【ネタ】故障してる千里眼持ち王子inブリテン王国 作:飴玉鉛
『ペンドラゴン』とは。ウーサー王がサクソン人に勝利した際、宿敵サクソンを一時ブリテン島から打ち払ったことを祝し、火の竜の星に擬えて二匹の黄金の竜を作ったことに由来する。
すなわちウーサー王を讃える為の称号がペンドラゴンであり、これは本来なら継承されるものではないのだ。人間離れした偉大な英雄個人を讃える、名誉と栄光の称号だったからである。
しかしアーサー王――アルトリアはペンドラゴンの称号を自身のものとして受け継いだ。自らが先代ブリテン王の正統な後継者であると、内外に宣言する意味があったのだろう。だがアルトリアがペンドラゴンを名乗ったことで、その称号の意味合いは僅かに変化する。
ブリテン王国は一枚岩の連合王国だった――ウーサー王の時代は。一度は救国を成したウーサー王を全ての諸侯は認め、心から服従していた為である。
だがアルトリアは無名から出発した、悪い言い方をするとどこの者とも知れぬ馬の骨だ。先代王の後継者である証、カリバーンを選定の石から引き抜き、先代王の盟友マーリンを従えていても、誰しもがアルトリアをウーサー王の子であると信じていた訳ではない。故に薄弱な王権を固める為にアルトリアは活動せざるを得なかったが、どうしてもブリテン王国内の諸侯を強固に束ねることが適わず、アルトリアの治世で反乱は頻発した。
必然として、アルトリアの名乗るペンドラゴンの名はウーサー王の代より軽くなり、ペンドラゴンは騎士達を束ねる戦士長、すなわち騎士達の長、騎士王へと意味合いが変遷したのである。
アルトリアが自称したわけでもない『騎士王』の号は、一見すると素晴らしく響きと通りがいいが、その実は先代王ウーサーという『大王』には劣るという、遠回しな皮肉となったのだ。
無論、アルトリアはこの風説を捨て置かなかった。己が大王であるウーサーに劣る者ではないと、激化する異民族との会戦を無敗で勝利し続け、恐るべき蛮族を何度も打ち払った。そうすることで実力を示し、騎士王の号を大王に比肩する栄光あるものとしたのである。
アルトリアの掲げる軍旗は、黄金の二匹の竜を刺繍された深紅の旗。
この旗が戦場に立つのを見た時、世界帝国の皇帝ルキウスをして手強く厄介だと称したサクソン人、ピクト人の戦士達は畏怖するか、戦意を掻き立てられるという。竜旗は倒すべき宿敵の居場所を示すものとなっていたからだ。そしてアルトリアの同胞であるブリテン人はこの深紅の竜旗を、異民族に勝利する希望の象徴として見做すに至ったのである。
アルトリアは王だ。これまでに十度もサクソン人との会戦で勝利した常勝の名将である。円卓の騎士という英雄達の力もあったとはいえ、寡兵で大軍に勝利する優れた指導者で――だからこそ追い詰められている現状を、正しく認識している数少ない存在だった。
――私がサクソンとピクトに、会戦規模の戦争で『間違いなく勝てる』と言えるのは、
サクソン人は強敵である。ピクト人は難敵である。二つの敵は不倶戴天の大敵だ。しかも際限なくブリテン島へ流入してくる異民族達は、底なしのような勢力を未だに保持している。
