そこは失敗だらけの虹夏ヒストリーだよ 作:ファン2023号
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4月△日
前と同じ小テストがあった。いつも通り、満点。
今までの失敗を考えれば、このままだといけない。
今回はいろんな人との交流を深めて、いろいろ聞いてみよう。
私ひとりの力じゃどうにもならなかったから、人に頼ってみる。
これがコネ作りってやつ?
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5月○日
前より早いタイミングで、軽音部のギタリストが加入してくれた。
前回に聞いてた好きなバンドの話で仲良くなって、それからはすぐだった。
クラスメイトの話だと、まだメンバーを募集してるベーシストもいるらしい。
できるなら、今年中の文化祭ライブに間に合わせたい。
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5月×日
ギターヒーローさんの動画を見た。
今も既に結構有名なレベルで、動画の再生数もかなり多い。
知らなかったけど、クラスの中でも知る人ぞ知るって感じのアカウントだったらしい。
やっぱり交流を深めててよかった。
ふと、こんな色のジャージを見たことがあるような気がしたけど……気のせいかな?
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6月○日
ギタリストの勧誘成功!
これも広義ではスリーピースバンドだ!!
今はまだコピーバンドとしてだけど、いずれは曲も作りたい。
とりあえず、文化祭で演奏できるくらい練習しよう!
ベースはリョウに頼もうかなあ。
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6月×日
最近、リョウの元気がなかった。
たしか、バンドを抜けるまではまだそれなりに期間があったと思うけど……。
バンドとしての方向性を探ってるのかもしれない。
この前友達から聞いた路上ライブの話をしたら、ちょっと刺激を受けたみたいだった。
ライブするなら見に行こう。
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「あれ、リョウ。帰ってなかったの?」
「……歌詞、書いてた」
委員会の仕事を終えた虹夏が、不思議そうにこちらを見る。
手元で全く進まなかった紙をくしゃくしゃに握り、ゴミ箱に放る。
今のバンドの作る曲の歌詞に異議を申し立てるつもりだったその中身は、白紙のままだ。
「捨てちゃうの?」
「いい。全然思いつかなかったから」
「そっか」
ペンすら持っていない私の些細な嘘を、虹夏は気にする素振りすら見せない。
視線を少しずらして、机の横にあった鞄を肩にかける。
前からこんな距離感だったはずなのに、少し違うような、遠くなったような気がした。
今日も、誰かと帰るのかな。
ぽつりと零れた歌詞ではない何か。
その情けないような感情の発露は、高校生になって著しく社交性を伸ばし始めている虹夏のすべてを表しているような、そんな気がした。
放課後の喧騒。
窓の外に広がるコミュニティが、今は煩わしい。
「リョウ、用事ないなら帰ろうよ」
幻想がいつの間にか像を結ぶ。
虹夏が手招きしていた。
当然のように引き戻された距離感に、かえって息が詰まった。
「……えっ?」
「はやく~」
私は空っぽの鞄を抱えて立ち上がる。
今日は、いいんだ。
立ち上がってすぐ、手を取られる。
それが当たり前みたいに。
その行為は、私の内心を言い当てられたみたいで、口から出た言葉は固くなる。
「虹夏、私は子供じゃない」
「あっ、つい」
少し頬を赤らめながら、繋いでいた手を離す。
その距離感が、私を狂わせる。
雰囲気を見ていれば、誰にでもしそうな対応なのに、私にしかしない。
「弄ばれてる……」
「何の話?」
自覚がないところが厄介。
その言葉を飲み込んで、普段通りの私らしく声を出す。
「バンド、最近どうなの」
「集まってるよー」
緊張感のない間延びした声。
虹夏の視線は、どこか遠くを見ていた。
教室を抜け、歩く廊下に人の姿はない。
虹夏は夢を喧伝するようになった。
その姿は、見ていると痛々しさを感じさせられた。
年齢特有の無謀な夢、なんて言葉では片づけられないほど真剣で、研ぎ澄まされている。
他の誰も気づいてないと思うけど、私の眼にはそう見えた。
その理由はわからない。
私たちは隣り合って順調に歩んでいるはずなのに、少しだけ隔たりがある。
学校の外に出ると、誰かに私たちの繋がりを示すのは、この制服くらいだ。
「ベーシストがいないから、今のバンド抜けたらリョウが入ってよね」
「……えっ?」
卑屈な思考に刺された杭が、淀みの流れを確かに変える。
またも、私の悩みをピンポイントで突き刺すような言葉に息を呑んだ。
立ち止まる私に振り返り、瞳の裏まで覗き込むような虹夏の声が、頭の中に木霊する。
「いいでしょ?」
聞きたいことは山ほどあった。
前と変わった態度、急によくなった成績、私たちの関係。
それでも、迷う必要はどこにもなかった。
雨の匂いが近づいてくる。
あのとき躓いた道路の窪みにできる水溜りには、私たちが隣り合って歩く未来の姿が映るような気がした。
「スカウトなら別料金」
「はいはい。給料から引いとくようにお姉ちゃんに言っとくね」
「えっ、逆、逆。スカウト代、ほしい」
「借金と合わせたらマイナスが出るから、はみ出た分は天引き」
「……」
「草食うな!」
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7月○日
全国模試があったけど満点は取れなかった。
みんなで練習して合わせたり、クラスの子と遊びに行ったりしてて時間が取れなかったっていうのもある。
でも、そこそこ高得点だったし、仲も深まった。
有意義だったからヨシ! ってことにしとこう。
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7月△日
学校での会話で、今から流行るバンドの話になった。
高校卒業までのトレンドは知ってたから、つい答えちゃったけど大丈夫かな?
