよ。けどさ、これは男女の区別で片付くような仕事じゃないんだよ。残念ながら私は守るための責任と立場と、それに見合うだけの力を持ってるから……」
それでも未来はなるべくやんわりとした言葉と反感を持たれない態度を意識し、撥ねつけると言うよりは説得するような気持ちを込めて部下を諭そうとした。
「力なら、俺だって!」
ところが、ジャケットのポケットに片手を突っ込んだ堀内が突然未来の方へと踏み出してきた。
普段大人しい彼が何かのきっかけで突然乱暴な態度を取ることはあったが、それに行動が伴ったことは今までにない。豹変した部下の攻撃的な行動と激情に警戒した未来が、咄嗟に素早く後ずさる。
未来が最初に歩みを止めた位置まで踏み込んで顔を上げた堀内であったが、街灯に照らされた未来の白い顔に浮かぶ悲しげな色に、そこで足を止めざるを得なかった。
「本当に、その気持ちは嬉しいんだけど……ごめんね。けどさ、あんたは自分しかできないことがあるって分かってるでしょ?健太くんは、誰よりもあんたに一番なついてるじゃない。あの子の側にいてあげて欲しいんだ。ひとりぼっちになった、あの子を支えてあげてよ。お願いだから」
寂しげな表情を瞳に宿したまま、未来は部下の前髪に半分隠れた目を見つめている。彼女は堀内を突き放したわけでも、見捨てたわけでもない。ただ、一緒には行けないということを訴えているだけだった。
これ以上、誰かを巻き込むわけにはいかない。だから力のある自分が何とかする。そしてどんな理由があっても、誰かが傷つくことを避けるためには人を受け入れるわけにはいかないという、辛い気持ちもわかって欲しい。
年齢よりも幼顔の女上司が無言の声を発してくるのを、堀内が無視できよう筈がなかった。自分の我を通せば彼女をもっと困らせ、余計な危険に晒してしまう可能性も高まるのだ。
本当に未来のことを考えるのであれば、自分が無茶を言うべきではない。加えて、最初からそのことに気づくべきだった。
今更ながらに、自分の浅はかさが重い後悔の念となって堀内の胸を黒く満たそうとする。彼は消えに入りそうな声で、短く呟いた。
「……はい……」
「ありがと。明日の朝には必ず無事に戻ってくるから、みんなや健太くんと一緒に待っててね」
その一言とともに堀内から先の狂気じみた気配と身体の力みが消えたことを確認し、心なしかほっとした様子で未来は頷いて見せる。去り際に彼女が残した笑顔は街灯の光の下で優しく輝いたかのようで、堀内はその小さな後ろ姿が公園の闇の中に消えていっても、暫くぼんやりと佇んでいた。
たっぷり数分は過ぎようかというところで、彼はようやく鳴海探偵事務所へ戻るに思い至ったが、やかましい足音が近づいてくることに気がついた。
わずらわしげに振り向くと、体当たりと間違うほどの勢いで細身の影が遊歩道を突進してくるのがわかった。
危うくぶつかる手前で、堀内がその人物を避ける。
「おっとぉ!……って、堀内か。未来がどこに行ったか知ってるか?」
ほぼ同じタイミングでひらりと身をかわした相手の声と、中折れ帽を愛用している気障ないでたちに、堀内は覚えがあった。
何日か前に入院していた病院を訪れ、今日も施設にひょろりとした少年とともに忽然と現れた、探偵風情のいけ好かない男だ。
第一知り合って間もないのに、苗字を呼び捨てにしてくる馴れ馴れしさも気に食わない。加えて、未来ともたった数日で酒を飲み交わす仲にまでなったことも憎たらしい。
それに、どうしてこの男までが未来を探しているのか?
