光輝の聖女   作:九龍城砦

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真紅の竜

「いくぞ、ドラコ!」

『まっかせて!』

 

 これは、とある戦いの記録。

 世界を救った勇者の、誰にも知られることのない戦いの記録。

 

「ムダだァ、ムダムダァ! ニンゲン一人とドラゴン一匹で何ができるゥ! 大人しく指を咥えて見てろォ!」

 

 嵐の空。雷鳴の響き渡る空の中で、宙に浮かんだ魔王が声高に叫ぶ。

 嵐はその魔王を中心に形成されており、近づけば近づくほど風と雷が強くなっていく。

 

「生憎と、勇者ってのは往生際が悪いもんでね!」

『ぶぇー!! 曇で前が見えないよー!!』

 

 対するは、紅きドラゴンの背に乗った一人の少年。抜き身の剣一本を手に、雄々しく嵐の中へと突撃していく。

 ドラゴンの方は飛び方が若干危ういが、それでも暴風に流されず一直線に魔王の下へと向かっていく。

 

「残念なお知らせだがァ、魔力の充填まで残り一分を切ったァ! お別れだなァ、忌々しき勇者ァ!」

「一分? あと一分もあるのか?」

「あ゛ァ?」

 

 ニヤリと、少年が不敵に笑う。

 

「一分もあれば、お前くらい楽勝で倒せる」

「あ゛ァん゛!?」

 

 ビキリ、と魔王の眉間に血管が浮き出す。

 キレ散らかした魔王は、即座に右手を少年へ向けた。

 

「予定変更だァ……最高火力で王都ごと葬ってやろうと思ったがァ……今すぐ消し炭にしてやらァ!!!」

「うぉっ!」

『あぎゃーっ!?』

 

 次の瞬間、魔王の右手から膨大な数の稲妻が放たれる。

 大きいもの、小さいもの。

 直進するもの、曲がるもの。

 溜め込んだエネルギーを解放するように、幾本もの雷が少年とドラゴンに殺到する。

 

「避けろ、ドラコ!」

『無茶言うなーっ!!』

 

 大きな翼をはためかせ、ドラゴンが回避行動を取る。

 ジェットコースターも顔負けの加速力に振り落とされぬよう、少年は必死にドラゴンの背にしがみつく。

 

『おぎゃーっ! ほっぺたのトコ! 雷が掠っていったぁー!』

「いちいち騒ぐな! 仮にもドラゴンなんだろ!?」

『ドラゴンだって怖いものは怖いんだよー!』

 

 わいわい、ぎゃあぎゃあ。

 嵐という天変地異を前にしているというのに、少年とドラゴンはいつも通りの雰囲気を崩さなかった。

 

「フザケやがってェ……!!!」

 

 それが、魔王の琴線に触れた。

 

「うぉっ、眩しっ!」

『な、なにあれ、なにあれ、なにあれー!!!』

 

 突如、黒い雲を割いて現れる光の玉。

 それは太陽の光などではなく、もっと純粋で、荒れ狂うエネルギーの塊だった。

 

「怒りのエネルギーで、予定より早く充填が終わったァ。辞世の句でも詠んでおくんだなァ」

「おいおい、マジかよ……!」

『あ、アレ全部……雷!?』

 

 魔王が、右手を上に掲げている。

 その真上に、雷の玉。

 バカでもわかるほど、絶体絶命の状況だった。

 

「さよならだァ、勇者ァ」

 

 魔王が、右手を振り下ろす。その瞬間、雷の玉が凄まじい威圧感と共に落下してくる。

 絶体絶命──まさに、そんな言葉が相応しい光景だった。

 

「おいドラコ! なんかブレスとか吐けないのか!? アレ押し返せるようなスゲーやつ!!」

『吐けるわけないだろー!? そっちこそ勇者なんだから、魔法でパパっとなんとかしてよー!!』

 

 事ここに至っても、一人と一匹はぎゃいぎゃいと騒ぎ立てている。

 そんな様子を見て、魔王は上空でほくそ笑んだ。

 

「流石の勇者もォ、年貢の納め時ってヤツだなァ」

 

 雷の玉が、迫る。

 

 絶望が、迫る。

 

 死が、迫る。

 

「んなこと言ったって、おれの魔法の中で打開できるようなのは何も──」

 

 無い、と言おうとして。

 

「──イケるかもな」

 

 勇者は、絶望を見上げた。

 

「ドラコ、おれが合図したら雷に突っ込め」

『ハァ!? 何言ってんの!? 気でも狂った!?』

「そうだな、狂ったかもしれん」

 

 ニヤリと、勇者は笑う。

 

「でもそこが良いんだろ? ドラゴンのハミ出し者さんよ」

『んなっ……!?』

 

 本来、ドラゴンが人間に懐くことは決して無い。誇り高き種族が、下等な人間に尻尾を振ることは決して無い。

 

 しかし、このドラゴンは変わり者だった。

 

 真紅の鱗を持ち、人語を話す変わったドラゴン。そんな変わり者だからこそ──同じ変わり者の勇者に惹かれたのかもしれない。

 

『はー……まっ、たく、もう!』

「のわっ!?」

 

 いきなり急降下し、雷の玉から距離を取る。突然の行動に驚いた勇者だったが、間一髪落ちずにしがみついていた。

 こういったところでも、勇者の勇者たる所以が窺えるというものだ。

 

『手、絶対に離さないでよね』

「ああ、もちろん」

 

 地上スレスレで対空しながら、ドラゴンは上空を見上げる。

 ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる雷エネルギーの塊。それをどうにかすべく、一人と一匹は呼吸を合わせた。

 

「…………」

『…………』

 

 静寂。

 絶体絶命の窮地にこそ、心を研ぎ澄ます。

 逆境を打開するため、神経を張り詰める。

 

「──今だっ!!!」

『たああぁぁぁっ!!!』

 

 勇者の合図と共に、ドラゴンが急上昇する。

 先程の回避行動の比じゃない加速力が、思いっきり勇者を襲った。

 

『ああああぁぁぁっ!!!』

 

 咆哮し、雷の玉へと突っ込むドラゴン。

 しかし。

 

「ストップ!!」

『にょへぇっ!?』

 

 その突進は、勇者の一言によって即座に停止させられた。

 

「よし、それでいい」

『あ……』

 

 すると、どうなるか。

 背に乗っていた勇者は、慣性の法則で思いっきり上空へと吹っ飛ばされる。

 

「コール」

 

 勇者は告げる、魔法の使い手を。

 

「──クラウン・ノーズ、バレット・リスタ」

 

 勇者は告げる、魔法の名を。

 

「『吸血咆哮(ドーン・ロア)』『惑星引力(ステラクリューテス)』」

 

 勇者が、内部に突入していく。

 瞬間、雷の玉が僅かに揺らいだ。

 

「あ゛ァ?」

 

 魔王は愉快そうな笑みを消し、怪訝な顔をする。

 その間にも、みるみる雷の玉は揺らぎ──もとい縮小していき。

 

「……はァ?」

 

 対には、そのエネルギーすべてが勇者の体の中へと収まった。

 

「おいおいィ……何してくれてんだてめェェェェッ!!!」

「思った通り、うまく行ったな」

 

 勇者は不敵に笑う。

 他の誰にもできない、魔法の同時発動。それにより、勇者はあの膨大な破壊のエネルギーを自らの内に押し込んだのだ。

 そんな勇者を見て魔王は激昂し、本能のままに襲い掛かる。勇者が今、どんな状態なのかも知らぬまま。

 

「さぁ、返してやるよ」

「なッ……!?」

 

 勇者が、魔王に右手を向ける。

 それは先程魔王がした焼き増しのように。

 

「コール」

 

 静かに、冷徹に、勇者はその名を告げた。

 

「──スクエア・ギャレン」

 

 魔王を滅ぼす、一撃の名を。

 

「『地我解放』」

 

 瞬間、勇者の内に渦巻いていたエネルギーが、指向性を持って開放される。

 それはあやまたず魔王の元へと殺到していき。

 

「な──グぎゃあああァァァッ!?!?!?」

 

 その身体を貫き、文字通りの灰へと変えたのだった

 

「お前が間違えたことはたった一つだ」

『勇者ぁぁぁぁぁっ!!!』

 

 落ちていく勇者。

 それを受け止めるドラゴン。

 朦朧とする意識の中で、勇者は言葉を絞り出す。

 

「おれたちに、戦いを挑んだこと……たったそれだけだ……」

『ねぇ勇者! しっかりして勇者!! 勇者ぁぁぁ!!!』

 

 満足そうな笑顔で、勇者は眠る。

 そんな勇者を背に乗せ、ドラゴンは急いで王都へ向かっていった。

 

 頭上には何処までも広がる青い空。

 

 もう、暗雲が陽の光を遮ることは無い。

 

 世界は、勇者によって救われたのだった──

 

 

◆◇◆◇

 

 

「フム……この世界線ではこんなものか」

 

