【ネタ】故障してる千里眼持ち王子inブリテン王国 作:飴玉鉛
吹き出た端から血飛沫が蒸発する。
赤い大剣が纏う炎に焼かれ、散乱するはずだった血潮が蒸気となったのだ。
重量感のある肉厚の獣が地に伏して、手の甲で爽やかな汗を拭った乙女が勝鬨を上げる。
「っふぅー……! これで今回のお勤めもお終い、っと!」
純白のバトルドレスは機能的。戴く
乙女の名はガレス。十五歳にしてスコットランド王ロホルト・インペラトルの正妃となり、騎士としての使命に名乗りを上げた猛き雌狼だ。名高き円卓の騎士に匹敵する武勇で以て、先のピクト人との決戦で赫々たる武勲を稼いだ英雄でもある。近衛であるモードレッド共々、史上に記録された最古の女騎士であり、清廉で快活な性格から臣民に絶大な人気を博した王妃であった。
だがその名声も後のもの。現在は先の決戦で挙げた武勲で不満の声を抑えられているが、男社会に紛れ込んだ女性として見られ、どうしても侮られて嘲りを受ける身である。
月輪王はまだ二十歳に満たない歳だとはいえ、後継ぎとなる嫡男を嘱望される立場だ。なのに跡継ぎを生むという最大の役割を放棄し、騎士として働くガレスを蔑む声があるのは当然だろう。正妃としての役割も果たさず、外に出て血と砂煙を浴び、額に汗して駆け回るなど言語道断だからだ。
「……はぁ」
近隣の村人を脅かす魔猪を討ち取った達成感が過ぎ去ると、ガレスは差し込む木漏れ日を見上げ、緑豊かな森林が湿気で満ちるような溜め息を溢す。
ガレスとて周囲から向けられる視線の意味と陰口は把握していた。自身が正妃の役割を果たしていないのは罪深く、騎士として勤めるという夢の為、犠牲にしてしまっているモノがあるのだと。
ガレスが公然と批判されていないのは、ひとえに夫であり主である月輪王のお蔭だ。彼が子供を作る暇など無いと働き通しているのと、ガレスの力が活かされる仕事を回してくれている。だからガレスは堂々と夢を実現させていられるのだ。
「殿下が愛せる人を見つけられたら……」
近年の悩み、明確なはずの答えが曖昧になる心。ポツリと漏らした独り言を理性が止める。
ガレスは恋愛が分からなかった。恋だとか愛だとか、言葉で説明されてもいまいちピンとこない。
主君を慕っているのは間違いなかった。命を捧げるのに躊躇いを懐くことは絶対に無いし、彼の命令ならたとえどんな非道なことでもやれる覚悟がある。主の為ならなんだって出来るのだ。
だが主君を愛しているのかと言われたら……きっと愛していないと思う。ロホルトに抱かれるのは嫌ではないだろうし、子を生めと命じられたら精一杯励むだろうが、根っからの騎士であるガレスには、愛がそこにあるとは思えない。というか主君の方がガレスに女としての魅力を感じていないはずだ。こんな筋張った体の、剣を振り回して喜んでる男女なんか眼中にもないだろう。
「……帰ろっと。無駄にしていい時間なんかないし、早く帰って殿下――じゃなくて陛下のお手伝いをしなくちゃ」
ロホルトが愛する人を見つけられたら、全力で応援する。自分に出来ることならなんだってする。それが夢を叶えさせてくれた主への恩返しであるし、自分が捧げた忠義の在り方だ。
だけど、ガレスにはロホルトの横に立つ女の人の姿が、全く想像できなかった。性に潔癖なロホルトは社交界だと常に婦女子に囲まれているのに、誰かに触れることはおろか誘いもしない。
女っ気がないのだ。彼に相応しい女性が存在するのかも疑わしく思う。試しに異父姉妹モードレッドが傍に侍るところを想像しても、騎士か妹が近くにいるような絵にしかならず、かといって実母モルガンが侍るところを想像してみても……ちょっと、嫌だと感じる。
そもそも自分なんかがロホルトの妻という立場にあるのが鳥滸がましい。
ガレスはロホルトの腹心となった青年会の初期メンバーだ。幼い頃からロホルトの奮闘や懊悩を見続けてきて、彼から国の危機的状況を説かれ、以来この国の苦難を打ち破る為に戦ってきた。
騎士なのだ。ガレスの根底にあるロホルトへの心は忠義なのである。国を想い、救わんとする英雄に尽くしたいと願い、英雄の力になる為に研鑽を重ねてきた。女として尽くすことなど、一度たりとも考えたことがない。そんな自分が救国の英雄の妃など、荷が重いとしか思えなかった。
