キヴォトスの皆様!お待たせいたしました! 作:全身鱗マン
ゴシック様式の教会建築の特徴として、高い尖塔が設けられている事があげられる。……と考えてみて、まるで教科書の記述みたいだ、と自嘲した。とてもじゃないが小説家にはなれそうにない。私は読んでいた文庫本へ栞を挟み、鞄の中へしまう。
空中で頼りなき私達の身体を、ローターとエンジンが支えている。眼下を教会の尖塔が掠めていく。地上が近づいているのか、さっきより街路の様子が詳細に見えるようになっていた。道を行くオープンカーに乗った白い人影が腕を振り回し、私たちをどこかへと誘導している。
「トリニティ総合学園の温度は絶対零度、曇り、降水確率は80パーセント。これより着陸に入ります、衝撃にご注意を」
コックピットからひび割れた機内スピーカーでそう呼びかけられる。まるでラジオDJのごとく気の利いた冗談だった。直後にがくんという振動が全身を震わせ、すぐに静かになる。
連邦生徒会のヘリコプターが着陸したのは、庭園と庭園に挟まれた芝生の地面だった。脇にテーブルと椅子が寄せられているのを見るに、普段は軽いピクニックやお茶会に使われている空間らしい。
今日はあいにくの曇り空で、お茶会という日和ではなかったが、それにしても学園に人気が無かった。出歩いているセーラー服の一つも見当たらない学園は、不穏な静寂に包まれている。
出迎えてくれた数人のティーパーティーに挨拶をすると、上級生がカーテシーで答えてくれた。私は荷物を纏め、すぐに指定の場所へと歩き出す。朝露がローファーの足先を濡らし、乾いた煉瓦道へ私の足跡を作った。
「急にお呼び出しして申し訳ございません」
案内された場所はいつもの豪奢なティーパーティーの庭園ではない、年季を感じさせる、しかし特段目立たない類のクラブハウスだった。これが例えば他の自治区にあったら人目を惹いたであろうが、この歴史あるトリニティ総合学園においては、地味の一言で済ませられそうな外見の建物だ。入り口には”サーカス部”と、嘘っぽいまでに派手な装飾の文字が掲げられている。
玄関を潜ると案外人の気配があった。
「こちらで急に事態が動きまして、カクエさんをお呼びした次第です」
先頭を行くナギサさんは、いつもと変わらない隙の無さで足を運ぶ。本当の清楚なお嬢様は足音を立てないんだなあ、と、私は感嘆の目で見つめた。
「こちらこそ、先日は急にあのようなお電話を差し上げて申し訳ありません。……急なことで戸惑われたかもしれません」
「ええ……いえ、正直、びっくりしてしまいました」
ナギサさんはこちらを少し振り返ってドアを開く。
「しかし、貴重な情報提供を感謝いたします。お察しでしょうが本日はその件についてお話ししたく……」
教室番号101。私は導かれるままにドアを潜る。
誰もいない室内にはモダンなテーブルが置かれている。椅子は二つ。壁一面に貼られた何らかの資料と、まるで壁のように蓄積された段ボール箱が目を引いた。中に連邦生徒会でも見慣れた型番のバインダーが覗いている。
「ここは……」
私の言葉に、ナギサさんは神妙に頷く。彼女の手元ではティーポットから紅茶が注がれていた。もう冷めているのだろうか、湯気は上がらない。
「ここは通称”サーカス”……トリニティ総合学園情報部の部室の一つです」
わあ、と私は思わず声を上げた。
「なんだかスパイ物の映画みたいですね、ネーミングが」
「ふふ、残念ですが、スパイなどという派手な物ではなく、もっと地味な組織です。主に学園外の公開情報を
「活用ですか……。しかしそれにしては」
私は壁に貼られた資料を眺めた。
所々に学生証の拡大コピーが混ざっており、複数人の手によって付箋で大量の注釈が付けられている。知らない顔が大多数だが、前世の記憶も含めれば、ちらほらと見知った顔もあった。ヒフミさんやアズサさんら補習授業部の面々はひとまとめにされ、その周辺には正義実現委員会の面々、救護騎士団のミネ団長らしき顔も混ざっている。
「学園内の資料が多いようですが」
「……そのようですね、不本意ながら」
本題に入りましょうか、そう言ってナギサさんは、一組みのチェス盤を取り出した。
木製の台座へ丁寧にニスが塗り込まれた、上品な作りのチェス盤だ。
