「待て、メモリが!」
数歩追いかけてその肩を後ろから掴んで引き止めたのは、アクセルだった。紅き鎧の仮面ライダーの目は、床に転がっているラストのメモリがじりじりと動いているのを捉えたのだ。
足を止めたWも、「L」の刻印があるメモリに意識を向けた時である。
ひとりでに床を擦っていたメモリが緑色の強烈な光を放ち、中心から大量のミミズが這い出てくるように触手の群れが生えた。ぬらぬらと紫色に光る触手は数えきれないほどで、一気に堀内の方へと走っていく。
「な……!」
この世のものとは思えない異常な状況に声にならない声を上げる未来は動くことも、目を逸らすこともできないでいるようだった。
彼女と同じように咄嗟に動くことを躊躇している皆の前で、ガイアメモリから這い出た触手は、同じく触手に覆われた堀内の胸にある裂け目へと伸びていった。唯一青年の青白い皮膚が露出していた場所に触手が達すると、堀内の喉から凄まじい絶叫が迸る。
「ああああああああああ!」
耳にした者の魂をごっそり削り取っていく、身の毛がよだつような戦慄を孕んだ叫びであった。
だが、それは音声の再生が中断された時のように、不自然なまでにぶっつりと短く途切れた。
『何だ、これは!』
凄惨な光景にあっても敵から目を離さずにいたらしいリューが乱れた呼吸の下で呟き、絶句した。
堀内の胸に突き立った触手が勢いよくガイアメモリを引き寄せ、薄い青年の生体コネクタがない胸板に取り込んでいく。かと思うとメモリはそのまま彼の胴体を突き抜けて、今度は背中から生えた触手がガイアメモリを持ち上げている格好となった。不思議なことに、身体を貫かれた堀内の皮膚からは一滴の血すら滲んできていない。
しかし激痛は伴うらしく、彼は苦痛の叫びを上げ続けながら顔を歪ませていた。
「堀内……」
皮膚の中にまで触手が及び、顔に不気味な凹凸ができ始めている青年の苦しむ姿を前にした未来が無意識にその名をこぼす。
その僅かな間に、ラストメモリに再び劇的な変化が起こった。
堀内の背に伸びていたのとは反対の面から新たな触手が生え、今度は一同の前に据えられているガイアエネルギータンクへと伸びたのである。触手がメモリの「L」の刻印がある両面を挟んでいる形だ。
タンクへと幾本もの触手が這っていき、最も薄い箇所であろうと思われるガラスの覗き窓を叩き割る。
その中へと触手が入り込む。
触手がガイアエネルギーの輝きに包まれ、三センチ程度だった直径がその数倍に膨張する。
全ての現象が同時に、一瞬で起こっていた。
かなり消耗しているらしい堀内はまだ苦痛の呻き声を上げていたが、最早新たなエネルギー源を見つけたラストメモリに抗えなくなっているらしい。彼の身体はメモリを介して背中から生えた触手にずるずると床を引きずられ、あっという間に空中へと引っ張り上げられていく。
かと思うと、触手が絡んだ細身の身体は真っ直ぐにタンクへと叩きつけられた。
途端、タンク全体が強烈な光に包まれ、突風が広間に吹き荒れた。まるで、ガイアエネルギーがタンクごと爆発したかのようだった。
「うわあっ!」
このことを予想していなかった仮面ライダーたちが、成す術なく全身を煽られて吹き飛ばされる。一同はコンクリートの床に転がりながらも辛うじて体勢を整え、壁際で必死にパイプを掴んで身体を支えていた亜樹子の側に集まった。
今だホールで荒れ狂う空気の流れが巻き上げる砂埃の向こうに、顔を上げたWが視線を向ける。
すると、霞みの中にぼんやりとタンクがそびえていることがわかった。
しかしそれは、これまで見えていたものとは全く異質なそれであった。
ドーム状だったタンクの表面はびっしりと紫色の触手に覆われ、全体が脈動するように時折大きく揺れている。粘液を纏った醜悪な肉塊の山に見えるタンクの中心には堀内の身体が磔になっているが、彼は何かを言おうとして口だけを動かしながらも声にはなっておらず、虚ろな視線を宙にさまよわせるばかりで、はっきりした意識があるかどうかは怪しいものだった。
