下北沢ルーザー
8/30。それは夏休みが終わる直前であり、目先に迫った学校という現実に絶望を覚える時間である。
その絶望はリア充、陰キャを問わずに降りかかってくる不幸であり、この瞬間だけは同じ人間なのだという実感がお互いに得られるとか得られないとか。いや知らんけど。
受け入れる他ない現実にジタバタして遊びに行く様な性格はしていないが、クーラーの下でダラダラとする日々にも流石に飽きてきた頃である。そんな訳で俺、比企谷八幡は予約していたCDの受け取りという名目で遠い遠い下北沢まで訪れていた。
さて、CDの受け取りは勿論だが、一体何をしようか。定期券のおかげで交通費は無料だが、せっかく一時間半という長い時間をかけてやってきたのである。何かしたいと思うのが人情というものだろう。
ちなみに最近のマイブームは古着漁りである。陰キャがやる事じゃないだろというブーイングが聞こえてくるかもしれないが、ちょっと待って欲しい。定番の〇ニクロ程ではないが価格が安く、それでいてサブカルチャーの中心地にありながらもどことなく漂うアングラな雰囲気。土日にカップルやら陽キャやらが集まってくることを除けば、中々いいところだ。
そんな事を考えながら、駅から一歩踏み出す。とりあえずクーラーを求めてタワーレコードの方に向かおうとした時、視界の端に警察が二人ほど何者かの前で立っている姿が映った。
下北沢は渋谷が近いという立地上、必然的に若者が多いのだが、かといって例の交差点程治安が悪いわけでもない。そんな土地で駅前に警察が集まっているというのはある種珍しい光景でもある。ちょっとした野次馬根性を働かせて、さりげなく近くを通るように耳をそばだてた。
「お姉さん、最近暑いから、こんな所で呑んでたら熱中症になっちゃうよ?」
「え~? チュウなんてしないよぉ~! お姉さんこれでも一途なんだからぁ~」
「チュウじゃなくて熱中症! はぁ……こりゃダメかなぁ」
「うーん、身分確認証も持ってないみたいだしなぁ……だからと言ってこのままなにもナシで解放するってわけにもいかないし」
なるほど、どこぞの酔っ払いが路上で呑んだくれて動かなくなっているだけか。よくある事ではないが、珍しい事でもない。強いて言うなら、酔っ払いの上げている大声からして若い女性というのは珍しい事だろうか。
警官の間からチラリと酔っ払いの姿を覗き見る。
(……ん?)
赤みがかった三つ編み。だらしなく肩紐のよれたワンピース。腕に抱えられた一升瓶。
気のせいだろうか。何故かわからないが見覚えがある。こんな酔っ払いの知り合いはいないというのに。
……いや本当に。俺知り合いじゃないし。たまたまライブハウスで見かけて、たまたま話しかけられただけだし。あーし本当に知らないし。
ぐるぐるとした瞳が、覗き見ていた俺の目とばっちり合う。しまった、と慌てて目を逸らすがもう遅い。
「ん? あれー? 少年くんじゃーん! おーい、きくりお姉さんだよー! 元気ぃー?」
最悪だ。警察もくるりとこちらを振り返って訝しげな目線を向けてくるが、必死で知らないふりを続ける。せっかくの休日を一度会っただけの酔っ払いに潰されるなど勘弁である。
「あれ? おーい、ぼっちくぅーん? どうして無視するのぉ? おーい!」
頼むぞ国家権力。俺の名前も教えてない相手なんだから、俺とあの人がほぼ無関係であることに気付いてくれ。そして適当に、穏当に処理してくれ。頼む。
「えーっと……お姉さんが呼んでるのは君のことでいいんだよね?」
「ちょっと手伝ってくれないかな……ほら! あのお姉さんに帰る場所教えてあげるとか、それくらいでいいからさ! ね?」
ファッキン国家権力。ロックに走って反体制を叫ぶヒッピーの気持ちが少しだけわかるような気がした。
所詮はか弱い男子高校生。大人二人に立ちふさがられて頭を下げられてしまえば、そう簡単にノーと言うのも気が引ける。やれやれ、結局俺の力が必要かとため息をつきながら、クールに対応した。
「は、はひゅ」
モノローグに対して情けないが過ぎるのでは?
