ハードタービュラーが、地面を擦るほどに低い位置を滑空する。翼を携えたユニットと合体した愛馬に跨がるWが両腕を伸ばすと、怪物の体液まみれになったジャケット姿の青年が狙ったように落ちてきた。
「おっと!」
変身のために強化されている筋肉にもずしりとくる重さに翔太郎が唸って、意識を失って脱力した身体を肩に担ぎ上げる。
彼はリューが指示を出す前にハードタービュラーを呼び寄せて飛び乗り、メモリブレイクを受けて放り出された堀内の救助に向かっていたのだ。ガイアメモリを失った者に重いダメージが残ることは知っていたし、このまま彼を捨て置けることはできないのだから、当然の行動と言って良かっただろう。
Wはハードタービュラーを戦闘の跡がない場所に着地させてエンジンを切り、砂利の上に肩から下ろした堀内を仰向けに横たえた。
彼は気を失っており、ぐったりと動かない。
ドーパントの体液が紫色の筋を作っている顔は青白く、閉じられた両目の下には濃い隈が浮かんでいて、かなりやつれた印象だった。あれだけ凶悪なドーパントからメモリブレイクされたのだから、それに比例したダメージをそっくり被っていると思っていい。
恐らく、永くは保つまい。
片膝をついて様子を窺うWの中でフィリップがそんな印象を抱いたとき、早いペースで近づいてくる足音があることに気がついた。
「堀内!」
今にも泣きそうな声で叫んだ未来が、むしり取ったヘルメットを乱暴に放り捨てて走ってくる。アンダースーツのフードもはねのけてポニーテールの髪を風に晒した女戦士のために、Wが立ち上がって場所を空けてやった。
彼女は堀内のすぐ横にしゃがみ込み、パワードスーツに包まれた腕で堀内の半身を抱き起こした。すると、愛する女の存在をすぐ横に感じられたからなのか、細身の青年が身じろぎしてうっすらと目を開けた。
「所、長……」
「しっかり!もう大丈夫、あんたは助かったんだよ!」
堀内が浅く早い呼吸のもとで、掠れ声を微かに開いた唇から漏らしていた。
未来に助け起こされる格好となった彼の目には、悲痛に表情を歪ませている女上司の顔がぼやけて見えていた。その後ろでは、彼女を助けた二人の仮面ライダーが変身を解除して三人の男に戻り、直接戦闘には参加していなかった二人の男女も駆けつけてきたことがわかる。
全員が全員、つい先刻までは死ねばいいと思っていた若者たちだ。
が、今はそんなことが微塵も心に引っ掛かってこない。
それどころか、ドーパントとしての自分の記憶の中で、必死に自分を取り戻すよう訴えかけてきていた姿ばかりが脳裏に浮かんでくる。皆が命懸けで、狂気に心を蝕まれていた自分を助けようとしてくれていたことが、今更ながらにわかったのだ。
特に未来には欲望をぶつけてその身を奪おうとし、精神的に追い詰める言動を繰り返していた筈だ。
それなのに彼女は部下の自分を優しく労ってくれ、命があることを知り、心から安堵している色を大きな瞳に浮かべているのが伝わってくる。常に一番自分のことを心配し、最善を尽くそうとしてくれたのは、やはり彼女だったのだ。
自分を一人の人間として認めてくれていた人物に、何ということをしてしまったのか。
後悔ばかりが酸素を求めて喘ぐ胸に押し寄せて、鋭い痛みをもたらしてくる。
これだけは言っておかねば気が済まないと、堀内は声を途切れさせながらも何とか言葉を繋いでいった。
「すみません……俺、は……今まで……貴女に、何てことを……」
「今は喋らなくていいから、早く病院へ!翔太郎、肩貸して!」
ぜいぜいと乱れた息の間から紡ぎ出す想いも大切だが、それよりも今は救えそうな堀内の命を助ける方が先だ。未来がもどかしげに彼の話を遮り、暗褐色の体液に染まった身体を支えて立ち上がろうとしたとき、堀内はそっとその蒼き鎧の腕を押さえた。
「いえ……いいんです」
殆ど聞き取れないくらいに弱い声だったが、彼は確かにそう言っていた。
「え?」
驚いた未来が動きを止めると、今度ははっきりと首を横に振って拒絶の意を示して見せる。堀内はそのまま彼女の腕を押し退けて、再び砂利の上に沈んだ。
仰向けになった身体に力を入れることさえ厳しいのか、彼は薄く開けた瞳だけを皆の方へ向けてから続けた。