 草原の只中で、ちょうど良さそうな岩に腰掛けた一人の青年が本を閉じる。

 呆れたような、安堵したような、そんな複雑な表情を浮かべながら。

 

「しかし、この世界ではアレが魔王とは……期待外れもいいところだな」

 

 今しがたの勇者と魔王の戦いを思い返し、青年は首を振る。

 自らの主君とは比べ物にならない小物で、勇者の仲間もドラゴンが一匹という、あり得ない光景だった。

 

「ただ、魔王がアレなだけで、この世界線も悪くはない……悪くはない、が」

 

 青年はまたも首を振り。

 

「彼女が居ない時点で、マイナス100億点なんだよなぁ」

 

 自身が恋い焦がれる、氷炎の姫騎士の姿が無い事に、とても不満げな表情を浮かべた。

 

「さて、次の世界線に行きますか」

 

 悪魔は本を開く。

 

 それは過去に戻る力。

 

 無数の世界を作り出す可能性を秘めた魔法。

 

「次はちゃんと居ると良いなぁ──アリア・リナージュ・アライアス」

 

 愛しの想い人の名を口にした瞬間、青年の姿が掻き消える。

 それが、新たな戦いの火種になることを、今は誰も知り得ないのだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 目が覚めた──みたいな感覚があった。

 気がつけば、薄暗い洞窟に一人ぼっち。

 なんだか長い夢を見ていた気がする。

 

『……ゆうしゃ?』

 

 寝ぼけ眼をしばたかせ、周囲をぐるりと見渡してみる。

 当然、生き物の気配は無かった。

 

『え』

 

 そう、生き物の気配は。

 

『なに、これ……お、女の子……?』

 

 わたしに寄り掛かり、穏やかに眠る──ように亡くなっている、一人の少女が居た。

 赤黒い髪に、白い肌。どことなく勇者を思い起こさせる造形だ。

 見たところ、目立った外傷は無い。顔色がすこぶる悪いので、おそらく病気か何かで命を落としたのだろう。

 

『可哀想に……』

 

 顔を動かし、彼女の顔へと近づける。

 ふわりと、甘い花の香りがした。

 

『これは……』

 

 赤く染まった、独特な形状の花弁。

 彼岸花。

 死に最も近く、死を見続けてきた花。

 

『あなたが持ってきてくれたの?』

 

 お供えもの、ということだろうか。

 

『ありがとう』

 

 舌を伸ばし、女の子の頬を舐める。

 わたしにはこの程度の愛情表現しかできない。

 鋭い爪が生えた手は命を刈り取り、硬い鱗に覆われた身体は他者と温もりを分かち合うこともできない。

 強者ゆえの孤独というやつだと、両親は嗤っていた。

 

『……わたしにも、人間みたいな身体があれば……』

 

 叶わぬ願いだ。

 そう思っていたのに。

 

『へ?』

 

 突如として、女の子の腹がグバっと大口を開けた。

 

『なっ──!?』

 

 吸い込まれる。

 女の子の腹に空いた孔に、引きずり込まれる。

 

『抜け出せ、ないっ……!?』

 

 思いっきり羽ばたいて、その場からの離脱を試みてみる。

 しかし底なしの孔は空気を吸い込み、光を吸い込み、わたしを吸い込もうとしてくる。

 逃れる術は、無かった。

 

『わっ──わああああぁぁぁぁぁっ!?』

 

 数秒は抗った。

 けれど、数秒が限界だった。

 わたしは敢え無く孔に呑み込まれ。

 

「ん……」

 

 二度目の目覚めを体験した。

 

「え、あれ」

 

 気がつけば、薄暗い洞窟に一人ぼっち。

 

「な、何これ。目線ひく……い……」

 

 寝ぼけ眼をしばたかせ、周囲をぐるりと見渡してみる。

 当然、生き物の気配は無かった。

 

「え」

 

 視線を下に落として、驚愕する。

 そこにはぷにぷにの白い手と、頼りないぷにぷにの足が、大元となる身体にくっついていた。

 自分から伸びている──と理解するのに、そう時間はかからなかった。ドラゴンは頭がいいのだ。

 

「な、なんっ、えぇっ」

 

 柔らかい手で、自身の顔を撫で回す。

 ドラゴンのものとは似ても似つかない、もっちりとした感覚が伝わってきた。

 

「…………」

 

 しばし、沈黙。

 分かった。分かってしまった。ドラゴンは頭がいいので。

 

「人間になってる〜〜〜〜〜!?!?!?」

 

 この日──わたし、レッドドラゴンことドラ子は、赤黒い髪をした、人間の女の子になってしまったのだった。

 どうしてこうなった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「というわけで、女の子になっちゃった!」

「いや誰!?」

 

 女の子になった後、人里でこっそり服を盗んでから勇者に会いに来た。

 そしたらめちゃくちゃビックリされた。

 

「勇者くん?」

「「勇者さん?」」

「お兄ちゃん?」

「勇者さん……???」

「違う違う違う!! 知らない人! ホントに知らない人だから!!!」

 

 とある日の朝、勇者の家。

 勇者の他にも、なんか人間の女の子がいっぱい集まっていて、賑やかな日だった。

 

「え〜、そういう冗談よくないぞ勇者〜。いくら姿が変わったとはいえ、一番の相棒の顔を忘れるなんて」

「相棒ってなに!?」

「一緒に魔王を倒した相棒に決まってるだろ」

「んんんん!?!?!?」

 

 百面相しながら驚く勇者の顔は、見ていて飽きない。本物の勇者なんだなと実感できる。

 ただ、後ろの女の子たちが鬼の形相でこっちに殺気を向けてきてるのが気になるな。

 まぁ、襲われてもわたしは負けないけど。なんてったってドラゴンだし。

 

「一緒に魔王を倒したとは」

「どういうことですか?」

 

 まったく同じ顔をした女の子が二人、距離を詰めて近寄ってくる。

 匂いも気配も一緒だ。そういう魔法なのかな。

 

「言葉通りだよ。私と勇者で、この世界を脅かす魔王を倒したんだ」

「「は?」」

 

 わ、反応速度まで全く一緒なんだけど。何これ、どういう魔法?

 

「勇者くんと一緒に魔王を倒したのは、あたし達なんだけどなー」

「そんな事言われても、事実は変えようがないからなー」

 

 今度は金色の髪をした、活発そうな雰囲気の女の子が話しかけてきた。

 なんかいい匂いがする。好きな匂いだ。

 

「うむむ……どういうことじゃ?」

 

 その奥では王女様がむんむん唸っていた。

 王様と王妃樣はお城に居るのかな?

 

「…………」

 

 最後に、赤髪の女の子がめちゃくちゃわたしを凝視してくる。

 いや、目ぇ怖っ。何その目、血走ってるじゃん。

 

「赤髪ちゃん目ぇ怖っ!?」

 

 勇者もそう思うか。ちょっとギラつきすぎだよな、あの子。

 

「って、そうじゃない……あの、マジでドコのどちら様?」

「だから言ってるじゃん、わたしはドラ子。勇者の相棒で、一緒に世界を救ったドラゴンだよ」

 

 

◆◇◆◇

 

 

 あの出会いは、ホントに偶然だった。

 

「おい、お前……大丈夫か?」

 

 他ドラゴンとの縄張り争いに負け、わたしは忘却の谷底──一度落ちたら二度と帰ってこれないと言われている場所──まで落ちてしまった。

 翼も怪我し、飛ぶこともできない。まさしく絶体絶命の状況。

 

『……何の用だ、ニンゲン』

「いや、怪我してるみたいだから」

 

 そんな時、目の前に現れたのが勇者だった。

 フラフラと覚束ない足取りで、わたしの元まで歩いてくる。

 

「……心配など無用だ」

「怪我してるんだろ? だったら治さなきゃ」

「……見たところ、お前の方が重傷のようだが」

「はっはっは、大丈夫。腹に風穴が空いただけだ」

 

 勇者の腹部に、ぽっかりと空いた大きな穴。

 今になって考えると、アレはどう考えても致命傷レベルの大怪我。

 しかしあの時のわたしは無知で、純粋だった。

 

(へー、ニンゲンって腹ブチ抜かれても平気なんだ)

 

 そんなワケ無い。

 あの時の勇者は、魔法で傷口の血を固定し、体外に出させないようにしていただけ。心臓が辛うじて残った血液を循環させているにすぎない状況だった。

 内臓が丸ごと無くなっているので、新しい血液を創り出すことも出来はしない。

 

「ガフッ」

『おい、血が』

 

 主要な臓器が根こそぎ持っていかれてるので、あと数時間もしたら勇者の命は尽きる。

 それこそ、明日の朝日さえも拝めはしないだろう。

 

「よかった、傷薬は……まだあるな」

『おい』

「包帯も残ってる……巻いてやるから動くなよ」

『おいってば』

 

 まるでグールのような頼りない足取りで、勇者はわたしの怪我を治療してくれた。

 傷口に傷薬をぶっかけたり、羽に不格好な包帯を巻いたり、とても治療とは呼べないような処置だったが。

 

