青っぽい灯りが薄暗く照らす空気の中に、様々な計器類やパイプがびっしりと並び、その間をぬって曲がりくねったキャットウォークが走っている。低く静かな唸り声を上げて稼働する機械類は、このガイアメモリ工場がまだ生きていることを示していた。
しかし埃と錆の臭いが鼻につく空気は、ここが今にも打ち捨てられる寸前であることを物語ってもいる。風都に仮面ライダーなる者が現れ、ミュージアムを壊滅させて以来、このような状態に追い込まれる工場が果たして幾つあるかわからない。
おかげでガイアメモリの売買を生業とする闇の商人たちは、日に日に立場が悪化するばかりであった。特に闇商人たちを裏で仕切っていたミュージアムが潰されてからは、商人同士の縄張り争いや粗悪品の横流しなどの掟破りが横行し、状態は混乱の極みにある。
そんな中でまた一つ、秩序を乱す存在が現れた。
商人たちの間でそんな噂が際立つようになったのは、特にこの二週間ほどの間のことであった。
「なぁ……何で俺たち、こんなところにいるんすかね?」
「知るかよ。とにかくここを守らなきゃ、命がねえんだからな」
そして廃業手前のこの工場内でぼそぼそと話し合う二人の若い男たちも、まさか自分たちが噂の渦中に放り込まれるなど、考えてもいなかった。
つい三日か四日前のことである。
ガイアメモリの売人である彼らは全身が紫色のドーパントにいきなり襲われ、商売道具として持ち歩いていたメモリを全て奪われた挙げ句、無理やりここへ連れて来られていた。
その際は、勿論無抵抗だったわけではない。自身もドーパントに変身して抵抗したが、二人がかりでも数分足らずで完膚なきまでに叩きのめされ、従わざるを得なかったのだ。
ラストと名乗った相手の圧倒的な力の前にすっかり震え上がった彼らは、続けて工場に侵入を試みる者の排除という役目も了承させられた。
もっとも、ここは表向きはごみの焼却場として稼働し続けている場所であり、わざわざガイアメモリ工場の入口がある裏手の雑木林にまで足を踏み入れる者は少ない。近寄ろうとするのは好奇心旺盛な子どもくらいで、ある程度手を抜けるだけましであった。
しかしそれだけに、強襲を企んでいるという何者かの存在が気にかかる。
短い金髪やスキンヘッドに刈られた髪型に無精髭、筋肉質な身体と派手目だがだらしないファッションという、外見だけは凄みのある男たちは低い声で話を続けた。
「けどここを見張るってことは、誰かが狙ってきてるってことなんすよね?もし襲われたら、あいつは絶対に俺たちを盾にするつもりっすよ。それで死ぬんだったら、今逃げたって同じことじゃないっすか」
「馬鹿野郎。そのどさくさに紛れれば、もうちょっと確実に逃げられるかも知れねえじゃんか」
金髪の男はスキンヘッドの男に比べて明らかに弱腰になっており、仲間からちょっと強く言われただけでもおどおどと周囲を見回す有様である。運命共同体であるかも知れない男の頼りない姿に、スキンヘッドの男は鋭い舌打ちを漏らしそうになった。
「でも、ここが襲われるんだとしたら……相手はあのミュージアムを倒したドーパントの始末人って言われてる、仮面何とかって奴じゃないんすか?悪くすりゃあメモリが壊されて、俺たちは廃人になっちまうんじゃ……」
相変わらず怯えている金髪男の出してきた話に、スキンヘッドの男は思わず舌打ちを飲み込んだ。
仮面ライダーは、言ってみればガイアメモリ商人とドーパントの天敵に等しい存在であった。自分たちを拉致したラストがどんなに強い存在であったとしても、仮面ライダーに目をつけられているのなら、その命運も長くは続かないであろうことは目に見えている。
そのことを本能的に悟ったらしいスキンヘッドの男が、咄嗟に金髪男の肩をぐいと引き寄せて耳打ちした。
「だからよ……危ないと思ったら、とっとと変身を解いてゴメンナサイすりゃ、見逃して……」
