「さ、これでもう大丈夫よ」
白い長袖のカットソーを捲り上げた女の腕についた擦り傷を消毒し、絆創膏を貼った亜樹子が満足そうに頷いた。
「すいません、手当てまでしてもらっちゃって」
「困ってる誰かがいたら手を差し伸べるのが、俺たちの役目です。あまり気にしないでください」
先の戦闘で見せた威勢の良さを雲隠れさせた女は、すっかり恐縮して亜樹子に頭まで下げている。翔太郎が淹れた暖かいコーヒーを受け取る手つきも、どこかおっかなびっくりだ。
鳴海探偵事務所の一同は、あの後に女を連れて事務所に戻っていた。今は古いビルの一室にあるレトロな雰囲気漂う応接スペースで、傷の手当てを終えたところである。
「……ところで、どうしてドーパントなんかに襲われてたの?」
亜樹子が薬箱の蓋を閉めながらソファーの隣に座る女に問いかけると、女はコーヒーを一口すすってから、化粧っ気のない顔に浮かんでいた落ち着かなげな表情を更に曇らせた。
「ドーパント……ああ、あの怪物のことだよね。それが、何でなんだか私にもさっぱりで」
「しかし、奴は確かにガイアメモリを渡せと貴女に言っていた。ガイアメモリを持ってるんじゃないのか?」
翔太郎がコーヒーテーブルを挟んで向かいのソファーに腰掛け、疑惑を込めた視線を女に送る。
「だから、そのガイアメモリって何なのか知らないんだってば。見たこともないし、今日初めて聞いた名前なんだから」
女はやはり否定の言葉しか口にしなかった。彼女が子どもっぽく口を尖らせて反論してくる様を見ても、何か隠し事をしているようには思えない。
「さっきも説明したと思うけど、ガイアメモリは地球の記憶を封じ込んだメモリなの。それを人間に使うことで、ドーパントって言う怪人に変身させる力を持ってるのよ」
「こんな感じの奴だ。本当に知らないのか?」
ガイアメモリの実物を確認させるため、翔太郎はベストの内側からジョーカーメモリを抜き取って女に手渡した。
「これが本当に、人間をあんな怪物に変えるってわけ?ちょっと信じらんないよ」
「けど、貴女もさっき実際にドーパントを見たでしょ?夢みたいに思うかも知れないけど、本当のことなのよ」
亜樹子の言葉を受けても実感を掴みかねているらしい女は、翔太郎から受け取った黒いメモリを物珍しそうにしげしげと眺め回していたが、やがて溜息をついてジョーカーメモリを彼に返した。
「やっぱり見覚えはないよ。普通にパソコンで使うメモリだったら持ってるけどさ。何であんな怪物に、こんなものを持ってると思われてるんだろ」
「そう言えば貴女、仮面ライダーのことも知らなかったみたいだけど……もしかして、風都の人じゃないの?」
「たまたま仕事の途中で、この街に来たこと自体が初めてなの。まあ、危ない目に遭う仕事だって自覚はしてたけど、あんなのに襲われたのは流石に初めてだよ」
女が亜樹子に頷いて見せたときである。
「初めて来た街で、それは災難だったな」
不意に、今までいなかった筈の男の声が割り込んできた。形式上で女のことを気遣ってはいてもぶっきらぼうな調子が滲む声に、亜樹子の表情がぱっと明るくなる。
「照井?お前、いつからいたんだ?」
翔太郎が驚いて、男の名を口に出す。
いつの間にか鳴海探偵事務所入口のドアをくぐってすぐのところに、深紅の革ジャケットと革パンツを纏った刑事、照井竜が立っていた。
いつも口許を真一文字に結んでおり笑顔を見せることすら滅多になく、熱い激情を内に宿す男。以前はそんな印象でハードボイルドを地で行っていた照井だが、翔太郎たちの仲間となり亜樹子との結婚が決まった今、温かで穏やかな一面を覗かせるようになっていた。亜樹子の笑顔を見て微かに表情を緩めたのがその証拠だろう。
そして彼もまた風都を守る仮面ライダーの一人、仮面ライダーアクセルその人であった。
「現場検証が一段落して、今来たところだ」
「私が呼んだの。ドーパントに壊された車の持ち主がこっちに避難してきてるから、来て欲しいっなぁって。ねー?」
気配を悟らせない隙のなさを見せつけた照井であったが、亜樹子のために片腕だけは空けてあるらしい。嬉しそうに立ち上がり、ジャケットの袖に手を触れてくる婚約者を邪険にしようとはしなかった。
「風都署の照井だ。主にドーパントによる事件を担当している」
片手で革ジャケットの内ポケットから警察手帳をつまみ出して提示した照井を、女はからかいと驚きが半々の表情で見返した。