「これ、で……よし」

『…………』

 

 一通りの処置を終えて満足したのか、勇者はわたしの身体にもたれかかって、その場に腰を下ろした。

 身体を曲げるだけで、腹の穴から夥しい量の血が吹き出す。

 

『おい、お前っ』

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 苦しそうな表情。

 額から流れる大粒の汗。

 どう見ても平気な様子ではない。

 

『お前、苦しいのか』

「はぁっ、だい、じょうぶだ……!」

 

 事ココに至って、ようやく理解した。

 このニンゲンは、全く大丈夫じゃない。

 さっきのセリフは、全部強がりだったんだ、と。

 

『……痛いのか?』

「だい、じょうぶ……!」

『……苦しいのか?』

「大丈夫だって、言ってるだろ……!」

 

 どっからどう見ても大丈夫じゃない。

 だけど、何をしてやれば良いのか分からなくて。

 

『ペロッ──』

「んぁ?」

 

 舌先で、軽く勇者の顔を舐めた。

 本能から出た咄嗟の行動だった。意味など無い。

 舐め取った血が、やけに鉄臭く感じる。

 

『あっ……思い出した』

 

 昔世話になったドラゴンから聞いた、ドラゴンと人間による契約の話。

 昔々、互いの血を交換し、互いの運命を共にしたドラゴンと人間がいたらしい。

 

『おい、お前』

「なんだよ……眠いんだから寝かせ……わぷっ」

 

 傷だらけになった羽根を、人間の顔に被せる。

 包帯が巻かれていない箇所から、流れ出る血が一滴、人間の口に滑り落ちた。

 

「何してんだよ……」

『ニンゲン。死にたくなければ、わたしと契約しろ』

「契約……?」

 

 光を失いかけている瞳が、こちらを向いた。

 もはや一刻の猶予もない。

 

『お前に生きる理由があるのなら、お前にとって一番大切なものを差し出せ。わたしも、一番大切なものを差し出してやる』

「一番、大切なもの、ね……」

 

 少しだけ、目に光が戻る。

 どうやらこの人間には、生きる理由があるらしい。

 

「おれは……おれには……倒さなくちゃならないヤツがいる……そいつを好きにさせてたら、この世界は……今よりもっと、めちゃくちゃになってしまう……」

『ほう』

 

 世界ときたか。随分と大層な、生きる理由をお持ちのようだ。

 

「だから、お願いだ……俺の一番大切なものをくれてやる、だから──」

 

 目に確かな光を灯し、人間は──勇者は言った。

 

「おれの願いを、叶えてくれ」

『承知した』

 

 その日、わたしは勇者と契約を果たした。

 決して途切れることのない、魂に結びついた、深い深い契約を。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「で、契約したら二人ともなんか全回復したから、そのまま飛んで谷底から脱出したってわけ」

「いやいや、そんな契約した覚え無いんだが!?」

「ふ~ん」

 

 まだとぼけるのか、この鈍感勇者め。

 いいだろう。そっちがその気なら、こっちにも考えがある。

 

「契約してからはもう一心同体で、勇者が傷を負う度に、わたしも同じ場所に傷ができるようになっちゃったんだよね」

「なんの話?」

「それで、わたしがあんまり怪我しないでよって言ったら、ほっぺたの傷をなぞりながら『お揃いだな』って笑ったよね」

「だから言ってないが!?」

 

 むぅ、これも覚えてないのか。

 本格的にどうしたんだ、勇者のやつ。

 

「今のエピソード、どう思います?」

「勇者くんなら無自覚でやりそう」

「やはりそう思いますか」

「やります! 勇者さんは自然にそういう事します!」

 

 おや、どうやら後ろの女の子たちは認めてくれたみたいだ。

 この子たちも勇者の無自覚人たらしムーブに翻弄された人たちなのかな?

 

「他にも、途中で立ち寄った街では油断して邪教団に捕まるわ、わたしを庇ってギルドと対立するわで、気が休まる時間がまるで無かったよね」

「そろそろ存在しない記憶を語るのやめてくれませんか!?」

 

 いや、だから存在した記憶なんだって。

 勇者は覚えてないのかもしれないけど、わたしは今でも鮮明に覚えてるんだぞ。

 

「今度のエピソードはどうです?」

「勇者くんならやりそう。無自覚トラブルメーカーだし」

「やはりそう思いますか」

「やります! 勇者さんは絶対、そういう事に自然に巻き込まれます!」

 

 またしても、後ろの女の子たちから同意を得られた。

 やっぱり勇者は、よそでもそういう事をやっているらしい。

 無自覚トラブルメーカーというのは、言い得て妙だ。

 

「……なるほどのぅ」

「陛下?」

 

 と、ここに来て、終始無言を貫いていた王女様が口を開く。

 

「おぬし、ドラコじゃな?」

「えっ」

「だから、最初からそう言ってるじゃん」

 

 ようやくわたしの事を覚えてる人がいたよ──まぁ当然といえば当然か。

 王女様とは、結構親密な間柄だったし。一緒に、満月が浮かぶ夜空を遊覧飛行したりもしたし。

 

「……知り合いなんですか?」

「うむ。旧知の仲──という記憶だけがある」

「記憶だけがある?」

 

 妙な言い方をするな、王女様。

 それじゃあまるで、体験が伴わない、本当は存在しない記憶だけが、突然現れたみたいに聞こえるけど。

 

「何かがおかしい……勇者よ、もしやこれは」

「魔法が関係している、と?」

「そう考えるほうが自然じゃ。でないと、この記憶に説明がつかん」

 

 勇者と王女様は顔を突き合わせ、眉間にしわを寄せている。

 何か問題でも起きたのだろうか。

 

「となると」

「一番、可能性が高いのは」

「ん?」

 

 疑惑の視線が、わたしを貫く。

 うむ、なんか、勇者にそんな視線を向けられるのは久しぶりだ。夕食にするはずだったサンドトカゲの丸焼きを盗み食いした時以来か。

 

「お前、何かしたか?」

「何かって?」

「魔法を使ったのか、って訊いてるんだが」

 

 ゆっくりと、勇者が私に近づいてくる。

 それに合わせて、後ろの女の子たちもそれぞれの得物に手を掛けた。

 金髪の女の子は壁に立てかけてあった大剣。銀髪の女の子たちは懐にしまっていた杖。赤髪の女の子は……なにそれ、フォーク?

 

「……なんでか知らないけど、わたしを疑ってるの?」

「現状、一番怪しいのがお前ってだけだ。安心しろ、少し質問するだけだ」

 

 なるほど。まずは話し合い、か。

 相変わらず勇者らしい。

 

「いいよ、なにを聞きたいの?」

「まず一つ。お前は魔法を持ってるか?」

「持ってないよ」

 

 元のわたしは、魔法なんて持っていない一般ドラゴンだ。

 この体はどうか知らないけど。

 

「そうか。じゃあ二つ目、ここにいる人間のうち、誰のことを知ってる?」

「勇者と、王女様。それ以外は初めて見る顔だね」

「王女様?」

 

 わたしの言葉に、赤髪の女の子が首をかしげる。

 

「女王様じゃないんですか?」

「はぁ? なんでまだ王位も継承してないのに、女王様になるのさ」

「え?」

 

 わたしの発言に、今度は勇者が首をかしげる。

 

「今、このステラシルドに居る王族は、わらわだけじゃが」

「へ?」

 

 王女様の告げた言葉に、最後はわたしが首をかしげる。

 

「ふぅむ、なるほどのぅ。いまの問答で合点がいったぞ」

「はい」

「おおよその推測は立てられました」

 

 王女様と、その左右に控えていた白い髪の女の子が、大きくうなずく。

 私にはまったくわからなかったんだが。

 

「おそらく」

「彼女は並行世界の住人です」

 

 確信を持ったドヤ顔で、白い髪の女の子は言い放つ。

 

「へいこう」

「せかい?」

 

 それと同時に、勇者と赤髪の女の子が首をかしげる。

 聞いたことがある。並行世界とは、似た運命を辿った異なる世界。

 めちゃくちゃざっくり定義するなら『そっくりだけど、どこか違う世界』だろうか。

 

「へぇ、証拠は?」

「今の発言です」

「この世界では、陛下の両親は既に故人です」

 

 なんと。

 

「本当なの?」

「事実じゃ。今はわしが国王をしておる」

 

 肯定された。

 まさか、こんなに分かりやすい相違点があるなんて。

 

「いやぁ、凄いね──流石は世界最高の賢者シャナ・グランプレ。プラス50点」

 

 と、内心で感心していると。

 

「は?」

 

 部屋の隅から、聞いたことのない男の声が聞こえてきた。

 

「誰だ!」

 

 勇者の声に反応して、全員が臨戦態勢に移行する。

 わたしも爪を──なんか出た──出して、乱入者を見据える。

 

「おぉ、いい反応だね勇者くん。プラス30点」

 