「何をしている?」
その二人の背後に当たる工場の奥から、陰気な声が響いてきた。
ぎくりとして大柄な男たちが振り返ると、彼らのすぐ後ろに長い前髪を垂らしたひょろ長い青年が突っ立っていた。もともとあまりすぐれない顔色が、工場内の暗い照明を受けて余計に青白く見える。着崩したスーツ姿の青年に若者らしい生気はなく、片手で突き飛ばせば軽く吹っ飛んでいきそうな気さえする。
しかし、どこから見ても自分たちより肉体的に劣っている青年に接する男たちの態度は、過度に媚びへつらったものであった。
「あっ、ラス……いえ!ほ、堀内さん!いや、ちょっと、戦う時の相談を……」
一オクターブは高くなったスキンヘッドの男の耳障りな声を耳にすると、堀内が不快そうに眉をしかめる。その淀んだ瞳にはあからさまに相手を見下す色が表れていたが、男たちは緊張して背筋を伸ばしたままだ。彼らを嫌と言うほど痛めつけてここに連れ込んだのが、この堀内が変身するラスト・ドーパントであることを知っているからである。
堀内は数秒間男たちの顔を探るように眺めてから、やがて感情を滲ませない声で言った。
「……そうか。異常があったわけじゃないんだな?」
「ありません!安心してください」
今度は金髪男の方が、直立不動の姿勢で答える。
強いと認めた者の前では完全に従う素振りを見せるゴロツキ二人に、堀内は口許を歪めて命令した。
「引き続き警戒を怠るなよ。伝え忘れていたかも知れないが、相手はあの仮面ライダーたちだ」
「はいっ!」
今は仮の手下となっている売人たちが、声を揃えて答える。
軍隊で下士官を叱りつけた後の上官のように頷いてから、堀内はキャットウォークが伸びる工場の奥へと踵を返していった。
古びた金属板を踏む足音が次第に遠ざかるにつれ、二人の売人たちの肩から力が抜けていく。金属のパイプが剥き出しになっている傍らの壁や手すりに寄り掛かり、彼らはどちらからともなく顔を見合わせた。
「……へっ、偉そうに。誰があんなクソガキの言う通りになるかってんだよ」
「そっすよねぇ……」
スキンヘッドの男の言葉に、金髪男が同意を示す。堀内の背が消えた計器の群れに向かい、二人は思い切り悪態をつこうと口を開いた。
「おい」
そこへ、既にここから去ったと思っていた堀内が再び計器の陰から姿を現す。
ゴロツキ二人は慌ててほどけかけた全身の筋肉に力を入れ、しゃちほこばった直立姿勢を取った。
「はいっ!」
「もし女が一人でここへ来たら、絶対に戦わずにすぐ知らせろ。その時は、俺が出るからな」
直前にこぼしていた陰口は聞こえていなかったのか、堀内の口調は直前と変わりがない。そのことに安堵した売人たちも、同じ態度を心がけて返事を返した。
「わかりました!」
しかし堀内は、彼らの一言が終わらないうちに来た通路を戻り始めていた。支配下にある二人の男たちの姿勢を見届けた今度こそ、工場の奥に定めた自室へと向かうことにする。
二人が呟いていた肚の中が、聞こえていなかったわけではない。自分が彼らより優れた力を持っているのはわかっているし、これ以上高圧的に出て脅しても、あまり意味がないからだ。
「……ふん。俺も、この何日かで集めた馬鹿どもが服従するなんて思ってはいないさ」
自室へ足早に戻ろうとする堀内の呟きに本音は現れていたが、既に従う意思を見せている者が怯える姿を見てもあまり面白くないということもある。やはり抵抗する者の強靭な心を力づくでへし折り、這いつくばって赦しを請わせ、征服することこそが魂の喜びだ。
そしてその相手が、憧れの的であった女であれば尚更である。
間未来は今、自らの肉体に刻まれた黒き刻印を消滅させるべく仲間と策を練り、攻撃を仕掛ける準備をしていることだろう。その間は、敵のドーパントである自分、つまりラストのことを集中して考えているに違いない。
