キヴォトスの皆様!お待たせいたしました! 作:全身鱗マン
Ep.5 ライド・オン・シューティングスター
「では、よろしくお願いいたしますね」
華美に装飾された室内はしんと静まり返っていたから、その声は離れた場所にいる私にも届いた。
柔らかい中にも凛としたものを感じるその声の主は、こちらにそっと目礼してから扉をくぐる。もてなしていた先客をエスコートするのだろう。
私は会釈をして、二つの人影を見送った。純白の──このトリニティ総合学園で支配的な立場に居ることを表す装いをした、すらりとした後ろ姿の隣に、それよりもうんと長身のシルエットがつき従っている。
なで肩で、どこか捉えどころのない中性的な見た目をした、一応同じ連邦生徒会に所属しているらしいその人。
先生。
そう空中で口が動いたが、声は出なかった。
ブルーアーカイブというゲームの主人公にして、全てにおけるゲームチェンジャー。シッテムの箱の使用権を持ち、生徒たちの
桐藤ナギサからリストを受け取り、これから補習授業部の生徒の顔を見に行くのであろう。純白のコートを着た彼の姿は、窓から差し込む正午の光に白光りする廊下へ、ゆっくりと溶けていった。
「さて、カクエさん、お待たせしてしまい申し訳ありません。シャーレの先生は同じ連邦生徒会の方ですし、ご挨拶していかれないのですか?」
「いえ、D.U.に戻ったら幾らでも機会がありますので……ご配慮ありがとうございます。こちら、多少の手土産です」
私は一礼しながら室内へ戻ってきた桐藤ナギサに紙袋を差し出した。そして、いつのまにかびっしりとかいていた手汗を悟られぬよう、連邦生徒会のロゴが印刷されたジャケットでそっと拭いた。
(たった今、三章が始まったんだ。セイアさんが言っていたような、不快で、不愉快で、眉をひそめるような……)
エデン条約編という物語が始まってしまった以上、私にはやるべきと決めた事があった。
「ではこちらへどうぞ。ミカさんも待っています」
具体的には、全ての陰謀の阻止である。
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エデン条約編の事についておさらいしよう。
エデン条約編はその名の通り、ゲヘナ-トリニティ間で結ばれようとしているエデン条約を巡る陰謀劇と、それに巻き込まれた補習授業部の面々の物語である。
ティーパーティーやトリニティの学生たちの間に溜まり続けていた些細な軋轢が、
合宿授業の中で新しい信頼を築き上げる事に成功した補習授業部の活躍が無かったら、きっと青春の物語はここで瓦解していただろう。
原作ではそんな綱渡りのような因果の交錯をしのぎ、渡り切ってなお、全ての罪は清算できていなかったのだ。
「カクエさん? お顔が優れないようですが……」
はっとする。琥珀色の水面に映る私の顔は、確かにぱっとしないものだった。まるでお腹を壊したときのそれみたいだ。
ごまかそうとしてカップの中の物を口に含み、飲み下す。
さわやかなしょっぱさと酸っぱさに包まれる舌へ、うまみがじんわりと拡がっていく。
「いやーはは……持ってきた私が言うのはなんですが、やっぱりティーカップで梅昆布茶はおかしくないですか?」
「そうでしたか?」
「私はそうでもないかなー、こういうのもたまにはいいんじゃない?」
ティーパーティーに私が持参した土産は、上等な梅昆布茶である。私の出身である百鬼夜行の特産であるから、普段とは少し違う趣向のお茶はいかが? というのが一応の理由であるが、誰かさんの絆ストーリーの内容が影響している事は言うまでもない。
「ナギサさん、これが梅昆布茶です。ただの昆布じゃないですよ。よく覚えてくださいね」
「? ……はい、わかりました……?」
「あはは! 変なところで抜けてるナギサちゃんでもそんなミスしないよ! 時々本当に変なところで抜けてるけど!」
「ミカさん?」
あれは変なところで抜けていると言うか、先生の前で気負いすぎて空回りしていたというか……。
まさかそう訂正するわけにもいかない私をよそに、嬉々としてナギサさんを煽り倒すのは、向かって左手に座ったミカさんだ。
次第に額へ青筋が浮かんできたナギサさんを見て、これ以上は不味そうだと判断した私は、わざとらしくごほんと咳払いをした。
「それでシャドーキャビネットについてですが、引き継ぎは完了したということでよろしいですね?」
「はい、カクエさん。その節は連邦生徒会の助力をお借りでき助かりました。ありがとうございます」
そう言ってティーカップを持ったまま一礼するナギサさんを見て、いちいち清楚な人だな、と心の中でつぶやく。
「シャドーキャビネット?」
「ミカさんにも以前に説明したと思いますが……私もただお茶しに来ている訳ではないんですよ。一応、連邦生徒会としての業務ですから」