 値踏みするような視線を向けながら、その男は口を開く。

 白い髪に、白い瞳。まるで死人のような白さの肌を見せつけながら、その男は拍手をする。

 

「いやぁ、君はどの世界でも変わらないね。相変わらず小憎たらしいツラをしている。マイナス100点」

「誰だって訊いたんだが?」

「おっと失礼、この時間軸の君とは初対面だったか」

 

 居住まいを正し、男は恭しく礼をする。

 まるで、人間の貴族みたいに。

 

「私の名はホロロ。魔王様に仕える最上級悪魔がひとり──ホロロ・ギウムだ」

 

 

◆◇◆◇

 

 

 とある悪魔に、魔王は言った。

 

 戻らないものがあるから、今あるものが愛しいと思えるのよ、と。

 

 その言葉に、悪魔は反論する。

 

 永遠こそが素晴らしいのです、と。

 

 魔王は困ったように笑った。

 

 永遠に生きてたら、日々が退屈に感じちゃうかも、と。

 

 その言葉に、悪魔は反論する。

 

 自分が絶対に退屈などさせません、と。

 

 魔王は悲しげに目を伏せた。

 

 可哀そうに、本当の愛を知らない、哀れな道化師、と。

 

 その言葉に、悪魔は反論する。

 

 本当の愛を知ればいいのですね、と。

 

 それから今も、悪魔は本当の愛を探し求めている。

 主がいなくなった今も、居もしない観客を楽しませる──哀れなピエロとして。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「騎士さんがいません!」

 

 赤髪の女の子の言葉に、ハッとする。

 そういえば、さっきまで居たはずの金髪の女の子が見当たらない。

 

「彼女ならここだよ」

 

 白い男がパチンと指を鳴らす。

 すると、人の身長ぐらいもある、青い水晶が傍らに現れた。

 

「騎士ちゃん!」

 

 その中には、目を閉じて眠る金髪の女の子がいた。

 

「やっと手に入れたよ、アリア・リナージュ・アライアス」

 

 白い男は、まるで恋人にでも触れるような手つきで水晶に触れる。

 控えめに言って、気持ち悪い所作だった。

 なんかこう、ねっとりしてる手の動きだった。

 

「なに捕まってるんですか!」

「世話が焼けますね!」

 

 全く同時に、白い髪の女の子が杖を突きだす。

 すると、杖の先から突風が噴き出した。

 二本あるから、風圧も二倍だ。

 

「おっと、迅速な反応。プラス10点」

 

 その風は男を過たず捉え、壁を破り、家の外に吹き飛ばす。

 

「今です!」

「騎士さんを!」

「おう!」

 

 そうして、無防備になった水晶に勇者が走っていき。

 

「愚直な突進。マイナス100点」

「なっ!?」

 

 水晶に触れた瞬間、激しい稲妻が勇者を貫いた。

 

「がはっ……!!」

「勇者さん!」

 

 弾き飛ばされた勇者を、赤髪の女の子が受け止める。

 防御機構か、しっかりしてやがる。

 

「だらしないな、勇者!」

 

 爪を構えながら、今度はわたしが水晶に向けて走っていく。

 ドラゴンの爪なら、触れずに破壊することも可能だ。

 

「竜爪──」

「舞台袖の木っ端役者が出しゃばる。マイナス200点」

 

 しかし、わたしの爪は水晶に触れられなかった。

 理由は単純。水晶が瞬間移動したからだ。

 

「お姫様は丁重に扱ってもらわなくては困るな」

「チッ!」

 

 気づけば、水晶は男の隣に佇んでいた。

 吹っ飛ばされて家の外まで移動した、白い男の元に。

 

「傷は無いかな? まったく、これだからトカゲは低能で困る」

「あぁん!?」

 

 誰がトカゲだとコラ。

 ドラゴンをあんな爬虫類と一緒にするんじゃねぇ。

 

「さて、ここでは邪魔が多くて、静かに結婚式が挙げられやしない」

「けっ!?」

「こん!?」

 

 後ろに居た勇者と赤髪の女の子が、驚いたように声を上げる。

 なるほど、あの男は──悪魔は、つがいを求めていたのか。

 

「悪魔と人間が結婚するなんて、聞いたこと無いんだけど?」

「だまれ爬虫類。マイナス500点」

「お前、もう一回それ言ったら地の果てまでブッ飛ばすからな」

 

 なんだろう、コイツは人を侮辱しないと気がすまないタチなのだろうか。絶対友達いないだろ、お前。

 

「悪魔と人間が結婚するなど、聞いたことが無いのぅ。おぬし、一体何をするつもりじゃ?」

「聞いたことがない? それはそうだろう──私と彼女こそが、史上初の夫婦となるのだからな!」

 

 いつの間にか、わたしの隣に立っていた王女様の問いには、素直に答える悪魔なのだった。

 オイ、おかしいだろうがよ。なんで人を選んでんだよ、誰とでも会話しろよ。時代はグローバルなんだぞ。

 

「というわけで、君たちに構っている時間は一秒たりとも無いんだ。それではご機嫌よう」

 

 話は終わりだとばかりに、悪魔は踵を返す。

 

「逃がすわけないだろ!」

 

 しかし、そんな隙だらけの背中をみすみす見逃すほど、ぬるい生き方はしていない。

 

「しつこい。マイナス3000点」

 

 パチン、と悪魔が指を鳴らす。

 その瞬間、傍らの水晶から雷撃が迸った。

 

「なっ──ぐああああぁぁっ!?」

 

 体を貫く衝撃に、意識が飛びかける。

 人間の体って、結構脆いんだなぁ──なんて、他人事のように思考が回る。

 

「ドラコ!」

「ぐぅ……きいたぁ」

 

 弾き飛ばされた肢体が、王女様に抱き止められる。

 王女様、結構力あるな。いや、わたしが小さいだけか。

 

「弱い、弱すぎる。私が填めた枷とはいえ、それではドラゴンの名が泣くぞ」

「枷って……それじゃあこの体は、お前が……」

「そう──そこの勇者と同じく、弱体化させてもらった」

 

 なるほど、わたしにドラゴンとしての力を発揮されるとマズいことがあると。

 という事は、つまり。

 

「ハッ、最上級悪魔とか名乗ってる割に、随分と器が小さいんだね」

「なに?」

「ただのドラゴン一匹と、真正面から戦う勇気もない腰抜けが。そんな体たらくじゃ、その子と結婚しても即刻破局しておしまいだろうね」

「貴様……」

 

 白い男の額に、うっすらと青筋が浮かぶ。

 やっぱり、あの紳士的な態度は猫かぶってただけか。

 

「気が変わった。何も出来ないデクゆえ生かしておいてやろうと思ったが──今ここで死ね」

 

 白い男が指を鳴らす。

 その瞬間、巨大な雷が天から飛来する。

 

「コール」

 

 避けるのは無理。

 ならば、王女様だけでも逃がすか。

 

「──ジェミニ・ゼクス」

 

 なんて、思っていたら。

 

哀矜懲双(へメロ・ザルド)

 

 いつの間にか、わたし達は勇者の傍らにワープしていた。

 

「ふん、あの双子の魔法か」

「返してもらうぞ、おれの仲間を」

 

 勇者が小石を手に持ち、水晶を視た。

 

「無駄だよ、勇者」

「なに?」

 

 しかし、何も起こらない。

 見た感じ、今勇者が使った魔法は『視た対象を自分の元に引き寄せる魔法』 または『視た対象を入れ替える魔法』

 

「お前、何をした」

「なにも」

 

 嘘だ。

  魔法とは、世界の理を書き換える埒外の法則。

 それが無効にされたという事は、相手も魔法を使っているということに他ならない。

 

「気は済んだかな? それでは今度こそ、失礼させてもらおう」

「待て!」

 

 勇者の言葉を背に、白い男は踵を返す。

 そして手元の本を開くと、瞬時に姿を消してしまうのだった

 

「騎士ちゃん……!」

「勇者さん……」

 

 悔しそうに歯噛みする勇者と、それを心配そうに見つめる赤髪ちゃん。

 あぁもう、見てらんないな。

 

「立て、勇者」

 

 仕方ないから、相棒のわたしが発破かけてやるか。

 

「わたしの知ってる勇者は、そんな所で蹲ってる腑抜けじゃないぞ」

「…………」

 

 ゆっくりと、鈍い赤色の瞳がこちらを向く。

 

「わたしの知ってる勇者は、どんな絶望的な状況でも決して諦めなかった」

「…………」

 

 ゆっくりと、二本の脚で立ち上がる。

 

「わたしも一緒に戦う──だから」

「ああ」

 

 視線が、交錯する。

 

「絶対に」

「助け出すぞ」

 

 やるべきことは、一つだ。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「と言っても、手掛かりを見つけないことには何もできませんよ」

「だよなぁ……」

 