翻って見るに、ブリテン王国の国土は年々貧しくなり、税収は低迷の一途を辿っている。この国力では到底大陸からの侵攻を防ぎ切れないと、アルトリアは常勝の王としての戦略眼で見切り、近年は密かな重圧で心が折れそうになったことが何度もあった。現状を打破せねばならない……サクソン人達をブリテン島に招き入れる裏切り者、卑王を討たねば未来はないだろう。
そして首尾よく卑王を討てても、それで終わりではなかった。動乱のブリテン島を大陸から望む世界帝国の動向は不穏で、今後敵対する可能性は高い。何より国を豊かにする内政の戦いに終わりなんて来ないし、気の遠くなりそうな苦難の未来を承知していた。
だがそれでもアルトリアは救国を目指している。アルトリアは決して滅びを受け入れない。何故ならアルトリアは
たとえ運命がブリテンを滅ぼそうとしても、覆してみせる。そんな未来など受容できない。アルトリアは大志を懐き、そして――アルトリアよりも鮮明に未来を見通し、アルトリアの危機感を共有して、救国への道を示す者が傍らにいた。愛する息子、ロホルトだ。
軍議の最中、アルトリアはロホルトを横目に見る。――頼もしい青年に育ってくれた。
まずは卑王を討ちサクソン人の流入を防止せねば、何も始められないとロホルトもアルトリアに同調してくれている。アルトリアの考えが間違っていないと肯定してくれる。
国を救うための策を何度も献じてくれて、そして成長した今は、ブリテン王国が挙国一致できる策の準備段階に入っている。
或いは自分はロホルトを生む為に生まれてきたのかもしれないと思うほど、ロホルトはアルトリアの唯一無二の希望となっていた。アルトリアでは想像できない領域を見詰める眼力と、比類なき叡智を宿した頭脳、そして次第に騎士王に対するのと同等の忠義を騎士達に向けさせ始めたカリスマ性。ロホルトがいれば、きっとなんとかなる。アルトリアはそう確信していた。
「――ではヴォーティガーンは、ブリテン島最東端の城塞都市に潜んでいると?」
王の甥にして腹心、場合によっては影武者を務めることもある騎士ガウェインが疑念を滲ませる。
キャメロットの円卓は、単なるテーブルではない。古王ウーサーが遺し、代理人を介してアルトリアが受け継いだ、魔法の如き品である。
円卓の中央に浮かび上がったホログラムめいた立体地図は、明らかに時代を先取りしすぎたもの。これは魔術師マーリンが制作したもので、その瞳に映るブリテン島の隅々までを網羅し、卑王の潜んでいる拠点を赤く点滅する印が示していた。
それを睨みながら今度はロホルトが発言する。
「妙だな。背後が海に面しているから大陸からの援軍は望めるが、ここには援軍の受け入れ先となる港はないはずだろう……加えて陸地は見晴らしがいい平野だ。防衛するには不向きな立地としか言いようがない……マーリン、本当にここに卑王がいるのかい?」
王子からの問いに、なぜか悩ましげな視線を向けながら、美青年の半夢魔は応じた。
「……ああ、その通りだとも。私の眼は特別だというのは知っているだろう? そんな私でもはっきり見通せないということは、あそこには
白竜。その名に、円卓の騎士達ですら微かに動じた。
其れはサクソン人の象徴だ。幻想種の頂点たる竜種の中でも、最上位に位置する、竜の冠位と称するに不足のない災害。称して曰く、境界の竜。
そんなモノがあんな辺鄙な砦に? まさかヴォーティガーンに力を貸しているのか?
