キヴォトスの皆様!お待たせいたしました! 作:全身鱗マン
連邦矯正局の冷たい床を歩きながら、彼女は急にできた一週間の休暇の使い途を考えていた。この役職に就いてからずっとまとまった休暇など発生することが無かったから、どう使って良い物か全く見当が付かなかった。まさか与えられた寮の自室で天井を見上げながら過ごすわけにもいくまい。まるでここにごまんといる独房の囚人みたいだ、と彼女は思った。
「この部屋です。”狂犬”さんとはいえ面会の際はお気をつけて下さい……」
先導する連邦矯正局の職員が振り向き、そう注意する。
「何故です? 珍しいほどの模範囚と伺いましたが」
職員のロボットはその頭の液晶を困り顔へと変化させた。言葉に迷っているらしい。
「えー、何といえばいいのでしょう……確かに非常に礼儀正しいのですが、言動が少し……」
彼女は職員の言葉を手で遮って、そのまま頭の上の耳を触る。
「まあ仕事ですから、そういう人物も慣れております。お気になさらず」
何かを飲み込むようにして納得した職員は、その場から足早に去っていった。彼女は振り返って小さくなっていくロボットの後ろ姿を見つめていたが、すぐ目の前の鉄格子へ向き直る。
「公安局の者だ。田中カクエ襲撃の件について尋問させてもらうぞ、奥崎ケイカ」
コンクリートの冷たい床に、いつのまにか正座した女が座っていた。薄暗い独房の光に照らされて、よく整えられた美しい銀髪のつむじと、それを掻き分けるようにして生えた、黒々とした角が見えている。着せられた目立つ色の囚人服は襟や裾まで皴なく伸ばされており、模範囚と呼ばれる理由が透けて見えた。
「はっ、公安局長殿。ゲヘナ学園停学、現在連邦矯正局へ拘留中の色彩平等兵、奥崎ケイカであります」
紅い瞳が、カンナを射貫くように開かれた。
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しばらく交換できていないからか、誰もいないロッカールームの蛍光灯はちらついていた。壁に貼られたヴァルキューレ警察学校のポスターは色褪せ、人工光に青ざめている。
彼女は彼女の名前が刻まれたロッカーを開き、腰の拳銃をホルスターごと外した。
その次は手錠、携帯していた、私費で購入した予備の弾倉、雑多な鍵類。
ずっと身に着けていた、自分を警官たらしめるために支給された装備を、一つずつ収納していく。
体が軽くなっていくのを感じ取りながらも、尾刃カンナの心中には、特に何の感慨も去来しなかった。身軽になってしまったな、という喪失感も無く、市民を守るという責任からの解放感もない。洗面所の鏡に映る自分の表情のように、ただひたすらな無感情が、天井付近を漂っていた。
預けるべきものをあらかた取り出し終わった所で、ふと胸元に硬いものを感じ、カンナは上着のポケットを確かめた。
ひっくり返すと、ジップロックの小袋に入れられたライターが出てくる。オイルは使い切られていて、発火の恐れはない。透明な色付きのプラスチックで作られていて、なんともチープな感触をしている。
いつか検挙した不良が煙草を吸うのに使っていて、現場で証拠品として押収した物だと、彼女は暫く考えて思い出した。報告書への記載のため持ち出したまま、証拠物品保管室への返却を忘れていたのだ。
カンナはため息を吐き、ロッカーに錠をかけた。
階段を下って地下一階にある保管室のドアを開けると、入り口のデスクにいた下級生が、カンナへ声をかけた。
「あ、お、お疲れ様です、公安局長」
その下級生は、暇な部署に配属されたのをいいことに、押収品のリスト作成をサボってさっきまでだらだらとしていたらしい。
急に姿勢を硬くした下級生に、カンナは軽く叱ろうか、と思ったが、そこまでの元気はもう無かった。
「……まあいいか。あまり気は抜くなよ」
”狂犬”の怒りが降り注ぐと思っていたのか、いつもより気勢のない返答に下級生は目を丸くした。