 破壊された勇者宅の壁を直しながら、白い髪の女の子──賢者が言葉を紡ぐ。それに反応して、勇者ががっくりと肩を落とした。

 あ、直してるのは魔法で作った分身の方で、本体は椅子に座って優雅に紅茶を嗜んでいた。いや、分身を作る魔法じゃ無くて、本物を複製する魔法なんだっけ。まぁどっちでもいいか。

 

「まずは手掛かりを探すところからか」

「手伝いますよ、勇者さん!」

 

 わたしの言葉に、赤髪の女の子が続ける。ポワポワとした雰囲気を纏っているが、やるときはやる子らしい。

 というか、手がかり探しって言っても何すれば良いんだ? 何も思いつかないんだが。

 

「……で、何をすれば良いんですか?」

 

 コテン、と赤髪の女の子が首を傾げる。やっぱりこの子も分かってなかったんかい。

 

「あの気持ち悪い優男は、自らを最上級悪魔と言っていました」

「となると……魔王城か!」

「なるほど! そこで手がかりを探すんですね!」

 

 賢者の言葉を先読みした勇者がドヤ顔を浮かべ、それに便乗して赤髪の女の子も相槌を返す。

 まるで結婚して数ヶ月目くらいのコンビネーション具合だった。仲いいな、君ら。

 

「違います」

「…………」

「…………」

 

 そして、賢者に一刀両断された。

 めっちゃ顔赤くなっとるがな。

 

「魔王城でないとなると……アリエスの部屋か」

「その通りです、陛下。奴の自室はあの時から手付かずのままです」

「下手に動かすと、何が起きるか分かったもんじゃないからのぅ」

 

 勇者と賢者がウンウンと深く頷いている。よっぽど厄介だったらしいな、そのアリエスって敵は。

 

「ですが、だからこそあの最上級悪魔の手がかりがある可能性が高い」

「蛇の道は蛇、というわけじゃな」

「そういう事です。それに──」

「それに?」

 

 賢者は、思いっきり顔を顰めて。

 

「アイツからは、変態の気配がしました」

 

 吐き捨てるように、そう言った。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「あぁ……美しい」

 

 時間と空間の狭間。

 何処でもあり、何処でもない場所。

 

「やはり、君には純白のドレスがよく似合う」

 

 クリスタルで作られた宮殿にて、一人の青年が歓喜の声を上げる。

 

「アリア・リナージュ・アライアス」

 

 輝く大広間に置かれた、水晶の椅子。そこに腰掛けるのは、白いウェディングドレスを纏った金髪の少女。

 意識は無いようだが、そんな事を気にするホロロでは無かった。何故なら、彼が愛しているのはアリアの精神性ではなく、在り方の方であったから。

 

「あぁ、君は本当に美しい」

 

 有り体に言えば──中身ではなく、外見を重視するクズ野郎であったから。

 

「さぁ、挙式は二時間後だ。それまでに、君にピッタリの指輪を作っておこう」

 

 ホロロは、手の中に一欠片の水晶を握り締め、大広間を後にする。

 その顔には、期待と好奇心が渦巻いた、冒涜的な笑みが貼り付いていた。

 

「もうすぐだ……もうすぐ……ククッ、クハハハハハハッ!」

 

 すべては、心を知るため。

 すべては、本当の愛を知るため。

 時を司る悪魔は──主人のために──愛する女性と婚姻の契りを結ぶ。

 

 その行為こそが、人でなしのそれであると、気づかぬままに。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「ここです」

 

 荘厳な王城の一角。

 大きな廊下に見合った、これまた大きな扉を前に、わたしは呆気に取られていた。

 

「はわー……人間の視点から見るとでっかいんだなー」

「確かにデカいよな」

「おっきぃです!」

 

 わたしの呟きに、勇者と赤髪ちゃんが同意してくれる。ここ三人、感性が似てるのかもしれない。

 

「時にお主ら、傷の方は大丈夫なのか? あの悪魔の雷撃をまともに食らっておったが」

「あぁ、あの程度なんてこと無い」

「右に同じく」

「……分かっておったが、タフじゃのぅお主ら」

 

 まぁ、タフさはドラゴンの中でも随一だったもんで。今は人間の身体に押し込められてるけど。

 

「無駄話はそのへんに」

「開けますよ」

 

 扉の両側に手を掛ける賢者。その言葉と同時に、淡い光が扉を包む。

 

「封印の魔術か」

「ええ」

「誰も入れないようにしてましたから」

 

 その光が収まると、ゆっくりと扉が開いていった。自動で開くとか、先進的だな。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 勇者を先頭に、赤髪ちゃん、王女さま、わたしの順で部屋に入る。

 もしもの時のため、賢者は扉の前で待機って言われてたな。めっちゃ不服そうだった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 静寂。

 まるで死の国にでも迷い込んだのかと思うほどの、冷え切った静けさ。

 

「普通の、部屋ですね」

 

 沈黙をさいて、赤髪ちゃんがポソリと声を上げる。

 その瞬間、バァンと激しい音を立てて扉が閉まった。

 

「なっ……!」

「しまっ……!」

 

 慌てて臨戦態勢を取る。赤髪ちゃんと王女さまを挟み込むように、わたしと勇者で背中を預ける。

 

『ようこそ、私の部屋へ』

 

 部屋の中央に、一人の男が現れる──いや、映し出されると言ったほうがいいか。

 半透明で、実体のない──いわゆる映像魔術を応用したものだろう。

 

「アリエス……」

 

 王女さまが、険しい表情で男を睨みつける。

 なるほど、コイツが件のアリエスってやつか。

 

『この映像記録が起動したということは、あいつが……ホロロが動き出したということですね』

「映像記録……なるほどの。アリエスのやつ、こんな物を残しておったか」

「ドンピシャだな」

『魔王様はいらっしゃいますね。それから、勇者も』

 

 魔王?

 

「は、はい!」

「いや、赤髪ちゃんは魔王じゃないでしょ」

『いえ、魔王の魂を受け継いでいるのなら、我が主に違いありませんとも』

 

 ん? この子って魔王なの?

 

『あなたに託すのは業腹ですが、まぁこの際仕方ないでしょう』

「相変わらずムカつくなコイツ……」

『お互い様ですよ。私も、あなたには心底ムカついておりますし』

「ナチュラルに会話すんじゃねーよ、映像記録だろ」

 

 人を食ったような口ぶりに、背筋が寒くなる。なるほど、コイツはあれだ。人を騙すのに躊躇がない奴だ。

 目的のためなら他人の人生を弄び、操ることに微塵も罪悪感を抱かないタイプの存在だ。

 

「はぁ……前置きはいいから、とっとと本題を話してくれないか?」

『早い男は嫌われますよ、勇者』

「ホントに映像記録なのこれ? 遠隔通信でもしてんじゃないの?」

『正真正銘、映像記録ですとも』

 

 じゃあなんで勇者と会話が噛み合うんだよ。

 

『まぁ、時間がないのは本当なので、手短に話しましょう』

「是非そうしてくれ」

『不本意ですが』

「は・や・く・し・て・く・れ・な・い・か?」

 

 アリエスがため息をつくと同時に、空気が引き締まる。どうやら、本当に重要な話をしてくれるようだ。

 

『今、彼は時間と空間の狭間に居ます。彼の魔法、時戒懲罰(クロノス)の力によって作られた不可侵の領域に』

 

 ゆっくりと、アリエスが口を開く。

 

『彼はアリア・リナージュ・アライアスとの、二人きりの結婚式を挙げている最中でしょう』

「結婚って、冗談じゃなかったのか……」

『式が無事に終われば、彼女の魂は二度と戻っては来ません。そうなる前に、アレの息の根を止める必要があります』

 

 仮にも仲間だった奴の事をアレって言ったな。犬猿の仲だったりするんだろうか。

 

『本来、魔法には魔法でしか干渉は出来ませんが……魔法で作った空間『そのもの』になら干渉ができます』

 

 アリエスが、奥の部屋を指差す。

 

『奥の部屋に、姿見が置いてあります。それに触れれば、彼の元に行けるでしょう』

「よし、じゃあ早速──」

『ただし、人間が通った場合バラバラになって死にま

す』

「欠陥品じゃねーか!」

 

 勇者が、思いっきりツッコむ。

 うん、それは正しいツッコミだ。

 

『おまけに定員は三名です』

「少ねぇな! あーもう、欠陥が過ぎるだろ! 三人しか通れない上に通ったら死ぬって、バカか! バカなのか!?」

『ですから、彼女を連れていけば済む話ではありませんか』

「……あっ」

 

 ピタリ、と勇者の怒りが収まる。

 なんだ、何か必勝法でもあるのか。

 

「なるほど……完璧な作戦だな」

『えぇ、でしょう?』

 

 なになに怖い怖い。なんで二人で通じ合ってるんだよ、敵じゃなかったのかよ。

 

『カモン!』

「死霊術師さん!」

 

 パチン、と二人が同時に指を鳴らす。

 その瞬間、アリエスの目の前の空間が歪んだ。

 

「……え?」

 

 数秒後、その空間から女の人の生首が現れた。

 綺麗な顔立ちの女だった。紫色の髪に、まるで眠るような表情。生きていれば、どんな男でも虜にできたであろう、その生首が。

 

「へぶっ!?」

 

 重力に引かれて、部屋の床に落っこちた。

 

「な、なぁ勇者……この生首は誰なんだ? そしてなんか今、喋ったような気がしたんだが?」

「あぁ、この人は死霊術師さんだよ」

 

 いや、紹介されても分かんねーんだわ。多分魔法の力なんだろうけど、どういう魔法か分からんし。

 

「いっ──たいですわ〜!」

「……生首が喋ってる」

 

 今まで色々と非常識な光景は見てきたが、ここまでぶっ飛んだものは初めて見た。なんでこの人、首だけになって生きてんだ?

