俺の通っている高校、秀華高校は東京の下北沢という場所にある。愛すべき我が実家、千葉からおよそ一時間半。高校は誰も中学の自分のことを知らない場所に行こうと思った結果、なぜかこんな遠い遠い僻地(当社比)に通う羽目になってしまったという過去を持つ。
朝は早いし、時間は取られるしで個人的には最悪に近い立地だが、それでも数少ない利点は存在する。それは駅前周りに娯楽が充実している事だ。
本、音楽、古着。サブカルの聖地と名高いだけあって、メジャーなものからニッチなものまで幅広いコンテンツが存在する。ラノベから純文学まで雑食的に本を読み漁る俺としては、こうしていつでも手元に本が届く状況というのは有難い。
そんな訳で、今日も今日とて学校が終わった後、脇目も降らず駅前へと向かう。
目指すは最近出来たと話題の本屋。確かB&Cと言ったか。下北沢という土地柄もあって、なかなか個性的な本屋だとは聞いているが、実に楽しみだと内心とてもワクワクしている。
歩く事五分。シンプルに備えられた店構えを抜けると、俺の期待通り平積みにされた大量の本が待ち受けていた。
奥の方では何かイベントも行っている様で、雰囲気としてはとても居心地がいい。新刊の類は後で見るとして、とりあえず品揃えを見て回るとしよう。
暫く店内を練り歩いていると、通路にて一人の少女が立ち読みをしていた。
ギターケースを背負った青髪のクールそうな女子。制服姿ではあるが秀華高の制服とは異なっている為、この辺りにある別の高校のものだろう。確か下北沢高校と言ったか。
ギターケースを背負ったまま立ち読みしているので、ただでさえ狭い通路が少女一人で埋め尽くされてしまっている。率直に言って非常に邪魔だが、それを指摘する勇気は俺にはない。さっさと後ろだけ通り抜けることにしよう。
「すいません、ちょっと通ります」
手刀を切って本棚とギターケースの間に体を滑り込ませると、さすがに気付いたのか少女はこちらに振り向き、ギターケースを下ろして本棚に立てかける。
立ち読みはやめないのか……とも思ったが指摘してやる義理もない。そのうち店員がはたきを持って追い出しにかかるだろうと考え、そのまま後ろを通り過ぎた。
その後暫く店内を物色。そろそろ良いかと本命だった新刊を持ってレジに並ぶ。自分の前で会計を行なっているのは、先ほどの青髪少女だった。
立ち読みしたとはいえ、本屋にしっかりとお金を落とすのは感心である。
「お会計1,300円になりますー」
財布を取り出し、代金を出す……と思ったが、中身を見た瞬間にぴたりと少女の体が凍りついた。
財布をひっくり返しポンポンと叩くと、中から出てきたのは5円。目の当たりにした店員は実に気まずそうな顔をしている。
この女、圧倒的文無しである。
「……あの、今5円しか無くて」
「……はい。そのようですねー」
「ベース……今いいやつ一本持ってるんですけど……」
「えっと、現金をー……」
「2本ですか!? 3本がお望みですか!?」
「だからあの、現金ー……」
先ほどの俺の感心を返してほしい。そう思うほど少女の姿はみっともなかった。
どこから取り出したのか複数のベースを取り出し店員に詰め寄る少女。クールそうな、と先ほど評したその雰囲気はすでに失われた。今ここにいるのは金を求める債務者が如き亡者である。というか普通ベース売った方が良いだろ。金銭的に考えて。
こうなると美人も形無しなんだなぁと、ボケっとしながら目の前の喧騒を眺める。
今にして思えば、この段階でさっさと目の前の面倒ごとから離れるべきだったのだろう。
「あ」
「?」
店員にこれ以上交渉しても無駄だと悟ったのか、ぐるりと後ろを振り返る少女。当然ながら、彼女の後ろに立っているのは俺だ。
嫌な予感がしたのも束の間、シュババババという擬音がつきそうな勢いで駆け寄ってきた少女は、ベースを2本構えて俺の前に立ち塞がった。
「き、君! とてもロックが似合いそうな眼をしてる。というか眼がとてもロック。このベースを買って、より一層ロックになってみないか!?」