「公安局長……やっぱり……辞職されるというのは本当なのですか」
「辞職じゃない。一週間の休職だ。ヴァルキューレの所属なら流言飛語に惑わされるな」
その生徒は、どこかほっとした様子を見せた。カンナは、何故だか自分が責められているような気分になった。手短に用件を伝え、教えられた棚へ向かう。
まるで図書館のように番号が割り振られた、無骨なラックの森の中で、カンナはすぐに目当ての段ボール箱を見つけることが出来た。周囲には摘発されたヘルメット団の違法改造された銃器が積まれており、その派手すぎるペイントで、灰色の保管室の雰囲気を破壊している。
カンナは棚と段ボール箱の隙間から証拠物品を放り込んだ後、その場を立ち去ろうとした。
カンナは、あの下級生に嘘をついたわけではなかった。
上から下された命令は謹慎ですらなかった。正真正銘、一週間の休暇だ。
それは褒賞などではなく、一週間の空白でヴァルキューレ警察学校の人員整理が行われる事は明白だったが、どちらにせよ公安局長の座から追われるわけではなかった。
ただ、退職を命じられても、どちらにせよ逆らえなかっただろう。カンナはなによりも、上からの指示に逆らえないという事実に辟易していた。だが、自分の中の正義を堅持し、公園を占拠した子ウサギ達のようになる元気も無かった。
一週間が経ったら改めて考えよう。カンナはそういった、消極的な思考に傾いていた。首輪をはめられたままに任期満了まで過ごすのか、それとも首輪を噛みちぎって逃げるのか、狂犬と言われた者の末路に相応しい最後を考えたかったのだ。
カンナは棚を立ち去ろうとして、自分の手が伸びる場所に、一つの箱があることに気付いた。浅いトレーの中に、ジップロックに封印されたスマートフォンが入れられている。多少型落ちの、一世代前の白いフラッグシップ機は、煤にまみれて灰色を呈している。
「田中カクエの……」
カンナは、思わずそれを手に取っていた。防衛室長、不知火カヤの命令によって(カヤの口ぶりから察するに、カヤが欲しがったのではなくカイザーコーポレーションとの取り引きの結果だったらしいが)田中カクエ襲撃事件の現場から回収した証拠物品だ。本当は財調室に隠されたもう一台の端末を手に入れたかったらしいが、金庫の開錠に手間取り回収は不可能だった。明らかに職権乱用とプライバシー侵害である。
もうとっくに諦めはついていたが、あの時の自分は言い逃れないほどに権力の犬と化していた。カンナの手につい力が入る。何かスイッチを押しこむ感触がする。
ふいに、銃痕でバキバキにひび割れた画面に光が灯った。まだバッテリーが残っていたらしい。
起動できたとはいえ、本体にはパスコードと指紋による二重の認証が掛けられていて、ホーム画面から先に進めない。それは鑑識課がもう確認済みだった。
「家族の写真……?」
カンナの目に入ったのは、ホーム画面の壁紙として設定された家族写真だった。
後ろに見える玄関はあばら家といっていい古びた民家のそれだが、その前に立った六人の少女は皆、まぶしいほどの笑顔で、デジタル画像に焼き付いている。
尾刃カンナの脳裏に、自ら作成した報告書が駆け巡る。田中カクエは百鬼夜行連合の僻地の出身である。だからこれはきっと、田中カクエの生家で撮影された物だ。
カンナはまた、報告書を作成するために訪れた矯正局での一幕も連想した。
面会した奥崎ケイカは、なぜか終始軍隊調だったが、非常に物腰の柔らかな受け答えをしていた。ベッドの上の布団はきちんと畳まれ、身なりは独房生活の限界まで整えられていた。ただ異常なのは、その内容だった。
『まず公安局長殿、わたくしが様々な非合法的な手段で訴えようとしているのは、田中カクエの危険性についてなのです』
『非合法という自覚はあるのか』
