【ネタ】故障してる千里眼持ち王子inブリテン王国   作:飴玉鉛

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第34話

 

 

 

 

 

 モルガンが捌くのは臣下への給与の分配、物資の管理。臣民の諍いの裁定、業務内容の精査、反乱分子への対策案の構想、実施。機兵のメンテナンス及び建造物の設計と配置。兵卒の訓練案、装備作成、船舶の設計と経費の分配、部隊編成と指揮官の教育案の策定。ブリテン島の不穏な気配を察知し、侵入してきた間諜を防疫する防諜網の見直し、ノルウェーへ派遣した間諜の管理だ。

 総括すると経理部、総務部、人事部、法務部、技術部、情報システム部の維持管理を担当していることになる。普通に殺人的な仕事量であり、ロホルトが補佐していようが手と頭が足りない。そこで神域の天才魔術師であるモルガンは、ロホルトからの魔力供給を受けることで『分身』できる魔術を開発して、自身と同等の存在を二体追加することで対応した。

 

 それでもまるで足りない。通常業務だけでこれだ……予定にない馬鹿共の諍い、下半身に脳味噌がある戯けや、性癖のイカレている連中の色恋沙汰による痴情の縺れが、人理が乱数調整でもしているような不規則さで発生する。大陸側国家からの使者も稀に訪れ、旅人や宗教家が訪ねてきては面会を申し込んでくる場合もあった。こちらの事情などガン無視で、だ。

 

 自分に会うのは当然だという面を見ると本気で苛つく。

 

 基督教という宗教の司祭が来た時は、摩耗し果てた別世界の記憶が刺激された気もするが、その宗教の有する影響力を知っていた為、利用できると踏んで特別に面会したが……それでも予定にない仕事の乱入には殺意しか湧かない。今でこそモルガンの参入で、辛うじて一日だけ休養を取れる時間を確保できたが、本体のモルガンは机に突っ伏し死んだように眠りについていた。

 

「うーん、王様稼業の初心者としては及第点……どころか普通に名君だね」

 

 死んだ魚の目をしたロホルトはそう評して、脱落したモルガンを尻目に、彼女の分身達と共に日の出を見守る。窓から差し込む朝日が目に眩しい。

 溜め息も出ない。全く片付かない仕事に追われ、ロホルトは屠殺場の豚の如き絶望的な目をした二体の分身に仕事を割り振っていく。これで七徹目……そろそろ限界だが、長年の経験からロホルトは理解していた。限界を超えた先にゾーンがある、ゾーンに入れば後四徹は出来るな……と。

 そう考えていたロホルトだったが、執務室の扉をノックし、入室を許可された途端に駆け込んできた騎士を見て手を止めた。その騎士は新進気鋭の若手だ――とはいえロホルトの方が若いが。名前はなんだったかなと記憶を掘り起こそうとする前に、青年は青い顔で訴えた。

 

「陛下、大変です! モードレッド卿が騎士隊を相手に暴行を働いて……!」

 

 ……。

 ………。

 …………日の出を迎えたばかりで?

 

 ロホルトは長い沈黙を挟んで、無言で席を立つ。この時間でそんな事件を起こす短慮は馬鹿としか言いようがないが、流石にモードレッドにも事情はあるはずだ。時間的に考えて任務からの帰りで気が立っているとか、絡まれた側に落ち度があるとか。頼むから穏便に済ませたいと切に願うものの、モードレッドが手を出すほどの事態である。面倒な気配を嫌でも感じてしまう。

 ゾンビのような二体のモルガンの、恨めしげな目を無視して退室した。ロホルトは仕事を放棄して執務室から離脱しているのではない、他に止められそうなガレスやガヘリスが留守だから、仕方なく出向いているのだ。ここがキャメロットなら任せられる程度の面倒事だろう、しかし仕事熱心とは言えないラモラックやベイリンすら仕事に出ている。あの猪を止められるのは自分だけだ。

 

 青年騎士の案内を受けて、練兵場へと向かう。するとロホルトが入り口に立つや、一人の騎士が吹き飛んできたではないか。難なくキャッチしてやるも、甲冑を纏っていない簡素な出で立ちの彼は白目を剥き気絶している。見れば顔面が拳の形に凹み、鼻が圧し折れていた。