だが現実問題として、いつまでもロホルトの温情に甘え続けるわけにはいかない。性に潔癖で、ともすると臆病とも言えるロホルトは、このままだと何時まで経っても子を成さないだろう。それでは救国を成し遂げたとしても、政情が不安定化するのは目に見えている。
幼少期から青年会で学び続けてきたガレスは武力一辺倒の猪ではない。政治の機微に聡い才女に成長していたのだ。だから現状維持など望むべくもないと理解している……頭では。
心が迷っていた。
理性は言う、正妃としての……女としての役目を果たせ、と。
心は言う、王者の妻に相応しくない自分が、いつまでも正妃の座にあるのは間違っている、と。
なんとかしないといけない。ガレスの中で、迷いは肥大する一方だった。
「――ああ、こんなところにおられましたか、ガレス様」
「あ、スプリガン」
とことこと歩き森から出ると、一人の騎士がガレスを出迎えた。
金髪の優男だ。名はスプリガン。整った風貌の成人男性で、一応騎士としてスコットランド王国に仕える身であるが、彼は専ら代官として各地の村に赴き税を徴収する役割を担っている。
武力は平凡だが知恵が回り、何をするにも如才なく熟す器用な騎士だ。小さくはあるが功績を着々と積み上げ、ゆくゆくは一地方の領主を任せられても不思議でない才能と血筋を具えている。
馬に騎乗していた彼は、颯爽と下馬してガレスの傍に寄ってきた。
「供も付けずに単身で任務に赴くとは、些か不用心と言わざるを得ませんな。御身は我らの王の妃なのです、お体は大事になさいませ」
「あー……うん、ごめんね。スプリガンはどうして此処に?」
「なに、この地にガレス様が再び訪れると聞き、またぞろ単独行動をしているのではと心配して駆けつけたのですよ。案の定でしたな」
「あはは……」
呆れたように嘆息するスプリガンに、ガレスは苦笑いして誤魔化す。
彼の言うことは尤もだ。騎士として働いているとはいえ、身分はれっきとした正妃なのである。そんなガレスが単独で危険な魔獣退治をしていては、国の体面が悪くなるのも自明ではあった。
だが今のスコットランド王国で、ガレスが単独で活動していることを咎める者はいない。何もかもが末期なのだ、少しでも実力があるならどんな貴人であれ現場に駆り出される。そしてそれを誰しもが仕方ないと受け入れてしまうほど、ピクト人による打撃はこの国に深刻な傷跡を刻みつけたのだ。
「ガレス様はこれからどちらに?」
「討伐対象は討ち取ったから、これから宮殿に帰るところだよ」
「左様でしたか。しかしガレス様の乗騎が見当たりませんな。必要ならワタシの馬を譲りましょう」
「いや、大丈夫だよ」
ガレスは指を咥え、息を吹く。ピーッ! と甲高い音が鳴った。指笛だ。
彼女の指笛を聞きつけて、軽やかに地面を蹴り乗騎が駆けつけてくる。
それはロホルトの親友であり、人間の年齢に換算するとすっかりお婆ちゃんになった白き大狼だ。
宝剣を咥えた白狼カヴァスは、最近はスコットランドに縄張りを構築し、獣ならではの警戒網を敷いて侵入してくる魔獣や幻獣、妖精を駆逐して回っていた。最近になって漸く縄張り内の治安が落ち着いたのか、カヴァスは宮殿に帰ろうとしていたのだが、そこでガレスと出くわして彼女の護衛になってくれていたのである。下手な騎士よりも遥かに信頼できる存在だった。
カヴァスは軽妙にガレスの隣に着地すると、彼女の顔に鼻を寄せる。擽ったくて笑い声を出してしまいながら、ガレスは白狼を優しく撫でてやった。
「私にはこの子がいるから、スプリガンから馬を借りる必要はないよ。気持ちだけ受け取っておくね」
「そう……でしたか……」
「?」
スプリガンは顔を強張らせている。
どうしたのか様子をうかがうと、彼はカヴァスから距離を置いていた。
彼はカヴァスが苦手……というより恐れているらしい。カヴァスがやや剣呑に睨んでいるのも、スプリガンが白狼から遠ざかる要因になっているようだ。
スプリガンは気を持ち直して提案してくる。
「御身がご帰還なさるまで、暫しの間ワタシも同道させてもらえないでしょうか。王妃様をお一人で帰らせたとなれば、ワタシも騎士の端くれ……誇りに傷が付いてしまいます」
「うん、分かった。それじゃあちょっとの間、護衛よろしくね」
「承知しました」
