ようこそ、ゲームの世界へ
気が付くと、自分は真っ暗な世界の中にいた。
文字通り、何も存在しない虚無の空間。試しに手を動かしても、それを目で確認することは全くできず、試しに数歩だけ歩いても、自分がどれほど進んだかすら知ることができない。
本当に、自分は動けているのだろうか。そもそもとして、ここは一体どこなのか。
直に巡ってきた不安は焦りをかき立てて、次第にもどかしく思い始めていく。この、本当に時間が進んでいるのか分からない状況に、実は世界が固まってしまっているんじゃないかという疑問が脳裏をよぎり始めたその時にも、どこからともなく、少女の声が聞こえてきた。
「やぁ、お目覚めかい?」
「? ……君は?」
目の前が暗すぎて、どの方向から声を掛けられたのか全く分からない。
辺りを見渡しても、途方の無い暗闇しかうかがえない視界。ただ、少女の声は芯のあるハキハキとした声音をしており、それでいて王子様のような、中性的な印象を受ける貴族風の喋りであることが耳で理解できた。
相変わらず姿が見えないその正体。これに自分は振り向き続ける感覚を伴う中で、少女の声が響き出してくる。
「ボクのことは後でいいのさ。それよりもまず、ボクはキミのことを詳しく知りたいと思っているんだ」
「それは、一体……?」
「まぁまぁ、いいじゃないか。あまり細かいことは考えなくてもいい。ゲームでもたまにあるだろう? あらすじやオープニングといった、プロローグと呼ばれる物語の序章が詳しく語られることなく、早速と主人公を操作できる作品とかね。要は、それと同じようなものなのさ。だから、今の時点ではそんな深く知ろうとしなくてもいいし、考えなくてもいい。まずは、キミのことを教えてくれないかい?」
次の瞬間、暗闇が広がる目の前に柔らかな光が浮かび上がってきた。
ホタルの光みたいに点々としていて、どこか儚げな淡い黄色を放つ無数の光源。それらが縦になるよう集合していくと、間もなくとして光は一つの全身鏡となって、“こちら”を映し出してきた。
……誰だ、この人。最初に受けた印象は、その一言だった。
全く知らない男の人が、目の前に立っている。それは、非常にありがちな顔面をしたスキンヘッドの人間であり、これがとても自分だとは思えない。
動かした両手が鏡に反映されたことで、確かに自分の体であることを認識した。こうして暫し現実を受け入れられずにいた自分の様子を見かねてか、少女はそう喋り続けてくる。
「安心してほしい。その体は飽くまでも“仮の姿”であり、物語を開始するにあたって事前に用意された初期の外見であることを理解してもらいたいのさ」
「仮の姿……?」
「これからキミには、見た目を形成してもらうつもりだ。顔や髪、鼻や耳、輪郭や骨格。ありとあらゆる体の構造をキミ自身で手直しし、理想となる容貌を作り上げてほしい。ここで手直しした見た目もとい“キャラクター”は、この先にてキミを待ち受ける、無限なる冒険を共にする唯一無二の相棒となることだろうね。だから、納得がいくまで丁寧に体を組み替えてもらっても構わないよ」
そのセリフが合図となっていたのだろうか。少女が喋り終えるなり、この意識は鏡の中へと吸い込まれていく。
画面が切り替わった……と表現するべきか。次にも視界は己が全身を映し出し、視界の隅にはメニューとも言えるだろう項目が縦に並び出してきた。
初めて見る異空間なのに、非常に馴染みのある感覚が巡ってくる。
キャラクタークリエイトという言葉で異様な納得感を覚えてしまえる。それと共に全身鏡の前に立った自分は、堂々とした佇まいで顔などの設定をしっかり確認してから、クリーチャーといったネタ方向のクリエイトではなく、理想を詰め込んだ真面目なクリエイトという方針で体の組み換えを開始していった。
2時間はみっちりと鏡に向かい合った自分。その成果とも言えるだろう容貌が、今も鏡に映し出されている。