 なんらかの反応を出力することなく、喧騒のする方に目を遣る。複数の成人男性達を相手に、華奢な体躯の少女が怒気を振り撒いて暴れ回っていた。こちらに吹き飛ばされた騎士同様、十名の騎士達は次々に殴り飛ばされ、常人なら即死するほどの暴威に晒されている。

 まるで小型の竜のようだ。竜の如く暴れる少女に蹴散らされ、生きていられるあたり、伊達にブリテンの騎士ではないということだろうが……ロホルトは腰に手を当てて短く声を発した。

 

「やめろ」

 

 大きな声ではない。

 だがこの場に充満した喧騒、怒気や戦意を貫通する、巨大な城壁の如き圧力に満ちた声である。

 真っ先に反応してピタリと停止し、止まれなかった騎士の一人に殴り飛ばされて地面に転がった少女が跳ね起きて。しかし報復の拳を繰り出すより先にロホルトの方に振り返り、露骨に驚愕して体を凝固させてしまう。他の騎士達も顔や体を痣だらけにしながらロホルトを見て、竜に睨まれた蛙のように固まった。だらだらと冷や汗を流し出す者もいる。

 

「何をしている?」

 

 ロホルトを此処に案内した騎士も、緊張の余り喉を引き攣らせ、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 一切の無駄、虚偽を働くことを許さぬ問い。ロホルトは騎士達を見渡し、もう一度問い掛けた。

 

「私は、何をしているのかと問い掛けたぞ。答えろディラック」

 

 名を呼ばれたのは、この場で最年長の壮年の騎士だった。最も大柄で筋骨たくましい彼は、ロホルトに名指しされるとビクリと肩を揺らす。

 まさか自分の名前がスコットランド王に記憶されているとは思わなかったのだろう。彼は平の下級騎士なのである。雲上人である月輪王は自分のことを認識していないと思うのが普通だ。

 無論ロホルトとて全ての騎士を記憶しているわけではない、ディラックが名と顔を覚えられているのには理由がある。ディラックは対ピクト人の民族浄化戦争に参加し生き残った騎士なのだ。生き残りの少ない戦争の生存者は記憶するに値するとして、彼はロホルトの目に止まったのである。

 

 口答えは許されない、また答えぬことも許されない、ディラックは急速に平静さを取り戻す。左目の周りを青黒く腫れ上げさせた騎士は、緊迫感に喉を圧迫されるのを堪え応答した。

 

「は――はっ! そ、それが自分にも理解が追いついておらず……我々がここに集まり、午後の任務に向け肩慣らしの稽古を行おうとしたところ、突然彼女が殴り込んで来たのです」

 

 ディラックの主張にロホルトは無表情だ。七徹を熟した後だからか、感情の波に起伏がない。冷酷にも見えるロホルトの表情に下級騎士達は怯えていた。

 だがディラックに怯えはない。後ろめたいものはないと思っているからだろう。スコットランド王は公正な判断をする御方なのだから問題ないと高を括っている。彼は横目に兜の騎士を流し見て、微かに蔑みの色を浮かべた。これだからガキは。彼の目はそう言っている。

 勇猛な騎士であるディラックは古い男だ。言葉にはしていないが、女で、しかも小娘である兜の騎士を侮り下に見ている。力こそ正義で、武勇が確かだから認めてはいても、女が男の世界にいることへ根源的な嫌悪感を持っていた。赤妃ガレスにすら宮殿で大人しくしているべきだと陰口を叩いている。

 

 悪いとは言わない。陰口で済ませている辺り、分際は弁えているのだから。

 その陰口をロホルトが知り得ていることも悟れぬ者であっても、そうした者が過半数を占めているこの世界で、彼だけを罰する訳にはいかなかった。

 しかしモードレッドはディラックからの視線に激発した。返り血塗れの甲冑姿で顔を真っ赤にし、壮年の騎士を指弾する。

 

「痴れ言を垂れるな、下衆が! 陛下、聞いてください、コイツらが昨日出向いたトアブの地を、私も任務完了後に通り掛かりました。そうするとトアブの民が私に訴え出たのです! 賊徒の討伐に出向いてきた騎士の一隊が、代償に近隣一の器量良し達を接待に求め、手篭めにしたと!」