 

「や、久しぶりだね死霊術師さん」

「勇者様!?」

 

 顔を赤らめて勇者を見上げる女──死霊術師。というか、何だその顔は。恋する乙女かよ。

 

「いきなりごめんね。でも、どうしても死霊術師さんの力が必要でさ」

「問題ないですわ! 明日会う予定が今日に早まっただけの事ですので!」

「……身体が生えた」

 

 勇者と話してる最中、唐突に首から身体が生えてきた。なるほど、そういう系の魔法か。

 しかし、身体の大事な部分をピンポイントで隠してるあの髪はどういう原理なんだ。魔法の副次効果なのか。

 

「明日会う予定?」

「な、何のことじゃろうな〜」

 

 続けて、勇者がじっとりとした目で王女さまを見つめる。何か問題でもあったのかな。例えば、勇者を謀ろうとしていたとか。

 まぁ、それも冗談で済むような軽いものなんだろうけど。王女さまが勇者を傷つけるなんてあり得ないし。

 

「はぁ……まぁいいや。というわけで、早速敵の本拠地に乗り込むとしよう」

「はい!」

「おう!」

「ええ!」

「うむ!」

 

 展開がジェットコースターすぎて全く理解できていないが、とにかく頭数は揃ったって訳だな。

 

「あ、女王さまと赤髪ちゃんはお留守番ね」

「「がーん!?」」

 

 いやそりゃそうだろ。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 一方その頃、水晶の宮殿では。

 

『ソレデハ、新郎新婦ノニュウジョウデス』

 

 まるで結婚式場を模した大広間に、機械的な音声が響き渡った。

 扉が開き、純白のスーツとドレスに身を包んだ新郎新婦が入場してくる。

 

「いやぁ夢のようだよ、アリア」

「…………」

「これで君と僕は晴れて夫婦となる。新居はどんなデザインがいいかな? 子供は何人欲しい?」

「…………」

 

 ホロロの腕を掴み、恭しく歩を進めるアリア。

 そんなアリアをリードし、階段を登っていくホロロ。

 何も知らない一般人が見れば、お似合いの夫婦に思えただろう。しかしその実態は、ただ自分の欲望を満たすためだけの儀式に過ぎない。

 

『ナンジ新郎ホロロハ、病メルトキモ、健ヤカナルトキモ、妻ヲアイシ、タスケアウトチカイマスカ』

「誓います」

 

 神父も居ない、観客も居ない。

 空っぽの結婚式は、ただただ無機質に進んでいく。

 

『ナンジ新婦アリアハ、病メルトキモ、健ヤカナルトキモ、夫ヲササエ、アイシアウトチカイマスカ』

「…………」

 

 アリアは応えない。奥深くに封じられた彼女の魂が、最期の抵抗をしているように見えた。

 

「ほらアリア、恥ずかしがる必要は無いよ。みんな、僕たちを祝福してくれているのだから」

「……ァ」

 

 しかし、そんな抵抗も長くは続かない。

 ホロロの言葉によって、アリアの口がゆっくりと動いてゆく。

 

「チ……チカイ……マス……」

 

 喉の奥から絞り出すように、苦悶のうめき声を上げるように。

 ここに、誓いの宣言は為された。

 

「ソレデデハ新郎新婦、チカイノキスヲ」

 

 もう、二人を阻むものは無い。

 もう、二人を止められるものは存在しない。

 

「あぁ、嬉しいよアリア」

「…………」

 

 ウェディングドレスのベールを上げ、顔を向かい合わせる。

 そのまま二人の身体が近づいていき、遂に誓いのキスを──

 

「どおらああぁああああぁっ!!!」

 

 することは、なかった。

 

「……招かれざる客、というやつか。マイナス一億点だな」

 

 天井が、崩れる。

 水晶で出来た結婚式場が、粉々に粉砕されて宙を舞う。

 

「よぉ、また会ったな」

「僕は二度と会いたくなかったがね」

 

 崩落する天井より速い速度で、一人の少女が地面に降り立つ。

 赤黒い髪に、好戦的な笑顔。紛うことなき、人になったドラゴン──ドラ子だった。

 

「悪いが、僕は今忙しい。トカゲに構っている暇は──ごぁっ!?」

 

 一発。

 瞬間、ドラ子の右ストレートが、ホロロの顔に突き刺さっていた。

 

「ぅおらああぁあああぁああぁっ!!!」

「がはぁああっ!?」

 

 正にクリティカルヒット、というやつだった。一撃でホロロは部屋の端まで吹っ飛び、水晶の壁に大きな亀裂を作る。

 普通の人間が食らったならば、即死まちがい無しの一撃だ。おまけに、上からさっき壊した水晶の天井が落ちてくる。オーバーキルもいいところだった。

 

「わたし言ったよな──もう一回トカゲ呼びしたら、地の果てまでブッ飛ばすって」

 

 拳を握りしめ、ドラ子はガンを飛ばす。まだ殴り足りないとでも言いたげな眼だった。

 

「ふぅ、ちょっとスッキリした」

「…………」

「よし、これで騎士も奪還だな。めでたしめでたし」

 

 虚ろな表情を浮かべるアリアを、事もなげに抱え上げるドラ子。

 これにて戦闘終了──とはいかなかった。

 

「っはぁ!」

 

 崩落した水晶の残骸を弾き飛ばし、ホロロが立ち上がる。鼻血こそ滝のように垂れ出ているが、それ以外に目立ったようなキズは無い。

 やはりか、と忌々しげにドラ子は敵の姿を見据える。

 

「効いたよ、流石はドラゴンの一撃だ」

「手のひらくるっくるかよお前」

 

 先程までの言動と打って変わって、ホロロはドラ子を油断なく見つめていた。

 ここに来て、ようやく目の前の存在を敵だと認識したらしい。

 

「花嫁を返してくれないか? 今は大事な儀式の途中なんだ」

「嫌だと言ったら?」

「無粋だが──力ずくで奪い返す」

「チッ!」

 

 言うが早いか、ホロロは一瞬でドラコの元まで跳躍する。

 そして、アリアに手を伸ばし。

 

「勇者!」

 

 その手は空を切った。

 

「確かに、返してもらったぞ」

 

 声の聞こえた方に、ホロロが振り向く。

 すると、そこには。

 

「勇者ぁ……!」

 

 アリアをお姫様だっこする、全裸の勇者の姿があった。

 

「……なんで全裸なんだ?」

「ココに来る途中で、身体と一緒に服もバラバラになった」

「わたくしの魔法で蘇るのは、生きているものだけですからね」

 

 おまけに、瓦礫の影から全裸の美女まで現れた。

 

「リリアミラ・ギルデンスターン……なるほど。ということは、アリエスの差し金か」

 

 一を聞いて十を知る。突然降って湧いたようなこのトンチキな状況にも、ホロロは冷静に対処していた。流石は最上級悪魔である。

 

「ちなみに、わたしは人間判定されなかったみたいで、バラバラにされなかった」

「死霊術師さん、騎士ちゃんのことお願い」

「えぇ、承りましたわ。貸し一つですわね」

 

 誰も彼もが、思い思いの行動を取っている。敵の顔色など伺わず、自分のしたいことをしている。

 

「ナメやがって」

 

 額に青筋を浮かべ、ホロロは呟く。

 

「ナメてるのはお前だろうが、ヒョロガリ野郎」

「人の大事な仲間奪っていきやがって……覚悟はできてんだろうな?」

 

 怒り心頭なホロロの前に、勇者とドラ子が歩み出る。双方、存分に怒りのボルテージは上がっていた。

 ここまでくれば、もはや言葉は意味を成さない。原初のルールに則った、弱肉強食の宴が幕を開ける。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 三者三様に、相手の出方を伺う。

 

「──哀矜懲双(へメロ・ザルド)

 

 口火を切ったのは、勇者だった。

 一瞬でホロロの背後に移動し、死角からの一撃を放つ。

 

「甘いなぁ!」

「ほぐっ!?」

 

 しかし、ホロロはそれを読んでいたかのようにカウンターの拳を繰り出す。

 その一撃を食らって、勇者は少しだけ後方に吹き飛ばされた。

 

「おらぁ!!」

「ふんっ!!」

 