身長175の青年だ。背丈や性別、年齢も選べたが、ここは純粋な男の子が奮闘する姿が好きという性癖を詰め込んだ辺りで、一区切りをつけていった。その成果が、ツヤのある黒髪のショートヘアーに、琥珀のようなオレンジ色の瞳、主人公に似合いそうな無難な顔立ちに、着痩せするタイプの細マッチョを目指した程よい筋肉質が男らしさを演出していたことだろう。
服装は、現代風のカジュアルなファッションが性癖ということもあり、それ中心のコーディネートを揃えていった。
黒色とオレンジ色が混じるダボダボっとしたパーカーに、下に着た白色のシャツと、腹部に巻いたベルトのようなアクセサリーがワンポイントとなっている。また、ゆったりとした黒色のボトムスを用意し、その裾を、冒険者用のオレンジ色のシューズにインするこだわりまで発揮した渾身のキャラクタークリエイトが完成した。
キャラクターのコンセプトは、『王道主人公、脱げばすごい』。
そんなこんなで、吸い寄せられた意識は自然と全身鏡から解放されており、再び暗闇の世界に取り残された状況となっていく。
……この一連で感じ得た感覚がある。それは、“自分が主人公となって操作されているような感覚”だ。
この体を動かすにあたって、“次元や画面を挟んだ向こう側”に操られているような、自分なのに自分ではない浮遊感を伴う違和感に気が付くことができていた。
ある意味で、適応、とも言えるのかもしれない。鏡から出てきた自分が虚無の暗闇で周囲を見渡していると、ふと投げ掛けた視線の先、の……ちょっと下に、先ほどの声の主と言えるだろう“1人の少女”が何気無く存在していたものだ。
これには思わず、ちょっとだけ驚いていく。しかし一方で、顔を見ることができた喜びにちょっと手を振ってみたりすると、少女もまた右手を胸元にあてがい、フフンッと鼻を鳴らしながら気高く、そして誇らしげに微笑してみせた。
少女の身長は160ちょうどだろうか。全体的に透明感のあるオーラを纏っており、それはお餅のように柔らかな色白の肌や、水晶のように光を放つ水色の瞳といった要素が、一層とミステリアスな雰囲気を醸し出してくる。
ガラス細工のように透き通った銀色のショートヘアーと、胸元まで伸ばしたもみあげがチャームポイント。また、服装の性癖はこちらに合わせてくれたのだろうか、少女も腕部分が膨れ上がった黒色と灰色のぶかぶかなスタジャンに、下には水色のTシャツ、ボトムスは膝丈までの黒色の短パンを履いており、黒色と水色のシューズという格好が実にストリート系を彷彿とさせた。
ハキハキとした声音に納得がいく、ハキハキとした目つきと冷静な表情。いたいけな輪郭から幼さが醸し出されているが、堂々とした佇まいが立派であり、貴族風に喋る程度には不可思議であるその印象を、遺憾なく振り撒いていたものだ。
目が合って、自分はキャラクタークリエイトを済ませた生まれ変わった体で会釈を行っていく。これに少女は高貴な笑みを浮かべると、次にも左手を自身の胸元にあてがいながら、右手を差し伸べるような構えとなって、貴族風に喋り出してきた。
「素晴らしい!! 素晴らしいよキミは!! これから降り立つ世界は、剣と魔法のファンタジー世界だ。そこでは騎士の鎧や武闘家の半裸、剣士のマントや魔法使いのローブといった、異世界の常識がキミのことを待ち受けることだろう。もちろん、その独自の文化に適応し、ファンタジーやSFでしか楽しめない異文化の衣装を纏うことも記念となるだろうし、冒険前まで滞在していた“あちらの世界”の常識を持ち込むことで、異世界の住人に新たなる流行としてお披露目し、ファンタジーの世界に現代の文化を流行させるのも面白いことだろう。その中でも、キミはヤンチャな格好を好む嗜好にあるらしい。だから、キミと冒険を共に往くボクも、キミに感化されてヤンチャな風貌をしてみたのさ!! どうだい!? ボクのセンスは如何なものかな!?」
喋りや態度こそは、容貌とは見合わない非常に大人びた高貴なサマだった。しかし、この少女の内面は意外と純粋で、純情で、年相応とも言える無邪気さもうかがえた。