 

 モードレッドの糾弾にディラックは顔色を変えた。慌てて口を挟んでくる。

 

「な、何を言っている! 幾ら貴公が王妃殿下の近衛騎士だとて、我らが王に根も葉もない讒言を行うなど恥を知るべきではないか!」

「恥晒しはテメェらだろうがッ! 陛下、コイツらは騎士の風上に置けない下郎共です、即刻罰を下さなくては騎士道に悖るのではないですか!?」

 

 ロホルトは改めてモードレッドの出で立ちを見直した。

 華奢な体躯に見合わぬ厳つい甲冑は、全身至る所に浴びた返り血で赤黒く化粧されている。背中に帯びた大剣は王剣クラレント――本来は王者の儀礼剣であるが、ロホルトは武器に権威を見出す気質ではなく、クラレントほどの宝具を使いもしないのは勿体ないとしてモードレッドに貸し与えていた。

 朝一から完全武装でいるところを見るに、モードレッドは与えた任務から帰還したばかりか。壮年の騎士とその隊に殴り込んだ辺り、彼女の見聞きした件は風化していないものと言える。

 どちらを信じるのかという話になると、モードレッドだ。正しいと感じ、正当な怒りだと共感できるのも彼女の方である。しかしロホルトには、今の遣り取りだけでディラック達のしたことが詳細に理解できていた。故に、双眸の冷淡な光が向けられたのはモードレッドだ。

 

「この私の前で騎士道を説くか、モードレッド」

 

 温度のない声に少女が怯んだ。

 『ロホルト・インペラトル』はモードレッドにとって兄であり師である。騎士としての在り方と技の根幹を叩き込まれ、人としての生き様で見本とした、まさしく憧れの存在であった。

 彼から多大な影響を受け親愛と忠誠を懐き、ロホルトの私人としての温かみを知るからこそ、当代に於いてただ二人の女騎士として記録される兜の騎士は、月輪王の冷徹さを畏れている。

 ロホルトはディラックを一瞥して確認した。

 

「ディラック。モードレッドの証言が正しければ、私は貴公とその部下から騎士爵の身分を剥奪し、追放刑に処すところだが……彼女の言うようなことはなかった、そうだな?」

「なっ――!?」

「は、はい。モードレッド卿の言い掛かりです、そんな事実はありません。確かにトアブの南西にある村で一夜を明かした際、夕食や寝床の提供は求めました。しかし酒の酌をしようと申し出たのは村人の方です。それに感謝はすれども、女性達に貞操を求めるような真似はしておりません。陛下に仕える騎士の末席に在る身として、斯様な狼藉を働く者がいればこの手で斬り捨てます」

「ふ、ふざけんじゃねぇ! よくもそう、いけしゃあしゃあと嘘を――」

 

「黙れ」

 

「ぃッ……!?」

 

 猛るモードレッドに、ロホルトは短く命じる。たじろいだ彼女を見る下級騎士達の目は険しい、ロホルトもまた情を感じさせない目をしていた。

 

「両手を後ろで組み、歯を食い縛れ」

 

 つかつかと歩み寄り眼前に立った王に、モードレッドは顔面を蒼白にする。

 言われるがままの体勢になって口を閉ざした彼女の頬に――ロホルトの平手打ちが炸裂した。

 まるで大岩が水面を叩きつけたかのような、異常な威力で大音量が鳴る。

 ビクリとその場の全員が背を震わせた。

 

 モードレッドは身動きしていない。吹き飛んでもいない。王の手首のスナップが利いた平手打ちは、全ての威力をモードレッドの肉体にのみ浸透させ、外部に余計な影響が出ないようにしたのだ。

 卓越した打撃の技量が為せる技である。モードレッドは体の芯を食った平手打ちで、まるで全身を強烈な雷撃で貫かれたような心地を味わうも、悲鳴すら漏らすことが出来ない。確かな頬の痛みと体の中心が揺らぐ激痛に、一切の反抗心を刈り取られていた。

 ロホルトが淡々と言葉を紡ぐ。

 