ヴォーティガーンとは一般に、戦乱の最中にあるブリテンを、大陸からサクソン人を招き入れて統一を目指し、結果としてさらなる混乱を生み出した稀代の愚王と見做されている。そして自力ではなく他力に頼る卑屈な王、卑王と称され蔑まれた存在だ。今あるブリテン王国の窮状の、ほとんどの元凶こそが卑王だと目されている。
そんな卑王に境界の竜アルビオンが力を貸している。その疑惑は円卓の騎士全ての戦意を煽った。
実物を知らぬ故の戦意だ。もし境界の竜が敵として立ち塞がれば、たとえ全ての円卓の騎士と騎士王が束になって掛かっても、全滅してしまう可能性の方が高いだろう。
マーリン以外の誰も知らない真相だ。花の魔術師は目を細める……確かにそこからは嘗て見たことのある白竜の力を感じるが、それにしては些か弱い。白竜だが、白竜ではないような……。
「攻め込むのは容易だ。しかし戦慣れした貴公らなら、サクソン人の軍勢と、ピクト人の中でも特に精強な戦士達で防備を固めているのも容易に想像できるだろう」
アルトリアは騎士達を見渡して言った。ロホルトの提言により新設された役職である外務卿のケイ、宮内卿のアグラヴェイン、軍務卿のガウェインらを筆頭に、騎士達が意見を述べる。
ランスロットがいればまだ楽だったと隣で呟いたロホルトに、アルトリアも内心同意した。湖の騎士は現在、母国奪還の為ブリテン島を離れている。頭脳明晰でもある彼がいれば、建設的な意見を聞けただろう。だが……幸い他の者には聞こえなかったようだが、アルトリアは咎めるように横目に睨む。いない者に頼りたがるような発言は人心を遠ざけかねない。ロホルトはらしくない失言を自覚し、周りに悟られぬよう小さく頭を下げ、そして再度発言する。
「貴公らの意見は分かった。有力な案を纏めると、砦の内にいる敵兵を誘い出し、野戦で撃破した後に総力を結集して攻め掛かるのを上策として。囮役として誘き出した敵兵を砦から引き離し、少数の別働隊で砦を急襲するのを下策としよう」
「下策ですか……」
騎士としての手腕では円卓内だと最弱に近いが、武将としては最も優れた力量を発揮するアルトリアの腹心、騎士ベディヴィエールがショックを受けたように呟く。それに片手を上げながら、ロホルトは仕草で続きがあるのを示し、同胞を見渡しながら告げる。
「しかし一つの要素を含めて見ると、私はこの上策と下策はひっくり返ると見ている。その要素というのが白竜アルビオンだ。この未知数の存在を計算に入れるべきではないだろう」
敵は籠城をしない。なぜなら円卓の騎士を敵に回して籠城するのは無意味だからだ。
名だたる聖剣、魔剣、宝剣。これらの中には破格の対城宝具もある。城に閉じ籠れば城諸共薙ぎ払われて終わると、長年ブリテンを敵に回してきた宿敵達は理解している。アイルランドの光の神の居城だったこともある、オークニーの城のような例外を除けば、戦端を開く時は必ず野戦となるのだ。だから事実として囮は有効である。その前提を今更口にする者はいない。
ロホルトは同胞達から視線を切らなかった。
「よって私はベティヴィエール卿に賛成する。ただし別働隊はあくまで砦の中にヴォーティガーンや白竜を押し留め、本隊が敵勢を撃破するまで耐えるのを基本としたい。貴公らはどうか?」
「異議なし」
「同じく異議はありません」
「結構。父上、我らは斯様に意見を纏めましたが、父上はどう思われる?」
「――ロホルトの言、ベディヴィエールの策は我が意を得たものだ。これを執るのに迷いはない。だがその別働隊は誰が率いるものとする?」
アルトリアは騎士達を見渡すと、全員が自分にお命じくださいと無言で訴えていた。
