が、今はそんなことより、酷ショックを受けているらしい精神状態の方が気になる。亜樹子を守って泥人形たちと戦った際、どこかに傷でも負ったのだろうか。
照井は、僅かに眉根を寄せたままで宙を睨む未来の視線を遮る位置に立った。
「どうした。顔色が良くないようだが、どこか痛めたのか」
「え?あ、ううん。何でもないよ。怪我もしてないし」
目の前に苦手な人物に立たれ、流石に我に返った未来が慌てて首を横に振る。
「それならいいが……彼女についていてくれて、感謝する」
「え……いいよ、いいよ!そんな。当たり前のことをやっただけなんだからさ」
照井から心配と感謝の言葉を重ねられるとは思っていなかった未来は、更に両手まで顔の前で振って動揺を示す羽目になっていた。全く価値観が異なる照井が態度を軟化させてくると、調子が狂ってしまうのだろう。彼女の頬が赤っぽく見えるのは、先の戦闘で汗をかくほど動いたせいだけではないようだった。
「あれ、ひょっとして照れてるの?未来さん」
「て、照れてない!」
亜樹子からの突っ込みにもいちいちどもっている未来は、言動の不一致もいいところである。
「そうは見えないけど?未来さん、純情なんだ」
何かにつけて「大人の女」ぶりが目についていた未来の意外な一面を見つけたことに、亜樹子が意地の悪い笑顔を浮かべている。未来の素顔が見えてきたのもそうだが、照井がようやく未来に対しても普通に接し始めてきたことが嬉しかったのだ。
行動が大阪のおばちゃんと化した亜樹子に抗議しようと未来が口を開きかけたところへ、周囲をざっと調べていた翔太郎が戻ってくる。
「とりあえず、あのドーパントの能力と正体を突き止めなきゃな。今回の戦闘で、フィリップも新しいデータを手に入れられたんだ。詳しく調べれば、何かわかるかも知れねえ」
彼は、スタッグフォンで相棒のフィリップと話でもしながら辺りを探っていたのだろう。広場の中をざっと見回し、すぐに今後の話を持ち出してくる。騒ぎの元凶であるラスト・ドーパントには逃げられたが、事件現場には泥人形の残骸や気絶したガイアメモリの売人が残されており、自分たちだけでは手に余る状態だった。
本来の職務を思い出した照井も、軽く広場を見渡してから皆に告げてくる。
「俺は署からの応援を要請して、この現場の対処に当たる。それが片付き次第合流しよう」
「ああ、そっちは任せたぜ。できればこの土とガイアメモリの欠片も、ちょっと貸してくれるとありがたい」
翔太郎からの依頼に、照井が無言で頷く。捜査上での協力関係にある二人の男たちは、通常は考えられないような要求でも飲むようにするのが暗黙の了解となっていた。
「じゃあ、私は帰るね。あきちゃんも、二人がいれば大丈夫だろうから」
地元警察として照井が動き出したのだから、これ以上余所者である自分がかかわる必要もない。そう判断した未来が軽く手を上げて去りかけたところで、亜樹子が慌てて彼女の小さな背を追いかけた。
「ちょ、ちょっと未来さん!待って!」
「どうかした?」
呼び止められた未来は振り返ってはいたが、怪訝そうな表情を隠そうとしていない。本気で一人帰ろうとしていたようだった。
だが、ラストが思った以上に強いドーパントであることと、執拗に未来を狙い続けるであろうことを考えると、彼女を一人にすることができる筈もない。依頼人を必ず守るという事務所の方針に従うなら、放っておける訳がなかった。
「未来さんを、今一人にするわけにはいかないわよ。一緒に事務所へ……」
「私だって、仕事が残ってるんだよ。戻らなきゃ」
亜樹子が促そうとしても未来は食い下がり、広場の出口へ向かおうとする。その顔は硬い印象で、強く結んだ唇は何か思い詰めているようにも見えた。
しかしどれだけ拒まれようと、鳴海探偵事務所所長の意地にかけてもここで引き下がるわけにはいかない。
亜樹子が決心したところで、騒ぎに気づいた翔太郎が照井の側から走って戻ってきた。彼は足早に行こうとする未来の肩に手をかけ、強引にもう一度振り向かせる。
「だから、待てって!あのドーパントがどんなに危険な奴か、今の戦いでわからなかったのか?」
「わかってるよ。けど、私だって経営者なんだよ。自分の下にいるスタッフを放り出して逃げるわけにはいかないんだから。それに、私なら大丈夫。襲われたって、無事に逃げ仰せることくらいはできるし」
翔太郎の言い方は厳しく詰問調に近かったが、逆に未来は冷静だ。足を止めてしっかりと半熟探偵の目を見返す態度は落ち着き過ぎで、却って相手の反感を煽るほどである。
煽られたのは、勿論翔太郎だ。
自分は心配などされなくても何でもできると言いたげな未来のそっけなさが、まるで皆の厚意や善意を無視しているかのように思えてならない。
ドーパントに狙われる彼女のことを本気で心配し、力になろうとしている自分たちの想いが伝わらないのは、無論腹立たしいことだ。が、それ以上に翔太郎が怒りを覚えるのは、未来が自分という存在を大切にしようとしないことであった。
何故、未来はこんな時も自分より他人のことを優先しようとするのだろう。
そして、自分を支えようとする者たちの手を払いのけるような真似をするのだろう。
翔太郎が浮かべた疑問を口に出そうとしたが、未来の黒い瞳に宿る鋭く硬い光の前では、それも撥ねつけられる気がした。
だからと言って、このままの状態にはできるはずもないではないか!