急に、堀内の中にぴりぴりとした憎悪が込み上げてきた。
「……お前たちのせいだ」
「あ?」
質問に答えずじっと睨んできたかと思うと突然お前呼ばわりしてきた堀内に、翔太郎が怪訝そうな顔をする。
「お前たちさえいなければ、俺も所長も巻き込まれずに済んだかも知れないのに。もしあの人に何かあったら、俺はお前たち全員を訴えてやるからな!」
長い前髪の間からきっと見開いた目で睨みつけてくる堀内は、ただならぬ情念を大きくはない瞳に揺らめかせていた。その暗さと熱さは翔太郎に対してというよりは、自分の思い通りにならない全てへと向けられているようだった。
堀内の言うことは勿論、一理ある。
故に翔太郎は咄嗟に返す言葉が見つからず、感情のままにぶつけられてくる彼の言葉を受けるしかない。が、逆に堀内は言い訳を返してこない翔太郎にそれ以上何も言えなくなり、却って怒りのやり場がなくなったらしい。首を振って前髪を流した後にもう一睨みしてきた視線には、理不尽なまでの憎悪が込められているのがわかった。
それでも激情に任せて殴りかかったりしないのが、堀内の臆病なところだ。大股で翔太郎の側を通り過ぎると、貧相なスーツ姿の背中は公園の入口へと向かっていく。恐らく、健太の世話をしに事務所に戻るつもりでいるのだろう。
堀内の様子が普段と違うことが気になったが、翔太郎はすぐにそのことを頭から追い出してスタッグフォンを取り出した。ベストのポケットに手を突っ込んで未来の名刺を探り当ててから街灯の下まで行き、頼りない明かりで携帯電話番号を確かめてからスタッグフォンのボタンに指先を走らせる。
だが、スタッグフォンから聞こえてきたのは『お客様がおかけになった電話は現在、電波の届かない場所にあるか電源が入っていないためかかりません……』という無機質な女性のアナウンスだった。予想はしていたものの、翔太郎は舌打ちしたい気分を独り言でごまかした。
「まあ、出るわけねえか……」
軽い溜息をついてから、翔太郎が片手でスタッグフォンのボタンを素早く押していく。空いた手でバットショットをポケットから取り出して電源を入れると、二つのメモリガジェットはほぼ同じタイミングで形を変えて空中へと飛び上がった。
「未来を探せ。頼んだぞ!」
翔太郎が空中を旋回している小型メカたちに命令すると、主人の意を理解した小さな部下たちは、すぐさま闇の中へ空を切って紛れていった。
金属光沢に包まれた手のひらに、メタリックブルーの携帯電話が握られている。
その液晶画面に表示された地図の中央に位置する赤い点は、かれこれ数時間は微動だにしていない。GPSを誤魔化せるような細工を仕込むのは、たった数時間では困難なはずだ。赤い点が示す電波の発信源であるラース・ドーパント、つまり山波が一箇所に留まっている可能性は極めて高いと見ていいだろう。
「やっぱり……ずっとここから動いてない」
携帯電話を手にした未来が、ヘルメットの内側で呟いた。電話本体を握りつぶしてしまわないよう、慎重にパワードスーツ脚部の隠し収納庫へ滑り込ませる。
身体の全てをチタン合金のパワードスーツに包み、身の丈ほどもある一二・七ミリアサルトライフルを携えた彼女は、武装した高性能ロボットさながらであった。鈍く輝くスーツは黒に近い紺色で、流線型が多用された滑らかなフォルムには無駄がなく、機敏な忍者を思わせる印象がある。
しかし細身の未来がいともたやすく着こなすこのスーツは、最新技術を結晶させた防御力を誇る鎧である一方、八十キロを越える重量を持つ。まさに、肉体改造を受けたサイボーグのための装備と言えよう。肌が露出している箇所は全くなく、頭部を護るヘルメットも密閉型で、バイザーの内側には視点カメラの映像が映し出されている。
人間の視界と全く同じ映像として作られたそれの隅で、デジタル表示の時刻が緑色に光っている。それも既に午前零時を回っており、辺り全体がひっそりと寝静まっている時間であることを示していた。
鳴海探偵事務所を後にした未来は一旦オフィスに戻ってからC-SOLに赴き、AWP棟で武装を整えていた。無論、居場所を突き止めた山波に奇襲をかけるためである。
が、装備の整備担当であるリューに口止め料として有名パティスリーのケーキ十個分を要求され、渋々飲む羽目になっていた。
戦闘時に彼からのサポートを得るのは流石に無理だったが、専用装備の無許可使用と弾薬の拝借には目を瞑ってくれるのだから、それだけでもありがたい。
ただしオタクであることを公言して憚らない彼は、
「ほんとなら、私だって是非サポートしたいですよ。得体の知れない怪人と戦うなんて、一生ありえないと思ってたんですからね。まさに、リアル特撮じゃありませんか」
などと溜め息混じりに言っていたのだから、パワードスーツの厳格な運用規則がなければ、こっそり参戦する気満々だったのだろう。未来はリューの子どもっぽさに呆れたものの、とにかく単身であってもフル武装でドーパントに挑めるのは心強かった。
