「初めまして! 結束バンドです! 今日はお足元の悪い中、お越しいただき誠にありがとうございます〜!」
「あはは、喜多ちゃんロックバンドなのに礼儀正し過ぎ〜!」
ロックバンドの掛け合いというものか、壇上では喜多と伊知地さんがパフォーマンス的な会話を始める。最前列に陣取っていた女性二人が乾いた笑い声を響かせるが、それ以上彼女たちに反応する者はいない。ライブ前としてはありえない、気まずい空気が流れていた。
それはもちろん観客側に盛り上がりが無いことに起因しているのだが、彼女たちの緊張が見てとれるというのも一因ではあるだろう。
そも、大人数の人の前に立つということ自体が緊張の大きい仕事だ。喜多も伊地知さんもその例に漏れず緊張を隠せていない上、隣に立つ山田は相変わらず何を考えているのかわからない無表情、後藤に至っては観客と目を合わせないようにいつもより大きく猫背になっている始末。
「じゃ、じゃあ早速一曲目、行きます! 聞いてください、私達のオリジナル曲で、『ギターと孤独と蒼い惑星』!」
喜多の合図で照明が変わり、曲が始まる。
掻き鳴らすギター。
叩くドラム。
下働きのベース。
懸命なボーカル。
──全てが噛み合わない。
音楽の事を毛ほども知らない素人耳の身分ではあるが、そんな俺でも如実に伝わってくる程メロディーが合わない。ちょっとずつ拍子がずれているのだろうか、こう言うのもなんだが聞いてて『気味が悪い』。
ズレたメロディーは不協和音となってライブハウスに響く。伊知地さんに喜多、後藤が必死な顔で音を合わせようと努力する様は見て取れるが、それで一朝一夕に直るものでも無いだろう。山田の表情はいつもと変わらないように見えるが、その額には汗が滲んでいる。こうも息が合わないのであれば、最早腕前どころの話では無い。
先日山田は、『個性がなければ死んでるのと一緒』と言っていた。だが、この現状を見て、感じて、本当に同じことが言えるのだろうか?
彼女達は『初めてのバンドを』『ライブハウスで』『見知らぬ観客の中』『オリジナルの曲を』演奏し、結果がこの有様。取りも直さず言うのであれば大失敗だ。確かに山田はメンタルが強そうだが、それが他のメンバーにも通用すると考えるほど間抜けでもないだろう。
少なくとも、俺と同じ人種である後藤にとって、こうして恥を大きく晒す場面というのは耐えられないものに違いない。俺だったら間違いなくその場でギターを捨てて逃げている。
これがもし、『初めてのバンドを』『文化祭で』『見知った連中の中』『メジャー曲を』演奏していたのであればこうはなっていない。全く同じ、いやこれ以下の演奏技術でも、青春という名において失敗の二文字が塗り替えられるからだ。
特にメンバーに喜多がいるのであれば、それだけで一定数の観客は盛り上がる。少し想像すれば分かることだ。こちらの方が、断然笑顔が多い。
俺は欺瞞が嫌いだ。だから、失敗を全て無かったことにしようとする青春という言葉が嫌いだし、それを多用する者を見ると苛立ちも浮かぶ。もし彼女達がそんなバンドだった場合、お金を貰ったって見に行くことは無かっただろう。
だが、それはあくまでも俺の考え。彼女達にとって毒にならないのは、間違いなく後者である。個性という意地を張らなければ、この光景を見ずに済んだというのに。
これでもまだ、彼女は言うのだろうか。『個性捨てたら、死んでるのと一緒』と。
「一曲目、ギターと孤独と蒼い惑星、でした」
俺が思案に耽っている間に、いつのまにか一曲目が終わっていたようだ。喜多が終わりの挨拶をするも、拍手をするのは最前にいた二人のみ。当然だ。ただの観客は失敗したバンドに拍手を送るほど優しく無い。