「刑事さん?へえ、あの怪物……ドーパントの事件を専門に担当する警察の部署があるんだ。本格的だね」
職務中にいちゃつくとは大した国家公務員だでも言いたいのか、内容に反して彼女の言い方は冷たい。しかし照井は腕に絡みつく亜樹子のことを特に意識していないようで、そのまま表情だけを普段のそれに戻してから要件を切り出した。
「ここ最近、物質の硬度が変えられたことが原因の事故が多発している。恐らく、貴女を襲ったドーパントが犯人だろうという目星がついているんだ」
「え?」
意外な展開に、女が膝についた頬杖から顔を上げて声を微妙に高くする。
「あのドーパントの特殊能力だ。さっきの戦いで、僕たちも確認した」
「窓ガラスが触ったくらいの力で割れたり、橋が崩れて車が落下したりする被害が出ている。警察としても、このまま放っておくわけに行かなくなってきた」
それまで皆から一人離れてスツールに座っていたフィリップがぼそりと言うと、照井が更にその先を補った。
翔太郎と亜樹子も、そんな事故が頻発しているとは初耳であった。女が運転していた車は横転しても形を保っていたが、それはたまたまあのドーパントが能力を使っていなかったからなのだろう。
「あの、それでうちの車はどうなったんです?」
「証拠として押収させてもらう。いつ返せるかはまだわからない。気の毒だが、あの状態では廃車にする他にないだろう」
「そうか……そうですよね。ああもう、保険屋に何て説明すりゃいいんだろ。全くもう」
フレームまで歪んだ無惨な社用車のことを遠慮がちに言った女に、照井が返した現実は残酷である。まだそれほど使い込んだようにも見えなかった車の損害額を考えたのか、彼女は頭を抱えて嘆きつつ、がっくりと肩を落とした。現実的な金銭的感覚を持ち合わせている亜樹子が、心配そうに女の肩に手を置く。
すると、女は深い溜息を一つついてからこぼした。
「そう言えば、噂で聞いたことはあったかな……人間が化け物に変わって騒ぎを起こす街がどこかにあって、それをやっつけるヒーローもいるって。ただの都市伝説だと思ってたけど、まさかここがそうだなんて。びっくりだよ……」
「で、でも、ここだっていいところはあるのよ?ほら、気持ちいい風がいつも吹いてるし、風力発電がメインだから、エコ!って感じだし!」
ややもすればすっかり消沈してこの場を去ってしまいそうな女に、亜樹子がよくわからないアピールを明るくして見せる。
「女子中学生」所長、亜樹子に続き、翔太郎が女の口を軽くするために話をさせようと振ったのは、女自身のことであった。
「危ない仕事って、警察か何かか?」
「……ああ、失敬。私、こういう者なの」
仕事のことを他人の口から言われてビジネスの顔を思い出したのか、女が顎を上げる。ポニーテールにしていてもなお頬にかかる長い髪を無造作に払いのけて、彼女は脇に脱いでおいたジャケットのポケットに手を入れた。そこからシルバーの飾り気がない名刺入れを抜き取り、その場にいる一人一人に差し出していく。
白地にグリーンの線が入ったごく一般的な名刺には「便利屋 オフィス・ユースフル」という会社名と、その下に「間 未来」という名前が色気のない字体でプリントされている。
「便利屋の……所長?」
名前の横に小さく書かれた肩書きを目にした翔太郎が思わず確認すると、未来なる女は頷いた。
「手っ取り早く言うと、街の何でも屋。人探しから部屋の掃除、人間関係のトラブルに至るまで。犯罪にならない限りは何だってやるよ」
「……それで、ピストルも持ってるの?」
亜樹子がジャケットの上に重ねて置かれたホルスターをちらりと見やる。程良くくたびれた茶色の革製のショルダーホルスターには、先に未来が撃ったグロックが収まっていた。
「人に恨まれることも多いしね。ちゃんと国から正規の許可を受けてるから。今は弾を込めてないし、暴発することはないよ」
「許可証を見せてもらってもいいか」
しれっと言ってのけた未来へ、照井が鋭い視線を送った。彼の疑うような態度が気に障ったのか、未来は僅かにむっとしたように眉を上げると、再び傍らのジャケットを探った。
「どうぞ」
白い指先に挟んだカード型の銃火器携帯許可証が突き出されると、照井が無言で受け取った。和みかけていた空気が不穏になりかけたことを感じ取った翔太郎が、再び未来へ話題を振ろうと試みる。