トリニティの生徒会であるティーパーティーは、フィリウス、パテル、サンクトゥスという三つの分派から構成されており、それぞれが代わる代わるホストを務めるという方式を取っている。それ故にティーパーティー、ひいてはトリニティという学校全体が一枚岩ではないのだ。一枚岩だったら、原作後半のような事態にはならない。
そしてこれは原作では描写されなかった事だが、このシステムがもたらしたのは、均衡とゆるやかな猟官主義であったらしい。猟官主義とはつまり、新たな政権が行政機構の構成員をその支持者で固め、それまでの人間を追い出してしまうシステムの事である。
まるで政府のポストをハンティングの獲物のように扱ってしまう事からこの名がついた。前世の世界では19世紀のイギリス等で見られた現象である。
もっとも、ティーパーティーにおけるホストの交代は既定路線に沿って行われていたので、歪みや不満が蓄積する事は無かった。分派間で恙なく引き継ぎが行われ、権力は三派間で無限に循環していくはずであった。しかし。
「セイアちゃんの事?」
「ええ。先のホストであるセイアさんが急にご入院されたことで、サンクトゥス分派からの引き継ぎが不安定になりました。そこで、連邦生徒会がその監督者を派遣する事になったのです」
本当は財調室長である私からの働きかけであるが、それは言わないでおく。連邦生徒会内のエデン条約肯定派である私と歩調を合わせたがったナギサさんと、最終的な利害が一致したのだ。だがそれはミカさんには全く面白くない出来事だろう。
そして、セイアという名前を出した瞬間、ミカさんの顔が一瞬曇るのを、私はしっかりと見ていた。何事もなかったかのようにポットに手を伸ばし、梅昆布茶を注ぐ……ブリリアントな白磁のポットから出てくるのが梅昆布茶なの、いい加減脳がバグりそう。
「連邦生徒会の権限を一部利用し、引き継ぎの為に臨時で設置される、サンクトゥス-フィリウス二派の責任者と監督者で構成される委員会……私たちはそれを
「ともあれ、もうお役御免ですけどね」
「ふーん、なんだかよくわからないけど、お疲れさま?」
いえいえ、ありがとうございます。そんなことを言いながら、私は梅昆布茶を啜る。ふりをしてナギサさんと歓談するミカさんを盗み見る。
聖園ミカ。パテル分派の代表者。理屈はあまり好きではない、夢見がちで直感型の人間。
あまり日常的に発露しないが、その実かなりの戦闘力を有する。以前よりアリウス分校と内通していて、エデン条約の瓦解を狙っている……。
(でも、こうして接していると、ただの多感な女の子に見える)
優しくて、傷つきやすくて、時に悲しみから自分すら見失ってしまう女の子。それが私の肌感覚だった。
「そうそう、お土産はもうひとつ……」
私は別の紙袋から一つの塊を取り出した。ビニールで圧縮されるようにして収められたそれは、開放されると私の腕いっぱいに膨らんでいく。胴は細長く、ウェーブしており、片方に耳と顔らしきものが見えるぬいぐるみだ。
「カクエさん、それは一体……?」
「ふふふ、モモフレンズってご存知ですか?」
いや、知らないはずがないのだ。だってあの少女の友達なのだから。
モモフレンズとはキヴォトスで流行っているファンシーグッズのブランドである。ペロロ様が有名だろうが、それ以外のキャラクターも充実している。例えば哲学的なキャラであるミスターニコライや、波打った黒猫、ウェーブキャットなどの仲間がいるのだ。
そしてこのぬいぐるみはただのウェーブキャットではない。良く見ると、宇宙飛行士のようなヘルメットを被っている事に気付くことができる。
「近々うちの関連企業がモモフレンズとコラボした衛星を打ち上げる予定でしてね、これは関係者にのみ配られる非売品です……」
「な、なるほど」
あまりぱっとしない返事をするナギサさんの方へ身を乗り出し、私はそっと耳打ちする。
「お金を積んでも手に入れられない、モモフレンズのファンには垂涎の一品です。贈ればきっと喜ぶ人がいるでしょう。例えば……ヒフミさんとか」
「!!」
私の言葉に対するナギサさんの反応は激烈だった。
去り際まで私に感謝を伝え、足早に引っ込んでいく彼女の背を見て、私は何とも言えない感情に襲われた。
原作知識を信用するなら、ナギサさんはあれで、ヒフミさんを疑い、トリニティから執拗に退学させようとしているのだ。
偏愛しているといってもいい友達を、そうまでしてしまうほどに、内心の彼女は疑心暗鬼に陥っている。しかもエレガントな立ち振る舞いにその全てを隠してしまって、片鱗さえちっとも見せないのだから、余計質が悪い。
いや、まだナギサさんはよかったのだ。ナギサさんとはエデン条約推進で私と方向性を同じくしており、エデン条約成立までの期限付きで、トリニティ内での活動へ全面的に協力してくれている。
本当に恐ろしいのは、こちらを一瞬鋭い目つきで眺めてから去っていった、あの桃色の髪の少女─────。
こんな下らないことはとっとと終わりにしよう。そう思いながら、私は青い空を見上げた。