「やっぱ全然パッとしないわ」
「早く来るんじゃ無かったね」
決して狭くは無いライブハウスだが、心無い言葉は思っている以上に響く。観客の芳しくない反応を目の当たりにして、さしもの喜多も二の句が告げない様だった。
……潮時、か。
「……あの、手離してくれませんか?」
「んー? なんでぇ?」
折角人がキリよく帰ろうとしているのに、何故この見知らぬ酒臭い女は肩を組んだままなのか。黙って曲を聴いていれば勝手に去るかなって思った俺が馬鹿だった。
「何でって、帰る以外にあるんですか? 理由」
「えー? まだぼっちちゃん達の曲残ってるよぉ?」
「聴くものは聴きました。俺にも用事があるんで」
「この嵐の中でぇ? 用事ぃ?」
「……ええ、まあ」
酒臭い息を俺の顔面に吐き出しながら、帰ろうとする理由を詰めてくる女。確かに俺もでっち上げた理由としては無理があると思うが、彼女がここまで執着してくる理由はなんなのだろうか? 絡むのであれば、スマホをいじり続けているそこの女二人組に絡めばいいのに。
会話を切り上げて去ろうにも、足と足を絡められているせいか上手く動けない。羞恥心というものがないのか、素足で健全な男子高校生に物理的に絡みつくのは本当にやめて欲しい。抑えが効かなくなるから。
「あの、本当に離して……」
「まあまあ、もうちょっと落ち着きなって。ね?」
紫色の瞳が、俺の眼を真っ直ぐに通り抜ける。
──ギターの音が、ライブハウスに響いた。
下を向いたままの後藤が、一人ギターの弦を揺らす。
瞬間、勢いよくギターペダルを踏みこむ。荒々しいギターサウンドが、観客へと向けて放たれる。
おそらく、これは後藤の暴走だ。打ち合わせなんてしていないのだろう。現に三人のバンドメンバーは唖然として彼女の演奏に聞き入っているし、本来ソロに浴びせられるべきスポットライトもない。そもそも、こんな空気の詰まった場面で、ソロを唐突に差し込む余裕などあるはずもないのだから。
かき鳴らす。かき鳴らす。すっかり隠れた彼女の表情は窺い知る術もないが、きっと真っ直ぐな表情をしているに違いない。
欺瞞も、誤魔化しもない、純粋な一つの技術がそこにはあった。
──ああ、間違いない。これは暴力だ。だって、俺の視線をこんなにも惹きつけて離そうとしてくれないのだから。
奪われる。視線を。感情を。捻くれた俺の心に、ギターの音が正面から真っ直ぐに突き刺さってくる。
彼女は猫背のまま、虎になって見せたのだ。心の咆哮を獰猛なメロディーに変える、猫背の虎に。
彼女のギターの流れのまま、次の曲が始まる。そこにはもう、先ほどのバラバラだった集団はいない。『結束バンド』がそこにいた。
========
「んー! やっぱり良かったねぇぼっちちゃん達! 私も目をかけてる甲斐があるってものだよ~」
横から吐きかけられたアルコール臭に、ようやく我に返った。最悪の目覚めである。
結束バンドの初ライブは結果的に恙無く終わったようで、ステージ上では既に次のバンドの準備が始まっている。目当てが彼女たちである以上、もうここにいる必要も無いだろう。
「あの、今度こそ本当に帰りたいんで肩を外して貰っても……」
「んー? ぼっちちゃん達に挨拶してかないの?」
「しませんよ。ただの知り合いですし、そもそもドラムの人とは初対面なんですから」
「えー? ただの知り合いが台風の中来るのぉ?」
台風の中苦労して来たことが完全に裏目に出ている。いや、そもそもこんな酔っ払いに絡まれ続けるなんて裏目
想像すらできないが。そもそも誰だこの人? 後藤たちの知り合いってこと以外何の情報もないけど?