「そうか、言ってみりゃ、俺たちと同業なんだな。道理で、同じ匂いがすると思ったぜ」
「あ、そう言えばここは探偵事務所だって話だっけ」
翔太郎の方に向き直った未来の声に棘はなく、事務所の中を見回している表情からも怒っているような印象は見られなくなっていた。多分、自己抑制が強い性格なのだろう。
鳴海探偵事務所はビル全体が古いことと、以前の所長であった鳴海荘吉の趣味をそのまま引き継いでいることもあり、調度品や雰囲気は古き良きアーリーアメリカンを感じさせるそれとなっている。
くすんだ緑色の壁、白黒の市松模様に彩られた床、部屋の隅にあるペンキが色褪せた木製のゲーム台。そのどれも、荘吉の代から使い続けているものばかりである。荘吉の娘である亜樹子にも、弟子であった翔太郎にも、そこにある全てが宝物であると言うに相応しかった。
翔太郎はこの事務所で荘吉の遺品に囲まれていると、師匠の名を汚さない男となるのが使命だということを忘れずにいられる。ここは、ハードボイルド探偵としての聖地とも言うべき空間でもあった。
「自己紹介が遅れて失礼。俺は左翔太郎。この風都で、彷徨える子羊となっている人々の悩みをハードボイルドに解決する探偵だ」
「は、はあ」
ハードボイルドを常に意識した立ち振る舞いを心がける翔太郎だが、それが必ずしも万人に伝わるとは限らない。今回も自己紹介を受けた未来が引き気味になっている様子が、その現実を物語っていた。
「私はここの所長で鳴海亜樹子。あ、もうすぐこの竜くんと結婚するから、照井亜樹子になるんだけどねっ!」
「貴女が所長?てっきり私、左さんの妹さんなのかと……」
次に照井の腕を取りっぱなしで浮かれた自己紹介を披露した亜樹子に、未来は今度は驚きを隠せないでいるようだった。
「誰がじゃ!」
異口同音に、翔太郎と亜樹子が未来の恐ろしい推測を否定する。
自分好みの雰囲気を演出することを失敗した翔太郎は早々に取り繕うことを諦め、まだ独り離れて隣の部屋にいるフィリップに声をかけた。
「こいつは、俺の相棒のフィリップ……っておい、挨拶くらいしろよ」
屋内にいるのにパーカーのフードを目深に被っているフィリップは、スツールから降りるどころか、一緒に話をしようという気もないらしい。未来から名刺は素直に受け取っていたくせに、そこから動かず軽く頭を下げただけだ。
未来はというと、同じように会釈を返しただけである。フィリップを極端な人見知りの内気少年だと受け取ってくれたようだった。
「ふーん。それで、仮面ライダーに変身して戦うってわけなんだ」
さりげなく、未来が事実を確認するように呟く。痛いところを突かれた亜樹子と翔太郎は、反射的に顔を見合わせていた。
彼女を助けるためとは言え初対面の人間の前で変身してしまったことは、全く迂闊だったとしか言えない。それは今更隠したところで、どうにもならないのは変えられなかった。
腹を決めた亜樹子が、引きつった笑いを浮かべて未来に揉み手をする。
「え、えっとぉ、このことは……誰にも内緒にしといてくれれば……」
「ああ。ヒーローの正体が、ばれちゃまずいのはわかるよ」
大人の対応をする主義に見えるだけにものわかりがいい、と亜樹子が誉めようとしたところで、現実的な台詞が未来の口から飛び出ていた。
「で、口止め料はいくら?それ次第だけど」
地獄の沙汰も金次第、とはよく言ったものである。純粋そうで愛らしい外見に似合わないがめつさに、翔太郎が声高に叫んだ。
「金取るのかよ!」
「うん、冗談」
あっさりと自分の言を否定した未来は、見かけより食えない女であるようだ。流石に、女だてらに事務所を切り盛りしていないと見るべきであろう。
「いくら私でも、そこまで鬼じゃないってば。人間離れしてるのは、身体だけだよ」
そして悪びれずにころころと笑ってみせる態度には、今まで世間の荒波に揉まれてきた彼女の油断ならない人間性が透けて見える。やっと銃器携帯許可証を返してきた照井の方へ手を伸ばしながら、未来は呆れ半分でいる亜樹子と翔太郎の顔を交互に見やった。
「そう言えば、うちのスタッフをこの前襲った奴も人間離れしてたって……あ」
「どうかしたの?」
不意に口ごもった未来へ、不審そうな視線を亜樹子が送る。