自分には、初の実戦で生身に拳銃と手榴弾のみという装備で十人からのテロリストの集団に挑み、辛くも殲滅したという戦歴がある。その時のことを思えば、決して難しい戦いではないはずだった。
未来はかの時に感じた緊張感を思い出し、曇った夜空を見上げた。ヘルメットを外していればまだ冷たい夜風が頬を撫でていくのだろうが、硬質な金属に覆われた身には、何一つ行き過ぎた刺激は感じられない。あるのはただ、パワードスーツで休みなく稼働する機械類の低い駆動音と、自分の呼吸音だけだ。
彼女が今いる場所は広大なC-SOL敷地の片隅にあるAWP棟の陰で、先に携帯電話の地図で確認した場所も同じ敷地内にある。目的地までのルートには深夜でも交代勤務で常に誰かがいる部署や、赤外線式の防犯装置がセットされたエリアも点在することがわかっていた。なるべく建物の裏側を行くべきだろう。
未来がスーツのセンサー類と自らの感覚器の最後の点検のため、ぐるりと周囲に視線を一巡させた時である。感度を上げていた聴覚に、誰かが小さく息を吐いた空気の摩擦音が捉えられた。
敷地を見回る警備員はまだ暫く来ない筈だし、別棟にあるコンビニエンスストアへ買い出しに来た職員は回り道になるこの場所を通らない。不審者の可能性が高いと瞬時に判断した未来が動く。
抱えていたアサルトライフルのグリップを握り、トリガーに指を滑り込ませ、音源に当たる木立ちへと黒光りする銃口を素早く向けた。
「誰だ?姿を見せろ。三秒以内に従わなければ撃つ」
威圧感がある低い声が、鋭い警告として発せられる。マイクを通して飛んだ音声が空気中を間違いなく伝わり、間を置かず何者かが木の陰から現した。
「……翔太郎」
見覚えのある背格好と中折れ帽を被ったスタイルですぐさまその正体を見抜いた未来が、驚いてその名を口にする。
「よくその位置から俺がいるってわかったな。流石だぜ」
「サイボーグを舐めないでよ。相手の心音を聞き取ることぐらい、朝飯前なんだから」
暗い場所で息をひそめていたところをあっさりと発見された翔太郎はもう隠れようとせず、まるで昼の街中で偶然顔を合わせた時のように自然な口調だった。ドーパントを吹き飛ばす威力を持つアサルトライフルの銃口を向けられても、普段と変わった感じはない。
逆に堂々とした彼の話しぶりに、未来は冷たく言い放った。
「どうやってここに潜り込んだの?それに、何で私がここにいるって知ってるわけ」
「話す前に、顔を見せてくれよ。相手の表情が全く見えねえのは落ち着かねえんだ」
未来は先より警戒した色を声に持たせたつもりであったが、翔太郎の要求は更にその斜め上を行っている。銃口はひとまず下ろしたものの、呆れて思わず笑ってしまうかと思うほどだった。
が、完全武装したサイボーグの前で、変身していない翔太郎は脅威でも何でもないことは確かだ。
未来が黙ってヘルメットの顎の下にあるセンサーに指先を触れさせた。
小さく金属が擦れ合う音が上がってバイザーが開き、彼女の眉から目の少し下あたりまで隙間ができる。その狭い隙間から特徴ある大きな瞳が見えたことで、科学の鎧に包まれた人物が自分の知っている女性であることを再確認できたのだろう。翔太郎はまだ肩に入れすぎていたらしい力を抜くと、空中に手を差し出した。
「こいつらにまた働いてもらったんだ。あんたが武装の準備を始めてるみたいだったから、急いでこっちに来た。武装警備員の目をこいつらで誤魔化すのは苦労したぜ。何せ、下手すりゃズドン!だからな」
彼が伸ばした手の先に、今しがたまで働いていた小さな「使い魔」たちがどこからともなく舞い降りてくる。ギジメモリを挿すことで、現代の最新技術を駆使した機械でも追いつけないほどの性能を発揮するメモリガジェットたち--バットショットとスタッグフォンであった。
未来のマイクを通した声が、にわかに高くなる。
「じゃあ、私がスーツに着替えるのも覗いてたってこと?このHENTAI!」
「ば……ば、バカ言うな!見てるわけないだろ!」
全く考えもしない理由でありえない行為のことをでっち上げられ、未来から軽く蔑みの視線を向けられた翔太郎は、頬を朱にして否定した。女の言葉を真に受けてしまう辺りはこの手のことに慣れていない証拠で、却って翔太郎らしいと言える。
どもりながらまだ反論を続けようとした翔太郎に先んじて、未来は続けた。
「まあそれでも、あんたの頭を記憶喪失になるぐらいにひっぱたけばいいってだけだからね。もし私の邪魔をするつもりで、ここまで来たって言うんなら」
「おいおい、物騒な冗談はよせよ」
「生憎だけど本気なの。そこをどいて」
未来の短い一言からは、それまで込められていた暖かみが見事に削ぎ落とされていた。