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洋上、東南東の風、風力4。
晴れ、19ミリバール……。
つけっぱなしにしたラジオから、気象通報の淡々とした声が流れてくる。
私はその日も澄み渡った青い空を見上げていた。ここ数日はずっと晴れ渡っていて、見ているこっちはなんとも気分がいい。曇りに曇った内心を濯いでくれるような気分になるからだ。
私は拾ってきたパイプ椅子から腰を上げて、カモメかウミネコの鳴く声が聞こえる砂浜を歩く。砂浜に仮設されたコンテナが、砂丘の向こうにその頭を出した。
四角い鉄の箱はなんだかモノリスみたいで、その背後の空や海原と相まって非現実感を覚える。ここのところずっと海なんて見てなかったから、猶更そう感じるのかもしれない。今、その仮設の管制室の内部では、会社から出向してきた数人のエンジニアたちが青白いコンソールとにらめっこしている事だろう。あとで妖怪MAXでも差し入れしてやろう。
「もうすぐかな」
私はスマホの時刻を確かめた後、振り返って、背後の風景を眺めた。相変わらず青く澄み渡った空と海。唯一他と違う点と言えば、海へと突き出た岬の上に、鉄の異形が聳えていることだろうか。
「まったく、オクトパスバンクも勝手な事してくれるよね。ロスト・パラダイス・リゾートは連邦生徒会の持ち物なのに……」
原作での二つの期間限定イベントの事を思い出すと、苦笑がこみあげてくる。なんでここの所有権がアビドスにあるのか。
「まさかこんな事に使うとは思っていなかったけど、原作って覚えておくもんだね」
宇宙ロケットの打ち上げ施設が南の方にあるのは、低緯度地域の方がより少ない燃料で軌道に乗せられるからである。私がここにいるのは、なにもバカンスにやってきたからではない。
退避警報の後、マイナス100から始めたカウントが、ついに10秒前にさしかかったことを知らせる。5、4、3、2、1……
低い轟音は、びりびりとした空気の振動に変わる。
発射台を冷却する水がいっきに気化して、メインエンジンの噴煙とまじり、堰を切ったように溢れだしてくる。
鉄の巨体が総身を震わせ、冷却材を剥ぎ落としながら、ゆっくりと飛び立っていく。
「…………」
打ち上げ機はそのまま雲に突っ込むと、雲の中を明るく照らしながら、宇宙へと吸い込まれていく。
いつまでそうしていたのだろうか。自分で思っていたより、見入ってしまっていたらしい。
砂浜にエンジンの爆音が近づき、私は我に返った。新品の重武装したホバークラフトの上で、赤髪の少女が手を振っているのが見える。
「出迎えご苦労ー!」
降ろされたタラップで甲板に登ると、ホバークラフトは逆向きにエンジンを吹かして砂浜から離脱した。がくん、という振動と共に、ロストパラダイスの美しい砂浜が遠ざかっていく
どうせだから休暇を取っていきたかった。そんな感傷と共にリゾートを見送る。海鳥の声が別れを告げているようだ、なんてセンチメンタルな考えに浸るのも、たまには悪くないかもしれない。
カモメの鳴き声にまじって、ふと、甲板を叩く足音が聞こえた。赤い髪の毛と、スケバンスタイルの象徴であるロングスカートが視界の端にちらつく。
「や、わざわざ船を出してもらってありがとうね」
「気にしなくていいわ。ウチらを拾ってくれたの、誰だと思ってるのかしら」
振り向くと、からからと笑うこの船の主が立っていた。彼女が口を開くと、特徴的なギザギザの歯が見える。
「打ち上げロケット、船の上からも見えたわ。直球で聞くけどさ、あれ何積んでるの?」
「ただの人工衛星だよ~……なんて答えじゃ、納得してくれなさそうだね。うーん、強いて言うなら……」
私の想像の中で、軌道上のロケットがペイロード・カバーを開く。中から出てくるのは、猫耳の付いた黒い人工衛星だ。
まるで身体を伸ばすウェーブキャットのように折り畳まれた太陽光パネルを展開し、各種センサーを稼働させる。
モモフレンズとのコラボで出資の一部を得て打ち上げられた商用通信衛星、公募で決まった愛称は『ウェーブサット』。
こっそりちょろまかしてあるペイロード重量の分、黒服から買った技術を積載した、
「これが私の宇宙戦艦だ! なんてね……」
ホバークラフトはキヴォトス本土へ向かって凪いだ洋上を滑っていく。まだしばらく快晴が続きそうな、そんな気候だった。
贈り物【ウェーブ宇宙キャット】
モモフレンズと宇宙開発企業がコラボレーションした通信衛星『ウェーブサット』の打ち上げにあたり、関係者に配られたぬいぐるみ。宇宙服を着たウェーブキャットのグッズはこれしかなく、ブラックマーケットに流れたデッドストックをめぐって抗争が起こる程レア。
追記:連邦生徒会の事とかを慎重に考えて話を組んでいたため大きなダメージはなさそうですが、それにしても全ての責任がカクエに集中してしまう4.5周年PVに笑ってしまいました