「まずは情報共有の不足へ謝罪を。既にご存知だったようですが……隠し立てしていたような形になってしまいました」
とんでもない! そう言いながら、私は手を胸の前で開くジェスチャーを作った。
「ご身内にすら、いや、ご身内にこそ知らせられないご事情があったと察しております」
目の前で、どんどん駒が並べられていく。
ルーク、ビショップ、ナイト、ポーン。
あるいは、
桐藤ナギサという人物は、エデン条約を強力に推進しながら、身中の虫、つまりトリニティの裏切り者との追いかけっこをしていた。
その事自体がごく一部しか知らされていなかったのであろうことは容易に想像できる。同時に、その閉鎖性こそがエデン条約編においてナギサを心の中の迷路に閉じ込めた事も。
「個人的にエデン条約周辺における不審な資金の流れを調査しておりまして、その中で偶然証拠を押さえたものですから……」
目的はマコト議長とアリウス自治区の接近の阻止だった。いくらアリウス自治区がカタコンベの向こうへ隠れ住んでいても、飛行船の納入ルートを辿れば尻尾を掴むことが出来ると踏み、防衛室の力を借りて張っていたのだ。
万魔殿へ贈られるはずの硬式飛行船は巨大で、その存在を隠す事は、物理的にも、また帳面上でも難しい。それを理由にしての関係者の逮捕は難しかったが、捜査を入れる事でかなりアリウス側を牽制する事が出来た。お巡りさんの前で闇取引をしようとする奴は、流石にキヴォトスでもいなかったらしい。答えをカンニング的に知っていたとはいえ、捜査線に聖園ミカが浮上したのは予想外の出来事だった。
「正直な所、未だに信じられません。信じたくないと言った方がいいかもしれませんが。ですが、証拠が出ている以上、ティーパーティーのホストとして、個人的な感情を優先する事はできません……昨夜、聖園ミカを容疑者として拘束しました」
ナギサさんは少し目を伏せた。空になったティーカップを置き。チェスの駒を取る。
キングの駒が盤上に置かれる音が、そしてナギサさんの白いセーラー服の衣擦れの音が、静かな部屋にしみわたっていく。
「……ミカさんは、黙秘しています」
「否認じゃないんですね」
無言が答えだった。聖園ミカは、一切の説明を拒むかわりに、弁明もしなかったのだ。
「最初は信じたくありませんでした。でも、その報告を聞いて、ようやく気付きました。私は最初から間違った盤面でプレイしていたと」
「……心中お察しします」
「聖園ミカの逮捕と同時に、学内各派の擾乱を抑止するため、ホストの権限を使用して昨日付けで戒厳令を発令しました……これを参考にして」
机の上へ、チェス盤の下に敷かれていた書類が差し出された。A4サイズに神経質な調子で印字された紙だ。いや、しらばっくれるのはやめよう。それは連邦生徒会特有の行政文書のフォーマットをしていた。
「シャドーキャビネットにおいて先月作成され、保管されていたマニュアルです。ここにある手続きを行えば、確かにトリニティの古い慣習法に基づいて、スムーズに戒厳令を発令できます」
ナギサさんは真っすぐにこちらを見る。その真っすぐな目には、まだ消えない疑念の炎が揺らめいているように感じた。
「どこまで知っていたのですか?」
私は目を伏せ、ティーカップの滑らかな取っ手を指でなぞる。良く磨かれたそれは、つるりとしていて、どこまでも抵抗が無い。
「はは、エデン条約にひと波瀾あることは予想できましたから。あとは優秀な部下のおかげですよ」
ナギサさんは静かにこちらを眺めていた。机の振り子の置き時計が、往復の途中できらりと光を反射する。一瞬のうちに振り子は反対側から元の位置に戻ってくる。また光を反射し、金色に輝く。また戻ってくる。そうしていつまでも単調な動作を繰り返している。
「……紅茶が冷めてしまいましたね」
ナギサさんは椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。そして部屋の扉を開いた。
「担当の者がご案内します。ミカさんが、カクエさんにお話したいと……」
私は一礼して席を立ち、入り口で待機していた白いベレー帽の生徒に導かれて、部屋を出た。
出る間際、彼女の横顔をちらりと確認する。