別働隊には計算不能の不確定要素があった、本隊の戦いも過酷だろうが、不確定だからこそ無視できない危険性が秘められている。
アルトリアと同じように視線を左右に向けた後、ロホルトが言った。
「私にお任せを」
「………」
アルトリアはロホルトを見た。王子は、冷静に言う。
「ガウェイン卿を私につけていただけるなら、何があろうと確実に本隊が勝利するまでの時を稼いでご覧にいれる」
騎士王は太陽の騎士の実力と、月明かりの騎士の才覚を知っている。
彼らなら何を相手にしても早々遅れを取ることはないと信頼していた。
故にアルトリアは頷く。
頷いてしまった。
運命の分かれ道は、ここだった。
アルトリア率いる円卓の騎士と、精鋭の兵士達の士気は最高潮だ。
怨敵ヴォーティガーンを討つ為の戦いと聞いて奮い立たぬブリテン人はいない。あのケイですら「コイツさえいなければ……ッ!」と歯軋りし、戦意と殺気を漲らせていたほどである。
だがそのケイはここにはいない。アグラヴェインもだ。
円卓の騎士は今のブリテン王国の上層部、心臓にして脳なのである。それを一つの戦場に全員投入なんてしてしまえば、国の運営に差し触るのが道理。同様の理由でペリノア王もいない。
しかし王国が今すぐ、迅速に動かせる戦力は全て動員されていた。紛れもなくブリテン最強の騎士達と、兵士達の中でも選りすぐりの精鋭が掻き集められていたのである。
果たして城塞都市に潜んでいたサクソン人らは、傭兵のピクト人を駆り出して城から出撃した。深紅の竜旗を見たという物見の報せを受けては、籠城する無意味さを一瞬で理解したのだ。
そして彼らは、自身らに退路がないのも理解している。海に面した城塞都市――無防備に海に逃れては聖剣に狙い撃ちされるのだから、彼らは騎士王の奇襲に気づくのが遅れた失態を呪い、城を出て戦うしかなかった。だからこそ彼らは一目散にアルトリアを討ち取るべく猛進し――死兵となって挑んでくる敵軍を巧みにいなしたアルトリアは、年季の入った指揮を魅せ見事に後退した。
城塞都市からの手出しを嫌い、離れて決着をつけようとしている。作戦通りに。
別働隊を率いて戦場を大きく迂回して、城塞都市が見える位置まで進軍したロホルトは、カヴァスの背中から禍々しい魔力反応を発する都市を見る。
「殿下、ご油断召されるな。この魔力、只事ではありません……!」
隣に馬を寄せてきたガウェインが、険しい顔で忠告してくる。ロホルトは無言で頷いた。
あの城塞都市には善くないモノが棲んでいる、そんなことは言われるまでもなく見切っていた。
遍歴の最中に見た竜の発する“圧”など、これを前にすれば塵に等しい。ロホルトは生唾を呑み込み、よく通る声で少数精鋭の騎士らに指令を発する。
「皆、ここで待機だ。父上の率いる本隊が駆けつけるまで無理をする必要はない。敵が何もしてこないなら好都合だ」
総勢五百名の精鋭は従順に従う。卑王討伐に臨む彼らもまた士気軒昂、だが功を焦って暴走しない精鋭である。しかし、ロホルトは彼らよりも気になることがあった。
カヴァスに元気がないのだ。
此処に来るのを嫌がる素振りを何度も見せ、尻尾は股の下に隠し、耳も閉じている。出陣前はずっと唸っていてロホルトのマントを咥え、行くなと懇願しているようですらあった。
仕方なく馬に乗ろうとしたから、カヴァスは渋々背中を預けてくれている。無理強いしたみたいで申し訳ないが……ロホルトはカヴァスの尋常でない怯えようを軽視してはいなかった。
何かがある。カヴァスがこうまで怯えるほどのものが。