というか、その流行りに近い曲を作れば売れるかも……!?
まあ、そんなことしても誰かのコピーになっちゃうし、売れてもうれしくない気がする。
とりあえずギターヒーローさんの動画を布教しておいた。きっと見とれるに違いない。
そもそも、私が未来を知ってるなんて言っても誰も信じないよね。
お姉ちゃんあたりに言ってみようかとも思ったけど、病院に連れていかれそうだ。
やめとこ。
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8月○日
今日も普段通りの仕事。
でも珍しく、廣井さんにお姉ちゃんと間違えられた。
今までで初めてだったかもしれない。
普段と違うってことは何かの予兆かな、なんて思ったけど特に思いつくことがない。
喧嘩別れをするバンドのライブを眺めてると、ちょっとだけわかったことがある。
そういう重大な問題を抱えた人の弾く音には、明らかな迷いがある。
自分のドラムを思い返すとどうだろう。迷いがあったかもしれない。
何も問題なんかないのに! とりあえず明日も練習だ!
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「先輩……?」
「えっ」
「……あっ、なぁーんだ。妹ちゃんか!」
自分の笑い声が遠巻きに聞こえる。
今までだって、酔っていたとしても一度たりとも間違えたことがないのに。
肺腑に満ちる刺激的な風味が、酩酊の夢から現実へと呼び戻す。
頬の赤みを酒のせいにして安酒を呷る。
喉が焼ける。思考のギアが外れて、別の場所と噛み合った気がする。
「私をお姉ちゃんと間違えるなんて、相当酔ってますよね」
呆れた表情を見ていれば、段々と輪郭がはっきりしてきた。
横にくくった髪と、先輩よりも柔和な表情。
間違えるはずがない。間違えるはずがないのに。
「あっ、始まる……廣井さんはこれ飲んでくださいね」
片手間に私に水を差し出し、その眼は演奏するバンドに向けられた。
視線に温度があれば、想像を絶する冷たさに肌を焼かれるだろう。
今にも喰らいつきそうなほど鋭いそれは、姉妹という言葉だけでは形容できないくらいに似ていた。
穏やかな口元に隠された、人気者としての仮面を外した彼女の本当の眼。
焦りもなく、呼吸の乱れもなく、ただ目の前のすべてを糧とするような獰猛さ。
ステージに立てば、私もただの糧になり得る。
彼女は、私にその価値を見出すか、そうでないか。
テーブルの上に零れたのが、冷えたグラスに伝わる結露水か、私から生まれた冷や汗かはわからなかった。
「見違えたね」
騒音に飲まれて消えたはずの声が、はっきりと鼓膜を叩いた。
演奏の熱量に当てられて火照った体に、冷えたノンアルコールが染み渡る。
視線を注ぐのは、ぞっとするほどに似た、私好みの眼。
ギターが走る。リズムが程よく乱れ、耳につく普遍的な歌詞がサビに入ったことを告げる。
誰かへ送る歌だろうか、生き様を綴った歌だろうか。
どちらにせよ、この名も知らないバンドには同情する。
「何か言いました?」
「ううん、なんにも」
視線を切られたということが、彼らに対する何よりの侮蔑だ。
彼らは生き様を刻むナイフを突き立てたはずなのに、爪痕さえ残せなかった。
冷えた思考が打ち出した答えはいつだって残酷で、リアリティに彩られている。
音響が揺らぐ。ステージを照らすライトが落ちる。
彼らのたった数分の産声は、間違いなく定刻通りに終わった。
「今日はライブするの?」
「バンドメンバー募集中なのでしません……。でも、近いうちにやりますよ!」
「そっかぁ」
ドリンクを求める客が、足をこちらへ向けている。
手をつけなかった二つ目のパック酒をスカジャンのポケットにねじ込み、応対に追われる彼女へ背を向ける。
「
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8月×日
気づいたら、リョウが今のバンドを抜ける日が過ぎてた。
変わったことが全然ないと思ってたけど、そんなことなかった!