「ほらほら、確かバックヤードはこっちだったかなぁ~」
「いや本当に俺は……ちょ、力つよ!?」
勿論男子高校生としての力を全力で発揮すれば振りほどけないことはないだろうが、相手は若い女性の酔っ払いだ。世間体バトルとしては俺の完全な敗北である。
まかり間違ってケガなどさせてしまえば、裁判からの有罪ルートがありありと浮かんで見えてくる。故に振りほどけない。完全に彼女のなすがままだ。
「ぼっちちゃん達おつかれ~!」
「あ、お姉さんと……ひ、ひひひひひひひきがやさん……」
「後藤さん、『ひ』は一個でいいのよ」
バックヤードにはライブ後の結束バンドの面々が、汗を滲ませて座り込んでいた。
「……悪い。すぐ帰ろうと思ってたんだが、この人に強引に引っ張られてな。邪魔だろうしすぐ出ていく」
「ええ~? せっかくだからお話していけばいいのにっていうきくりお姉さんの配慮だよぉ~冷たくしないでよ~」
「あの、濡れてるせいか物理的に冷たいんで本当に離れて下さい」
「うえ~ん! 見知らぬ男子にいじめられたぁ~! 虹夏ちゃん慰めてぇ~」
「いや、そんな慰めてって言われても自業自得じゃ……って冷たぁ!」
ようやっと離れた酔っ払いが伊地知さんとコントを繰り広げている。見知らぬ男子という認識があるんだったら、少しくらいは自重して絡んできて欲しいものだが。
暴れる彼女たちを後目に、喜多が俺に向かって話しかけてくる。
「あはは……でも、別に比企谷君を邪魔だとは思ってないのよ? 寧ろこんな台風の中、演奏を聴きに来てくれてありがとうって。どうだったかしら?」
「……最悪の演奏だったら学校掲示板に悪口でも書いて貼り付けてやろうと思ったんだがな。そうできなくて残念だ」
「??? えーと……」
迂遠な俺の発言に、大きく疑問符を掲げる喜多。その後ろから、山田がぬっと顔を出す。
「つまり演奏が良かったってこと。八幡は分かりづらい」
「なーんだ! もう、素直じゃないのね!」
安堵の息を漏らしたのもつかの間。喜多は何か引っ掛かりがあったのか、首を大きく傾げる。
「あれ? リョウ先輩、今比企谷君のことなんて言いました?」
「八幡」
「……ハチマン? 八幡大菩薩の?」
「八幡。比企谷の名前」
瞬間、喜多の表情がまるで『好きな俳優に熱愛報道が発覚したファン』のように変わった。
「せ、先輩が……あの先輩が、男の人を名前呼び……? 熱愛……同棲……結婚……」
真っ白になった喜多は、そのまま地面へ倒れこむ。その一部始終を、山田はまるで面白がるかのように見つめていた。性格悪いなこいつ。
「今日は面白いものが見れた。満足満足」
「この惨状がか? その性格直した方がいいぞ」
「八幡はどう? 面白いもの見れた?」
横に立った山田の顔を伺う。若干ニヤニヤしながら、俺の事を見つめていた。
『個性がなきゃ死んでるのと一緒』。確かにそうだ。彼女たちを窮地に追いやったのが個性であるとするならば、あの状況をひっくり返したのもまた個性。後藤の暴走が結果的に彼女たちを救ったのだから、何が起こるか分からないものである。
だが、このニヤニヤ顔を前にして、素直に認めるのも癪だ。俺はいつも通り、言葉に皮肉を交えて返す。
「……つまらないアニメは一話で切るタイプなんでね」
「素直じゃない」
「直接的じゃないだけだろ」
目を逸らしたところにニヤニヤ顔で入ってこようとするな。鬱陶しい。
ふと、一人座り込む後藤の姿が視界に入る。何をする訳でもなく、ただ所在なさ気にあちこちを伺っているその様は、まさにぼっち。なるほど、山田達が彼女のことをぼっち呼ばわりする理由も納得である。そう考えると、俺が過去ヒキガエルと呼ばれていた事にはより一層納得がいかなくなるな。
いつもなら関わり合いにならない様に無視して踵を返す所だが、今日ばかりはそうもいかない。少し歩を進めて彼女の前に立つ。
「……なあ、少し聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「うぇっ!? ひゃ、ひゃい! なんでしょうか!?」
普段話さない相手から急に話しかけられたことで驚いたのか、ボリュームの壊れた大声が帰ってくる。わかるぞ、普段声出してないと急な返答の時にどのくらいの声量で返せばいいのか分からなくなるよな。八幡も夏休み明けとか全然声出なくなるからよくわかるよ。
それはそれとして五月蠅いので、耳を抑えて音量を下げるようジェスチャーをする。自分の失敗に気づいたのか、後藤は再びしおしおと俯いた。ぼっち特有の後からしっかり『後悔』タイムである。
「す、すいません……このミジンコ以下の存在に何か御用でしょうか、へへへ」