「トアブの南西にある村は、名をボカードという。ボカードの村人達からは、以前にも同様の被害届が齎されたことがあった。事の真相を究明する為に調査員(モルガンの分身)を派遣して明らかになったのは、貴公の言うような『器量良しの娘』など一人もいないということだ」

「ぁ……っ?」

 

 再度、雷鳴。平手打ちされたモードレッドが、ぐらりと体を揺らす。

 なんとか踏みとどまった彼女を、ロホルトは冷たく責める。

 

「以上のことがあった故に、私はボカードの村人による虚偽申告と判断した。その時は初犯ということもあり厳重注意だけで済ませたが……この件に関しては、騎士達に周知徹底させ、村人から嵌められないように気をつけろと布告を出したはずだ。貴公は知らなかったか? それとも忘れていたか?」

「ひっ……」

「まあそれはいい。貴公も多忙だ、忘れることもあるだろう。だが……なぜ彼らに事実確認を行わず暴力を振るう? それとも確認をとってもなお信じられずに手を出したのか?」

 

 再び、雷鳴。今度は耐えられず一歩下がった兜の騎士は、眦に水滴を浮かべながらも前に戻る。

 余りに痛烈な打撃音に、モードレッドを睨んでいた下級騎士達の顔に憐れみが浮かんだ。

 

「どちらにせよ度し難い。ディラック達は私の騎士だぞ、私が騎士として仕えることを許した名誉ある勇士達だ。同胞を信じずしてなんとする? 仮に彼らが器量良しの娘を求めたとしても、彼らはキャメロットから私に付き従ってきた者達だ。王国の中心にいる婦人達で目が肥えている男達が、貧しい村の女に食指が働くとでも? 仮定を重ね色欲に駆られたとしても、私の許にディラック達か村人から報告が上がるはずだ。そうなれば私は事実確認の為に調査員を派遣している……となると隠し事は露見し、正しい罰を私から下していた。なのに……モードレッド、貴公はなぜ私刑を加えようとした?」

「ぁ……ぅ……そ、それ、は……あの村の者達が、私に、騎士の身分を盾に、悪徳を働いた者がいると縋ってきて……ソイツら……ディラック達が、監査部の奴らと癒着していると聞いて……」

「……はぁ」

 

 ロホルトが嘆息すると、モードレッドの青白い顔から更に血の気が引く。

 赤く腫れた頬とも相俟り、ひどく痛々しい。

 四度目の雷鳴。地面に倒れたモードレッドを見下ろし、ロホルトが言う。

 

「正義に酔ったな。もしそれが事実なら、信頼できる者に伝えればいい。ガレスやガヘリス……ラモラック、ベイリン。彼らがいないなら私やモルガンでもいい。組織内部の腐敗、不正を矯正できる者との伝手が貴公にはあるだろう。それを怠るとは何事だ? 立て」

 

 命じられ、モードレッドがよろよろと立ち上がったところに五度目の雷鳴。

 またも倒れ込んだモードレッドを見て、遂に見兼ねたのかディラックが口を挟んできた。

 

「へ、陛下……さ、流石にもう、そのへんで……」

「口を挟むな。立て、モードレッド」

「は……ぃ……」

 

 六度目。ディラック達は反射的に目を閉じるか、顔を逸らした。

 

「貴公の軽挙を私が鵜呑みにしたらどうなっていた? ディラック達は不当に裁かれ、職を失い、賊に落ちていたかもしれない。そうなれば討伐隊が派遣され討ち取られていただろう。そしてもし私が此処に来るのが遅れて……あるいはそもそもこの場に来なかったら、貴公はディラックらにどれほどの傷を負わせれば満足していた? 後遺症が残り、彼らが騎士を辞めねばならなくなった場合、彼らの今後の人生に責任が持てるのか? 答えろ、モードレッド」

「ぁ、ぁぁ……」

「へっ、陛下っ! もう、もういいです! 我々の気は済みました、我々は彼女を許します! なのでもう許してやってください!」

 