「俺は……許されないことを、してしまったんです……このまま、消えた……方、が……」
「馬鹿野郎!どんな罪も、生きて償うのが男ってもんだろ。逃げんなよ!」
今にも消えに入りそうな青年の声を怒鳴って遮ったのは、変身を解除した翔太郎である。
黒いフェルト帽姿の半熟探偵は、心底から沸き上がってくる怒りを隠し切れないらしい。一呼吸置いてからは若干は抑えた口調になりつつも、目の前に横たわる嘗ての敵を叱責する文句を連ねていた。
「てめえがどれだけ愛する女を苦しめて、傷つけたのか……全くわかっちゃいねえってんだ。未来の気持ちを無視して、勝手に一人で結論を出してんじゃねえ。罪の重みはそれを犯した奴が一生をかけて背負う必要がある。その責任を、簡単に投げ出そうとするんじゃねえ!」
全く、「男とは」という言い回しが好きな探偵風情だ。
堀内は急速に消え行こうとしている生命の灯を感じているのに、そんなことを感じる自らの思考がおかしかった。
強い者の論理を最後まで降り翳してくるこの男は、やはり最後まで気に食わない人間だ。皆が皆、自分の過ちに耐えられる心の持ち主ではないということに、何故気がつかないのか。
こんな奴の言うことに結局従う結果になるぐらいなら、潔く自分の弱さを認める方がいい。
いよいよぼやけてきた視界から一旦自分を切り離そうとして、堀内は瞼を閉じた。
「誰もが、そんな……強い、わけじゃないんだ」
「堀内……」
初めて脆い自分の心を受け入れた部下がこぼした呟きに、未来はその骨ばった手を取ってやろうとして鎧の腕を伸ばす。
「!」
しかし彼女が目にしたのは、堀内の指先が黒く変色してぼろりと崩れる様であった。
それは指先だけではない。革のローファーを履いた足も細かく乾いた粒子に変わり始めており、爪先の欠片が砂利の上に落ち始めている。
不完全なガイアメモリの力を、限界を越えてまで行使した者に対して待ち構えている末路であった。
身体の末端から無惨にも塵と化していく部下の男の姿に、驚いた女戦士が息を飲んで反射的に手を引っ込める。
幸いにして麻痺しているために痛みを感じないのか、堀内の顔は穏やかなままだ。
「俺は、弱い男でした……それに、今だって……」
堀内がもう一度僅かに開いた目に涙が浮かび、青白い頬を伝い落ちていく。
自分には、罪を背負うことなどできない。
そんな強さなど持っていないことは、最初からわかっていることだった。
弱い自分に許されているのが、全てを認めた上で朽ちていくことだけだということも。
だから徐々に己が稀薄になっていくことなど恐ろしくないし、生きることへの執着もない。たった一つ、自分の存在をを許さないことだけが、堀内にとっての償いであった。
「だから……だから、あんなものを使って、しまったんです……もう、俺にできることなんて……このまま所長の前から、消える……しか……」
囁き声に近くなった青年が続ける言葉を、もう誰も遮ろうとはしない。彼なりの覚悟を曲げることは叶わないと、皆覚ったためだった。
朝の眩しい光が溢れる風都の街外れで、彼の身体は首までが黒き侵食に蝕まれてきていた。手足は既に原型を留めず、街に等しく吹き渡る風がさらっている。
「……所長……幸せ、に……なって、くださ……」
愛する者を傷つけた後悔の涙で頬を濡らした細身の青年が、最期に口にした一言。
その終わりは許されずに、肉の薄い顔が硬直する。
かと思うと、堀内の青白かった皮膚にみるみるうちにどす黒い模様が広がっていき、あっという間に炭のような物質に取って変わられた。そして次の瞬間には、真っ黒な胸から頭がぼろぼろと欠片をこぼしながら形を無くしていく。
「あ……!」
一言だけ未来が声を上げたのと、突風が広場に吹きつけたのが同時だった。
この街の全てを通り抜けていく風が、ラスト・ドーパントから解放された男の肉体の残骸を宙へと散らし、天高くに舞い上げていく。
砂粒よりも小さな塵となり、文字通り跡形もなく消滅する。
それが仮面ライダーと未来、その仲間たちを追い詰めた罪人が辿り着いた姿であり、相応しい罰を受けた結果であった。
彼、つまり堀内の最後を間近で見守っていた未来は、動くことを忘れてしまったかのように全てを凍てつかせている。