「……一曲目の終わり。ソロでギター弾いてるとき、何を考えてたんだ?」
「え? え、えっと……」
質問の意図がくみ取れないのか、少し言い淀む後藤。少し経っても俺から説明の追加が無い事を確認した後、たどたどしくも話し始めた。
「……ああしようって考えてたって訳じゃ、ないです。ただ、必死になってただけです。あ、でも、『このままじゃ嫌だ』って。そう思ってまし、た」
後藤は頑なに俺と目を合わせない。やや俯いて、人差し指同士をぐるぐると手持無沙汰に突き合わせている。
「私、初めてバンドに入れて貰って、スターリーでバイト始めて、みんなの前でライブして。色んな事をやらせて貰ったんです。ダメダメで、全然上手くできないのに。
今日見に来てる人たちだって、お金払ってわざわざ台風の中来てもらって。比企谷さんだって来てて、でも、全然上手くいかなくて」
思いつく傍から言っている為か、文法はめちゃくちゃ。筋道も立たない状態で、脈絡のない話が続く。それでも、精一杯言葉を紡ぐその様を遮る気は起きない。
「皆、今日の為に、夢の為に精一杯頑張ってたんです。それがこんなところで終わっちゃうのは、嫌だって。みんなが大好きな結束バンドっていう場所と、努力した時間が無くなっちゃうのは嫌だって思いました」
気づけば控室の中はシンと静まり返っており、後藤の独白が静かに響いていた。
「……はっ!?」
やっと状況に気づいたのか、後藤が顔を勢いよく上げる。だが時すでに遅し、彼女の周りは結束バンドのメンバーで囲まれていた。
南無後藤。きっと彼女はこの後、勢い任せの独白を聞かせてしまった事に、三日三晩悶え苦しむだろう。時間が癒してくれるなんて適当なことを言うやつもいるだろうが、こういうのは大体黒歴史となって定期的にフラッシュバックに苦しむ羽目になる。経験者が言うんだから間違いない。
「ぼっちちゃ~ん……そんなこと考えてくれてたなんて、私本っ当にうれしいよ!」
「ぼっち、結構詩的。流石は作詞担当」
「感動! 後藤さん、そんなに私たちの事が好きだったのね!」
「あ、あわわわわわわわわ」
案の定、取り囲まれて次々と甘やかされる後藤。周囲に百合の花を幻視したのは気のせいだろうか?
こうなった以上、俺の立つ瀬はどこにもない。礼の一つでも言おうと思っていたが、邪魔者は去るのみ。この空間に挟まる男はいらないのである。
そんな独白で自分を説得して、静かにその場を去る予定だった。
「あ、ひ、比企谷さん、待ってください……!」
後藤の声が後ろから俺の事を呼び止める。無視するわけにもいかないので、ドアノブを握りしめたままその場で振り返った。
「……なんだ?」
「えっと、あのあのあの……わ、わわわ私と友達に「ごめんなさい。それは無理」ゲロゲロー!?」
しまった、友達という言葉に反射的に断りを入れてしまった。あまりのショックのせいか、後藤がとんでもない顔に変形する。
「今完全にOKの流れだったよね!? このタイミングで友達断る!?」
「いやすいません、完全に反射で……」
伊地知さんはツッコミ、喜多は驚き、山田と酔っぱらいは腹を抱えての大爆笑。今のは完全に俺が悪いので仕方ない。まあ、本当に友達になる気もないのだが。
「……まあ聞け後藤、いいことを一つ教えてやる」
「ゲロゲロゲロ……え? な、なんでしょうか……」
謎の虹色の液体を垂れ流していたようだが、一言で正気に戻ったようで何よりだ。
「友達っていうのはな、対等な関係性にしか生まれないんだよ。何がしかに上下があれば、そこからは一方的なマウントの取り合いが始まる。これじゃ健全な友人関係とは言えないだろう? つまり……」
「つまり……?」
ごくり、と後藤の喉が鳴る。
「……目を見て話せるようになったら考えてやる」
それだけ言い残して、控え室を出る。背後から何やら騒ぐ声が聞こえた気もするが、もう俺には関係のない話だ。
========
雨も収まり、少し暗くなった道を歩く。
「……対等な関係、か」
呟きながら思うのは、背中を丸めた後藤の姿。猫背のままで成長した少女の姿。
それがとても、俺にとっては眩しく思えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
ひとまずキリがいいので、この物語はこれで終了です。本当は八幡と虹夏をもう少し会話させたかったのですが、どう足掻いても八幡くんは虹夏ちゃんと話そうとしてくれませんでした。
大天使ニジカエル、いつか八幡に言わせたいですね。
あ、せっかくなので評価していってくれると嬉しいです。宜しくお願いします。