 ディラックが見るに堪えないとばかりに前に出て、ロホルトとモードレッドの間に立ちふさがる。

 ロホルトは目を細めた。こうして主君の前に出て、自身に暴行を働いた者を庇える者が、騎士の身分を笠に着て横暴を働くとは思えない。ディラックは良くも悪くも古い男なのだ、女が殴られているのを黙って見ていられないし、そもそもそうした罪を犯すような手合いなら、ロホルトが彼の名と顔を記憶し、人品を調べた時に割り振る仕事を大過のないものにしている。

 仮に彼らの人品をロホルトが見誤っていたとしよう。もしそうであっても、裁くのはロホルトであってモードレッドではない。裁かれるべき者もディラックらを見誤った己だ。そして今回の件も、きちんと詳細を調べる。沙汰はその後だ。

 

 己に一報も入れずに私刑を加えたこと、それがモードレッドの罪である。ロホルトは倒れているモードレッドを見下ろした。

 

「……というわけだ。ディラック達に感謝するといい」

 

 もう行け、とロホルトはディラック達を追い払った。彼らは最後までモードレッドを心配し、介抱すると申し出ても来たが、それは自分がやると断った。

 ディラック達が去り、この場にモードレッドとロホルトしかいなくなったのを見計らって、公人たる月輪王から私人の青年に立ち返ると、ロホルトは深く溜め息を吐いてその場に座り込んだ。

 静寂。張り詰めて、凍った空気。

 やがて、小さな嗚咽が聞こえた。モードレッドが、声を押し殺している。

 ロホルトは謝らない、謝れるわけがない。自分が間違ったことをしたとは思えないし、大切な身内だから手加減をしなかったのだ。容赦なく過ちを正すのが、目上の立場にある者の責任だから。

 瞑目して、青年は呟く。

 

「……以前の君なら、犯さなかった過ちだ」

「ひ、っ……ぐ……っ」

「ガレスに慣れた。受け入れた。ガヘリスに慣れ、疎んじた。ラモラック、ベイリン、そして私。身の回りにいた者に親しみ、身近になったことで……人という獣の浅ましさ、困窮した者の愚かさを忘れてしまったんだ」

 

 以前のモードレッドは人を獣と見下し、他人を信じなかった。だがロホルト達しか身近に接する者がいない時間を過ごしている内に、人を信じる無垢な心を取り戻してしまったのだろう。

 幼い。本当に、幼い。見た目よりずっと若く、青く、未熟な内面だ。

 モードレッドを殴った手を握り締める。血が出て、なおも強く握る。こんな未熟な少女に過酷な仕事を与えて、挙げ句の果てには犯した過ちに暴力で応えるしかなかった己が……途方もなく愚かで傲慢な戯けに思えた。はっきり言って、殺したい。己で己を、裁きたい。糾したい。お前は何様なのかと。

 

「モードレッド。人を信じるな」

「……ぇ」

「私は信じていない。父上やガウェイン、ガヘリス……ランスロットをはじめとする円卓の騎士、君やガレス達を除いて、身内以外を私は全く信頼していない。なぜだか分かるかい?」

「……分か、りませ……ん……」

「人は衣食が足りてはじめて礼節を知る。それでもなお嫉妬や不満を忘れないのが人だ。なのに今のこの国……ブリテン島は、全国的に見て何もかもに不足している。これで正しい心を期待するようでは余りに傲慢だ」

 

 言いながら、ロホルトはモードレッドを助け起こす。彼女は頑なに顔を逸らしているが、敢えてその顔を見ようとは思わない。

 

「人は獣だ。醜さばかりが目立つ時代だ。醜悪なものに囲まれ、嫌になる時もある。けど、忘れてはならないものが一つだけあることを胸に留めてほしい」

「……それは、なんですか?」

 

 モードレッドは下を見たまま、ポツリと反駁する。

 明後日の方を向きながら、しかしロホルトはハッキリと告げた。

 

「意地だ」

「意地?」

「うん……誇りと言い換えてもいいかな。汚くて、悍しくて、嫌悪するしかないモノに囲まれていても、だからといって自分まで醜悪にならなくていい。その道に落ちてしまうのは楽だけど、楽な道に落ちてしまったら……この苦界を泳ぎ切ることはできないからね」