『殉ずるべきは人の法ではなく、また人の道ではないのです。それらにこだわっていてはアレによって全てが破壊され、まるで不要な家具のごとく、薪にされてしまう事は明白なのです。全ては陰謀なのです。神のクラフトチェンバーを、破壊せねばならないのです』
『言っている意味がほとんどわからんが……”アレ”とは?』
『”色彩”です。いかなる奇跡も、色彩の前では平等に塗りつぶされる運命なのです。詳しくはわたくしの著書二冊を読んでいただきたいのですが、先日発禁処分にされました』
『色彩……』
カンナは、ケイカの住まう独房の壁に視線を向けた。
『それは、あの絵と関係があるのか?』
コンクリートの壁一面をキャンバスとして、クレヨンや絵の具、食事のパンに付けられたジャムやチョコペーストまで使って書き殴られているその絵は、しかしあらゆる色彩を感じられなかった。全ての色が限界まで混色され、ただ底の見えない黒を呈している。
高等な美術教育の痕跡は見られない、子供のような筆致のその絵だが、飲み込まれてしまいそうな妙な迫力があった。逆向きにされた家のような図形が中心に据えられ、その周辺には天を行く舟のような物が見える。地上では竜巻のような、あるいはドリルのような黒いつららが、地上の街を破壊している。高い塔が落雷によって破壊され、たくさんの人々が宙に放り出されている。一部は便器の上まで使って描かれた風景は、黙示録そのものだった。
『これらはわたくしが視た風景の一部であります。その風景は、今もわたくしの夢を通じて鮮明さを増しております。わたくしに絵心が無いために表現しきれないことが悔しいのですが、このような黒ではない、鮮明な、鮮烈な色なのです。近いうち、少なくとも一年以内に、必ずこの未来は訪れるのです。その前に田中カクエを殺さなければならないのです。殺し救わねばならないのです』
『救うって……何をだ?』
『田中カクエとそれに導かれる衆愚であります』
『お前を何がそこまで駆り立てるんだ? ”視た”とは?』
奥崎ケイカ。ゲヘナ学園停学。
トラブルで寮の管理人を
奥崎ケイカはカンナの質問に答えなかった。そのまま檻ごしにじっとカンナを見つめる。
八囚人を捕えるために作られた地下の独房は、あらゆる外部の音が遮断されている。じっとりした静寂を破ったのはケイカだった。
『雪原に答えが。田中カクエの過去を洗ってください』
カンナはゆっくりと周囲を確認してから、自らの携帯電話を取り出し、ひびだらけの画面を撮影した。そのまま足早に立ち去る。
狂人の言動に導かれるだなんて、どうかしている。そういう自覚は彼女にもあった。その上で事件の被害者を執拗に追求するなんて、とてもじゃないがまともじゃない。
退室の間際、カンナは、先程の下級生に声をかけた。
「一週間の休暇だ、安心しろ」
下級生は不思議そうな顔で会釈する。
尾刃カンナは一週間の休暇に入った。
警官であることを一週間休むことに決めた彼女は、この時からただの狂犬になった。
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『多目的施設”ジックラト”が完成間近。エデン条約機構の中心施設として連邦生徒会が提供』
『大規模イベントスペース、キヴォトス最大級のショッピングモールが併設。キヴォトス第二の中心地区へ?』
『ゲヘナとトリニティの懸け橋になれるのか 期待集まる』
トレインモニターが今日のニュースを伝える中、カンナは身一つで、人気のない電車に乗っていた。
電車が地下区間から抜けたのか、午後の光が背後の窓から差し込み、絶え間ない陰影の模様を床へ広げている。
カンナは目を細めながら外の景色を見た。線路際の何もない空き地には、等間隔に送電鉄塔が並んでいる。柵で区切られた向こうに広がるのもまた空き地だ。
自治区と自治区の境目に広がる荒野に、ぽつんと黒い影が見えた。
カンナは目をこらす。それは犬だった。野良犬だろうか?