こうしてみると、可愛い女の子だな。そんな印象を覚えた自分が「とてもよく似合っているよ」と言って少女を喜ばせていく最中、自分は先のセリフにあった言葉に今更と気が付くように訊ね掛けていく。
「え、えっと。待って。“これから降り立つ世界”って、どういう意味? 剣と魔法のファンタジー? え、異世界の常識が待ち受けてるって、俺はそんな世界……異世界? の中へ連れていかれるってことなの? てかキミもついてくるの!?」
こちらが色々と訊ね掛けている間にも、少女はご機嫌な様子で鼻歌を歌いながら暗闇の空間を歩き進めていく。それから差し向けた人差し指で地面に円を描いていくと、その部分がくり抜かれるようにポロッと落ちるなり、穴からは一気に吹き上がるような強風が流れ込んできたのだ。
少女の後ろからだが、わずかながら見えた光景は“上空の遥か彼方”と呼べただろう。それも、雲を上から覗けるくらいの高度を誇るそれに自分が後ずさりをしていく中で、少女は至って当然とも言える表情で振り返りながら、言葉を投げ掛けてきた。
「それじゃあ、キミから名前を教えてもらおうかな。先ほどの鏡の中で、名前も決めただろう? 一応、振り返りとして名付けに関する制約の話でもしておこうかな。……この世界における名付け方についてなのだけど、基本的には“神話が由来になっていること”というルールが決められているんだ。例えば、神話に登場する神様の名前や、道具の名前だったり、精霊や怪物、地名や乗り物などなど、とにかく神話が由来になっていることが最低条件だね。その条件さえ満たせてあれば、あとはどんな名前を付けてもらっても大丈夫。その名前に言葉を付け足して長くしてもいいし、逆に名前から文字を抜いて短くしてもいい」
「とても変わった名付け方を迫られたから、あまり自由度を感じられなかったよ」
「それはすまなかった。物語の序章にすら至っていないというのに、始まる前からキミを不快な思いにさせた件についてはボクが心から謝罪するよ。申し訳無かった。ただ、これが“この世界”のルールなんだ。どうかルールを守ってもらえると、今後の生活や冒険で困らないと思うからね」
「俺の言葉もそんな気にしないで。ごめんね、余計なことを言って」
少女が、右手でこちらを静止してくる。そうして口を止めてから、少女は改めてそれを訊ね掛けてきた。
「さて、そういうわけだから、まずはキミの名前をうかがうとしようじゃないか。名前を教えてほしい」
「俺は“アレウス”だ。アレウス・ブレイヴァリー。この名前は大丈夫そう?」
「あぁ! 全く問題無いよ! それどころか、カッコイイね! ボクも神様アレスから名前を取ってくれば良かったかな?」
「俺としても、君の名前を知りたいのだけど。教えてくれたりする?」
「いいよ!! 共に旅をする仲間として、自己紹介は不可欠だろうからね!」
ハキハキと元気よく喋る少女は、言葉を続けてくる。
「ボクの名前は“ノア”だよ! 職業は妖精。所謂、主人公についてくるお助けポジションの存在だと思ってくれていいからね! これからよろしく、アレウス・ブレイヴァリー!」
「あ、あぁ、よろしく」
いちいちフルネームなんだ……。
なんか、“メタい”なと何気無く思っていく自分。これによって意識を内側へ向けてしまっていたせいなのか、次にも目の前で起こる出来事に、自分は場に流されるままに付き合わされることとなる。
「さぁ、互いの名前も知ることができたね!! そうとなれば、冒険の準備は完璧に済んだと考えることができるだろう!! ……アレウス・ブレイヴァリー!! ボクの手を取って! さぁ! 早く! この興奮が冷めやらぬ内に、キミの
「え? え? あ、手? こう?」
まだ、色々と聞かされていないんだけど……。
という思いが巡る思考を他所にして、自分は言われたように右手を差し出していく。それをノアはキャッチするように軽く手に取っていくと、直後にもノアは強風が吹き抜ける穴へと身を投げ、その勢いのまま自分も引き摺り下ろされる形で穴から転落してしまったのだ。
お、落ちるゥゥゥゥゥゥーーーーッッ!!!!