もしかしたら今回は抜けないのかも……?
まあ、それはそれでいいのか。別に悪い事じゃないしね。
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8月△日
今日、リョウが路上ライブをした。
このライブの日程調整のせいで、今までよりバンドを抜ける時期が遅くなったみたい。
私がクラスの子から聞いた話を律儀に覚えてくれてたのが、ちょっとだけ感慨深い。
こうやって見てると結果は同じだ。
よかったのか、よくなかったのかはわからない。
でも、今まで見てきたリョウの中で一番円満な抜け方をしてるような気がする。
こんな風に、私の夢もうまくいけばいいのになぁ。
もちろん、路上ライブは大成功だった。
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通行人が流れる路上。
鳴り響く音響は、本格的なものに比べれば些かチープになる。
それをカバーして有り余る気合と熱量が、私の動力源だった。
演奏を始めて三曲目。
人も集まりすぎていて、この公園の警備員のパトロールの時間も近い。
許可制の裏で行われる不適切な行為は、そろそろ終わりになる。
だからこそ、最後はこの曲で決まりだった。
流行りを意識していなかった最初の、私たちの始まりとなった曲で終わらせる。
アイコンタクトでの合図も慣れたものだった。
小声で漏れたシグナルが、全員に伝わる。
「ワン、ツー」
背にする格子状の柵さえ五線譜に見せよう。
この狭苦しい路上をステージに変えるような熱意と技術を最大限にぶち撒ける。
奏でる音色は、道を行く人々を魅了する。
足音のように響く重低音は、自分の足が揺らいでしまうほどに力強い。
思いのほか、指先に力が入っている。
口元が弧を描くのが自分でもわかった。
私を見ろ。
私を見ろ。
私を見ろ。
この両腕で、世界を虜にする。
風に靡く前髪が視界を遮ることも厭わず、乱れのない指捌きで音を地に這わせた。
私を見ろ。
首を伝う雫が振動で弾ける。
疎らだった観客は、いつしか束になり、群衆となっていた。
私を見ている。
目が合う人々の中に、ひときわ輝く何かが見えた気がした。
そして、すぐにどうでもよくなる。
私は私のために音を弾く。
振りまいた音を明滅させて、次第に何もわからなくなるように。
足元から迫りくる低音に、決して気取らせぬように。
もうラスサビに入った。
全てを出し切るように、誰もが音を強くする。
ボルテージは最高潮。
今のすべてを出し切って、終わりにする。
弾きなれたフレーズに思いを込めて、伝える。
私だけの想いってやつを。
「センキュー」
気取った一言に別れの思いを込めたことは、誰も知らなくていい。
知っているのは、私と、私以外のたったひとりだけでいい。
「おつかれさま~。私も手伝うよ」
ライブの終了を宣言し、観客が散り始める。
その人々を避けて逆流する誰かがいる。
みんなで撤収作業を行う中、虹夏は足早に駆けつけてくれた。
だからこそ、聞くタイミングは今しかない。
汗を拭った袖を後ろ手にして、淡々と話しかける。
答えは知っていたとしても、それを確認する作業こそが最も大切だから。
それを最近になって、私は学んだ。
「どうだった?」
「そりゃもう、最高!」
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9月□日
前と同じタイミングで、抜けることになったギターの子からお誘いが来た。
次に会うのは文化祭。
前はうまくいかなかったけど、今回は成功させるつもり。
メンバーもひとり増えたし、リョウもやる気満々だ。
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10月△日
今日は料理しないと決めてたので、お姉ちゃんには悪いけどカップ麺で我慢してもらう。
ライブに備えて忙しいから、なんて言ったら納得してくれた。
練習中にもとにかく怪我しないように気を回しすぎたせいか、みんなから心配しすぎって言われた。
まあ、前に怪我してライブを台無しにしたのは私なんだけどね!