 その隙をついて、ドラ子が距離詰めて殴りかかる。しかし、その一撃は同じく殴りかかったホロロの拳で相殺される。

 

「シッ!」

「ぐふっ!?」

 

 一瞬だけ動きの止まった隙を突いて、勇者の回し蹴りが胴体に吸い込まれる。

 当たった箇所がミシリ、と鈍い音を立て、ホロロの身体が数メートル水平に移動する。

 

「雷よ!」

「ふっ」

「甘ぇ!」

 

 間髪入れずに、ホロロが右手を振り上げる。すると、そこらに散らばった水晶の残骸から、夥しい量の雷が放出される。

 しかし、それらは二人にダメージを与えるに至らない。一度見た技を食らう程、ぬるい人生は送っていないのだから。

 

哀矜懲双(へメロ・ザルド)!」

 

 勇者が叫ぶ。

 位置が、入れ替わる。

 

「だぁりゃあぁ!!!」

「ぐぅっ……!?」

 

 ホロロの真横に瞬間移動したドラ子。その連撃が、確実に肉体へダメージを与えていく。

 しかし、ただ黙ってやられるような殊勝な性格もしていない。

 

「はぁっ!」

「ぐほっ!?」

 

 カウンターの一撃が、ドラ子の華奢な肉体に撃ち込まれる。

 バキリ、と鈍い音を響かせて、ドラ子の身体は数メートル後退した。

 

「大丈夫か!?」

「問題ナシ!」

 

 じわりと口から血を滲ませ、それでも気丈に笑って見せる。

 そんな姿に、勇者は再び前を向いた。

 

「はぁ〜……こんな泥臭い殴り合い、僕のキャラじゃないんだけどなぁ」

 

 乱れた髪を掻き上げ、ホロロは大きく息をつく。その顔には『うんざりだ』という感情が、ありありと浮かんでいた。

 

「お生憎様。こっちは大得意だわ、バーカ」

「ステゴロ上等」

 

 対する二人は余裕の表情を浮かべる。自分の土俵に引き込んで戦っているのだから、その態度も頷けるだろう。

 しかし、その余裕も長くは続かない。

 

「ふん……その余裕、いつまで続くかな?」

 

 ゆっくりと、ホロロが両手を地面にかざす。

 

時戒懲罰(クロノス)

 

 その瞬間、地面が割れた。

 

「は?」

 

 水晶で構築された地面が砕け、極彩色の宇宙空間、とでも呼べる場所へ放り出される。

 上下左右の感覚も無くなり、まさしく宇宙空間に浮かぶような感覚が二人を襲った。

 

「なんだこれ……浮かんでるぞ」

「面白いな、これ!」

 

 暢気な感想を浮かべる二人だが、その状況は最悪の一言に集約できた。

 この空間は、ホロロの魔法そのもの。つまり、敵の腹の中に放り込まれたも同然の状況と言える。

 

「さぁて。たっぷり嬲って、ブチ殺してやるか」

 

 宙に浮かんだホロロが、まるでオーケストラの指揮者のように腕を振るう。

 その瞬間、周囲に漂う水晶が猛烈なスピードで動き始めた。

 

「うぉおおぉ!?」

「あぶなっ!?」

 

 腕の動きに合わせて、確かな殺意を以て二人に突撃してくる水晶。

 大きさ、硬さ、共に人間に致命傷を与えるのに十分なスペックだ。

 

「ハハハハハ! ほらほら逃げ惑えゴミクズ共!!」

 

 高笑いを上げながら、ホロロは優雅に腕を振るう。その姿は、弱者を捕食する強者の姿に他ならなかった。

 

「くっそ……哀矜懲双(へメロ・ザルド)!」

「無駄だよ、勇者」

 

 対象を指定して魔法を発動するも、位置は入れ替わらない。

 発動の無効化、ではなく発動そのものを封じられた。勇者の中には、そんな感覚が残っていた。

 

「ここでは魔法は使えない。僕の世界の中では、違う世界は存在できない」

 

 魔法とは、人間がその身に宿す世界を変革する力。それは逆説的に、小さな世界をその身に内包していると言い換えられる。

 つまり、魔法という別世界の中では、異なる世界は存在できない。

 

「がっ……!」

「勇者!!」

 

 勇者の頭部に、水晶が直撃する。

 その衝撃のまま回転しながら宙を飛び、一際大きな水晶に叩きつけられた。

 

「戦い中のよそ見、マイナス一億点」

「ぐあっ!?」

 

 次いで、ドラ子にも水晶が直撃する。しかし、咄嗟に腕で防御したことによりダメージは軽傷に収まる。

 ドラゴンという種族が要する、天才的な戦闘センス。それは、人間の身体に封じ込められた今でも健在だった。

 

「ほぅ」

 

 腕を振るう。水晶が飛ぶ──それをギリギリで受け流す。

 双方が理解していた。このままではジリ貧で敗北するしかない、と。

 

「くっそ!!」

 

 この無重力空間では、万に一つも勝ち目は無い。せめて、この空間を自由に飛べる力でもあれば。

 

「……飛ぶ?」

 

 瞬間、ドラ子の脳裏に一筋の閃きが走る。

 

「戦闘中に考え事、マイナス一億点」

「んぐっ!?」

 

 それと同時に、小ぶりな水晶がドラ子の死角から飛び込んでくる。不意の一撃を食らい、先刻の勇者と同じように宙を飛んでいくドラ子。

 そうして、勇者と同じく大きな水晶に叩きつけられる。バキバキ、ぐちゃりと、全身から嫌な音が鳴り響いた。

 

「ハハハハハ!!!」

「ガフッ……! クソ、めちゃくちゃだなアイツ……」

 

 悪態をついてみるも、状況は好転しない。今すべきなのは、敵を睨みつける事よりも──相棒との他愛ない雑談だ。

 

「大丈夫か、ボロボロドラゴン」

「うーん……だいぶヤバい」

「お前、そこは嘘でも問題ないって言う場面だろうが」

「いやいや、嘘ついてもどうにもならんし」

 

 極彩色の宇宙空間を漂い、少年少女は偶然にも再開する。いや、もしくは必然と言うべきなのか。

 

「にしても、どうする。このままじゃ勝ち目ゼロだぞ」

「それなんだが、一つだけ可能性があるぞ」

「マジで? どんな?」

「それはな──」

 

 上機嫌で高笑いをしている敵を尻目に、少女は少年に耳打ちをする。

 その言葉を聞いた少年は、不敵に笑って。

 

「いいぜ」

 

 自らの額を流れる血を、指先で掬い上げた。

 

「お前に生きる理由があるのなら、お前にとって一番大切なものを差し出せ。おれも、一番大切なものを差し出してやる」

 

 そして、いつしか交わした言葉を、再び交わす。

 

「わたしは、お前に幸せな人生を過ごして欲しい。その為にアイツが邪魔っていうんなら──わたしの大切なものくらい、喜んで差し出してやるよ」

 

 血のついた指先を、咥える。

 ここに、再び契約は交わされた。

 

「っ!?」

 

 その瞬間、極彩色の宇宙に眩い光が満ちた。

 やわらかくて、あたたかい。生命のぬくもりに満ちた、光。

 その光を目にして、最上級悪魔は驚愕の声を上げた

 

「な、なんだこれは……何が起こっている!?」

 

 そうして、光が収まった瞬間、そこに居たのは。

 

「いけるか、相棒」

『当たり前じゃん』

 

 真紅のドラゴンを駆る、雄々しき勇者の姿だった。

 

「ば、バカな……! 解いたのか、あの呪縛を! 元の姿を取り戻したというのか!」

 

 狼狽した様子で、ホロロは勇者とドラゴンを見つめる。そんな様子もお構いなしに、ドラゴンは翼をはためかせて宙を舞う。

 

「調子はどうだ?」

『絶好調!』

 

 宙を駆け、自由に飛び回る。それはまさしく、大空の覇者と呼ぶに相応しい姿。

 

「おのれ……! だが、いくら本当の姿を取り戻そうとも!」

 

 力を込めて、腕を振るう。

 その動きに合わせて、巨大な水晶がドラゴンに向けて飛んでいく。

 

「来たぞ!」

『分かってるよ!』

 

 しかして、その攻撃はドラゴンに対して全く意味をなさなかった。

 スピードも然ることながら、飛行技術が卓越している。流石は人ならざる存在と言った所か。

 

「クソッ!」

 

 今度は、悪魔が歯噛みをする番だった。

 攻撃は当たらない。

 着実に距離は詰まってきている。

 

「どうすればっ……!」

 

 この状況では、どのような手が最善手なのか──戦闘経験の浅い悪魔には、咄嗟の判断ができなかった。

 

『行け、勇者!』

「おう!」

 

 ドラゴンの身体を足場にし、勇者が跳ぶ。

 全力の跳躍を以て、渾身のドロップキックがホロロの身体に突き刺さった。

 

「ガッハ……!?」

「どうだ!」

「このっ、三下がぁぁぁっ!!!」

「うっ!?」

 