渋々ながらも酔っ払いの前にしゃがみ、目線を合わせる。
「……俺と貴方、気軽に声かけるほどの関係値じゃありませんでしたよね」
「ええー? 酷い言いぐさだぁー! あの日あんなに絡み合った仲なのに?」
「絡み合ったって言わないでください。一方的に絡まれただけです。あと誤解を招く言い方は後ろのおまわりさんがすごい顔してるからやめようね?」
具体的にはどっちを注意するべきか悩んでいる顔である。目つきの怪しい青少年か、昼から吞んだくれる美人の酔っ払いか。天秤にかけてもギリギリ釣り合うのだろう。いや俺何もしてないのに釣り合っちゃうのかよ。
「で、こんなところで何してるんですか? 俺も暇じゃないんで早くこの時間終わらせたいんですけど。とりあえずここから場所移して、公園とかで寝てくれません?」
「うえぇ、悪質なイジメだぁー! 排除アートはんたーい!」
「大声出さないでもらえます? 俺も衆目に晒されてるこの状況にちょっとば罪悪感を覚えてほしいんですけど」
「二人そろって有名人だね! うへへー」
「……」
ああ、なんだか頭が痛くなってきた。両親が酒を飲んで若干酔ったシーンくらいは見たことがあるが、それでも多少機嫌が良くなるくらいの程度である。深酒するタイプの人間がこうも面倒な相手だとは、これまでの人生経験で学ぶことが無かった点だ。
ただ、酔っ払いの対処は知らずとも、面倒な人間への対処は心得ている。ただシンプルに無視して通り過ぎる。これが鉄則である。今回の場合既に話しかけてしまってはいるが、そっと静かにこの場を去れば今からでも遅くはない。警察の人には悪いが、自分には荷が重かったという事で引き続き頑張ってもらおう。
「うぇ? ちょっと待ってよぉーどこいくんだよぉー」
「ちょ、足にしがみつかないで下さい……!」
「もう一歩も動けないからスターリーまで連れてってよぉー!」
「いい大人がしょーもない嘘で横着しようとするのやめませんか?」
「嘘じゃないんだよぉ……先輩の家でごはん恵んでもらおうと思って池袋から下北沢まで歩いて来たんだけど、もう疲れちゃって全然動けなくてぇ……」
「歩いてって、電車で来ればいいだけの話では?」
どこぞの妖精のような事を言い出した酔っ払いだが、俺の目の前に財布を取り出して見せると、徐にそれをひっくり返す。
チャリン、と音を立てて落ちてきたのは一枚の五円玉だった。この光景、なんか既視感あるぞ。
「……なんかすいません」
「もう鬼ころ買うお金もないんだよぉ……お腹も空いてちっとも動けないよぉ……スターリーまで運んでよぉ……」
しくしくと泣き崩れる酔っ払い。なんだか情けなさを通り越して哀れみすら覚えてきた。
「……よし、行先は決まったみたいだね! うん、じゃあ君、あとは宜しく!」
「はは、じゃあ自分たちも仕事がありますので……」
「え、あ、ちょ」
言うが早いか、そそくさと足早に立ち去る警官二人。げに国家権力とは脆いものである。酔っ払いの世話を健全な男子高校生に押し付けるんじゃない。
後に残されたのは、腐り目の不審者と酒浸りの不審者の二人。警官はいなくなったが、こちらをじろじろと伺う下世話な目線は去ってくれない。まるで真夏の太陽のように、じりじりと俺たちを照り付ける。
足にしがみ付いて離れない女性を見下ろし、どうしようもない思いを込めて大きなため息をついた。
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「……で、ウチまで来たと」
目の前で凝り固まった眉間をほぐすのは、以前見かけたこともあるスターリーの店長──酔っ払い曰く星歌さんというらしい──。元々かなり目つきが悪いが、その仕草も相まってかなりの迫力を感じる。
俺もこの目でびっくりされた記憶は多々あるが、目の前の女性はその反面教師としてとてもいい材料である。普段から俺がどういった印象を与えているのか、欠片くらいは勝手に分かった気になっていた。いやまあこの人結構な美人だから的外れかもしれないけど。
といっても、その程度でビビって声を上げられなくなるほど俺は臆病ではない。毎日自分の顔を鏡で見ているわけだし、これでもコミュニケーション能力は人並みにはある。
「は、はひ」
ファーストコンタクト、大失敗である。人には誰しも間違いってあるよね。てへぺろ☆
「もう店長、悪いのは廣井さんなんですから、見知らぬ男の子脅かしちゃ駄目ですよ~」
横から口を出すのは、黒髪に紫メッシュを入れた、ピアスまみれのロックな女性である。見た目からは想像できないくらいには優しい声色だ。
助け舟はありがたいが、別に俺はビビっていない。ただちょっと声帯が震えてしまっただけだ。本当に。
「いや、別に脅かしたつもりは……」
「あれぇ? 先輩、ぼっちちゃんたち今日はいないのぉ~?」
酔っ払いがきょろきょろとライブハウス内を見回す。星歌さんは苛立ったようにため息をつくが、肝心の酔っ払いはどこ吹く風。無遠慮にキッチンへ向かおうとする彼女を、ピアスまみれの女性が柔らかく押しとどめる。
「ぼっちちゃん達は江の島に行ったよ。夏の思い出作りにな」
「思い出ぇ? もう夏休みも終わりなのにぃ?」
「虹夏達がぼっちちゃんを遊びに誘ってやらなかったから、ぼっちちゃんが壊れちゃってな。急いで修理中」
