不死鳥の籠   作:残響楓

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間違い

この世を生きとし生けるもの、皆全て死ぬ運命にある。誰もが知る事実である。それでは、死ななくなった者は?死ぬ事が出来なくなり魂がこの世に固定され、輪廻の輪から外れた者は生きていると呼べるのだろうか。

その答えを知る術をないことを知りながら今日まで、生きながらえてきた。あの日、全てを失い一人で逃げてきてから。名も年齢も全て偽って、現代(いま)まで生きてきた。それはこれからも続くだろう。虚無にも等しい永い道のりが。そして、これからも晒すだろう。

誰に対しても本当の自分を見せない虚像を。数多くの人々の日常の中に紛れ込む己の醜悪さを。こんなことならあの時、『それ』を受け入れていれば。

浅い眠りの中で、何度見たかもわからない夢を瞼の裏側で噛み締めていた。どうしようもない事だと割り切っておきながら、それをいつまでも捨てられず希っている自分の卑しさを鼻で笑いながらこの私、斎藤修司は床から起き上がる。まだ眠気に微睡んだ頭を起こしながら眼鏡をかけ、枕元に散らばった本を拾い集める。充電用コードに繋がれたスマートフォンを見るとまだ時間は四時を示していた。アラームが鳴る一時間半早く起きたことを幸か不幸かと思いながら洗面台に向かう。鏡に映し出されたのは、夜遅くまで読書を耽っていたせいか、若干隈を残した目元。いつまでたっても髭が生えようとしない口元。伸びることが限りなく遅くなった髪。二十歳になってから老いる(ときをきざむ )ことを忘れた顔。

鏡に映るその顔を拝む度にため息を漏らす。もはや毎朝に日課へと成り果てていた。自らの肉体への嫌悪感は、百年を越してから既に最高潮を維持し続けていた。

この私の身体は不老不死だ。何故、そうなったのかはよく覚えていない。確か、村が飢饉に襲われていた時だったと思う。そんな中、家族も兄弟も死に絶え私一人だけ生き延びた。それくらいしか覚えていない。

ただ覚えているのは……死ねない苦しみだけ。

フィクションで描かれている不老不死と違って、私の肉体は超人的な再生能力や永く生きた末、扱うことの出来る妖術などは保有していなかった。ただ、死なない。生が死にならないだけ。故に傷の治りは凡人のそれと変わらない。傷はすぐには癒えず、骨も折れれば治るまで何ヶ月もその状態が続く。過去に山を登っている際に足元が崩れ、普通なら死に至る高さから落下したことがあった。その結果、腰と足の骨が粉々に砕けその場から動けず、ある程度再生するまで数ヶ月そこらの草と雨水で飢えと渇きを凌ぐ生活を過ごしていた。その時の痛みと飢えの苦しみは未だに頭の中に刻まれている。

「いっ!」

そんなことを考えながら朝食の準備をしていると、人参を切っている間に包丁で指を切ってしまった。長く独り身であるが故に、そういった家事などは手馴れているはずなのにそういった過ちを犯すほど呆けていたようだ。

己の指を確認すると、そこには赤の一本線が入っておりそこから血が滴っていた。慣れ親しんだとはとても言えない痛み。むしろ忌み嫌っているとも言える。過去の記憶を呼び覚まさせる赤。それから目を背ける為に傷を消毒し、絆創膏を貼った。痛みが引いてきた頃に再び指の絆創膏を見る。それを見ているとフッと笑いが込み上げてきた。

死を切望するそれとは対極に痛みを厭う己の存在を。よくよく考えるとおかしな話だと思いながら朝食の支度を済まし、速やかに食した。

 

 

私はとある進学校で教鞭をとる職を従事していた。別に人にものを教えることが好きな訳でも得意な訳でもないが、昔を生きてきたこともあって、日本史の教科を担当するのが良いと思い志願した。しかし、特別面白い授業をする訳でもなく、かといって居眠りを注意したりもしないので私の授業はただ独白の如く授業の内容を語り板書を行うという非常に穏やかなこともあってほとんど睡眠の時間と化していた。それについて過去に生徒に私の授業はつまらないかと聞いてみると、