 苦し紛れのカウンターによって弾き飛ばされた勇者の下へ、ドラゴンが一息に駆けつけ受け止める。

 まさしく、阿吽の呼吸というやつだった。

 

『ナイスキック!』

「でもあれ、あんまり効いてないっぽいぞ」

『わたしが飛んで噛み砕いてこよっか』

「いや、あいつ用心深そうだからな。よっぽど力の差がないと近づかせてくれないだろ」

 

 付かず離れずの距離を保ち、飛行を続けながら相談する。

 状況は好転したが、それでもトドメを刺すためには火力が足りない。

 

「勇者くーん!!」

 

 どうするか、と頭を捻っていた所に、頭上から声が掛かる。

 見てみれば、遥か上空にアリアとリリアミラの姿があった。なんか紫色の異空間みたいな場所から、アリアがひょっこりと顔を出している。

 

「とうっ!」

「ちょぉっ!?」

『飛んだぁ!?』

 

 なぜそんな所に、と疑問を投げかける暇もなく、アリアは勇者たちの下へ紐なしバンジーを敢行した。

 まぁ、領域内は無重力なので、飛んでくる水晶以外を心配する必要は無いのだが。

 

「よっと!」

「よくその格好で動けるね」

「鍛えてますから!」

『鍛えてどうにかなるもんなのか?』

 

 そのまま、華麗にドラゴンの背に着地するアリア。白く靡くウェディングドレスが、一層眩しかった。

 

「というか、勇者くんの方が非常識な格好してるんですけど!」

「いやぁ、これは……」

「言い訳無用! ほら、これでも腰に巻いときなさい!」

 

 ウェディングドレスの裾を破き、その切れ端を勇者に手渡すアリア。

 受け取ったそれを腰に巻いて、ようやく勇者は尊厳を取り戻すことが出来たのだった。

 

「っていうか、今までどこ居たの?」

「なんか、死霊術師さんの魔法の中に入ってたみたい。私も原理はよくわかんないんだけど……まぁ死霊術師さんだし」

「まぁ、死霊術師さんだからなぁ……」

 

 あの人なら、しれっと何か規格外な事をしでかすという確信があった。

 信頼されているのか、呆れられているのか。判断に困る所だったが、ギリギリ信頼されていると見て良さそうだった。

 

「火力、欲しいんでしょ?」

「うん、めっちゃ欲しい」

「ふふん、なら任せなさい!」

『火力は揃ったわけね……じゃあ作戦は?』

 

 少年少女を背に乗せ、ドラゴンは宙を飛ぶ。

 それはまさしく、幻想の世界に相応しい光景であったが。

 

「作戦?」

「そんなの決まってるだろ」

「「まっすぐ行ってぶっ飛ばす!!!」」

『えぇ……』

 

 あまりにもあまりな脳筋思考に、ドラゴンは困惑の言葉をこぼした。

 だが、実際その作戦は理にかなっている。搦め手を使える人材が居ない以上、真正面から火力で攻めるしか無いのだから。

 

「というわけで、突っ込めドラゴン!」

「いっけー!」

『うわ〜ん! なんかデジャヴ〜!!』

 

 勇者の号令に合わせて、ドラゴンが進路を変える。この事件の元凶である悪魔の下へ、一直線に突き進んでいく。

 

「舐めるなよ」

 

 しかし、そんな単調な動きを見逃してくれる訳もなく。二人と一匹目掛けて、超巨大な水晶が飛来する。

 今までで一番の大きさだ。このままぶつかれば、いくらドラゴンといえどもぺしゃんこだろう。

 

「アリア!」

「任せて!」

 

 だから、溶かす。

 

「はああああぁぁぁっ!!!」

 

 渾身の力を込めて、水晶に手を伸ばす。

 その手は赤く、紅く燃え上がり。

 

紅氷求火(エリュテイア)!!!」

 

 山ほどもある大きさの水晶に、一瞬で風穴を開けた。

 

「最短で!」

「まっすぐに!」

『一直線にぃぃぃ!!!』

 

 風穴が開いた水晶から、ドラゴンが飛び出してくる。そうなればもう、敵との距離は目と鼻の先だ。

 

「アリア……アリアァァァァァァァ!!!!!」

「よくも仲間の──」

「人の心を弄んでくれたね」

 

 勇者と騎士の手に、それぞれ一振りの大剣が握られる。

 二人は紅と蒼の輝きを放つそれを、勢いよく振り上げた。

 

「悪いが、婚約は破棄だ」

「あの世で、女心を学んできなよ」

 

 一閃。

 最後の一撃は、ただそれだけだった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 空間が割れる。あの悪魔を倒したことで、魔法で維持されていた空間が消滅を始めたのだろう。

 

『しっかり掴まってなよ!』

 

 勇者と騎士を背に乗せ、わたしはその場から離脱する。

 空間のカケラや、水晶の塊なんかが大量に降ってきて、徐々にとんでもない状況になってきていた。

 

「いけるか、ドラゴン」

『当然!』

 

 わたしを誰だと思ってんだ。ドラゴンは大空の覇者って呼ばれてるんだぞ。この程度の障害物、目を瞑ってたって避けられるわ。

 

『あっ、一緒に来た全裸の人は回収しなくて良いのか?』

「「アレは別にほっといていいよ」」

 

 ハモった。なに、そんなすごい強者なの? あの人? それか、もの凄い嫌われてるとか?

 

『それじゃあ、一気に抜けるよっ!』

 

 飛行速度を上げ、降りかかる落下物を避け、どこまでもまっすぐに飛ぶ。そしてそのまま、ヒビ割れた空間に頭から突っ込んだ。

 

『だあああぁぁぁっ!!!』

 

 パリン、と薄いガラスを割るような音がして。わたし達は、どこか見知ったような平原に出現した。

 あ、遠くに勇者の家が見える。

 

「きゃっ!」

「おっと」

 

 不時着の衝撃でバランスを崩した騎士を、勇者が抱き留める。

 なんだなんだー。結構お似合いなんじゃないかー、この二人。

 

『おーい、イチャイチャするなら降りてからやってくれないかー』

「してないぞ」

「してないよ」

 

 えぇ……今のイチャイチャ判定じゃないの?

 もしやこいつら、結構進んだ間柄なのか?

 

「よっと」

「ほいっ」

 

 一人で勝手に困惑していたら、二人は無事に平原に降り立っていた。よしよし。見たところ、どこにも怪我は無さそうだな。

 

「今回はありがとな。正直、お前が居なかったらヤバかったと思う」

『何をいまさら。わたしと勇者の仲だろ』

 

 わたし達は一心同体なんだ。だから、そんな改まって礼なんて言わなくて良いんだぞ。

 と、そんなやり取りをしていたら、騎士からも声が掛かる。

 

「あたしからも、改めて言っておくね。勇者くん、ドラゴンちゃん──助けに来てくれて、ありがとう!」

 

 華が咲いたような、天真爛漫な笑顔。

 それを見て、わたしと勇者は。

 

「おう!」

『うん!』

 

 力強く笑顔を返したのだった。

 

「よし、これで一件落着……って、ドラゴンお前! 指先消滅してないか!?」

「ホントだ!」

 

 勇者に言われて自分の体を見てみれば、確かに体の端から光の粒子に変わってきている。

 

『ん? あぁ……たぶん、あいつを倒したからだな。元の並行世界ってやつに帰るんだと思う』

 

 まぁ予想でしか無いけど。でもわたしの予想は結構当たるからな、その辺は信じてくれていいぞ。

 

「そっか……」

 

 そんな悲しそうな顔するな、勇者。死ぬわけじゃないんだから、きっとまた会えるさ。

 

『お、そうだ。最後にこれだけ言っておくか』

「ん?」

 

 口を閉じたまま、首を伸ばす。

 そうして唇の部分で、勇者の唇に軽く触れた。

 

「なっ……!」

 

 照れてやんの。

 こんなでっかいトカゲみたいな存在にキスされても、別にノーカンだろうに。まったく、律儀なやつだよホント。

 

『愛してるぞ、勇者』

 

 並行世界とはいえ、勇者は勇者だからな。ちゃんとツバつけておかないと。

 まぁ、そこの騎士さまには、いい着火剤になったんじゃないかな。

 

「……あぁ、おれもだ」

 

 頬の赤みはすぐに引いた。真面目な顔になって、勇者はわたしの消滅を見届ける。

 

『バイバイ、勇者』

「あぁ、またな──ドラ子」

 

 その言葉を最後に、わたしは光の粒子となってこの世界から消え去った。

 

 これは、わたしの体験した、短くも不思議な物語──

 

 

◆◇◆◇

 

 

 我は汝、汝は我。

 わたしとおれは一心同体。

 

 わたしがおれを愛する時、おれもわたしを愛している。

 故にこの心、黒紅の心は唯一無二の絆となる。

 

 わたしの心は、常におれと共にある。

 その繋がりは、決して絶たれる事はない。

 

 あぁ、故に──わたしの愛が、一番近い。

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