ほんの一時でも女の精神を支配していると考えると、堀内はぞくぞくするような興奮と快感を覚えた。
早く、早く未来の全てを手に入れたい。
が、そのためには二人の仮面ライダーたちを排除せねばならなかった。
そのための手間は別に惜しくも何ともない。むしろ、彼女が支えとしているらしい男たちを奪ってやることで更なる絶望の淵に突き落とすことができるのなら、それもまた一興であった。
「……早く来い、仮面ライダーめ。俺はこの手でお前たちを血祭りに上げて、必ず彼女を手に入れる」
堀内が呟くどんよりと濁った言葉には、まさに色欲の化身たるラスト・ドーパントに相応しい情念と欲とが滲み出ている。
しかし、そのひょろ長い身体が突然ふらりと傾いた。
「おっと……!」
危うくバランスを崩しかけたところで、堀内は慌てて傍らの計器に手をついた。冷やりとした感触が指先に伝わり、数秒間の間揺らいでいた世界が、またしっかりと安定してくる。
「くそっ、またか。俺も疲労が溜まってるということだな」
堀内はこの一週間程度は頻繁にラスト・ドーパントに変身してはガイアメモリの売人たちをドーパントにし、警察であるアクセルが彼らを倒すのを見届け、メモリの欠片を回収することを繰り返していた。その度に少しずつ力を蓄えられていたものの、特殊能力を使うとその分だけ体力を激しく消耗することが実感されていたのである。
忌々しげな舌打ちを漏らした堀内が、ジャケットのポケットを探って「ラスト」のメモリを取り出した。工場の薄明かりを受けて鈍く、禍々しい輝きを放つそれを見る目は恍惚とした光を浮かび上がらせている。
手下として操れる泥人形やメモリを持った売人たちを暴れさせることはあっても、最後に手を下すのは最強とも言える能力を持った自分だ。
堀内は歪んだ笑みを唇に上らせながら、ガイアメモリ工場の薄明かりの中へと不健康な身体を紛れさせていった。
風都の郊外を走るにしては広めの道を、二台のバイクが疾走している。
前を走るハードボイルダーは翔太郎が運転してフィリップがタンデムシートに、後ろに続くドゥカティの真っ赤なバイクは照井が操って亜樹子が同乗していた。暗闇に包まれてひっそりと静まり返る砂利道をライトで照らし、四人はひたすら先を急ぐ。
時期は晩春とは言っても、まだまだ冷える深夜の空気は服を通して肌を刺してくる。いつも革素材のジャケットやパンツを纏っている照井にはちょうどいいくらいだが、ショートパンツ姿で後ろにいる亜樹子が寒くないか気がかりだった。
しかし彼の上半身につかまっている亜樹子本人は黙りこくっており、事務所を出てから一言も言葉を発していない。普段なら間違いなく眠っている時間帯に叩き起こされているため、睡魔との戦いに必死になっているのだろう。
ほどなく、先を行っていたハードボイルダーが速度を落として停車した。エンジンを停止させた愛馬から、ヘルメットを脱いだ翔太郎とフィリップが降りてくる。
照井も彼らに倣ってバイクを停めてヘルメットを取ったが、後ろの亜樹子はまだしがみついたままだ。流石に心配になり、照井は婚約者に短くも優しい一言をかけた。
「疲れたか?」
「……んん……ん?ううん、全然大丈夫よ。これから一大イベントなんだから」
眠気でぼんやりしていたらしい亜樹子が照井の広い背中にもたせかけていた頭を上げ、一呼吸置いてから応えてくる。今までしっかりとつかまり続けていたのだから、居眠りしていたわけではなさそうだったが、それでもだるそうな印象は拭えない。
のんびりした動きでヘルメットを脱ぐ亜樹子と照井がバイクから降りたタイミングで、帽子を被り直している翔太郎とフィリップが近寄ってきた。
「戦いだろ。ちょっとは緊張してるのかと思ったら、相変わらずの度胸だな」