「先生ってなんか昔話を読み聞かせする人みたいに優しく話すから眠くなっちゃうんだよね」と予想もしていない回答を得た。

確かに、私は自分が過ごしていた時代の授業をする場合は、昔懐かしみながら行う場合が多くある。それ故に、生徒たちに眠りを誘ってしまっているのかもしれない。しかし、それでも彼らの成績は悪い訳では無い。むしろ良好とも言える。単純に日本史という教科がテストにとって覚えるだけの作業という所もあるだろうが彼ら曰く、私の声はとても睡眠学習の向いているとの事だ。そういった分野の話は私にはわからないが、それでも授業態度に関わることだからちゃんと起きてほしいとだけ生徒に伝えた。

ある日の授業で私がいつも通り板書をしながら内容の説明を淡々と語っていると、珍しく私の授業で挙手をされた。

後ろを振り返ると生徒のほぼ全員が睡眠を行っている中、窓側の席の一人の女子生徒がこちらを見て真っ直ぐ手を挙げていた。

「斎藤先生、授業内容が少し違います」

彼女の指摘を受け、私の言葉と教科書の内容を照らし合わせてみると確かにそこには間違いがあった。といっても別の時代の話をしていた訳ではなくその時代に起こった”本当”の事を語ってしまっていた。

私は教科書の内容と実際に私が経験した内容の違いを発見し比べることが授業中の密かな楽しみとしていたが、今回はそれが裏目に出てしまった。

「すみません、別の話をしていました」

私は指摘してくれた彼女に礼を言い、改めて教科書に記された内容を語った。ほとんど寝ている人たちに聞かせても仕方ないだろうが。

チャイムが鳴り、授業を終えると生徒たちは私が黒板に板書したことを忙しなくノートに書きなぐっていた。いつも通りのその光景を一瞥し、教室を後にし廊下を窓の外を見ながら歩く。

「斎藤先生」

すると後ろから声をかけられる。振り向くとそこには先程、授業の指摘をしてくれた女子生徒がいた。髪を後ろで束ね、他の女子生徒にはあまり見られない身だしなみが整った制服姿。その姿からお淑やかな印象を受ける。

「中橋さん」

生徒の出席名簿に記載されていた名前を口にする。当然、生徒の目の前で名前を確認するなどという真似はしてないが、それなりにクラス数の多い学校なので名前を一人一人覚えることが出来ていなかったが、彼女は私の授業を居眠りをせず真面目に受けてくれる数少ない生徒ということで頭の中に刻まれていた。中橋沙羅。それが彼女の名だった。

「さっきはありがとう。先生、指摘されないと気づけなかったよ」

「いえいえ」

彼女は口元を手で隠し、微笑を浮かべた。私は改めて考えてみると周りから見ると恥ずかしいミスをしていたと思った。教科書を見ておきながら教科書とは違うことを口走るという類を見ない間違いしたと思われても仕方がないだろう。

私は少し恥ずかしくなり話を戻すことにした。

「それで何か用かな?」

「はい、その事なんですが…先生が間違えた部分って何だったのかなって思いまして」

どうやら話を戻す必要もなかったようだ。元々その話繋がりだったのだから。しかし、私は回答に少し困った。正直に私が経験した事と言うわけにもいかず、逡巡した。そしてそれは適当に答えることにした。

「ああ、別のクラスで行った内容と混ざっちゃってね。少し勘違いしてしまったよ」

私は嘘をつくという後ろめたさから彼女から目を逸らしながらそう言う。

それを聞くと彼女は納得したように手をポンと叩いた。そんな彼女の様子を見ると適当なことを言ってしまったことが申し訳なくなってくる。

「ありがとうございました。すみません、お時間取らせてしまって」

「いやいや、またなにか気になることがあったら聞きにおいで」

そう言い、彼女に背を向け、廊下を歩く。嘘をついてしまったことへの罪悪感が彼女の笑顔を見ると更に強くなって胸の中を渦巻いていた。

私は足早に職員室へ戻る。何も無かった。何も聞かれなかったと、心に言い聞かせながら。

職員室に戻り、自分のデスクに座り、一番下の引き出しから一冊のボロボロの冊子を取り出す。それは私が昔からその時代に起こっていたことを綴っていたものの一つだった。私はそれを開くことなくデスクの中に再びしまった。そして、一つため息ついて先程のことを忘れる事にした。