「……私、あの川の側にある病院に行く途中だったの。うちの新人が何日か前に誰かに襲われて、怪我して入院してるから。でもそう言えば、その連絡を受けたときに変なことを聞いたなって」
これには、翔太郎も身を乗り出さざるを得ない。
「変なこと?」
顔を寄せてきた翔太郎と亜樹子がいたく興味をそそられているらしいことを受け、未来も真剣な表情で返してみせる。
「お化けみたいな格好したのに襲われたんだって。コスプレ好きな変質者にでも襲われたのかと思ってたんだけど」
「それが、あのドーパントかも知れないってことか?」
コスプレという単語の響きに緊張感がそがれ、翔太郎の真面目な口調とちぐはぐな組み合わせになる。翔太郎本人は全く気にしていないのが、傍から見ると何とも妙だった。
「本人に聞いてみないと、何とも言えないけど。メモリどうこう、ってことは聞いてないし」
「すぐに確かめた方がいい。川の側の病院って、風都セントラル病院だろ?俺が案内する」
未来の返事を待たずに翔太郎がソファーから立ち上がり、壁にかけてあった黒いソフト帽を取り上げた。事に逸ったような彼に、当事者である筈の未来は逆に戸惑いを見せている。
「でも、車も押収されちゃってるし」
「未来さんは、俺の後ろに乗ればいい。急ごう」
翔太郎は既に、愛馬であるハードボイルダーのリアシートへ未来を案内すると決めていた。ヘルメットはフィリップのものを貸せば間に合うのだし、ドーパントが絡む事件をこのまま見過ごすわけにはいかない。
少なくとも翔太郎はそう決めた上で、鳴海探偵事務所のドアを勢いよく開けて外に出ていった。
「ちょ、ちょっと翔太郎くん!」
亜樹子がいつもの翔太郎の行動力に慌てたところで未来も急いで立ち上がり、残りのメンバーに頭を下げてから小走りに翔太郎の後を追っていく。
半熟探偵と若き女所長の背中が出ていった後のドアを暫し無言で眺めていた一同だが、やがて亜樹子が憮然として言った。
「ったく、あのハーフボイルド!相変わらず女に弱いと来よるわ」
亜樹子の横に立つ照井もやれやれと首を振ったが、ぽつんとスツールに座っているフィリップだけは反応が薄い。
この天才少年は、川辺でドーパントと一戦交えてからずっと黙り込んだままだ。いくら初対面の人物が事務所にいたと言っても、ここまで口数が減ることは珍しい。
「どしたの、フィリップくん?元気ないみたいだけど」
具合いでも悪いのかと心配した亜樹子が、隣まで行ってフードの奥にある顔を覗き込む。
「間未来……彼女は、普通の人間ではないのか?」
「何?」
フィリップが低く呟いた一言を、照井が聞き咎める。仕事の顔を崩さないまま、彼も二人の側に近寄ってきた。
「あ。そう言えば、さっきドーパントに襲われた時も、素手で戦ってたのにピンピンしてたわよね。確かあのドーパント、身体がすごく硬いんでしょ?」
亜樹子がついさっき河原で展開された戦闘を思い出して指摘すると、フィリップはその通りだと頷いて見せた。
ドーパントに対して決定力を持つほどではないにしても、未来が繰り出す打撃技は少なくとも素手のWと同程度のダメージを与えていたように見えた。鋼のような外皮を持つドーパントを後退させるなど、彼女がただの人間だとはとても思えない。
本人は身体が人間離れしていると触れていたが、果たしてそれが並外れた怪力だけだとは言い難い事実がそこにある。戦闘訓練を受けた者でなければとっさに身体は動かないだろうし、あの状況で落ち着き払ってもいられない筈なのだ。
加えて、ドーパントが「ガイアメモリを渡せ」と執拗に迫っていたことも引っかかる。翔太郎が見せたメモリに対する反応には嘘をついている様子は見受けられなくとも、風都の住人ではない未来がドーパントに狙われるには、それなりの理由が必ず潜んでいる筈なのだ。
「何故、風都の住人ではない彼女がガイアメモリを持っていると思われているのか。そこが重要だ……もしかすると、彼女自身がドーパントなのかも知れない」
「ええーっ!まさか……でも、それって……」
考えをぶつぶつと口に出していたフィリップが一つの可能性を思いついて声音を上げると、亜樹子が大袈裟なアクションとともに驚きを見せた。
「俺にも詳しく説明しろ。彼女が持っていた銃器携帯許可証は、通常のものではない。あれは一般の人間には取得できない、特殊銃火器の携帯許可証だった」
傍らの婚約者とは逆に、刑事である照井は極めて冷静な態度を保っていた。