しかし今更なのだ。どうあれヴォーティガーンは絶対に殺さねばならない敵であるし、この状況も選び得る中で最善のはず。ロホルトは自分が死ぬわけにはいかない立場なのは知っているし、危険は避けたいと思っているから出陣は気が進まなかったものの、死んではならないのはアルトリアも同じである。それでも前線に出るのは、後ろに引っ込む者をブリテン人は認めないからだ。
蛮族である。ロホルトは騎士の国の騎士や民をそう断じていた。だが、関係ない。生まれの不幸を呪いはするが、それに伴う出会いや想いまで呪った覚えはないからだ。未開の国の未開の民を、貧しくありながらも善性を失わない人達を知って、護りたいと思うようになってしまっている。元より生まれに付随する責任から逃避できるほど、ロホルトという人間性は前向きではない。
「――! ワン、ワンワン!」
「どうしたんだ、カヴァス」
カヴァスが唐突に吼え始める。大人になったカヴァスは更に一回り大きくなり、王の愛馬よりも大柄に成長している為、吠える声は威厳のある獣王のようであったのに……今は、子犬のように気迫のない声音で警告してきている。
愛犬の頭を撫でながら、グゥぅぅと唸るカヴァスの視線を辿る。同時だった……ガウェインが腰に差した聖剣の柄に手を添え、兵士が目視で確認したものを報告してきた。
「殿下、城塞から敵影! 数は……
「一人?」
言われて見ると、確かに一つの人影がこちらに歩んできている。
ゆっくりと、しかし確実に。
――ドクン、と心臓が強く脈打った。
額に汗が浮かび、動悸が激しくなる重圧を覚える。
人影は、老人だった。真っ白に染まった頭髪はざんばらで、枯れ果てた肌は苦悩の証である皺で覆われている。纏うのは漆黒の鎧……醸し出す威容は尋常でなく、老人だというのに纏う魔力の波動は膨大で、アルトリアやロホルトに数倍している老王だ。
ある程度、距離の離れた地点で足を止めて、老王はロホルトの率いる軍勢を見渡し、次いでガウェインの腰にある聖剣を見て、最後にロホルトを見た。
目が合う。鳥肌が立ち、総毛立つ。未だ嘗て感じたことのない戦慄――いいや、畏怖。ロホルトは脚が震えそうになるのを鉄の心で抑えつけ、老王に鋭い眼光を射込んだ。
「ヴォーティガーン」
顔を知らず、風体も知らぬはずの老王の名を、確信を込めてロホルトは呼ばわった。
兵士達が武器を構える。号令を! ご命令を! そう求める兵士達に、ロホルトは動くなと手振りで静止した。そして淡々と老王へ言葉を投げる。
「一人で来るとは何用だ? もしかして私に降伏しに来たのかい?」
そんなわけがない。降伏されても処刑するしかないし、どれだけヴォーティガーンが愚かでも、流石にそれぐらいは理解しているはずだ。
案の定、ヴォーティガーンは失笑すら漏らさず、淡白で心の色が抜け落ちた声で応じた。
「降伏? 世迷言を……儂は儂の庭を荒らす不埒者を駆除しに来ただけだ」
尽きぬ憎悪までも色褪せて、しかし一寸も欠けぬ不壊の殺意に塗布された、巌のような黒い声だった。
気圧されそうな己を叱咤し、腹に力を込めて踏ん張ったロホルトは皮肉を言う。
「それはご苦労さまだ。だが庭の景観を整えるのは庭師の仕事だろう? 自ら出向くなんて、長生きしているだけが取り柄のご老体は暇なようだ。いやはや羨ましいね、まったく」
「ふん……よく喋る。
ヴォーティガーンはロホルトが恐怖しているのを見抜いていた。
だがそれを嘲るでもなく、老王はつまらなさそうに鼻を鳴らすのみ。
「儂がこうして出向いたのは、貴様の言う庭師が出払ったからだ。本当に……うんざりする。……貴様ら人間はいつもそうだったな、
じわり、と。老王の足元にある影が蠢動する。