ああ、凄まじい自虐ネタだ……絶対できない。このネタは封印!
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10月□日
文化祭ライブ大成功!! もう文句なし!!
やっとうまくいったって安心感のせいで、もうこれ以上思い出せない。
私の夢は、ここから始まるんだ!
……それより、バンドの名前が「結束バンド」になってたのが気になる。
募集用紙を書いたのはリョウだから、勝手に決めたに違いない。
メジャーデビューのときもこの名前だったら締まらない気がする。
結束感ありそうなのが救いなのかな?
いや、めちゃくちゃ変だ。今度絶対変えよう。
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12月×日
残ってたギターの子が進学に向けての勉強のために結束バンドを抜けることになった。
最近は時間を取れてなかったから、そんな気はしてた。
難関校は二年生から準備しなきゃいけないし、残念だけどしょうがない。
贅沢を言えば、STARRYでライブしたかったなぁ。
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1月○日
STARRYでライブしたいって話をお姉ちゃんにしたら、メンバーが揃ったらいいって言われた。
あくまで記念扱いでも、させてくれるだけでうれしい。
今はリョウと二人だけの結束バンドだけど、文化祭もちゃんとライブできたんだ。
あとはメンバーが揃えば、きっと
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「きっと、うまくいくよね」
走らせたペンは軽快で、消しゴムをかける必要もない。
壁に貼るための無数のポスターと、駅前とかで配れるチラシも作った。
ポスターに映る、私とリョウの気合の入った写真が目を引く。
メンバー募集中の文字、もうちょっと大きくした方が見やすいかな……?
でも、再度印刷するにもお金かかるしこれでいいや。
足りない分は自力でカバーだ!
「がんばるぞ……ぉっと」
両手で握りこぶしを作って立ち上がると軽くふらついた。
慣れない症状だけど、最近これが続いている。
「もう寝よ」
貧血か、寝不足かなにかだろう。
早く寝て、明日は栄養のつくものを食べなきゃ。
ベッドに横たわり、思考を巡らせる。
目を閉じられないのは、過去の記憶が私を追い込んでしまうから。
前なら側にリョウが居た。こんなハリボテにはすぐ気づかれただろう。
でも、あれはイレギュラーだ。
今、調子がいいリョウに水を指して、引き止めてまで頼ることはできない。
そもそもが荒唐無稽な夢物語なんだ。
誰がこんな話を好んで信じてくれるだろう。
「こわい」
失敗したくないという恐怖がある。
今回で終わりかもしれないという恐怖がある。
誰にも言えない孤独は、私の呪いになるには十分だった。
私の記憶も完璧じゃない。
曖昧なせいで、これが本当に四回目なのか、わからなくなってきた。
誰も覚えてない。私すら。
忘れたらどうなる?
忘れる恐怖すら、既に失っていたら……?
その答えの出ない葛藤は、朝になるまで続いた。
「次はうまくいく、次はうまくいく、次は……」
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2月○日
今日は練習を終わらせたら、路上ライブをしながら駅前でチラシ配り。
メンバー募集の効果は……微妙!
興味を持ってくれる人は多いけど、その中から加入してくれそうな人はゼロ。
明日も続けるしかない!
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2月□日
メンバー募集を始めて気づいたことがある。
以前に会ったことがある人の記憶がほとんどない。
ライブハウスに来た人を全部覚えてるわけじゃないけど、特徴的でも忘れてることがあった。
前より私の記憶力が悪くなってるだけならいいけど、このやり直しの効果が薄れてきてたりしたら……。
時間がないのかもしれない。
それを確かめるすべは、どこにもない。
最近、頭痛がひどくなってきた。
頭痛薬と、それから貧血用の鉄分のサプリメントを買った。
気休めでも、ごまかせるならそれでいい。
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3月△日
今日はなんと!! 新メンバーが加入してくれた!!
ずっとこっちから誘うばかりだったからうれしい!!