翔太郎は、もどかしさを怒りに変えて怒鳴っていた。
「いい加減にしろ!何でお前は、もっと自分を大事にしねえんだよ!」
突然至近距離から男の罵声を浴びせられる羽目となった未来はびくりと身体を硬直させたが、それも一瞬のことだった。すぐさま肩を掴んでいる翔太郎の手を払いのけ、きっと睨み返しながらこちらも怒りを感じさせる声で応戦する。
「自分なんかより、もっと大事なものがあるからでしょ。わかりきったことを聞かないでよ!」
本気で怒っているらしい未来に、翔太郎は咄嗟に言葉を叩き返さなかった。
短い空白が若い男女の間に生まれ、重く険悪な空気が淀もうとする。互いに口火を切るタイミングを測っている如きの沈黙で、一触即発とはこの状態を差すのであろう。
「ちょ、ちょっとちょっと!二人ともストップ、ストーップ!」
そこへ手を叩きながら、亜樹子が割り込んできた。オーバーアクション気味に翔太郎と未来を同時に手で制し、彼らの顔を交互に見やっていく。大喧嘩への発展を止め、嫌な緊張を蹴散らすべく、「女子中学生」所長は甲高い声でまくし立てた。
「翔太郎くんは、未来さんのことが心配なだけなのよ。ほら、それにまだ、あのラストってドーパントがどこに行ったのかもわからないし……未来さんはさ、フィリップくんの考えを聞くだけでもいいから。フィリップくんは誰よりもドーパントについて詳しいし、そういう人の意見は参考になるでしょ?会社に帰るにしても、話を聞いておけば必ず役に立つから。それに私も、未来さんがいてくれた方が安心できるし」
照井も翔太郎と未来の仲裁に入ろうとしてはいたが、先に行動に移した亜樹子をまず見守ることにした。
亜樹子は二人の様子を忙しく確認しながら懸命に笑顔を作り、場の流れを変えようと必死だ。その説得の言葉で誰もこき下ろさず、皆をフォローするキーワードをさりげなく入れる辺りは、流石だと言っていい。
更に、今後のためにフィリップを交えて対策を練るというのは効果的な方便だ。この状況ではそれが一番合理的であることから、理屈屋の未来にとって最も否定し難い根拠となることは必至である。
亜樹子は、未来が同性である自分のことは意外なほど素直に受け入れてくれることを考えた上で、説得を試みたのだ。それも無意識の感覚で掴んでいるのだから、大した女性である。これなら、自分が加勢しなくても場が収まる雰囲気になりそうだった。
照井がそう判断して、踏み出そうとしていた足を僅かに下げた時である。
亜樹子を挟んでまだ睨み合いを続けていた翔太郎と未来であったが、未来が不意に視線を逸らしてから軽く息をつき、低く呟いた。
「……わかったよ。役に立つ話なら、聞きに行くから」
声に明るさはないものの、怒りの色は口論していた時よりも薄くなっている。売り言葉に買い言葉で激昂してしまっていたことを、早くも自覚したのであろう。
未来が亜樹子へやや和らいだ表情を向け直したのを見て、翔太郎がほっとしたようにこぼした。
「来る気があるんなら、最初から素直にそう言えよ」
「私は話を聞きに行くだけって言ってるでしょ。守って欲しくて行くわけじゃないから」
しかし半熟から言われるのが癪なのか、未来は憎まれ口を叩き返すことを忘れない。再び喧嘩を売られる羽目となった翔太郎が、踵を返して歩き出そうとした二人の女性の横に慌てて並んだ。
「一つ忠告しておくがな。自分を大切にできねえ奴は、結局誰のことも大切にできねえんだぞ」
「はいはい、感謝感謝」
ポニーテールの髪を春の風に煽らせて、未来は気障とも取れる翔太郎の台詞を聞き流す。自らの言葉が相手に響いていないと見た翔太郎は、急に歩調を速めた未来を小走りで追いかける形となった。
「人が折角いいこと言ってんだ、ちゃんと聞けよ」
「聞いてるってば」
自分で「いいこと」って言っちゃうんだ、と顔に書いてある未来は尖った態度を変えようとしない。徹底的になびくことを拒否するという、拗ねたようにも見える女の様子に、翔太郎は余計に憮然とした。
