普段の顔ぶれに未来を加えた一同は、彼女が移動できるようになってからすぐに鳴海探偵事務所へ戻っていた。ラスト・ドーパントは逃亡したものの、あのまま長時間留まるのは危険と判断したことと、とにかく未来を現場から早く遠ざける必要があると考えられたためである。
ただし風都署の署員でもある照井は、到着と同時に現場へとんぼ返りしなければならなかった。それでも捜査活動に目処がついたらすぐに戻る、と残して去った彼の戦う意思は強いようで、夕方には再度仲間が雁首を揃えられる予定である。
傾いた春の夕陽が優しく射し込む事務所では自分のデスクに翔太郎が座し、ガレージへと通ずるドアを凝視していた。この中にフィリップが入っていってから数分間、彼は視線を逸らすことなくドアを睨み続けている。
やがてドアにかかった翔太郎や荘吉の帽子が揺れて空気が動き、細く開いた扉の隙間から戻ってきたフィリップが姿を現した。
「様子はどうだ?」
「落ち着いてるみたいだ。リボルギャリーの中ならまず安全だし、心配はないだろう」
椅子から腰を浮かせて返事を急かす翔太郎と対照的に、コーヒーを差し入れていたフィリップは落ち着き払ったもので、微笑みさえ浮かべながらドアを後ろ手にゆっくりと閉めている。
二人の若い娘が安定した状態にあることを聞いて、翔太郎は安心したように再度腰を椅子に落とした。
「そうか」
ガレージにその巨体を収めているリボルギャリーの中には、亜樹子と未来がいた。
ショックが強いであろう未来を安全な場所に匿うためにリボルギャリーへと導いたのは、翔太郎の提案である。そして女性である亜樹子に付き添いを任せ、男は外の守りに徹することを約束したのもまた、彼であった。
いくら相手がドーパントの姿だったとは言っても、未来が男に襲われたことに違いはない。彼女の傍に寄り添い、心のケアができるのはやはり同性だろうと考えたからである。
本心を言えば、翔太郎も未来の隣にいて支えてやりたかった。が、男の自分が迂闊なことをすれば傷口に塩を塗り込むことにもなりかねない。彼女をこれ以上傷つけないためにも、ここは自分が引かねばならないことはわかっていた。
デスクに肘をついてぼんやりとそんなことを考えた相棒の心の内を察したのか、自分たちのコーヒーを淹れにキッチンへ向かいかけたフィリップがぽつりと呟いた。
「辛いね、翔太郎」
「……まあな」
低く呟き返して翔太郎が頷くが、フィリップは敢えて言葉を返さずにいる。
気まずさがない沈黙が事務所内に漂うかと思われたとき、玄関ドアが荒っぽく開いて誰かが室内に入ってきた。その調子で誰であるかがわかった翔太郎とフィリップが、警戒もせずに振り返る。
深紅のレザーファッションに身を包んでいるのは、他でもない照井であった。
「何か変わったことはあるか?」
「いや、特に異常はない」
到着するなり確認を求めてきた照井に、フィリップがのんびりと答える。
天才少年がコーヒーを淹れようとしていることに気づいた風都署の若き警視は、無言で彼を制するとドリップコーヒーの缶を先んじてテーブルから取り上げた。
「しかし、これからどうするかを考えなきゃならねえな。ラストは間違いなく、また近いうちに襲ってくることは目に見えてるんだ」
照井がコーヒーを淹れている姿に目をやりながらフィリップにも視線を移すと、相棒は細い顎に指を触れさせながらゆっくりと翔太郎のデスクに近寄ってきた。
「未来は戦力外として考えて、僕たちだけで戦おう。彼女をもうラストの前に立たせるわけにはいかない」
フィリップが着ている緑色の丈が長いパーカーの裾が揺れるのを視界の隅に留め、翔太郎が頷いた。
未来を守るのはいいが、この状態を長引かせるわけにいかず、かと言って彼女を戦わせるべきではないことは明らかだ。また未来のことを差し引いても、ラストは手強く厄介な能力を持つドーパントであり、放置しておくわけにもいかなかった。
早く対処しなければならぬ、という点でも全員の見解は一致しているのだ。
「それに奴は、どれだけのメモリを取り込んだのかがわからない。なるべく早く手を打たなければな。次で必ず片をつけるぞ」
マグカップを二つ持った照井が片方をフィリップに渡し、もう片方を翔太郎のデスクに置いてから、自分の分を取りにまたキッチンへと引っ込んでいく。彼が戻ってくるのを待ってから、翔太郎は話を続けた。
「しかしこっちから仕掛けるにしても、奴はどこへ行ったんだ?」
「自宅には戻っていないことが確認できている」
「照井竜、堀内の家を調べたのか?」
専用のマグカップを手にしている照井がさりげなく捜査の手を伸ばしていたことに驚き、フィリップが慌てて口に含んだコーヒーを飲み下した。
「奴は逃亡中の犯罪者だ。捜索を入れたが、あれは筋金入りだと思っていい」