しゃがみ込んだままでいる彼女の背後に佇む仲間たちも、言葉を発することができなかった。
間断なく吹く風都の風は彼らの間を何度も行き交い、地面に残されていた黒い塵を僅かな間に全て空気の中へと紛れさせていく。
黒き灰となり、朽ち果てた男の全てを受け取るように。
まるで、ラスト・ドーパントがこの世に最初から存在しなかったかのように。
「未来さん……」
風が岩壁を通る音の支配するざわついた沈黙を破ったのは、遠慮がちな亜樹子の声であった。
うなだれたままでいる女戦士を心配した亜樹子が蒼い鎧の肩にそっと手を置こうとしたとき、独り言とも取れる返事がぽつりと返ってきた。
「これで、良かったのかな……」
「え?」
つい先刻まで部下がいた砂利の地面を見つめたままの未来に、リューが思わず問い直す。
「結局私は、堀内の存在そのものを守ってやることができなかったんだよね。死ぬよりはいいだろうって、必死にやったつもりだったんだけど」
自嘲気味な響きを含んだ低い声は揺れていたものの、皆が思っていたよりもはっきりしていた。
堀内を助けたいと誰よりも望んでいたのは、間違いなく彼と距離の近かった未来であっただろう。
彼女は堀内の死を避けるために最初は単身で戦うことを決意し、終いには仲間と共に挑んだ。
にもかかわらず、願いは叶わなかったのだ。
大切な人たちを傷つけ、危険に晒してまで祈ったことが無駄になってしまった。
声に出さなくても、蒼い鎧のサイボーグが考えていることは痛いほど皆に伝わってくる。彼女の無念さは、決して他人が計り知れるものではない。
「情けないよね……私、一体何がしたかったのか、わからなくなっちゃったよ。あいつがこの先罪を抱えて生きていくよりも、消えた方が救いがあったってことなのかな……もう、わかんないや」
既に頭の中がぐちゃぐちゃになって考えられないのか、未来が地面を見つめて呟くことはいつもと違って論理性のかけらもなかった。
欲望に心を奪われたとは言え、彼は--堀内は、未来を女神のように慕っていた部下であることに変わりはない。彼女と短くはない月日を共に過ごした人間の消滅を間近で見たにもかかわらず、その事実を受け入れられないのだろう。
言い方は静かでも、どこか呆けて現実感を掴み損ねている空虚さを感じさせる未来の声は、心に受けたショックの大きさを物語っているようだった。
「君がやってきたことは、決して間違いじゃない。望む結果が得られなかったとしても、それが全てではないんだ」
自己否定ばかりを重ねる女戦士のすぐ後ろまで進み出たのは、クリップで留めた黒髪を強い風になぶらせているフィリップである。
そうだ。
ラストメモリが暴走したとき、ドーパントの肉体に取り込まれて苦しんでいた堀内を真っ先に救おうと走ったのは、他の誰でもない未来ではないか。
最後まで心の底から彼のことを一人の人間として見ていたのも、未来ではないか。
だからこそ、死の間際で堀内は救いを得ることができたのだ。
彼女が堀内を見捨てずにいたからこそ、人間として生涯を終わることができたのだ。
命を助けられなかったとしても、救いの形はそこだけにあった訳ではない。
相棒たる天才少年の言う通りだと痛感した翔太郎が、未来のすぐ隣に片膝を落としてやや乱暴に彼女の肩を掴む。
「顔を上げろよ、未来」
脱力していた上半身の向きを強引に変えられた未来が驚いて視線を上げると、丁度翔太郎と向き合う格好となった。
未来は憔悴しているものの、泣いてはいなかった。
しかし、心に孔を開けられた傷が未だ痛みを訴え続け、彼女の瞳から生気を奪っているのがわかる。
ほんの少し前まで共に激闘に身を投じていた女戦士の痛々しい姿を真正面から受け止め、翔太郎は言った。
「いいか、よく聞け。お前の想いは、間違いなく堀内に伝わってる。だから死の瞬間も、あんなに穏やかな顔でいられたんじゃねえか」
これは、確実に断言できることだった。
改造を加えた大量のガイアメモリを取り込んでいた井坂深紅朗は、堀内と極めて近い最期を遂げた。だが、その断末魔は想像を絶する苦痛を伴ったもので、憎むべき敵を倒せた達成感よりも嫌悪感の方が強かったほどだ。