先の亜樹子の発言を耳にした翔太郎が、誉めているのか皮肉なのか判断に苦しむ言葉を投げかけてくる。亜樹子は半熟探偵の呆れ顔も意に介さず、大あくびを漏らした。
「仕方ないでしょ、今まだ……ええっと、夜中の三時台?なんだから。こんな時間に作戦決行って、眠いのが当然じゃない……」
続いて目を手の甲でこすった亜樹子は、改めて腕時計で時刻を確認してからぶつぶつ言った。
普段のやかましさとは打って変わって大人しくなっている亜樹子の様子に、フィリップが納得したように頷いて見せる。
「人間の思考能力や判断力は、生理的に今の時間帯が一番鈍る。大抵の軍事作戦が明け方に開始されるのも、同じ理屈だ。その点で、今回の行動は非常に理に適っていると言える」
「あいつ、腐っても軍の人間ってことか」
今回の作戦が軍事作戦基準で考えられているプランであることを思い出した翔太郎が、複雑な表情で頭を掻いた。
午前三時半からラスト・ドーパントの潜伏先に潜入する作戦行動に出るというのは、実は未来からの提案である。こちらから仕掛けるに当たり彼女は積極的に行動案を出し、最終的には自分の方から全面的な行動のサポートも申し出てくるという経緯があった。
未来にとって、ラスト・ドーパントと化した部下との戦いというある意味因縁めいた今回の戦いは、覚悟が必要なことである。どんな状況になっても退かない姿勢を示しておく意味もあるのだろう。
ラストの隠れ家を突き止めたのこそ鳴海探偵事務所側であったが、精神的な負担は恐らく彼女にも大きくかかっているに違いない。
目を凝らし、闇の中で遠くを見つめる翔太郎の顔には、いつの間にか険しさが出ていたのだろう。彼が視線を投げかけている暗がりへと、その態度を不審に思ったらしい照井も注意を向けてくる。
二人の男が眺める夜明け前の空は暗い深蒼に沈んでおり、星々が未だ静かに瞬いている。暗さに目が慣れてくると、空と丘の歪な境界線に、細く尖った形があるのが辛うじて判別できる状態であった。
そのことに気づいた照井が、意識を逸らさず隣の翔太郎に確認を取った。
「あそこか?」
「ああ。あの地下に、ガイアメモリの工場がある。周辺では例の泥人形や何人かの売人たちが出入りしてるのが目撃されてるし、間違いねえよ」
翔太郎も無意識のうちに帽子の縁に指先を滑らせ、緊張感が窺える口調で答えた。
「あれって、まだ動いてる清掃工場の煙突よね。あそこが隠れ家なわけ?」
「清掃工場だという、表向きの話だ。よくあることだね」
揃って近くの小高い丘を注視する男たちの側に、空に突き刺さる煙突のシルエットを確認した亜樹子とフィリップも駆け寄ってくる。
四人の男女がバイクを停めて佇んでいるのは丘の裾に当たる場所で、ちょっとした広場のように開けている場所だった。広場の隅から丘の頂上にかけては新緑の木々に覆われており、ここから上へと登る道は見当たらない。闇に紛れて侵入を図るのに適した場所だと言えるだろう。
ガイアメモリ工場に忍び込むには、清掃工場の地下駐車場にある隠し通路を通ればいいことがわかっている。そこまでの経路は翔太郎の頭に入っているが、あまり大人数になると敵に発見される恐れも高かった。
そんな当たり前の懸念を翔太郎が口にする前に察した照井が、仲間たちの顔をぐるりと眺めてから言った。
「あの中に入るのは左と俺、間の三人になるな。フィリップは外で待機していてくれ」
「わかった」
「ええ?ちょっと、私は?」
フィリップがすぐに頷いて見せた横で、亜樹子が抗議の甲高い声を上げる。
ようやく自分にも活躍の場が巡ってきたのだとばかりに張り切っていたのだろうが、今回の作戦は敵から身を守る手段を持たない者を伴うにはあまりに危険であった。
「当然、外で待機だ。危ねえからな」
「何でよ!私は所長なんだから、一緒に行くのが当たり前じゃない!」