「自宅から何か出てきたのか?」
翔太郎も無論興味津々であったが、探偵事務所の二人に対して照井の口調はやや歯切れが悪い。管轄外の地区にまで強権を及ばせたことに、裏でかなり無理をしたのであろう。
が、照井の表情はそれだけでは説明できない苦さを感じさせる。
「……奴の部屋にあったパソコンには、間の盗撮画像や動画が山のようにあった。見るだけで吐き気がするような、非公開のブログの記述履歴と一緒にな。それだけで、ストーカーとして立件できるくらいに」
その中には正常な思考を持つ者にとって、見るに耐えない内容のものも多かったのだろう。
この事実は未来本人に決して知らせてはならないと反射的に考えた翔太郎が、いまいましげに吐き捨てた。
「あの野郎、本物の変態じゃねえか!」
「恐らく、ガイアメモリを何度も使用している影響だろう。堀内が本来持っている、偏執的な面が強く引き出された一例だ」
フィリップも眉根を寄せながら推測を口にし、コーヒーの苦味で嫌な空気を紛らわせようとする。
相手の気持ちを何一つ理解しようとしない、ストーカーの精神状態に陥るほどガイアメモリの影響を受けているのは、極めて危険な兆候だと言える。このまま放置しておけば、これまで以上に攻撃的な手段を行使してくる可能性も否めないため、迅速に事を運ぶ必要があった。
「みんな、ちょっといい?」
フィリップがこの場にいる男たちにそのことを説明しようとしたとき、事務所内の空気が動いて亜樹子の声が響いた。皆が一斉にガレージの入口へ目を向けると、きまりが悪そうな亜樹子がドアの隙間から顔を覗かせている。
「どうかしたのか、亜樹子」
何かあったのかと翔太郎が緊張気味に立ち上がるが、亜樹子は首を横に振った。彼女は一旦ドアを閉めると、皆の方まで近寄ってから切り出した。
「未来さんが、みんなと話したいことがあるんだって」
「間が?」
照井が聞き返すと、亜樹子は無言で頷いてくる。その様子は、婚約者である照井には話し辛そうにしているように見えた。
「何かあったのか。あの状態で、自分から話がしたいと言ってくるなんて」
「それは、みんなに直接話すからって……」
照井が気遣わしげにかけたのにも言葉を濁して、亜樹子は視線を逸らした。同性であるのに未来から胸の内を明かしてもらえなかったであろうことに、自身の至らなさを感じているのだろう。
落ち込みかけている亜樹子から他の二人の男たちへと、照井が視線を流した。翔太郎とフィリップも無言で頷いて、皆が自然とガレージへと足を向けることとなる。
翔太郎を先頭にして一同がガレージの中に入っていくと、いつもフィリップが作業に使っている椅子に未来が座っている姿があった。
照井にジャケットを返した未来が代わりに着せられているのは、翔太郎が愛用しているブルーのワイシャツで、長い袖を折り返した状態になっている。そこから覗く右手首の白い包帯が、痛々しい印象であった。
「大丈夫なのか、未来。まだ休んでた方が……」
「ううん、ちょっと話をするぐらいなら大丈夫。ごめんね、みんなに面倒かけちゃって」
心配する翔太郎をよそに、未来は椅子から立ち上がって微笑みさえ浮かべて見せていた。やはり負傷した足が痛むのか、その立ち方はやや心許ない。
彼女の口調に普段ほどの精彩はないにしても、戻ってきたばかりの時に比べるとかなりしっかりした印象になってきている。それも、今まで亜樹子が付きっきりでいてくれたお陰なのかもしれなかった。
その亜樹子が促すように無言で頷くと、未来は一度皆の顔を見渡してから口火を切った。
「みんなに頼みたいことがあるの」
若干顔色は優れないながらも、仲間たちの瞳をしっかりと見据える気力を取り戻している未来は、はっきりした意思を声に滲ませている。精神の回復の早さに安堵を覚えた翔太郎が、視線を未来の顔に移して応えた。
「頼みか。何だ?」
「私も戦いたいの。みんなと一緒に」
「なに?」
唐突すぎる未来の一言に眉を寄せ、咄嗟の反応を声で示してしまったのは照井であったが、驚いたのは他の者も同じであった。
元気を取り戻しかけているかに見えるが、心に多大なダメージを負わされている未来が戦う。そんなことが許せるわけがない。
一瞬呆気に取られて何も言えなかった翔太郎が、照井に続いて声を張り上げた。
「駄目だ!依頼人でもあるお前を、これ以上危険に晒すわけには--」
「翔太郎、聞いて」
しかし脊髄反射的に反対しようとした翔太郎とは逆に、未来は静かに諭すような態度で言葉を被せてきた。彼女の冷静さに圧され、翔太郎が口から出かけていた反論を飲み込まざるを得なくなる。
皆が自分の話を聞く態勢にあることを感じたらしい未来は、改めて話を切り出した。