「聞いてねえだろ!」
「もう、しつこい野郎だね!」
絡み続けてくる翔太郎へ、未来はついに怒鳴り声で応戦を始めた。ついさっき気を鎮めたばかりだというのに、彼女は半熟探偵の言葉を流すことをもう忘れたようだ。
が、未来の瞳からは、思い詰めたような色がいつの間にか消えている。
これも依頼人に対し、いつでも本心からぶつかっていく翔太郎の人柄がもたらしたことであろう。気がつけば、いつもの調子でじゃれ合いに近いやりとりを始めていた二人は、自然と速い歩調で広場を出ていくこととなっていた。
「あー!ちょっと待ってってば!二人とも、歩くのが早いわよ!」
その後ろ姿を、亜樹子が慌てて追いかける。
若い男女二人の声に亜樹子の高い声が混ざり、三つの背中が戦いのあった場所から離れていく。
「まあ……あいつらはあいつらで、それなりだな」
一人荒れた広場に残された照井は、活力を振りまいている仲間の姿にひとりごちた。
低くこぼれたその声は、どこか笑っているようだった。
ハードボイルダーと未来の車に分乗して鳴海探偵事務所に戻った翔太郎、亜樹子、未来の三人は、すぐにフィリップが待つガレージへと向かった。翔太郎がガレージへ続くドアを勢い良く開けると、作業机に軽く腰をもたせかけて考え事をしていたらしい天才少年が顔を上げる。
「フィリップ、何かわかったことはあったか?」
「待っていたよ、みんな」
フィリップが手元の分厚い本を閉じて皆に近寄りながら、早速催促の言葉を口にする。
「ガイアメモリと泥人形の欠片は、持ってきてくれたか?」
「ああ。幾つかだけどな」
待ちかねていたと見えるフィリップへ、翔太郎がベストのポケットに忍ばせていたビニールの小さな包みを手渡した。三つの袋に小分けされたそれは、照井に無理を言って拝借してきたもので、先の戦闘現場で回収した証拠品の一部である。
ガイアメモリの欠片が入った二つの袋と少量の土を封じた袋を受け取ったフィリップは、嬉々として呟いた。
「これはありがたい。複数あったほうが、僕の推測をはっきり裏づけてくれるだろう」
白く細い指先で袋をつまみ上げ、彼は一つ一つを天井の蛍光灯の光に翳したり、じっと見つめたり、中身を軽く振ってみたりと忙しく確かめている。
そうやって仲間が見守る中、数分が経過したところでようやく気が済んだのであろうか。独り言のように口を開いたフィリップの視線はしかし、まだ掌の上にある証拠品に向けられたままであった。
「僕の思った通り、泥は何の変哲もない土のようだが……問題はこっちだ」
「それはもうわかってることじゃねえのか?」
相棒の少年が核心に迫る言葉を発するのを今か今かと待っていた翔太郎は、半分呆れた口調になっている。
だが、今も頭の隅で思考を回転させているフィリップは、態度を変えることがなかった。灰色のガイアメモリの欠片が収められた小袋を皆の前に掲げて見せ、彼はゆっくりと述べ始めていく。
「君たちにはどの欠片も同じに見えるだろうが、実は全てのガイアメモリは異なったつくりになっている。主に、個体として識別するためという理由でだ。その見分けがつくのは、メモリの製造行程を全て知っている僕くらいになってしまったけど」
最後の方は自嘲気味になった声を薄暗いガレージの中に小さく響かせ、フィリップは一旦言葉を切った。彼は右手の指先に欠片が収められた袋を二つ挟んで、先を続けていく。
「そして、この二つは異なるガイアメモリの欠片であることがはっきりした」
「それは、別個の泥人形から回収したものだからな。でも、それがわかったところでどうなるって言うんだよ?」
回りくどい相棒の説明に苛立っている翔太郎が、ガイアメモリの欠片についての情報を補足した。急かすような翔太郎の視線など意にも介さず、フィリップはもう一度二つの小袋を別々に持ち替えて説明を続けた。