総員抜剣! ロホルトは兵士に指示を飛ばして、自身もまた背中に負う大剣を構えた。
老王は構わず吐き捨てる。
「小僧、貴様がロホルトだな?」
「……私を知っているのか」
「識っているとも。儂はこのブリテン島に住む全てのモノを識っている」
老王は丸腰だ。黒い鎧を身に着けているだけで、他には何も持っていない。
だというのにこの迫力はなんだ。まるで――大いなる神を目前にしたような威厳はなんなのだ。
ヴォーティガーンはつまらなさそうに宣告する。
「故に裁くのだ。お前たち人間を」
老王の総身を影が呑み込む。影としか形容できぬ漆黒に変じる。人型の闇は深淵の如し――変幻するカタチが肥大化し――あまりの異常現象に人の子らは呆然とする他になかった。
「儂はブリテン島の意思より分かたれ、人の身に生まれた分身よ。儂こそがブリテンである、儂の肉体はブリテンである。白き竜の血を拝領し、旅の果てに神代の意思に還った竜の化身だ。
疾く死ぬがいい、ブリテン島に貴様ら人間は――不要だ」
呪詛を溢す老王の姿は、遂に眼前の城塞都市にすら収まらぬ巨体と化した。
比喩抜きで大地が、ブリテン島が起き上がってきたかのような威容は、黒いというのに白い竜の力を発している。
太く長い首は死出の道、広げられた翼は雄大な山脈、君臨する体躯は大地の鼓動。あまりの規格の差に全長を推し量ることすらできない。
邪悪ではなかった。黒き白竜――魔竜と化せしヴォーティガーンの竜の
大自然が削り出した天然の彫刻、神や人には生み出せぬ星の作品。使命に準じる聖人の如く美しき黒は竜を悪魔ではなく神としたのだ。
神が、起き上がる。腹部と口腔を開門し、漲る原始の呪力が漆黒となりて充填された。我に返ったロホルトは声を枯らすほどの大声で叫ぶ。
「総員ッ――! 散開しろォ――!!」
カヴァスが主を乗せたまま疾走する。ガウェインが聖剣を抜刀し勇躍する。兵士達も流石に精鋭、幾度も騎士王や太陽の騎士の聖剣を目にしたことがある故に、命じられた瞬間に反応した。
だが――解き放たれる黒き息吹、ブリテン島の原始の呪力の熱線は縦横無尽に薙がれ――紙一重で辛うじて躱したロホルトと、疑似太陽の最速展開によりなんとか身を守ったガウェインを除き、別働隊の精鋭は一瞬にして蒸発し全滅した。
その惨状にロホルトは目を瞠る。たったの一度、たった一瞬で、五百もの兵が、生命が散華したのに刮目した。全身の血管を駆け抜ける激甚なる憤怒は――しかし。
「
反撃に出たガウェイン渾身の一刀が放つ疑似太陽の熱線、激烈な光がヴォーティガーンの巨大な顎に挟まれ、容易く呑み込まれてしまい――返す刃の如く転じた魔竜の尾が、槍の如く太陽の騎士を打突して吹き飛ばしてしまったことで沈静化させられる。
「――な、に?」
吹き飛ばされたガウェインを振り返る。遥か後方の小高い丘に激突して止まったガウェインは、鎧を拉げさせ血反吐を吐いていた。魔竜はたった一撃で彼の意識を奪い去っていたのだ。
……馬鹿な。
そんな馬鹿な。
上を見上げる。
太陽がある。
真昼だ。
……今のガウェインは、日中にいる。
三倍にまで力が高まっている。
日中の彼は円卓最強の騎士であった。
それが……一撃?
「――――」
ロホルトの憤怒が消える。恐怖がぶり返す。
だが。
鉄の如き心と、揺るがぬ英雄性が、彼の瞳にある氷を溶かし、奥深くの炎を表面化させた。
魔竜がたった一人残ったロホルトを見下ろしている。縦に割れた瞳孔で、見詰めている。
月の聖剣を手にカヴァスから降りた騎士王の嫡子は、愛犬の尻を叩いた。
「邪魔だ、ガウェイン卿を連れて退がるんだ、カヴァス」
「………」
「怯えているお前に何が出来るッ!