「何だありゃ……タンクと合体しやがったぞ!」
つい先刻は一方的にこちらを苦しめていたラスト・ドーパントの変わり果てた姿を認めた翔太郎が呆然とする一方で、フィリップは突然現れた巨大な有機物の正体を探ろうと検索を行っていた。意識を集中させると地球そのものから膨大な情報が流れ込んできて、その渦の中から目的とする情報はすぐに掬い上げることができた。
そこから判明したのは、目の前に生まれた生物が「ラスト」メモリが暗示する要求、つまり色欲が満たされなかったため渇望が外に向かい、宿主とした人間の管理から離れた状態であるということだ。しかしこれがまだ最終段階というわけではなく、まだ変貌の途中であるらしいことが、能動的に動かない様子から伝わってきた。
通常のガイアメモリは使用者の制御技術が上がれば新たな能力を発現させて進化するが、どうやら「七つの大罪」メモリはその真逆らしい。これもメモリが開発段階の試作品であり、不安定なことの副作用なのであろう。
現在の状況が羽化する直前の蛹と同じであることを悟ったフィリップが、忙しなく視線を肉塊の隅々へと飛ばす。すると、中央に取り込まれている堀内の全身に食い込んだ蔦からメモリにガイアエネルギーが媒介されているイメージが視覚化され、天才少年だけに弱点とおぼしき像が見えた。
今ならまだ、ラストメモリが最終形態になるのを食い止められるかもしれない。
ホールに吹き荒ぶ風に抗って、声の限りにフィリップが叫んだ。
「あの蔦から、ラストメモリがタンクのガイアエネルギーを直接吸い上げているんだ。早く全てを切断しなければ!」
Wの右手がプリズムソードの切っ先で指し示したのは、変わり果てた堀内の肉体である。彼から伸びる触手は確かに活発に脈動し、そこだけが異常な揺れを見せている印象を与えていた。一ヶ所に集中してひしめき合う触手を一度に切断するには、三人の戦士で一度にかからなければならないだろう。
アクセルが砂埃ではっきりしない目標を見据え、他の二人とともに踏み込むタイミングを計っていた時である。期せずして視界の隅を人影が横切り、前方へ飛び出したことに気がついた。
「待て、間!」
紅い鎧の仮面ライダーが制する間も与えず、無言で駆け出したのは未来である。この嵐も同然の中では銃の狙いも定まらないと考えてのことなのか、手にしているのはバヨネットだ。
彼女が突風で叩きつけられてくる砂をものともせず、疾走してくるのを察したのであろう。タンクを取り巻いていた触手がほどけ、蒼い鎧姿を目掛けてしゅっと空を飛んだ。だが未来は全く怯むことなく走り続け、構えていたバヨネットを素早く閃かせる。
パワードスーツを装着した細身のシルエットが駆け抜けると、その後には叩き切られた触手の残骸がぼとりと落ちて肉塊を床に飛び散らせるという道が、残る三人の前で数秒間の間に作られた。その道がまっすぐに目指しているのは、今やラストメモリに支配されかかっている青年の哀れな姿である。
アサルトライフルで一気に片をつけようとしないのも、恐らく彼を傷つけないようにするためなのであろう。
そのことに気づいた翔太郎が、Wの中で呟いた。
「あいつ……」
「何をしてるんだ、翔太郎!僕たちも早く行かなければ!」
フィリップが焦れて翔太郎を促したのは、アクセルが既に未来の背中を追って駆け出した後だ。我に返った翔太郎が、急いでフィリップとの呼吸を合わせて地面を蹴る。
三人の敵が別のタイミングで仕掛けてきたことを察したラスト--既に皆がよく知っているドーパントではなくなっているが--の反応は早かった。一人一人を狙った触手の束が空中から殺到し、それぞれがそれを防ぐために得物を振り翳す。襲いかかってくる触手の量は前方に行くほど多くなっていき、やむなく未来は足を止める羽目となっていた。