「あん中には、ドーパントが何人いるかわからねえんだぞ。そんな場所に、お前を連れて行けるか!」
有無を言わさずやる気を跳ねつけた翔太郎に、亜樹子は更に食って掛かった。
「そんなこと言われたって、納得できないわよ!それに、この間みたいにあの泥人形がこっちを襲ってきたらどうするの?相手は何をしてくるか、わからないって言うのに!」
亜樹子に憮然とした顔で突っ込まれて、半熟探偵がうっと言葉に詰まる。
広場を囲む草むらが風でざわつく中、口論で負けそうになっている翔太郎に助け舟を出したのは照井であった。
「所長、心配しなくてもいい。間の方で手を回していてくれている筈だ」
「未来さんが?」
きょとんとする亜樹子に照井が頷き返すと、これまでの打ち合わせ内容を思い返したフィリップも呟いた。
「確か作戦用の車両で、サポート要員の仲間も連れて来ると言っていたね」
「そう言えば、彼女はまだ来ていないのか?」
「そろそろ来る頃じゃねえかと思うが……」
照井も同じことを思い出して辺りを見回すと、翔太郎もそれに倣って自分たちが今来た砂利道の方へと視線を巡らせる。
そのとき、皆の耳が遠くから近づいてくる地響きのような音を捉え、翔太郎以外の仲間たちも一斉に砂利道へと振り返った。
「あっ、あれじゃない?」
闇に浮かび上がるヘッドライトの眩い光を認めた亜樹子が、更に目を凝らす。
一同は広場の隅に寄って接近してくる車両を待ったが、ライトが見えているのになかなか車両本体が到着しない。未来の乗っているサポート用車両というのがかなり低速で走っているのかと思ったが、そうではなかった。
地を走ってくる轟音ともいうべき地響きが近寄るにつれ、ヘッドライトがどんどん大きく、そして高い位置にせり上がってくる。こちらへ来るトレーラーらしい車は、どうやらまだかなり距離があるうちからヘッドライトだけがぽつんと見える状態にあったらしい。砂利をタイヤで弾き飛ばし、揺れをも伴って広場に入ってきた大型トレーラーは、皆が想像していたものを遥かに上回る大きさだった。
「……って、おいおいおい!」
「でかっ!」
ようやく広場の隅にブレーキをかけて停車したトレーラーの全体像に、翔太郎と亜樹子が目を丸くする。鈍い銀色に輝く収納部には目立つ塗装などの装飾はないが、まるでレースカーを何台も積んでいるレーシングチームのトレーラー並みに巨大な車体だったのだ。
サポート車両がテレビ局のバン程度のものと思い込んでいた皆が慌てて走り寄ろうとしたところで、丁度トレーラーの運転席側のドアが開き誰かが飛び降りてくる。
それが男性的なシルエットであることから、未来でないのは間違いはない。しかし軽やかに砂利の上に降り立った男性がヘッドライトの光に顔を晒したとき、一同はまたしても仰天する羽目になった。
すらりと均整が取れた姿は大柄で、ゆるやかに巻いた蝦茶色の髪は短く、その下にある顔の目鼻立ちはギリシャ彫刻のように整っている。歳の頃は二十代半ばか、男として一番魅力が溢れる時に差し掛かろうという辺りだと窺えた。
強いヘッドライトの光を浴びているため顔には陰影が濃く出ていたが、こちらの姿を認めてにっこりと笑いかけてくる表情には、欧米人ならではの人なつっこさが感じられる。
しかし外見が完璧な「イケメン」である若い男性の唯一にして最大の残念な点は、恐らく意味もわからずに着ているのだろう「空気嫁」の白いプリントが燦然と輝く赤いTシャツ姿であることであろう。
数秒間は驚きで動きが止まっていた一同の中で、いち早く言葉を発したのはフィリップであった。
「空気嫁、とは……エアーワイフ?」
突っ込むところはそこではないと普段ならスリッパを手にする亜樹子であったが、この場に突然現れた外国人にすっかり慌て、フィリップの本気のボケに反応できずにいた。