耳の形は貝によく似ている。その奥に渦の形でおさまる三半規管など、まるで巻貝のようだ。
耳を塞ぐと、どうだろうか。
何も聞こえなくなることはなく……ごうごうと体内を巡る血潮の音が聞こえるだろう。人間は身のうちに海を宿しているのだ。
さて。
そんな神秘的な物から身を覗かせた"ナニカ"を引っ張ってしまったら。
いったい、どうなるのだろうか。
耳から出た白い糸を引っ張って、それがちぎれると失明する。糸は視神経だったのだ。……そんな都市伝説があるらしい。
実際にはそんな事は無く、ピアスに不良のイメージが強かった時代に戒めとして広げられたのではないか、という推察もあるそうだ。
人によってはピアスの穴に白いものが浮かぶことはあるようだが、それらは老廃物の類だという。
本日めでたくピアスデビューをしようと意気揚々と準備をしている私にそれを教えてきた友人に、趣味の悪さを感じた。
そんなことないよ、という話とセットにされたにしても、これからピアスホールを開ける人間としては気持ち良い話ではない。
『ごめんて』
画面越しに笑う友人を睨む。
一人でピアスを開けるのは怖いから一緒に居てくれるよう頼んだのだが、彼氏との約束を優先した薄情な奴である。こうして出先から通話をしてくれているだけ、まだ優しいのかもしれないが。
画面の奥で、優しそうな彼氏さんが「ごめんね」と申し訳なさそうにぺこりと頭を下げていた。
そのことでなんとか留飲を下げると、私はすうっと息をすった。
「いよいよピアスデビューしちゃいまーす! 勇気をくれ〜!」
『いきなりテンションたっか。あはは、がんばれ~』
友人のエールに背中を押してもらいながらも、ごくりと唾をのんだ。
おどけたように話していても、内心はドキドキだ。
自分の体に自分で穴を開ける。それだけ聞いたら正気じゃない。
でもすでに一目惚れした可愛いピアスが用意してあり、机の上から私を見ている。すぐにつけられるわけではないけど、テンションは上がる。
やんややんやと囃し立てる友人に笑いかけながら、ピアッサーを耳にあてがった。
ぷつん。
「思ったよりは……あっけない感じ?」
人によっては痛いという話も聞いていたが、どうやら私はこういうのが上手いらしい。
「よーし! じゃあこのままもう片方の耳も……」
一度成功すればもう怖くない!
そう思ってピアッサーを反対側の耳にあてようと顔の前に持ち上げたのだが……。
「あれ?」
糸だ。
白い糸。
それがピアッサーに引っかかっている。
「あ、あはは〜。やだもー、若白髪? 開ける時にひっかかったのかな。でも若いうちの白髪は福白髪とか言うんだっけ? なーんだ。縁起良いじゃん」
『どったの?』
「んーん、なんでもない」
どうやら画面越しではこの細く白い糸は見えないらしく、友人は不思議そうな顔をしている。
私は何でもないように笑いながらも……糸の端を目で追った。
……鏡で見ると、白い糸は耳の中へとつながっていた。
「み、耳に髪の毛入るとか、あるんだ。へぇ。耳ほじってる時に、押し込んじゃったのかな」
『なに汚い事を言ってんのよ』
「ごめん、ごめん。はは」
不自然なそれを少しでもありえそうな事に置き換える。
こんな白髪、早くとってしまおう。そう思って白髪と思しき白い糸をひっぱるが……。
「……長いな」
いくら引っ張っても白い糸はつーっと長く伸びてきて、途切れることがない。途中で私の髪の長さなど優に超え、さすがに異常だと気が付き……怖くなった。
同時に、ほんの少しの好奇心。
「これ切ったら、本当に失明するのかな? まさかね」
馬鹿馬鹿しい。そんなことあるはずがない。
笑い飛ばしたくて軽率な行動に出る。
『ハサミなんて取り出してどうしたの?』
「ん。ちょっと」
パチン。
軽く答えながら手に取ったハサミを動かした。
「……ほら、何もない」
息を吐く。思ったより緊張していたらしい。なら何故やったんだと思うものの、こんなもの何でもない、という安心感が欲しかったのだ。
糸を切ったが、何もない。目は見えている。これは都市伝説など関係ない、別のものだ。
しかし、ならばどうしたものかと考える。
失明はしなかったものの、糸は引っ張れば引っ張るほど出てくる。気味が悪いし、なにより邪魔だ。
「ごめん、一回通話切るね。ちょっと電話かけたいところがあって」
『そうなん? 別にいいけど、平気?』
「平気、平気」
デリカシーが無いようでいて、こうしたちょっとした私の変化に気付いて心配する様子を見せてくれる友人に心が和む。
ともかく今は医者に電話をかけて相談だ。耳鼻科……でいいよね?
そう結論付けると、机の上でスタンドに立てかけてあるスマホをとるべく立ち上がろうとした。
直にフローリングの上で胡坐をかいていたから、お尻の下がちょっと冷えている。
しかし。
「あれ?」
足が動かない。それどころか、感覚も無い。
しびれた? ……違う。
「…………あれ?」
冷たいな、と思っていたお尻の感覚も無い。下半身全てが消えてしまったように、何も感じない。
「あれ、あれ、あれ」
ドクドクと心臓が鳴る。
おかしい、なんだこれ。
ぐらりとバランスを崩した体が倒れ、床に手を突く。机の上のスマホが遠くなった。
訳が分からないままに机へにじり寄って、腕の力だけで体を机の上に這い上がらせる。
なんとかスマホに手が届いた。
ああ、なんだこれ。なんだこれ。早く病院に電話をかけよう!
その時。
プツン。
私は耳から長く垂れ下がった糸を、感覚のない下半身で踏みつけてしまっていたらしい。
引っ張られたそれが無慈悲に切れる。
まずい、と思った時にはすでに糸は短くなった姿をさらしており、同時に手に掴んだスマホがゴトンッと落ちた。
拾おうにも……今度は手が動かせない。
腕の感覚もなく、だらんっと垂れ下がっている。
「あ、あ、あ、なんっ」
言葉にならない音を発しながらスマホに顔を寄せる。すると友人の焦った声が聞こえた。通話はまだ繋がっているのだ。
『ど、どうしたの!? なにがあったの!?』
「足が、腕が、うごかな……っ」
友人に救急車を呼んでもらおう。そう思い状況を説明しようとした時だった。
チチッ
「え……」
糸の先を、いつの間に入ったのか。小鳥がついばみ、くわえていた。
白い糸は陽の光を受けてキラキラ光っているから、それに誘われたのだろうか。
「やめて!!」
叫ぶも、その声に驚いたのか小鳥は糸をくわえたまま飛び去った。……当然、未だもう片方の糸の端は私の耳の奥へつながったまま。
ブツンッ
何も見えなく、聞こえなくなった。
……いや、音は聞こえる。それは体内を巡る血液の音。
耳は貝の形に似ている。
その貝が住みかとする海は、小さいようで広大だ。
肉体は神秘の血潮で満たされている。
もしそこから何かしらのほころびとして、血に染まらぬ白い糸が出ていたならば。
……それは何に、何処に繋がっているのだろうか。
(終)
※企画参加作品です。
元ネタ:耳から白い糸。