スプリガンがにこりと微笑む。このスプリガンという騎士は、決して美青年というわけではない。しかし彼は大人の男として、紳士的で篤実な魅力を有していた。スプリガンの女性受けがよく、また同性からも頼りにされる理由はこの嫌味の無さにあるのだろう。
――十年前、ブリテン王国に『爵位』という制度が導入された。
爵位制を考案したのは、嘗て未来を覗き視た王子である。明確な史料として記述に残されているのは十四世紀以降――身分制度の未成熟な当代では、満足に運用できるものではない。
だが臣下の者達を管理、統制するのに身分制度の細分化、厳格化は不可欠。意外なことに有力な豪族や騎士はいても、『貴族』がブリテン島には存在しなかった。正確にはいるにはいるが、有名無実でほとんどの人が存在を認知していない。故に嘗ての幼き王子は騎士王に意見具申して、臣下の者達に爵位という名の『格付け』を行なったのである。
そうすることで上位者と下位者を切り分け、指揮系統をはっきりさせた。ブリテン王から爵位を賜っていない者は、このブリテン島で正統な権力を得ることができないという認識を育てたのだ。以前は爵位を軽んじる者が大多数だったが、ブリテン王が最大の権威と軍事力を有した今、急速に騎士王の制定した爵位制は権威を帯び始めている。
明文化され、定められた爵位は五つ。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だ。公爵は現在ロホルトのみが持つ王族の為の爵位で、死亡した功臣ペリノア王は侯爵位を叙位された。今のブリテン人の多くが英雄と認めるペリノア王に侯爵位を叙位することで、表向き彼の名に栄誉を与えていたが、爵位を贈ることでペリノア王は騎士王やその一族より立場は下だと明確に定めたのである。
斯くして名誉を気にするブリテン人は、面白いように爵位という身分制度を受け入れた。他者との格付けが国民性から言って性に合うからだろう。
スプリガンもそのうちの一人だ。彼は自身の領土を『返還』するという体で王に捧げることで子爵位を得ていた。返還した彼の領地がもっと豊かで、あるいは広大であったら伯爵位も望めていただろう。――実際の実力だと伯爵になってもいいレベルだとロホルトは評価していた。
「――うん? 浮かない顔ですな、何か悩みでもあるのですか?」
武力はともかく、きちんと政務もこなせる人材は希少だ。その希少な人材であるスプリガンは、月輪王ロホルトに名を記憶され、何度かガレスとの会話でも名前が出てきている。
だからか、ガレスにもスプリガンに対する悪い印象はなかった。
そんな彼から探りを入れられたから、ついガレスは口を滑らせてしまう。失言した迂闊さに気がつくこともないままに。
「え、悩み? まあ……うん、あると言えばある、かな」
「ほう。良ければ話を聞きましょうか。王妃殿下の抱える悩みに正しい助言が出来るなどとは自惚れてはおりませんが、幸か不幸かワタシは中央の政からは遠い身です。ガレス様もワタシのような部外者――他人になら気軽に話せるかもしれませんぞ」
「そう、かな? ……そうかも」
口車に乗せられた、というわけではない。
だがガレスからしてみると、自身の抱える悩みは大袈裟に取られるものではなかった。だから『これぐらいなら問題ない』と……ラインの線引きを見誤ったのだ。
「実はね」
ガレスは出来るだけ軽く言った。
自分は昔から騎士になるのが夢だったこと。ロホルトがそれを叶えてくれ、こうして女の身でも騎士の仕事を任してくれること。恩義に報いたい、しかし正妃という立場では騎士としての忠義を示すより、跡継ぎを生むのが最大の仕事になること。だが自分には恋も異性間の愛も分からず、ロホルトには自分なんかより素晴らしい女性と結ばれてほしかったと感じていること……。
長く、つらつらと、語った。スプリガンは全く嫌な顔をせずに聞き届けて、そして。
「ガレス様。マズイですな」
「ん? マズイ……って、なにが?」
深刻に、彼はガレスを見た。
そして懺悔するように、スプリガンは言う。
「実を申しますと、ワタシはガレス様に取り入り――場合によっては肉体関係を結び、貴女の愛人になることで中央の政へ関われるようになろうという打算があって、そちら方面だと隙だらけのガレス様に接近していたのです」