鎌首をもたげてくる紫の蛇のような触手をWがプリズムソードで切り裂き、未来のバヨネットが腕を絡め取ろうとする醜悪な有機体を斬りつけ、振り下ろされたアクセルのエンジンブレードが宇宙生物の如き敵の細長い胴体を両断する。瞬く間に、彼らの周囲には異生命体の残骸が山となって積み上げられていった。
だが、獅子奮迅の立ち回りを演じる三人の戦士の手に余る状況になりつつあることは認めざるを得ない。
「駄目だ、きりがないぞ!」
未来のすぐ後ろでエンジンブレードを閃かせるアクセルが、苛立ちも露に叫ぶ。
彼も前方のタンクのみならず、天井や壁からも飛んでくる触手攻撃を弾き返すだけで精一杯になりつつあった。
Wも彼らと並ぶホールの中央辺りまで辿り着いていたが、やはり矢継ぎ早に現れる敵に阻まれて足を進められない。殺到してくる触手をいくら倒しても焼け石に水で、全く敵の巨大な本体に近寄れないのだ。
「うおっ!」
そのWが、突然バランスを崩して仰向けに倒れそうになる。慌てて足を踏ん張り何とか堪えたところで、黒い左の足首に触手が絡んでいることに気づいた。
「ちっ、いつの間に!」
いまいましげに吐き捨てた翔太郎が、地を這う触手にプリズムソードを思い切り突き刺す。
が、足首を捕らえていたのは一本だけではなかった。いつの間にか、コンクリートの床は紫の蛇に酷似した肉塊が覆っており、足の踏み場もないほどになっている。
Wが驚愕しながらも脚を這い上ってくる触手を次々と斬り飛ばしていくが、いくら切断してもその勢いが衰えない。それどころか、腰まで達した触手に武器を奪われないようにするだけでも難しくなってきていた。
「畜生、このままじゃ俺たちまで飲まれちまう!」
必死で触手から身を守ろうとする翔太郎が、プリズムソードを振り上げた時だった。
地の底から突き上げてくるような振動がこの場にいる一同を襲い、僅かに触手の動きが鈍った。
まさか、この上巨大地震までもが発生したのかと、アクセルが周囲を見回す。
「何だ?」
「ラストメモリが作り出した有機体が、この建物全体を取り込もうとしているんだ!」
フィリップがアクセルに即答する形で叫びを上げる。彼の声は状況説明と言うより、仲間への警告を含んだ悲鳴に近い印象だ。
「きゃあああ!」
少年の緊迫した言葉に、女の悲鳴が重なった。
後方から上がった金切り声に三人の戦士が振り返ると、壁際にいる亜樹子が落下してきたパイプから必死に身をかわしている様子が視界に入ってきた。彼女自身が触手に襲われているわけではないが、眼前まで迫っている不気味な有機体の群れとの距離は数メートルもなく、逃げ場は殆どないと言っていいだろう。
とりあえず今はこれ以上前に進むよりも、仲間を守らなければ!
Wの左右で同じ判断を下した翔太郎とフィリップが後退しようと踵を返す。
しかし彼らが同時に目にしたのは、アクセルがコンクリートの床一面に蠢く触手をものともせずに突進する後ろ姿だった。アクセルは行く手を阻む触手はほぼ無視し、数回だけエンジンブレードで前方を薙ぎ払って、愛する女が更なる窮地に立たされる前に馳せ参じたのである。
少なくともこの戦いで、もう亜樹子を危険な目に遭わせないと誓ったのであろう。
誰より早く駆けつけたアクセルは亜樹子を両手で引き寄せてから己の背を敵に向け、彼女に覆い被さるような体勢を取っていた。
「大丈夫か、亜樹子!」
「竜くん……」
殆どアクセルの胸板に頬を寄せる位置に立つこととなった亜樹子が、安心感から婚約者の顔を見上げて呟く。だが、彼女の大きな瞳が捉えたのは、やっと得た小さな安堵が一瞬にして消し飛ぶ光景であった。
パイプが走る隙間から覗く壁には不自然な太い線状の膨らみができており、表面が剥がれ落ちた中ではぬらぬらと光る肉塊が脈打っている。パイプの内側も言わずもがなのようで、こちらは金属や樹脂の壁を突き破っているらしい破壊音があちこちから上がっていた。