「私は戦闘用に作られたサイボーグなんだよ。あまり考えたくはないけど、多分……これからも、今と似たような状況になることだって、ないって言えない思う……今の辛さを何とかできないままじゃ、この先も私の心が持たないかも、って……そう思うんだ」
ところどころ詰まりながら一言一言を噛みしめている未来は、目の前の仲間たちを見つめたまま息をつき、更に続けた。
「だから、今回のことを乗り越えたい。そのために、私と一緒に戦って欲しい。みんなに……助けて欲しいの。みんなと一緒なら、きっと最後まで戦い抜けるって思えるから」
どちらかと言えば淡々とした調子で言い切った未来であったが、その瞳には逸った色も、自暴自棄になっているそれもない。自らの内面を見つめ、自分のやろうとしていることを噛み砕いた上で出した結論を確かめる覚悟のようなものさえ感じさせた。
この場にいる一同の中で一番彼女を知っている翔太郎は、軽く溜め息を漏らした。
「……どうしても、やるってのか」
「そうしなきゃ、自分に負けることになる。私が持ってる弱さに打ち勝つことで、けじめをつけたいんだ。勿論、自分の部下がやったことについてもね」
未来が翔太郎の目を見つめて固い決意が揺るぎないものであることを示すと、今度は亜樹子が心配そうにして口を挟んでくる。
「けど、ラストは未来さんを狙ってるんだし……やっぱり危ないわよ。ここは、仮面ライダーに任せておいた方が……」
「それでも、私は戦いたいんだよ。誰のためでもない、自分のために……私が、私であるためにも。だから、お願い」
最後の一言で未来が皆に向かって頭を下げるところを、翔太郎がじっと見つめた。
確かに彼女の言う通り、過去の忌まわしい経験に打ち勝てるか否かは本人の問題であり、自身の力で何とかしなければならないことでもある。
それに今までと大きく違うのは、未来が翔太郎たちに助力を求めてきたことだ。頑なだった心境に変化が生じ、素直に鳴海探偵事務所の一同を仲間と認めて頼ってきた彼女の心を、無下にするわけにはいかない。ラストの潜伏場所や未来が心に負った傷が戦闘に与える影響など、不安要素が絶えないのはわかっていたが、それは彼女の頼みを断る理由にはならないであろう。
それに、やっと心を開いてくれた未来を支えてやりたい気持ちは、やはり自分の中でも強いのだ。
短い沈黙を挟んで、翔太郎が大きく頷いた。
「わかった。協力しよう」
最初の反対からあっさりと態度を変えた翔太郎に特に驚かされたのは、隣にいた亜樹子である。ただでさえ大きな目を見開いて、甲高い声を張り上げる。本来の翔太郎なら依頼人の安全を重んじるため、未来の要求に応じないはずだと踏んでいたのだろう。
「え……ちょ、ちょっと、翔太郎くん!それ、本気で言ってるの?」
「ああ」
動揺しまくっている亜樹子を尻目に翔太郎がもう一度はっきりと頷いてから、静かに先を続けた。
「依頼人を危険な目に遭わせるのは、確かに俺たちの方針には反することだ。だが、今回はそれじゃあ根本的な問題は解決しねえ。依頼人が心に抱えている悩みや不安を完全に取り除けないなら、仕事が完了したとは言えねえからな。その意味でも、俺は依頼人である未来の意思を尊重する」
あくまで未来を「依頼人」として説明する相棒の意見に珍しく納得したらしいフィリップも、前に進み出てきて未来に問いかけた。
「僕も、最終的な君の心積もりを確認したい……未来、本当に覚悟はできてるんだね?最悪、堀内の命を助けられない可能性もあるが」
「わかってる。それが、私がこれまでに受け入れた……それにこれからも、続けていかなきゃならない生き方だもの。逃げられないなら、立ち向かうしかないじゃない。私が自分の中に抱えてるものを何とかするには、自分でやらなきゃ意味がない。全部人任せにするわけにはいかないから」
フィリップにはっきりと答えた未来の態度には、少しも揺らぎは見えない。恐らく自分が被害を被ったことで、今まで迷っていたことにも踏ん切りがついたのだろう。
その様子を目にした照井も、ぶっきらぼうに告げた。
「俺も、特に異存はない。あそこまで手強いドーパントだ、強い仲間は多い方がありがたい」
「何よもう、竜くんまで……」
照井が初めて未来を戦士として認める言葉を聞き、本人は心底から意外そうな顔をしたが、ただ一人反対の立場となってしまった亜樹子は仏頂面である。
しかし亜樹子も、こうなってしまってはいつまでも反対するわけにはいかなかった。もともと自分の手で問題解決を図ろうとする未来の姿勢には好感を持っていたし、その気持ちも痛いほど理解できるのだ。
今度は、亜樹子が迷いを振り切る番であった。
「ああもう……こうなったら、うちも女や。覚悟決めたるで!」
一同の顔を見回して、亜樹子が大阪弁を飛ばす。途端、皆の緊張が緩んで自然と笑顔がこぼれた。