「――――え」
「ああ、誤解なさいますな。そんな野心は捨てました。そうでなくてはこんなこと口にはしません。殺されても文句が言えませんので。故に、これは赤心からの忠告であると信じていただきたい」
ガレスは自身の容貌に無頓着だった。しかしただでさえ愛らしく、成長するごとに女性的な魅力を獲得していっている彼女は、男達の妄想の中で何度も性欲の捌け口にされるまでになっている。
美しく、可憐で、清廉。おまけにロホルトの影響で、毎日身を清めているガレスの清潔さは男達の目を引いて仕方ない。スプリガンもガレスに欲情していた――そんな彼の自白に目を白黒させ、意味を理解すると咄嗟に距離を空けたが、スプリガンは気にせず真剣な顔をしている。今更警戒する彼女に、獣であるカヴァスの方が呆れていた。おいおい、大丈夫かとでも言うように。
大丈夫ではなかった。
「恥ずかしながら、ワタシは俗物です。だからこそ分かるものがある。ガレス様、貴女を狙っているのはワタシだけではありません。ワタシと違って野心なく、軽率に貴女の心と体を狙っている者は多いでしょう。それほどまでに貴女は魅力的だ」
「………………?」
「しかし身分差がある故に叶わぬ恋となる……しかしどうしても諦めきれないという者がいたとして――いえ、絶対にいますな。ともかく、そうした者が貴女を手に入れるのに、どのような行動に出るか思いつきますか?」
「……それは。え……っと……私が魅力的って……?」
「……これは思ったより重症ですな」
ガレスの反応にスプリガンは深々と嘆息する。
思ったよりも彼女が初心過ぎた。
だが躊躇っている場合ではない。スプリガンは直截に告げる。
「ガレス様はお強い。それこそあの円卓の騎士にも匹敵するでしょう。故に実力行使はできない。ならば罠に掛けるか? いいや、もし露見しては処刑は確定でしょう。となればどうするか? 簡単な話です。貴女が妃としての仕事を果たしていないのは、他に愛する男がいるからだと吹聴し、王ですら無視できないまでに噂を広めてしまえばいい」
「え?」
「するとどうなるか? 貴女は正妃に相応しくないとされる。妃の立場から追いやられるのは必定。となると貴女はどうなる? 騎士として働けるでしょうか?」
「………」
「無理です。貴女が騎士の仕事が出来ているのは、月輪王陛下が後ろ盾になっているからでしかない。であるのに王の信頼を裏切った者が、騎士として働ける道理はないでしょう。後は、正妃でなくなり厄介者になった貴女を真っ当に口説けばいいと俗物共は考える。その場合貴女は修道院に押し込まれているでしょうが、身分差はなくなっているので大きな問題には成り得ませんしね」
スプリガンの忠告は真に迫っていた。それを理解しガレスは顔色を変える。
「私を……そうまでして、狙う人が本当にいるの?」
「
「…………」
「ごめん、私は先に帰るね。カヴァスに本気で走ってもらったら、普通の馬だと追いつけないから」
「急がれるがよろしかろう。――尤も、手遅れの可能性はありますが」
ガレスはカヴァスに断りを入れて背中に乗させてもらい、急いで帰るようにお願いする。
カヴァスは走った。
だが、広められた噂の芽は、既に出始めていた。
「なに? ……ガレスが、
ロホルトは注進しに来た腹心の青年に目を剥いた。
だが、すぐに否定する。
「有り得ないね」
一笑に付した。
注進に来たのは青年会のメンバーで、全幅の信頼を置いている騎士だ。
政務はおろか治安維持も、戦闘も熟す熟練のオールラウンダーである青年サリヴァンも、ガレスの人柄からして有り得ないと解っているはず。
なのに騎士サリヴァンが重苦しい表情を崩さないのを見て、ロホルトは察した。
「……そうか」
どうやら、そうした噂が広まりを見せているらしい、と。
「陛下。今なら、間に合います」
「分かった。報せてくれてありがとう」
「……頼みました。ガレス殿は、我々にとっても大事な妹分です」
「うん……そうだね、任せてくれ」
「は」
頭を下げて退室したサリヴァンを見送り、ロホルトは、巨大な溜め息を溢した。
「……噂を広めたやつ、去勢してやろうかな」
ラブロマンスの為なら国の一つや二つ消し飛んでも構わない――!
わけあるか。