真っ逆さまから落下し始めた極度の危機感により、脳内の思考が全て「死」で支配された状況。これをノアは軽快に笑い飛ばし、今も落下し続けた状態でハキハキと喋ってみせた。
「アレウス・ブレイヴァリー!! 下を見てもらえるかな!!」
「し、下っ!? 下ァッ!!?」
段々と、姿勢がスカイダイビング時のうつ伏せとなっていく。その間もノアは自由自在に空中を一回転してみせると、落下中にも関わらず、まるで座るようなリラックスした姿勢をとりながら、下方向へと指を指し示していった。
「下には大陸が広がっているはずさ! キミにも、イヤと言うほどに見えていると思うけれどね!!」
今も落ち往く体の先。もう間もなくと落下するだろう頭から突っ込む着地点。
視線の先には、広大な海に浮かぶ大陸が存在していた。
茶色や灰色の山脈をはじめとして、海から流れ込む河川が大陸を横断し、既にネッシーのような頭部を見せた生物が住む巨大な湖の光景が見受けられていく。また、大陸の至る箇所には城のような巨大な建物が用意されていたり、霧が濃くて全容がうかがえない地域であったり、無数もの竜巻が発生している大雨の地帯、毒の沼と溶岩流が混じる有毒ガスに塗れたフィールドなどなど、まさにファンタジーと呼ぶに相応しい世界が、目先の大陸で展開されていたものだった。
これには思わず、興奮を隠し切れない自分が感嘆を上げていく。だが、即座に落下の悲鳴となったこちらの声にノアは愉快げな笑いを響かせながら喋り続けてくる。
「ハッハッハッハ!!! キミがそんなに喜んでくれると、ボクとしてもすごく嬉しく思えてくるよ!! ……さて! もう直にもキミは、一番最初に訪れる仕様となっているフィールド『ガトー・オ・フロマージュの平原』に降り立つことだろう!!」
「そ、そそそそれは分かったけど!!! これ、死ぬのでは!? これ死ぬのではッ!!?」
「アッハハハ!!! 大丈夫さ心配には及ばない。要は、ムービー補正というものだよ。戦闘中に相手から拳銃で撃たれても、その時はダメージを受けるだけで済むだろう? しかし、これがムービー中の拳銃となると、撃たれた相手は重傷を負うか死亡してしまう。それと同じ原理でね、ゲームプレイ中における高所からの落下は、ゲームにもよるがほぼ即死するものだ。しかし、ムービー中における高所からの落下は、高確率で助かる!! それも、ファンタジー系の世界観で、コミカルなやり取りをしていれば生存率はグッと上がることだろう!!!」
「な、なんだそのっ、なんなんだそのっっ、なんなん……っっ」
「さぁ、アレウス・ブレイヴァリー!! 到着は間もなくだ! この時を以てして、キミの冒険は幕を開けるのさ! どんなロールプレイを行うか、どんな寄り道をしていくか、それは全てキミ次第だ! そして……キミの行動ひとつひとつが“フラグ”となり、フラグを保存したこの世界は将来的にも、機能したフラグの内容に相応しき結末を迎えることだろう! ここから先は、キミの冒険の始まりだ! これより先からは……キミの第2の人生が始まるのさ!!」
論理的には納得いかないのに、何故か頭では理解できてしまえる謎現象。
ノアのセリフが終わる頃には、この視界には平原の若葉色が見えていた。そして、この体は一直線を描きながら平原地帯の森林を目指していき…………。
…………言うまでもなく、自分は正面から茂みに突っ込んでいったものだった。