なのに堀内があそこまで静かな死を迎えられたのは、きっと未来の優しさが奇跡を起こしたからだ。
少なくとも翔太郎は、そう信じていた。
「……あいつは最後の最後で、人間の心を取り戻していた。それは、未来。お前にしかできなかったことだ……少なくともお前は、一人の男の魂を救った。そんな風に、自分を責めるもんじゃねえよ」
一人の男の魂を救った。
翔太郎が口に出したことに、未来がはっとして大きな瞳を見開く。
しかし彼女は一瞬だけ翔太郎の目を見つめ返しただけで、またすぐに地面へと視線を落とした。
そのまま、短い沈黙が風の吹く朝の空間を支配する。
「……翔太郎」
一言、目の前にいる青年の名を呟いてから、彼女は顔を上げた。
もう一度合わせてきた女の瞳は悲しみに染まってはいるが、翔太郎が嘗てより見知った、溢れんばかりの生命力を取り戻しつつあることがわかる。
何も言わずに翔太郎が頷いて見せると、未来もまた僅かに頷きを返した。
「これを……」
そして、いつの間にか右手に握っていた何かを指先に挟み、差し出してくる。
生前の堀内が所持していたのが肉体とともに消滅せず、残されていたのであろう。
暗灰色に輝く、不気味な装飾の施された「S」のイニシャルが刻まれているガイアメモリ。「七つの大罪」ガイアメモリの一つであり、未来が首筋に生体コネクタを刻印された「スロウス」のメモリであった。
だが、忌まわしき道具を手渡そうとしてくる未来の手を、翔太郎がそっと押し止める。
「それはお前が壊せ」
「え?」
怪訝そうに返した未来に、今まで黙っていた照井が半熟探偵に同調して言った。
「お前の手で破壊して、終わらせるといい。きっと、奴もそれを望んでいるだろう」
照井は普段と変わらず、感情を表に出してこない。その一方で、亡き堀内が人間として遺した意思を汲もうとする想いは伝わってくる。
紅い革のファッションに身を包んだ男の側に立つ亜樹子やリュー、フィリップも、未来の隣にいる翔太郎も、無言で鎧姿の女戦士を促した。
やがて未来は、弱くなり始めてきた風の中で立ち上がった。
「……わかった」
低く呟き、手のひらに握った「怠惰」を暗示するガイアメモリに目を落としてから軽く放り投げる。
小さな形に恐るべき力を秘めた悪魔のアイテムが宙を舞い、放物線の一番高い場所で一刹那の間だけ留まった。
そして明るい空に浮かんでいたその黒いシルエットが、ほぼ同時に真っ二つに折れる。
未来が右手で抜き放ったサブマシンガンから吐き出された九ミリパラベラム弾の初弾は、メモリの真っ芯を捉えていた。
彼女はなおもトリガーを引き続け、増えていく欠片に次々と狙いを変えては撃ち続ける。弾丸を受けるその度に弾け飛ぶメモリは、どんどん小さくなっていった。
やがてばらばらの金属片となったガイアメモリは、朝の光を反射してきらきらと輝きながら風都の大地に散っていった。
その細やかな光と銃撃の残響を、吹き抜ける乾いた風がさらっていく。
戦いの余韻が消え行こうとすることを全身で感じ、亜樹子が、リューが、照井が、未来が、そして翔太郎が、万感の思いを込めて空を仰いだ。
「これで……これで、全てが終わったんだね……」
無意識の所作で銃を収め、右の首筋に手を当てた未来が呟いた。
鎧に包まれてた指に遮られて見えないが、彼女の肌に刻まれていた生体コネクタは、たった今跡形もなく消滅した筈だ。
なのに、未来の口調はどこか寂しげに響いてくる。
部下を亡くしたばかりなのだから、当たり前と言えばそうなのだろう。
だが、事の終わりは彼女が依頼人という立場ではなくなることも示し、仲間として共に戦う日々も途切れることでもあるのだ。
いずれ必ず訪れるとわかっていた、別れの時。
戦いの終息を待ちながらも、未来はそれを望んでいなかったのではないか。
そしてそれは、ずっと彼女の傍らに立ち続けていた自分も同じなのではないか。
翔太郎のもとに去来するのは、息をすると胸の奥がずきりとする切ない痛みだった。
言いたいことが多すぎて、何を話せばいいのかわからない。
こんなとき、鳴海荘吉なら最も相応しい言葉を難なく口にできていたのであろう。
久しく自らの未熟さを痛感させられた翔太郎は、無難な文句を返すことしかできずにいた。
「ああ……」