ナギサさんはまだ、さっきまで私のいた席を眺めていた。手付かずのアールグレイが残されている。
「ちょっとお腹の調子が悪いもので」と、そう言っておこうかと一瞬思ったが、なんだかあまりにわざとらしく感じてやめることにした。揺れる一対の白い羽を視界の隅に置き去り、そのまま古びた廊下を奥へと進んでいく。
件の人物である聖園ミカは建物内の隔離室に軟禁されていた。隔離室とはいっても原作であったような物々しい檻のようなものではなく、むしろ落ち着いたアパートメントの一室といった雰囲気があった。当然ながら武器になりそうな危険な物は置いていないが、質素な椅子と机、電気ポットやカップの類が置かれていて、机には本が並んでいる。鉄格子が控えめに嵌められた窓からは、西日を隠した曇り空が覗いている。まるで王様かお姫様の幽閉みたいだ、と私は強化ガラス越しに思う。
私が席についても、ミカさんは暫くの間黙っていた。だがおもむろに拳を振りかぶると、直後に鋭い拍手のような破砕音が響いた。
細かいガラス片の粉塵が飛び散る。目では見えない程の速度で殴りつけられた強化ガラスには、まるで弾痕のようなひびが入っていた。
外で控えていたティーパーティーの係官たちが血相を変えて飛んできたが、大丈夫だから、と言って元の持ち場に帰す。
なにせあの聖園ミカだ。その気があればどうせ壁ごとブチ破って脱出できるのだし、今の一撃で私を床の染みにしなかったということは、本気の害意が無いと言うことの証左に他ならない。
「どういうつもり?」
ミカさんは低く唸るような声でそう言った。前髪が崩れ、その表情は見えない。
「お久しぶりです。どういうつもり、とは?」
私にはエデン条約を成就させるための動機があった。ミカさんの目的と明確に利害が対立しているから、どういうつもり、という問いは成立しない。
「だってアズサちゃんはもう、セイアちゃんを……これ以上は引き返せないんだよ?」
どういうことだ? と私はしばし考える。何やら重大な勘違いが発生しているらしい。心の中に無視できない違和感が生じるが、すぐに輪郭を失っていく。
「ミカさん、セイアさんは」 私は外で控えるティーパーティーの方に一瞬目を向けた。
「セイアさんは死んでいません。安全な場所で療養中なだけで、まだ誰も死んでいないんです。今なら引き返せます」
魔女じゃないよ、なんて台詞は私の他に言うべき人がいるだろう。どれも月並みな、まるで昼間にやってる刑事ドラマみたいな言葉だが、それでも一生懸命に口を回す。
私の言葉を聞いて、彼女の顔から急速に絶望の色が引いていった。虚脱したのか、強化ガラスに付けていたミカさんの手が、ゆっくりと降りていく。
「……そっか」
夕方になってようやく晴れてきたのか、曇り空の切れ間から急に西日が差し込んだ。斜めに入射した強烈なオレンジが部屋を満たしていく。
「じゃあ、本当に何も覚えていないんだね」
窓辺から部屋の奥に向かって、全ての物が長く影を伸ばす。逆光のミカさんはそうぽつりと言い、その後何も話してくれなくなった。
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「ってな事があったんれすよぉ~!!」
ブチ、と通話が切れた音を察知し、私は再びインターホンを押しまくる。
ピンポンピンポンピンポン。私の体とは裏腹に、あまりに軽快な音だ。つい押す回数が増えていく。
「キヴォトスの人間ってほんとわけわかんないれすよね~!しぇ、せんぱい~!」
ドタバタと慌てる音が重厚なドア越しに聞こえ、すぐさま鍵が開けられた。開いたドアから伸びてきた腕によって、強引に室内に引きずり込まれる。私はバランスを崩し、薄い身体に縋りついた。
「やだ~積極的~」
私は思わず黄色い声を上げる。どうでもいいけど、黄色い声っていい言葉ですよね。
「ちょ、いや、ご近所迷惑になるでしょうカクエちゃん! いえ私は超人なので、まぁご近所迷惑とか全然、全然気にしないんですが! 度を超すと追い出されてしまうので!」
ちょうど寝る間際という時間帯だったのか、カヤ先輩はパジャマだった。しかもクマ柄。
「家だとかわいいの着てるじゃないですか~っ ええ~っ?」