「どうしたんですか?斎藤先生」

後ろからそう声をかけられる。私は椅子を回転させ、その方向に身体を向ける。そこにはコーヒーを片手に持った女性がいた。私の先輩教師にあたる安村先生だった。

「安村先生」

「ため息をつくなんて珍しいですね、何かありました?」

確かに私は普段そういった態度を人前で行わないので他の人からすれば珍しいのかもしれない。

「いえ、先程授業でミスをしてしまいまして」

「ほうほう、どんなミスしたんですか?」

彼女はこちらの表情を伺うようにその事を聞いてくる。どんな事にも気にかけてくれる気のいい人だ。彼女の人情には教師を始めた頃からお世話になっていた。

「いえ、大したことではないんですが授業内容を少し勘違いして教えてしまいまして」

「ああ、それはまた」

「生徒に指摘されてなかったらそのまま進めてしまうところでした」

「うんうん。わかりますよ私も別のクラスでやったところを勘違いして、内容一つ飛ばしたことありますもん」

彼女は頷きながらそう言う。どうやら、彼女は後輩である私を労ってくれているらしい。

「そういえば斎藤先生、この後時間あります?」

「いえ、特にありませんけど」

それを聞くと彼女はニッと明るく笑う。

「じゃあ、お昼、一緒に食べましょうよ。いつも一緒に食べてる先生が今日出張で…」

「そうなんですね。分かりました。ご一緒させていただきます」

「やった!今日、どうしようかと思ってたんですよ〜」

「私でよければ何時でもお声がけ下さい」

「じゃあ、次から斎藤先生もお昼に誘いますね」

「ありがとうございます」

彼女の快活な振る舞いを見ているとこちらまで元気を貰える気がする。本当にお礼を言うべきはこちらなのだろうなと心の中でも思う。いつか恩を返したいと秘めながら。

 

学校が終わり、生徒は各々帰路を辿るなり部活動に勤しむなりしている放課後。私は職員会議、実務業務などのことを済ましているうちに時計は19時を指していた。仕事にキリをつけて帰ろうと階段を降りていると廊下の角で女子生徒とバッタリと出会った。

「中橋さん」

「斎藤先生」

部活動をしていない生徒はてっきり既に下校したのかと思ったが、生徒会などに所属している人は話は別だろう。

「中橋さんは生徒会だったかな?」

「? いいえ?」

「では、部活動を?」

「いいえ」

違う回答ばかりする私に呆れたように彼女は手持ちのカバンからノートを一冊取り出し、開いた。

「これは…!」

彼女のノートを受け取り拝見すると、そこには丁寧に書かれた文字で本日の授業の内容が記されていた。私が五十分、一方的に語るだけのような内容の授業に彼女は真摯に取り組み復習していたのだ。

「真面目だね、中橋さんは」

「歴史が好きなもので…」

「私の授業、わかりやすいかな?」

「はい、とても」

その一言で心の内が満たされたような気がした。これが教師冥利に尽きるというやつだろうか。眼鏡をかけ直し、照れくささを隠す。

「中橋さんが毎回、日本史のテストが一位の理由がわかった気がするよ」

彼女は一年生の頃から日本史での成績が非常に優秀で、百点を取ることも少なくなかった。

「中橋さんは歴史のどんなところが好きなんだい?」

私がそう問うと彼女は少し、照れくさそうにして答えた。その表情は本当に自分の好きなことを語る人の顔をしていた。

「最初は大河ドラマや小説を見始めたことが切欠なんですけど、歴史は全て必然の連続で知れば知るほど、学べば学ぶほどそこに人の意思や考え、葛藤、苦しみや怒りなど様々な感情が交錯しているのが過去の様々な史実や記録から見えてくるところが好きですね」

彼女のその言葉を聞き、人にとっての歴史の受け止め方は人それぞれであることを再認識した。歴史で感情を認識することはとても簡単なことではない。彼女が本当に歴史が好きなのだということをそれが裏付けていた。

「先生」

私が考えていると彼女は既にこちらを見据えていた。口元は微笑を浮かべたままだったが、その瞳は喜悦を含めたように笑っているように見えた。

「また私に歴史を教えてくださいね」

彼女は微笑を浮かべたままそう口にした。まるで花のように。




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