「いや、あの……間に合ってるんで」
「そう言わずに! 今なら一本5,000円。とてもお買い得」
「安過ぎだろ。流石に中古屋に売ってこい」
敬語を保つにも限界というものがある。見知らぬ相手であったが、ついタメ口が出てしまった。まあ、もう直す気にもならないのだが。
というか誰がロックな眼だ。誰が。
「お願い。これを買ってくれないと明日のお昼ご飯代も無い。また草を食べて生きていく羽目に……」
「いやそんな事言われても……俺ベース弾けないし、改めてベースをまともな所で売ってきてから本を買えばいいんじゃないか?」
「無理。これは今買わなくちゃいけない」
そういって彼女が差し出してきたのは『私航』先生の『やっぱり私の青春ラブコメは間違っていなかった』のサイン付き新刊だった。うん、確かに今買わなくちゃいけない気もしなくはない。
「ラスト一冊をなんとか確保できたけど、明日まで残ってる保証はない……後どうしても今欲しい。買えたことを虹夏に自慢したい」
「後半全部ただの欲望じゃねぇか……」
「くっ、これだけアピールしても買ってくれないなんて……ハッ! も、もしかして君……目的は私自身!?」
何かに気付いたかの様な顔をすると、直後に顔を赤らめてもじもじとし始める。心にも無かったことを大声で言わないで欲しい。『あの不審者、女子高生に何か卑猥なことをさせようとしてる?』っていう視線が店員からグサグサ突き刺さってるから。
「……しょ、しょうがない。背に腹は代えられぬ……」
……ふ、ふーん? まあでも? 向こうから来る分には構わないけど? 俺も男子高校生だし?
「私愛用のピックもつけよう。大事にして欲しい」
……いやまあ、八幡分かってたよ? 変な意味じゃ無いって。別に悔しくなんかないけど。
「……分かった、分かったから。とりあえずここの代金は俺が立て替える。一旦それで大人しくしてくれ。頼む」
「! ありがとう、これでサイン本を手に入れることができる。じゃあ早速このベースを君に……」
「いや、ベースいらんから後で金返してくれ」
俺がそう言って差し出されたベースを押し返すと、少女は不思議そうな顔をして小首を傾げた。
「ベースいらないの?」
「俺は養われる気はあっても施しは受けん。あと一方的に高いもの渡されると気まずい」
「……変な人だね」
すまし顔でのたまうその顔に若干イラっとした。お前もだろう、という言葉はこれ以上の騒ぎを防ぐ為、飲み込むほかなかった。
エキセントリックな女がホクホク顔でサイン本を抱えながら店から出てくる。日々コツコツ親からもらったお昼代を節約して作った2000円、まさかこんなところで見知らぬ他人のために使う羽目になるとは思わなかった。
「満足。ありがとう見知らぬ人。このお礼はいつか必ず」
「いや、金貸してるだけだからすぐ返して欲しいんだが……」
「勿論。私の長所は一度も約束を破ったことがない事だから」
しれっと言う女だが、どうにも嘘くさい。そこはかとなくクズの香りがする。
「とりあえず、あんたの素性を教えてくれ。ああ、勘違いするなよ? これは個人的興味とかじゃなく、あくまで取り立てのために必要だからだ。そう、誓って他意はない。ストーカー予備軍じゃないから通報とかはするなよ」
「別にしない。というかさっきより眼がロックになってきてるね」
誰の腐り眼がロックだ、と言いたいところだが、今は嫌な過去を思い出して表情が消えている自覚があるからなんとも言えない。名前を聞いただけで泣き出した隣の席の中山、お前のせいで学級裁判まで持ち込まれたことは永遠に忘れてやらないぞ。
「名前、山田リョウ。下北沢高校2年。結束バンドのベース担当」
ぶい、と右手にVサインを掲げながら無表情で自己紹介する少女、改め山田。
「そうか。じゃあ一週間後またここで。金はその時に返してくれ。来なかったらお前の高校まで押しかける。それじゃ」
「まてい」