「……糞の肥溜めみたいなこの世界を渡り切って……その先には、何があるんですか」

「自己満足だよ」

「……え?」

 

 ちらりとこちらを見たモードレッドの目は潤んでいる。苦笑して答えたロホルトと目が合うと、彼女は慌てて目を逸らした。

 

「自分はこれだけのことをした、楽な道に逃げなかった……そういう誇り、自己満足が得られる。楽な道に逃げ込んだ弱い奴ら、汚い奴らと自分は違うんだと胸を張れて、思いっきり見下せる」

「………」

「意外かな、私がこういうことを言うのは」

「……正直、意外……です」

「無報酬で国家に奉仕しているんだよ、私は。ぶっちゃけ馬鹿ばかりで、この国の人間を軽蔑してるんだけど、我慢して我慢して全て捧げているんだ。多少は心に毒が溜まるのも仕方ないだろ?」

「………ですね」

 

 ロホルトの仕事量を想って、ついモードレッドは肯定した。納得しかなかった。

 彼に殴られた頬は痛い。けど、モードレッドはそれでロホルトに対して怒りや憎しみ、隔意を持つことはなかった。彼の平手打ちは巧みで、滅茶苦茶痛いのに後には引かないと知っているし、自分が間違っていたのにロホルトを怨むのは筋違いだと弁えているからだ。

 むしろ手加減なく殴られたのは嬉しい。被虐趣味はないが、真剣に怒り、正してくれるのは、ロホルトがそれだけモードレッドを必要としている証拠だ。強い関心がなければ、彼は適切な罰だけを下して後は監視の目を残している。

 

 後、ロホルトに殴られるのには慣れている。剣の稽古を付けてもらった時、滅茶苦茶痛くて、泣かされたことも多々あった。ロホルトは痛みの伴わない丁寧な教え方をしない……戦場に出た時、痛みに耐性がなければ、適切な判断が咄嗟に出来ないと知っていたからだ。

 だからモードレッドは、ロホルトがわざわざ自分の為に時間を割いてくれているのが嬉しいし、申し訳ないとも感じる。自分も確かに忙しく走り回っているが、ロホルトほど大変ではないから。

 

 ロホルトは青くなる空を見上げて、唐突に言った。

 

「来月、旅に出よう」

「…………えっ?」

「君と私、ガレスとガヘリスで。縄張りを広げるのに腐心して不帰になってるカヴァスを連れ戻して、旅に出るんだ。行き先はノルウェー……敵地を見に行くと思えば、気楽な旅行だろう?」

「ロホルト様っ、そんなことをしたら、この国が、母上に乗っ取られ――」

「乗っ取ってくれるなら是非どうぞと言いたい」

「――て、しまっ……? ……は?」

「冗談だ。けどまあ、普通に乗っ取りは無理だよ。私がいなくなったら今以上に忙殺されるからね。モルガンなら全てを投げ捨てて逃げることもない」

「………」

 

 さらりとモルガンの心と性格、今後を見極め信頼しているかのように断定するロホルトに、モードレッドは複雑な心境になった。

 あの毒婦の牙を抜き、すり減らし、飼いならした手際は素直に凄いが……なんとも言語化に困る感情に襲われてしまう。

 しかし、モードレッドはふと気づく。

 彼がわざわざ仕事を投げ出して、旅に出ようと誘ってくれたのは……。

 

「……へへっ」

「どうかしたかい?」

「んぅや、なんにもないですっ!」

 

 妹のように可愛がっている少女を、己の手で殴ったことへ罪の意識がある。だからその贖罪を、遠回しにしてくれようとしているのだ。

 ロホルトは謝れない。だけど、その代わりに何かをしたいと思っている。なら……その贖罪を受け入れてやるのが、デキた妹分というものだろう――と、モードレッドは思って。

 

 今から旅に出るのが楽しみになった。

 

 

 

 

 

 