「あ、あんまり言わないで下さい! うわ酒くさ、まさか飲酒したんですか?」
カヤ先輩は私をソファーに引きずりながら、手に入れるのも大変でしょうに、とつぶやいた。
それは全くその通りで、キヴォトスにおいて未成年がアルコールを手に入れる難易度は非常に高い。普通の生徒はみりんですら購入に難儀するくらいで、まっとうにやっていたらミサイルを買う方がよっぽど楽だ。
「前に懇意にしてる社長がぁ、いいっていうのに瓶で高いウィスキーを押し付けてきたんですよぉ。私も飲めないわけじゃないので受け取っていたんですがぁ、もう今日みたいな日に飲むしかないと思ってぇ……金庫から出してぇ……気付いたらロックで一本空けちゃっててぇ……」
私の視界の中でカヤ先輩が三人に分裂し、また一人に戻る。どうやら相当回っているらしい。
「もうっ、酔い覚ましのコーヒーを淹れるので、それを飲んだらとっとと帰って下さい!」
ソファーの陰から飛び出したアホ毛が、キッチンに引っ込んでいく。私は虚ろな目でそれを見送り、顔の角度を変えて外を見た。リビングの広く面積を取られた、一部が開け放たれた窓からは、D.U.湾岸の夜空が見えている。曇り空は街の明かりを反射して薄く輝き、そこに星は見えない。
「カヤ先輩~」
返事が無い。
「カヤちゃん~~」
ちゃんはやめてください、敬ってください、とキッチンから返事があった。
「じゃあカヤちゃん先輩、これでいいですか?」
「ちょ、なんで仕方なく妥協したみたいな雰囲気を醸し出してるんですか……はい、酔い覚ましにはあっさりめのブレンドです」
ふにゃふにゃで返事しながらコーヒーカップを受け取る。深い香りのかわりに酸味があり、とても飲みやすい。
「やっぱりカヤちゃん先輩のコーヒーはおいしいな~」
「はあ……その呼び方、人前ではしないでくださいね、恥ずかしいので」
隣に座ったカヤ先輩が、顔を抑えて俯いている。かわいくていいのに。
「あなたが訳もなく前後不覚になるまで飲酒するなんて、そこまで嫌な面談だったんですか?」
私たちはしばらく無言でコーヒーを啜っていたが、おもむろにそう尋ねられた。
いつのまにかテレビが付けられている。音量が落とされたバラエティー番組の喧騒は、どこか他人事の様な顔をしていた。
「嫌というか、ちょっとモヤモヤする事があって……」
「そうですか……深くは聞きませんが」
「意外だぁ、前のカヤちゃん先輩なら、上手く聞き出して弱みを握って支配してやろう!くらいやりそうなのに」
「興味ありませんし、自意識過剰なんじゃないですか?」
私は懐をまさぐって、硬い塊を机の上に放り出した。滑っていったそれはティッシュペーパーの箱に当たって動きを止める。
「なんですか、それ」
「なにって拳銃ですよ。最近いろいろあって買ったんです」
あまり武器に興味が無いので知らなかったが、みんなこっそり名前を付けているらしい。それを聞いた時、私は前世のゲームで何度も見たキャラクター強化画面を思い出した。そういえば数人しか武器を開放してやれなかったなあ、と。
なんとなくで選んだ無難な自動拳銃に、なんとなくで付けた名前は”
「今の私に他の武装はないですよ。だから、カヤ先輩が拳銃を突き付けて力づくで聞いたって、抵抗できません」
驚いたのか、カヤ先輩は目を丸くして固まっていた。が、直ぐに身をソファーに沈める。深いため息が聞こえてきた。
「お酒に頼ってまでして出てくるのがそれって、ちょっと甘え方が不器用すぎませんか?」
「え、な、なんだとう」
「それに」
彼女は机の上の”憲政の常道”を取り上げて、そのまま開いた窓に向ける。
夜空に向かって引き金が引かれた。しかし期待された事は何一つ起こらず、ただカチリという、金属部品が居心地悪そうに噛み合う音だけが聞こえる。
「そもそも銃弾が入ってないじゃないですか、コレ」
実弾は怖いし……。そう私が言い訳すると、カヤ先輩は呆れた顔でこちらを見てきた。
弾が入ってなければ曇った空は貫けない。そんなことは分かっているけど。
「でもどうせ、弾が入ってても、星が落とせるわけじゃないでしょう?」
「……呆れた酔っ払いですね。膝を貸すので、とっとと寝てください」
私は身体に触れる確かな体温を感じながら、微睡みの中に落ちていった。
夢は見なかった。