これ以上この変人に付き合ってやる義理もないため、言いたいことだけ言ってさっさと退散しようと思ったが、流石にそううまくは行かない様だ。がっしりと肩口を掴まれ、歩みを阻害される。
「……まだ何か?」
「自己紹介は?」
「……比企谷八幡。秀華高校1年生。以上だ」
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『めちゃくちゃロックな見た目』。それが、リョウが八幡を見た時の第一印象だった。
ピンと頭頂部から跳ねた寝癖の様なアホ毛。世の中全てを恨んでいそうな、生気のない濁った眼。彼にストリート系のファッションとギターケース、そしてアクセントのピアスを合わせれば、あっという間に地下系バンドマンの完成だ。
派手目ではないが、ダウナーな雰囲気は一定のコアなファンを獲得できる。おそらく
「秀華高? ぼっちと郁代と同じだね」
「誰だよ……」
喋ってから分かった第二印象は、『変な奴』だった──リョウを知る人がここにいれば『お前が言うな』と言うだろうが。
彼に借金を願ったのは偶然の出来事だったが、まさか本当に貸してくれるとは思ってもいなかった。最悪、自身のベースを持っていかれることも若干覚悟していたが、特に条件もなく貸してくれるというのも意外であった。
ではただのお人好しなのかと思えば、リョウを前にしてもダウナーな雰囲気を崩さない。いや、むしろ避けているのか。リョウ自身、顔が良いため基本的に接する相手は男女問わず笑顔で関わってくる事が多いのだが、こうしてずっとテンションの低いまま早く会話を切り上げようとする相手は初めてだった。
最も、最近は後藤ひとりという珍しいおもちゃにも出会ったのだが。
「なぁ、自己紹介したからこれでいいか? 俺早く帰りたいんだけど」
しかし、話によるとこの男は一年生だと言う。仮にもこちらは二年生なのだが、いささか言葉遣いが荒々しくはないだろうかとリョウは訝しんだ。
こうもあからさまに帰りたがられると、帰したく無くなるのが人の性。無表情の下に隠された悪戯心が鎌首をもたげる。
「連絡先、交換した方がいい」
「いや、知らん人とロインの連絡先交換しちゃいけないって親父に言われてるんで」
「でも来週絶対に会えるとは限らない。有事には備えるべき」
「……はぁ、まあ別にいいか」
大きな溜め息をつくと、自分のスマホを差し出す八幡。
「ロックは?」
「かけてない」
「中身勝手に見られない?」
「見る相手がいない」
「不用心」
「効率的と言ってくれ」
八幡のセキュリティ意識はかなり低いようだ。ポチポチとメッセージアプリのロインを開くとリョウの目に飛び込んでくるのは『3』の文字。
『父』
『母』
『妹』
「……八幡、友達いない?」
「いきなり名前呼び……? いやまあ、俺は孤高の存在だからな。友達はいらないまである」
友達がいないとなると、リョウの頭に浮かぶのはひとりの存在。勿論リョウからすれば友達であるとは思っているのだが、どうも彼女は自身を卑下しすぎるきらいがある様だ。
それと比べると八幡は大分まともな人間に見えるが、このロインの雰囲気はひとりとよく似ている。
「気を落とす事はない。ぼっちもバンドに入ってから友達できたから、八幡もバンド始めればいい」
「だからぼっちって誰? 俺への悪口? あとバンドはやらん。楽器出来ないから」
「じゃあライブハウスに行くべき。その雰囲気でギターケース背負って後ろの方立ってれば話しかけられるよ」
「遠慮しとくわ……」
決して話が弾むわけではないが、適度な相槌のお陰で苦痛は感じない。やったことと言えばロインのIDを交換するだけだが、それにしてはつい長い時間話し込んでしまったと、八幡と別れた後にリョウはそう思った。
(そういえば、今日はぼっちと郁代がギター練習してるんだっけ)
少し時間が押していた為、スターリーに向けて若干歩みを早める。自己主張を強めた腹の虫を収めるため、いつも通り道草でも食って行こうかと考えた。