「こっちが、先日僕たちが倒したラース・ドーパントのもの。そしてこれは、風都署の倉庫に保管されていた、アームズ・ドーパントのものだ。これらの欠片はラスト・ドーパントが身体から取り出して地面にばらまくと、仮の身体が土で形成され、劣化版のドーパントとして動き出す」
「それも奴の特殊能力ってことだよな」
フィリップがラスト・ドーパントの能力についてやっと触れ始めると、翔太郎が再び内容を補う。
「しかし、考えてみて欲しい。何故奴は、欠片をわざわざ身体の中から取り出す必要があるのか。何故ガイアメモリの売人自らがドーパントになり、ラストの側にいたのかを」
「……言われてみれば、確かにそうよね」
つい先刻あった戦闘のことを思い出しながら、亜樹子が宙を仰ぐ。
単にガイアメモリの欠片から泥人形を作るだけなら、わざわざそれを体内に取り込む必要などない筈だ。そして多数の手駒を手に入れるためとは言え、絶対服従が保証されないドーパントを配下に置くのは、余りにも危険だと言えるであろう。
そのリスクを冒すに見合うだけの利益が、何か他にある筈なのだ。
亜樹子とほぼ同時に気づいた翔太郎が顎に指先を当て、呟くように考えを言葉に出した。
「ガイアメモリの売人が行方不明になった挙げ句、ドーパントにまでなっていた……照井が話してたあの事件が、ラストと関係があるってのか?」
「そして、恐らく風都署の窃盗もだ」
半熟の相棒が導き出した推測に、フィリップが満足感を覚えて頷いた。ガレージの二階部分に当たる金属板をブーツで踏み鳴らしてホワイトボードに近寄り、パーカーのポケットからマーカーを取り出す。フィリップはそのままマーカーのキャップを取ると、特徴のある崩し字をホワイトボードに書き込んでいった。
「今までラストが使った能力を思い出してくれ。飛翔能力と、身体の硬化。それに……」
「身体の一部を武器に変える能力だよな」
「それから、ガイアメモリの欠片から泥人形を作る能力も、よね」
自身と仲間の考えをキーワードにしてまとめてから、フィリップが書き込みを中断して仲間の方を振り返った。空いた手で、今一度翔太郎から預かった証拠品袋を取り上げる。
「この欠片は、風都署から盗まれたアームズメモリの欠片だ。アームズ・ドーパントの能力は、自身の身体を武器化させることだった」
説明を続けるフィリップの脳裏に、一年以上昔の戦いの記憶が蘇る。アームズ・ドーパントとの戦いは、初めてフィリップがファングメモリの制御に成功した、忘れ得ぬ一戦であった。
あの時の手強いドーパントの姿が、フィリップの中で別のドーパントに重なろうとしているのだ。その可能性を皆へ具体的に示すべく、彼は言葉を紡ぎ続けていく。
「そしてラストはプライドとラースを倒した直後、僕たちの前に姿を現している。いずれのケースでも、破壊したはずのガイアメモリは発見することができなかった。そして、プライドとラースの能力は……」
「空を飛ぶ能力と、身体を硬くする能力……あっ!ラストと同じじゃない?」
そこで亜樹子の方が先に思い当たり、驚きの表情とともに仲間の顔を見渡した。
勘のいい所長に先に指摘された翔太郎も一瞬驚きで目を見開き、だがすぐに訝しげな顔になってフィリップに確認した。
「……どういうことなんだ、フィリップ?」
「これはあくまで僕の推測だが、ラストは破壊されたガイアメモリに残っているデータを自分の中に蓄積させ、吸収していく力を持っているんじゃないかと思う」
一言一言ゆっくりと噛み砕いて説明する天才少年の態度は極めて冷静であったが、内容はとんでもない。もしこの仮定が事実だとしたら、ラスト・ドーパントは際限なく強くなる可能性を持った、最も恐るべき敵になるということではないか。
ラストが「進化する」と言っていたのも、そのことを指していたのであろう。経験を重ねず、人為的な強化も受けずに強くなるドーパントなど、今までに戦ったことのないタイプだった。