犬は、手入れされていないぼさぼさの体で荒野に立ちすくみ、電車に乗るカンナをじっと見ていた。睨まれている、と感じたのは、カンナの主観だからか。全ては高速で移動する電車の車窓に映った一瞬の出来事だった。
D.U.の地下鉄、キヴォトスGライン、百鬼夜行のローカル線……路線を何本も乗り換えるごとに景色は寒々しさを増していく。人家の多さという点でもそうだが、比喩ではなく、純粋に季節の境目をまたいでいるような感覚も彼女は感じていた。
たどり着いた場所は、もう初夏だというのにホームに雪が残っていた。D.U.とは明らかに違う涼しい空気を感じながら、上着までロッカーに預けておかなくてよかった、とカンナは思う。ホームの自動販売機でホットの缶コーヒーを買い、懐に入れたまま歩き出す。
予測できたことだが、無人駅の外は雪原だった。久しぶりに靴の裏で雪を踏む感覚を感じながら、カンナは携帯で地図アプリを起動する。
同時に表示するのは田中カクエのオフィシャルウェブサイトである。彼女のこれまでの経歴が分かりやすくまとめられている。七人姉妹の次女。百鬼夜行連合出身、D.U.の学校へ進学、同時期に政治家として出馬、自分の出身地である寒村と同じような、権力の弱い地方自治体の支持を得て連邦生徒会入り……
確かに、カンナが今いるここが、田中カクエの生家がある百鬼夜行連合の村のはずだった。だが見渡す限り村らしき物は無く、数キロ先の丘の雑木林と、それに寄り添うように建てられた数件の家が見えるのみである。
尾刃カンナのため息が、白く結露して天へと溶けていく。懐の缶コーヒーを握りしめながら、雪をブーツで踏みしめ、路らしきわだちが付けられた雪原を進み出した。
なんでこんなことをしているんだ。何度も繰り返した自問自答を、カンナはまた考えていた。きっと写真の家は見つかるだろう。そうでなくても、生活の痕跡くらいはあるに違いない。公安局長としての勘がそう告げていた。軽く現場を確認して、あとは帰りの列車で自分のワーカーホリックを治す方法でも考えよう。
衰微した夕方の太陽が、雪原を赤く染めている。サギが低く飛んでいて、地面の白と混ざってすぐに見えなくなる。
パノラマに広がる景色は、カンナをどんどんと内省的にさせていった。黙々と歩く彼女の足元に、砂利の音が混じりだす。
カンナは、自分がもう民家の近くまで来ていることに気付いた。錆びた農機具、半壊したビニールハウス、壊れて、藪に突っ込むようにして駐車された軽トラ。そしてその全てに雪がかぶさっている。カンナが普段勤めるD.U.の中心部では中々見ない類の、しかしキヴォトスの辺境ではありふれたタイプの光景だ。
彼女は人が住んでいるのかも怪しい家々の間をゆっくり歩いていく。が、すぐその足を止めた。立ち並ぶ空き家の一つが、写真にうつりこんだ玄関とよく似ていたのだ。
田中、簡素な表札にそう刻まれている。インターホンを押しても反応が無く、それどころかボタンが沈み込んだままになってしまった。器物破損だ、とカンナは思った。いつかはこうなるにしてもだ。
ドアを強く叩いてみても、案の定反応は無い。
「お巡りさん?」
背後から声をかけられて、カンナは振り向いた。和服に身を包んだ、一人の少女が立っている。
「いえ、今は警官ではありません。休職中でして。失礼ですが、この辺りの住民の方ですか?」
「はい。そこが実家で……普段は百鬼夜行連合学園の寮にいるのですが、帰省してまして……」
女性は背後の家を指差した。比較的新しそうなその家は、屋根から雪が降ろされている事によって、周囲の空き家と明確に区別されていた。降ろさずにいると、どんなに堅牢な住宅でも、ふりしきる雪の重みでいずれ倒壊してしまうのだ。
「こちらのご家族をご存知ですか?」
カンナはスマホのアルバムを開き、再度写真を呼び出して、少女に見せた。スマホの画面を直撮りしたため見づらいが、映っている顔を問題なく確認する事が出来る。
「ああ、はい。田中さん一家ですね。数年前に引っ越されましたが」
「どちらに?」
少女はしばし頭をひねっていた。
「確か、ゲヘナの方と聞いたような……六人姉妹揃って転入されたようですよ」
「
少女は今度こそ困惑したようだった。
「ええ……その写真に写っている方で全てです。一家ぐるみで親しくしていて……あの、田中さん一家になにかあったんですか?」
カンナの耳にその声は届いていなかった。目が写真に釘付けになっていたのだ。なぜ田中カクエが写っていると思い込んでいたのだろう。
写真の人間を何度数えても、全部で六人しかいない。
シャッターを切ったのが田中カクエだった? だからここには写っていない?
いや、多分そうではないだろう。震える声を理性で抑えようとしても、彼女の声はまだ震えていた。
「田中カクエという人は、もしかして次女ではない?」
少女は平熱の視線で、何でもない事のように、決定的な事実を告げる。
「はい? 連邦生徒会の方ですよね……? あはは、お巡りさん。そんな大人物、この村にはいませんよ」
この言葉を聞いた瞬間、カンナの中で渦巻いていた数多くの形なき疑問が、ひとつの疑問へと集約された。
田中カクエという人物はどこから来たのか?
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