激しい叱咤にカヴァスは傷ついたように首を引っ込め、泣いているような顔で駆け去った。
その気配を背に、ロホルトは魔竜へ向き直る。
「……カヴァスは見逃すんだな、ヴォーティガーン」
「アレは獣。駆除せねばならん寄生虫ではない」
「そうか。……後で謝らないとな」
「後? 貴様は……己に後があると思っているのか?」
まるで人の体のままのように、流暢に応じる魔竜の無機質な疑問に、正反対の炎の如き光を纏う意思が叩き返される。ロホルトは、気を吐いた。
「当たり前だ。オレは死ぬわけにはいかない、今死んでいい立場じゃない、オレはオレの定めたオレの使命を完遂するまで――死ぬわけにはいかないんだ」
「……よく吠える。であればロホルト、貴様の意思に敬意を称し、一つ教えておいてやろう」
魔竜はロホルトの啖呵に何を思ったのか、すぐに彼を殺そうとはせずに真実を突きつけることにした。
あるいは其れは、ロホルトという卓越した人間を、ブリテン島に棲む人間の代表と見做し、人間の出す回答を訊いてみようという気紛れだったのかもしれない。
どうしようもない世の理、神代の結末を識った人間の国の人間の英雄が、どのように足掻くのかを識ろうとしたのかもしれなかった。
「――ブリテンは滅びる運命にある」
「……何を」
「馬鹿なとは言わせん。年々加速する国土の荒廃は、貴様が救国を志しているなら既知の事柄だろう。これは自然現象ではない、この惑星に残された最後の神秘、神代がブリテン島であり、神代を駆逐する人理なる人の世の理は、一度ブリテンという世界を滅ぼすことで、自らの理の内に取り込もうとしている。これは既に決まっていることだ。貴様ら人間がブリテン島を知覚している限りは、人理の侵攻を食い止めることはできん。神代を護るには貴様ら人間を滅ぼさねばならず、よしんば人理への帰順をよしとしようものなら国土は更に貧しくなり、やがて必然の滅びを迎えるのだ。であれば――救国など絵空事、実の伴わぬ妄想に過ぎなくなる。ロホルト、貴様の意思は無為に終わるのだ」
一気に飛躍した話のスケールに、しかし未来の知識と優れた知能を持つロホルトは置いていかれず理解した。……魔竜が嘘を吐いているとは思えない。
なぜならロホルトは知っている。どれだけ頑張っても困窮する民、無意味に終わる農業改革、科学的に有効なはずの知識の実践、貧しさの原因が解明できない、貧しさが決定づけられた土地。
それらのデータが滅びの未来を示し、魔竜の語る真実とやらに信憑性を齎していた。
真に聡明であれば、魔術世界に理解があれば、絶望するしかない真実を前に――王子は鼻で笑った。
「……無能だな。お前は自覚していないようだから、真実を教えてくれたお礼にオレも教えてやる。お前は視野が狭く古臭い価値観に囚われ、傲り昂ぶる老害だよ、ヴォーティガーン」
「……なに?」
真っ向からの痛烈な面罵に、魔竜は虚を突かれる。
時間稼ぎが任務だ。故にロホルトは魔竜の語る真実を大人しく聞いていたわけだが、聞く価値は全くの絶無であったと断定する。
「作物は実らず、動植物が絶え、国は必然として滅ぶと言ったな。ではお前の言う国とはなんだ? よく聞けよ老害、国とは人だ。人が寄り添い合って、人が人と共に暮らす為のルールを敷いた共同体が国なんだ。お前の価値観にある国は滅んでも、人が生きている限りはオレの思う国に滅びはない。……ここまで言っても分からないならはっきり言ってやろうか? オレの目指す救国の形はな――
「――――移民計画だと」
「お前のしていることに着想を得た。原因不明の不作には手の打ちようがないし、大陸の国から食料を輸入してもその場凌ぎにしかならないだろう。なら、いっそのこと土地を捨てて大陸に移住してしまえばいい。父祖伝来の土地を捨てられる者ばかりじゃないだろう、だが豊かな新天地を求める者は必ずいる。オレの友が足がかりになってくれるから、新天地を求める同胞と共に大陸で国を作るのは可能だろう。そして貧しさに耐えられなくなった者を、大陸に作ったオレ達の新しい国で受け入れていく。この地の滅亡と心中したい人はそうすればいい……無理強いはしない。オレの計画に反発する者もいるだろうが、オレはなんとしても生きようとする人達の味方になる」