〜ウ○キペ○ィアより〜

ロホルト・インペラトル
 インペラトルとは「無限の権力を有する者」という意味。古代ローマにおける軍指揮者、凱旋将軍、大将軍、元首、皇帝を指す。
 アーサー王はウーサーの称号「ペンドラゴン」を継承したとして自称した。当時に苗字という文化がブリテン島にはなかった為、ロホルトがペンドラゴンの称号を継ぐ必要性はなく、そうであるからこそ別の称号を与えられたのである。それこそが「インペラトル」だ。
 ローマを敵とした当時のブリテンだが、古い時代にローマからの影響も受けていた為、古代ローマ語の称号が付いてもおかしくはなかった。大層な響きの称号にロホルトは良い顔をしなかったが誰も批判しなかったことから、ロホルトが如何にブリテン人からの信望を集めていたかが分かる。アーサー王も彼を後継者と目していたことから、不遜とも取れる称号を黙認していた。
 ロホルトがブリテン島で英雄の名声を有し、また優れた為政者・軍指導者であるのは周知のことだったが、客観的に評価するとインペラトルという過大な称号を付けられるほどではない。
 彼はまだ十代後半の若者であり、冷静に見ると彼の業績は父王アーサーに付随してのものが殆どで、当時はまだスコットランドを平定したばかりだったのだ。ロホルトがブリテンの光(ブリタニアの希望とも)、夜の時代を照らす月明かりと称されたのは、アーサー王による宣伝工作だろうと後世では結論付けられている。後継者の名声を自身が健在な内から高めておくべきだと判断し、ロホルトを実力以上に優れた英雄だと喧伝したのだろう。それでもロホルトの過分な名声に、表立って反発した者がいない以上、彼のカリスマ性は本物だったと言えるはずだ。

 しかし当時のブリテン人が一様に畏敬の念を示し、臣民からの信望をロホルトが集めていたのは、事実としてロホルトが国のために身を粉にして働き、末期であった国の救済を成そうとしていることが伝わっていたからだとする説も強い。可能な限り民に負担を強いないのは当たり前に思えるかもしれないが、全国的な飢饉が続いていた時代では極めて難しい姿勢であろう。
 民衆が知り得る術はなかったはずだが、ロホルトがノルウェー侵攻・征服・統治を実現し、更に版図を拡大する計画を立て、実現性の高いものだと父王やマーリンらに評価され、実行に移そうとしていたのは歴史的史料である「ロホルトの日記」を見るに事実だ。過分に思えるロホルトへの高評価は、もはや彼の示した救国の道にしか希望がないと、後世の視点から見ても断じざるを得ないことから判断して、決して過大評価などではなかったと言える。

 なおロホルトにインペラトルの称号を授けたのは、大陸から渡ってきた基督教の司祭だという。ロホルトの手に神の子を刺した槍ロンギヌスがあり、聖槍を彼が所有しているのを見たことで心服したらしく、また彼と対談して人柄を知ることで敬意を深めたようだ。司祭は急ぎ帰還して持ち込んだ報せに、基督教勢力は上に下にの大騒ぎを起こしたらしい。
 ロホルトは聖遺物ロンギヌスの槍を利用し、大陸に自身の名を知らしめることを、司祭との対談を経て侵攻計画に組み込んだようだ。以後の彼は「黄金の十字架」のペンダントを首に下げ、肌身離さず身に着けたことから、基督教の信徒は彼に大きな衝撃と敬意を刻まれた。なぜなら十字架とは受難の象徴、死に対する勝利のしるしであり、復活の象徴としても捉えられていたのだ。「聖なる木」「死を滅ぼせし矛」とも言われ、十字架が信仰の中で重要視されるようになったのが四世紀以降であることから、ロホルトは十字架を首飾りとして用いた世界初の偉人であるとされている。
 基督教を利用したロホルトの名は、侵攻予定のノルウェーにもいち早く鳴り響き、彼が近い将来ノルウェーに現れ、その雷名で腐敗した政権を打ち壊し、平和と繁栄を齎すとの噂(ロホルトが流したと思われる)が流れ、彼の到来を待ち望む者が多数現れるほどだった。

 しかし――ということもあって――なお――だった。



 歴史的史料「ロホルトの日記」は、実際はロホルトが記したものではない。著者は終生ロホルトに仕えたガレス直筆の物である。
 日記と銘打たれているのは、ガレスから見たロホルトの日々の言動や実際にあった出来事だけを記し、読み物として見るとなんの面白みもない文章を書き残していたからだ。

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