アサルトライフルの銃口を再度上げて腰撃ちの体勢になった彼女は、トリガーからは指を外した状態で狙いを翔太郎に定めている。
「無事にここまで来たことは誉めてあげる。けど、無駄死にしたくなければとっとと帰ることだね。私、容赦するつもりはないから。例え、相手が……翔太郎。あんたであっても」
外部マイクを通した淡々とした口調とは逆に、未来の僅かに細められた眼からは殺気が感じられない。視線を向けられた翔太郎がそう感じているのだから、恐らく誰が見ても彼女が争いを望んでいるわけではないと読み取れるだろう。
翔太郎の眼には、彼女が誰も無駄に殺さないことを祈る、脆さと儚さを抱えた少女のように映っていた。
悲しみも憎しみも、怒りも全て自分一人で受け止める。だから私のやることに口出ししないでくれ。
そう訴えてくるのが、肌で感じられるほどだった。
未来が全く瞳の表情を偽れないのだから、こちらも率直に伝えるべきであろう。
自らの出方を決めた翔太郎は、ほんの小さな息をついてから言った。
「……違うと言ったら?」
「え?」
「俺にあんたの邪魔をするつもりはねえ。ただ、あんたを救いたいだけだ」
翔太郎の一言が想定外だったと見える未来が構えるアサルトライフルが微かに揺れ、次に聞こえた「救う」という単語に顕著な反応を見せた。彼の先とは異なる、茶化した様子が全くない態度に未来の声が上ずる。
「救う?私を?何言って……」
「あんたは健太を守るために、山波博士を殺すことも厭わない。そしてそうなったら、博士を殺した罪を一人で抱えるつもりでいる」
自嘲して思わず構えを崩した未来の声に、翔太郎が強引に自らのそれを重ねる。
そしてその内容に図星を突かれたらしく、彼女は銃の照準のみならず視線をも半熟探偵から外した。
「……そんなことは当然でしょ。生き残った奴が死んだ奴の全てを背負わなかったら、どうやって報いろって言うの?罪を背負う覚悟がない奴に、そもそも戦う資格なんてないんだよ」
開いたバイザーから僅かに窺える未来の生身の部分には、今この時まで、そしてこれからも戦い続けねばならない者の悲壮さが浮かんでいる。
誰かを殺したら、その報いとして奪った全てを罪として背負う。
戦う者の覚悟と苦さが滲み出ている言葉だ。
他人の生命を何とも思っていないのなら、そんな考えに至る筈はない。
未来の瞳が戦うことに苦悩して沈んだ色に見えるのは、他者の感情を理解し、共感する優しさを備えているからに他ならないのだ。
やはり彼女は「人を殺すための道具」などではないと、翔太郎は確信した。
「……男の人生の八割は決断。あとの二割はオマケみたいなもんだ」
翔太郎が無意識に帽子の縁で指を滑らせ、出し抜けにこぼした台詞を耳にし、未来は素っ頓狂な声を上げた。
「は?」
「俺の師匠が遺してくれた言葉だ。俺は決めたんだ。あんたを守るってな」
半分呆れているらしい未来の目から視線を外さずに、翔太郎は続けた。
「あんたは健太の父親を殺した罪を背負えば、多分一生自分のことを許せなくなるだろう。そんな結果にならないように、俺が全力であんたを助ける」
武装を一部解除している今の未来が素の状態であるのと同じように、帽子の鍔を上げた半熟探偵もまた素直に胸の内を見せていること。それは、彼の偽りのない真剣そのものの表情にそっくり表れていた。
ここまで無防備な姿を見せつけられるなど、未来にとっては全くの想定外であり、不可解でもあった。今現在は互いの気持ちを理解したとは言っても、それが受け入れられるかどうかは不透明なのだ。
なのに何故、翔太郎はただの他人でしかない女のことに、そこまでこだわるのか。
未来の口を突いて出たのは、そんな内面の揺れが心からはみ出たものであった。
「けど、あんたは一人じゃ仮面ライダーに変身できないんでしょ?なのに、私を助けるって……」
「心配すんな。俺のこのメモリには、状況を逆転できる暗示があるんだからな」
にやりと笑った翔太郎が、ベストの内側から黒いガイアメモリを取り出して見せる。彼が指先に挟んで見せたのは、ジョーカーのメモリだった。
「ジョーカー……切り札ってこと?」
「ああ。だから気遣いは無用だ。だが、ちょっとは頼ってくれるってんなら歓迎するぜ。麗しき女性を放っておくなんざ、ハードボイルドの流儀に反するからな」
未来が戸惑いつつメモリが示す意味を確かめると、翔太郎は彼女の目を得意気に見返してくる。
しかし装甲車をも撃ち抜くアサルトライフルを構え、マシンガンの連射にも耐えうるパワードスーツに守られた未来からすれば、翔太郎はどう考えても非力で頼りない一般市民だ。それなのに自分のことを頼れと言い切る翔太郎の、自信過剰を通り越した不敵さの源は一体何なのだろう。
それにこの男は目の前の女に殺されるかも知れないという恐れを、何故微塵も抱かないのか。
生来人を疑えない根っからのお人好しなのか、ただ単に何も考えていないだけなのか?