魔竜は、人の子が吐いた気と、余りにも遠大な計画に沈黙する。
果たしてそれを成し遂げることは可能なのか。不可能ではないか? ……いや、やる。この青年なら成し遂げかねない。全貌は明らかではないし、まだ荒削りで草案の段階なのかもしれないが、この青年にならついていく者は必ず現れる。魔竜をしてそう確信させられた。
だが人の身で成し得る業ではない、人の歩む道ではない……これは修羅の道である。戦士としての修羅が余りに小さく、ちっぽけに見える茨の道だ。
そうだ、茨の『道』なのである。『道』があるなら歩けると、先に歩いて先導すると、この青年なら言うのだろう。魔竜は――嘆息した。
嗚呼。
何故。
もっと早くに、生まれてくれなかったのか。
英雄ロホルトよ。
「――理解した。やはり、儂の目に狂いはなかったな。貴様だけは――ここで必ず殺しておく」
「そうか。オレも……いや、私も貴様だけは、必ず討つ」
ロホルトの計画には時間が掛かりすぎる。座して見守ろうにもブリテン島に迫る人理の魔の手が神秘を剥奪し、ひいてはブリテン島から意思を奪うだろう。ならばロホルトが希望を現実にし、奇跡を起こしてしまう前に人間を殺し尽くす他に、魔竜には選択肢が残されていなかった。
魔竜は全霊を込める。全身全霊を絞り尽くす。老王は予感し、理解し、確信していた。この王子さえ殺してしまえば――後は、ブリテン人は自滅するだろう、と。
――英雄と魔竜の死闘が始まる。
そして数時間もの間、英雄は単騎で、恐ろしい魔竜を食い止めて。
魔竜の解き放った全霊の呪力の黒い波に呑まれ――後には、塵一つ残らなかった。
マーリン
ロホルトとは今までも事務的には話していた。興味がなかったので自分から絡みにいかないし、ロホルトもマーリンの問題行動は知っている為、君子危うきに近寄らずの精神で他人行儀のまま。
個人としてのロホルトには今も変わらず関心がないが、予想外に重要なパズルのピースになっているロホルトを、放置したままでいるのもナンセンスなので気にするようにはなっていた。
だがマーリンはマーリンである。ブリテンの終焉を軟着陸の形に持っていきたいマーリンとしては、希望という名の爆弾と化しているロホルトに迂闊に接触するのは躊躇われたし、危険から遠ざけるべきかこのまま退場してもらった方がいいのか判断がつかずにいる。
そして自身が手を出す必要性がないことも知っていた。
ガウェイン
日中のガウェインは最強である――人としては。
傲りはなかった。油断も慢心もなく、しかし切り札と恃む聖剣の光を喰らわれたことで動揺し、その隙を突かれて戦闘不能に陥る。魔竜の一撃は、日中の太陽の騎士を容易く撃破するだけの威力であり、この不覚はガウェインにとって忘れられない無念の一つである。
ヴォーティガーン
原作でも魔竜と化したヴォーティガーンはエクスカリバーとガラティーンの極光を喰らい、ガウェインをただの一撃で打倒。数時間もの間、戦闘不能に追い込んだ。ロホルトとの問答に意味はなく、しかしヴォーティガーンはこの王子さえ殺せばブリテン王国の体制に修復不能の亀裂が入ると判断。戦闘不能のガウェインを無視し、ロホルトを全力で殺しに掛かった。
ロホルト
よもや日中のガウェインが一撃で倒されるとは想像だにせず、余りに強大な魔竜に恐怖した。だがロホルトの英雄性は濁らず、鉄の心は挫けず、魔竜の注意をひきつける為に問答に応じ、そして死闘の末に数時間もの間、恐るべき魔竜を単騎で食い止めることに成功する。
原作でも魔竜にガウェインと二人掛かりで挑んだアルトリアは、ガウェインが一撃で倒された後、単騎で数時間も粘り、ガウェインが復帰するまで持ち堪えて見事に魔竜を討ってのける。だがロホルトにはそんな偉業は成し遂げられなかった。ロホルトとアルトリアの決定的な差は――戦闘経験値。百戦錬磨のアルトリアと比べ、まだ15歳のロホルトはあまりに若すぎたのである。
数時間。ガウェインが復帰した直後まではなんとか凌いだ。しかし今のロホルトにはそれが限界だ。魔竜の解き放った最大出力の黒き呪力に、若き英雄は呑み込まれ――その場には塵一つ、残らなかった。