加えて、二人のいる壁際では建物全体から上がる軋みが響き、大小の壁材や壊れた機材の破片がひっきりなしに降り注いできている。ラストが今のところ積極的に攻撃してくる様子はなかったが、この工場ごと体内に取り込まれるのは時間の問題に思えた。
『一旦退きましょう。このままでは……』
リューから緊張した声の通信が入ったのと、ほぼ同じタイミングである。
ホールの遥か上から岩壁を爆破したかのような轟音が響き、これまでの中で一番強烈な振動が一同の身体を地面から突き上げた。その後も地の震えは止まらず、大地震にも似た揺れが皆を揺さぶり続ける。
反射的に上方を仰いだWが、天井の地上に近い部分で鉄骨が折れ曲がり、部分的な崩落が始まっているのを認めて叫んだ。
「やべえ、天井が!」
翔太郎が声を上げてから間を空けず、今度は床から十メートルとない位置の壁が破裂して大小の破片を撒き散らす。
「危ない!」
「おわっ!」
すかさず未来がWへ体ごとぶつかって、鎧を纏った自身ごと吹っ飛ぶ。体当たりに巻き込まれる格好となったWが立っていた場所には、その次の瞬間に数十センチは厚みがあろうかという壁が倒れてきていた。
「す、済まねえ。助かった」
堅牢な装甲に守られているとは言え、守るべき人物である未来に助けられた翔太郎が素直な礼を口にする。アクセルと亜樹子がいる壁際へと走って後退するその間も、彼らは警戒してホール全体を見回すことを忘れない。
古い清掃工場の裏に作られたこのガイアメモリ工場は、ラストの組織の侵食に耐えられなくなってきているようだった。先の天井付近や壁の崩落を引き金とした建物全体の破壊は止まる様子がなく、不気味な地鳴りと揺れは断続的に襲ってきている。白いコンクリートの粉塵が至るところから巻き上がり、落下してくる壁材とパイプの破片は一向に止む気配もない。
そして、ホール中央付近に崩れ落ちてきた複数の巨大なコンクリートと鉄骨の塊によって、ラスト本体とは分断されかかっている状態となっていた。
「畜生……これじゃあ、あいつに手を出せないじゃない!」
未来が振り返って粉塵でぼやけているラストを睨みつけた端で、再び皆がよろめくほどの揺れと天井付近での轟音が起こった。
『建物全体の崩壊が始まっています。危険です!』
今まで計器の隙間に隠れていたキャタピラロボットが皆の前に出てくるとともに、リューの警告が発せられる。その小さな本体から数メートルと離れていない位置に瓦礫と化した天井が落下して床を割り、一同へとコンクリート片を叩きつけてきた。
「きゃあ!」
悲鳴を上げる亜樹子をアクセルがしっかりと抱きしめて庇い、Wと未来も防御姿勢を取りつつ身を寄せ合う。
「仕方ない、脱出しよう!」
最早一刻の猶予もないと判断したフィリップがスタッグフォンを取り上げ、長い数字の羅列から成るコードを素早く打ち込む。
その僅か数十秒後であろうか。
工場の崩壊とはまた違った質の轟音と地響きが横から近づき、彼らが固まっているすぐ横の壁が突き崩された。
「うわっ!」
驚いた未来が更なる敵の変貌かと思ったのか、未来がバヨネットを手に飛び上がる。
しかし、厚い鉄筋コンクリートを突き破って巻き上げた噴煙の中から姿を現したのは、気味の悪い触手ではない。嘗て未来も目にしたことがある、仮面ライダーWと同じ赤い複眼があしらわれた巨大な車体であった。
「大丈夫、これで安全に外に出られるんだ」
フィリップが驚いている未来の肩を軽く叩いて落ち着かせて呼び出しに応じて駆けつけてきた車両、つまりリボルギャリーを見上げると、つられて彼女も視線を上に向けた。いつから待機させていたのか、AWPの作戦用トレーラーにひけを取らないほど大型の車体は、倒れかかってくる瓦礫を見事にブロックしてくれている。
しかし、それも永遠に衝撃に耐えられるわけではない。リボルギャリーが厚く重い防護壁となってくれている間に、素早くここから抜け出さねばならないのだ。
ハッチを開くコードをスタッグフォンに打ち込みながら、Wの中の翔太郎が皆に合図を送った。
「みんな、早く中へ!」