哀れ後藤。誠に不本意ながら、俺には彼女の思考回路が想像ついてしまう。
友達だと思っていたバンドメンバー。もう言わなくてもわかるよね? と肥大していく友達への幻想。一度ぼっちを脱却したことから、自分は既に仲間はずれにされる存在ではないという思い込み。そして生来の気質によるコミュニケーション不足。これらが合わさった結果、おそらくメンバーに声をかけることすら行わなかったのだろう。世に蔓延る陽キャといえど、遊びには大体約束が伴うということをしっかりと知っておくべきだったな。
俺? 俺はほら、アレがアレでアレだから……だからいいんだよ……。
「うぇぇ? 虹夏ちゃんいないのぉ? じゃあ私は誰にご飯を作って貰えばいいのさ!」
「知るか。道草でも食ってろ」
「草は硬くて食べれないの! おにころ飲んでても不味いの!」
「いや冗談で言ったんだが、お前本当に食べたのか……?」
「ベーシストの性質、って奴ですかね〜」
ベーシストになるとそこら辺の草食べるようになるの? いくらなんでもそれは言い過ぎじゃ……いや、確かにあの
「この際先輩の料理でも我慢しますからぁ〜お恵みを〜」
「は? お前マジで出禁にするぞ。食わせてもらってる身分で何抜かしてんだコラ。大体、私の料理はそこまで下手じゃない……下手じゃ、ない」
確かめるように最後の言葉を復唱すると、星歌さんはちらりと横に立つ紫メッシュの女性へと目線を向ける。まるで同意を求めるように。
だがそれを知ってか知らずか、紫メッシュの女性は余った袖口を口元に寄せるとそっと視線を逸らす。いやまあ、この反応としては気付いてるんだろうが。
星歌さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたまま、手元のジュースパックのストローを噛む。ふと、そのタイミングで所在なさげに立つ俺と目線が合った。
「……あー、このクズベーシストの世話を任せたみたいで悪かったな。こいつにはキツく言っておく」
「いえ、まあ……じゃ、自分はこれで」
「ちょっと待て」
軽い挨拶で踵を返してその場を立ち去ろうとするも、鋭い声に身体が強張る。恐る恐る星歌さんの方を振り返ると、パックのいちごミルクを一つ差し出してきていた。
「え、えっと……」
「……やるよ。ぼっちちゃん達の知り合いみたいだし」
「『迷惑かけたからごめんなさい、謝罪ってわけじゃないけどとりあえずこれをあげます』って意味ですよ〜」
「そんな長台詞一言も言ってないだろうが! 捏造にしても限度があるぞ!」
俺としては遠慮して帰りたいのだが、受け取らない方が失礼というのもまた事実。毅然と断る勇気もないので、大人しくパックを受け取る。
「……」
「……あの……」
いや、受け取れない。パック掴んでるのに向こうが全然離してくれない。なんで?
「……」
「……」
「……オマエ、ぼっちちゃんとどういう関係なんだ?」
「へ?」
何を言っているのかと間抜けな声で聞き返してしまったが、星歌さんはただでさえ殺人的な眼光をより強めて見据えてくる。犯罪者にしか向けちゃダメなタイプのやつじゃないそれ?
「べ、別に大した関係じゃないでしゅよ? た、ただのクラスメイトっす。ぼっちとぼっちでしゅ」
「チッ、なら山田は? あいつが積極的に話しかける男子なんて初めて見たぞ。なんか弱み握ってるんじゃないだろうな?」
「いや、寧ろ借金滞納されてる側なので……」
「……喜多は?」
「この間初めて言葉を交わしました」
「…………虹夏は?」
「ドラムの人の事なら、この間初めて会いました……」
緊張の走る一問一答。終わった後も暫く鋭い眼光が俺の顔を真っ直ぐに見据えてくる。
やがて俺の愛想笑いも限界に達し、口角が若干震えてきた所でようやく星歌さんがパックを持つ手を離した。
「……まあいい。悪かったな時間貰って」
「は、はぁ……」
「変な事聞いてごめんなさい。でもほら、結束バンドってガールズバンドだし、店長の妹さんも所属してる訳だし、私達も警戒はしなくちゃだから……」
「はぁ……」
紫メッシュの女性がフォローに入るが、まあ理解はできる。俺も妹の周りに俺みたいな奴がいたら警戒せざるを得ないし。つまり俺って不審者ってコト?
「……まあ、俺は本当にただの知り合いってだけなんで。必要以上に近付きませんし、黙ってても蚊帳の外なんで、心配するだけ杞憂ですよ」
「……その言い方の感じ、お前友達いるか?」
「いるように見えますか?」
星歌さんは肩をすくめると、カウンターのラップトップに向き直る。これで会話は終わりだということだろう。貰ったパックのジュースを手に、俺も再び踵を返す。
階段を上り切って、再度後ろを振り返る。紫メッシュの女性と、アル中ベーシストの二人が手を振っていた。星歌さんは変わらず。
軽く会釈をして、外へ出る。階段下の影と地上の輝きのコントラストが目に痛い。
「……そういえば」
店長の名前が星歌。酒カスベーシストの名前が確か廣井。じゃあ、紫メッシュの名前は何だったんだろうか。
まあ、どうでもいい事か。
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