いずれにしても、底抜けに考えなしの言動に溜め息をつきたくなってしまうのが正直なところだが、それでも翔太郎が見せる純粋な気遣いは、心地よく未来の心に響いていた。ここまで裏表がない感情に触れるのは、随分と久しぶりな気がする。
ふと込み上げてきた笑いという表情に酷く不似合いな気がして、未来は自然に重いアサルトライフルを下ろしていた。
「……ったくもう、あんたほどのバカは初めてお目にかかったよ」
マイクを通した呟きに、翔太郎にも馴染みがある明るさが戻ってきている。
未来の目元からも緊張が抜けてきたのが見て判断できたのか、翔太郎も息をついてメモリをベストの内側に滑り込ませた。
互いに自然な動きが出たことがきっかけとなり、更に空気から重みが抜ける。
今日これまで叩けなかった軽口を取り返すかのように、未来は言葉へ正直な気持ちを乗せた。
「まあ、バカはバカでも気持ちがいいバカだけどね。そういうバカ、私は好きだよ」
「バカ、バカって何度も言うな!それに好きって……ん?……ちょ、お前って、おい!」
未来が悪い意味でなく「バカ」と連呼したことに、翔太郎がむっと眉を吊り上げる。が、彼女が結びに使った単語に気づき、全く意味のない言葉を無理やり繋げようとして慌てふためいた。
「アホ、勘違いすんなっつの。そういう意味で言ったんじゃないんだって」
「……即答しやがった……って、お、おい、こっちに向けるなよ」
「そんなにびびんなくてもいいよ、ロックしてあんだから」
一方、さらりと答えた未来の態度には動揺の欠片もない。自分の中にあった重い感情すら吹っ切れたのか、彼女が改めて抱え直したアサルトライフルに翔太郎が脅威を感じる有り様だ。
そしてもう顔を見せねばならない必要もないと判断したのだろう、ヘルメットのバイザーを今一度下ろし、完全な戦闘準備態勢へと戻っていく。
「あんたと付き合う男は苦労するぜ、きっと」
溜め息とともに首を振りながらも、翔太郎は声に安堵が混ざるのを隠し切れなかった。
とにかく、未来が一人で全てを抱え込むという状況は回避できたのだから、少なくとも最悪の結果となる可能性は下げられた筈である。これから先は自分がどう動くか次第というところも大きいが、それならばどうにでもできるという期待の方が大きかった。
何しろ、自分は「ジョーカー」という切り札を持っているのだから--
「何か言った?ぐずぐずしてると置いてくよ!」
すっかり普段の調子に戻った未来の声が、考えに耽り一人にやついている翔太郎の耳にはやけに遠く聞こえた。我に返って彼が辺りを見回すと、十数メートルは先でもう蒼い鎧姿が夜の闇に紛れようとしている。
「あ、待てよ!」
翔太郎が帽子を押さえ、慌てて未来の背を追い走り出す。
彼女が素直に自分を出した途端に翔太郎のペースが乱されることとなったが、それも未来が心を許していることの現れと見るべきであろう。翔太郎のまっすぐで熱い心が、冷酷とも取られがちな未来のかたくなさを氷解させたのである。
一時的なコンビとなった二人は、深夜の巨大実験施設を飲み込んでいる深い闇の中へと足を進めていった。