リョウの演奏に惹かれたみたいだし、これからじゃんじゃんメンバーが増えていくかもしれない。
でも、私としたことが連絡先を伝えるのを忘れてた。
まあ、ライブハウスも近いしすぐにわかるよね。
学校帰りとか週末でも来やすいように、時練習間は指定してない。
都合が合う日に来てくれるといいな。
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「えっ、ほんとに、メンバーに……?」
「はい! 入れてください!」
一目惚れに違いなかった。
ギターを担ぎ、叫ぶように掻き鳴らすその姿に見惚れてしまった。
そこに確かに、何かを見た。
ただ生きているだけでは埋まらない、埋めがたい何かを。
だから、チラシを配ってる姿を見て運命を感じずにはいられなかった。
楽器なんて弾いたこともないまま声をかけてしまったのは、それを知るために、なりふり構っていられなかったから。
「募集ってまだやってますよね?」
「うんうん! ちょうどギターの子が抜けちゃってたし、そうでなくても大歓迎だよ!」
リーダーだと名乗った伊地知先輩は、心の底からうれしそうに、何度も頷いていた。
目を輝かせてこちらを覗き込む姿は子供っぽくて、こちらも自然と笑みが溢れる。
「いやぁ、長かったなぁ……声をかけてもらうのなんて、はじめてで……」
「えっ……?」
ぽつりと零す言葉のひとつひとつに重みがあって、素直に相槌が打てなかった。
ぐっと握られたポスターに映った笑顔と、目の前の先輩のぎこちない笑顔があまりにも違っていて。
握手と呼ぶには頼りなさすぎるほど、私の手に添えられた小さな手が、震えていて。
「リョウにも伝えとくね! ありがとう、喜多ちゃん!」
「あ、あの」
やりたいと言った手前、それを覆すことはできない。
もちろん断るつもりはないけれど、こちらの腕前と求められるスキルが隔絶されすぎている。
長年培ったコミュニケーション能力が警鐘を鳴らし続けていた。
このままではいけない、と。
ただ、この手を振り払ってしまえばどうなるか、想像がつかなかった。
「そうだ! せっかくだしライブハウスに来てよ!」
「あ、ちょっと、伊地知先輩、その」
「あーっ、ダメだ! 今日はお姉ちゃんいないんだった……それなら」
「伊地知先輩、わたし」
「ああっ、ごめん! 何?」
縋るような瞳を見ると、息が詰まった。
目元の隈が、細い腕が、私に問いかけてくるようで。
「いや、なんでもないです……」
「そう? 気になることがあったら言ってね」
「……はい」
「そうだ。今日はできないけど、後でスタジオで合わせようね!」
そうして最低限のやり取りだけを済ませて、私は会話から逃げるように、間違いを隠すように足早にその場を去った。
誰かに
人の夢に触れた。
軽々しく手を出すべきじゃなかった。
後悔が渦巻く。
当日までに弾けるようになれば、なんて淡くて脆い幻想に身を委ねるほか、私に逃げ場はない。
その場を記憶に残さないよう精一杯に取り繕う。
遠くで聞こえた優しい悲鳴に、鼓膜を破られないようにして。
「喜多ちゃーん、またねーっ!」
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4月×日
来ない。
せっかく向こうから手を差し伸べてくれたのに。
来週なら、もしかしたら。
お姉ちゃんが用意してくれた時間に、サポートのギターを頼んでるのを見た。
まだわからないのに。
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4月△日
なんで連絡先を聞かなかったんだろう。
なんでライブハウスの名前を共有しなかったんだろう。
喜多ちゃんがいない前提で進む打ち合わせは虚しい。
今までと違う、ずっと待ってた希望だったのに。
どうしても諦められないから、練習の前にも近くに来てないか探してみよう。
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4月□日
念願のライブが目前に迫ってる。
なにか、間違えた気がする。
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ライブ当日、結局喜多ちゃんは見つからなかった。
それでも時間は止まることなく進んで、私たち結束バンドの出番がやってきた。
リョウに任せたMCは滞りなく進んでいるように見える。
左側には、サポートで入ってくれたギタリストが立っていた。
知らない景色で、知ってはならないような気もしてきた。
演奏が始まる。
流れに身を任せて演奏していても、邪念が湧き出てきて集中力を欠いているのは明白だ。
リョウが手伝ってくれて、結局抜けちゃったけど、新しいメンバーも増えた。
お姉ちゃんもバンドをやめて、時間も空間も用意してくれた。
掴めなかったけど、喜多ちゃんも手を差し伸べてくれた。
サポートの人も頑張ってくれていて、演奏を聞いている人もリズムに乗ってくれている。
私のわがままに、必ず誰かを巻き込んでいる。
なにかひとつでも欠けちゃいけないのに、毎回なにかを取りこぼす。
力が及ばないのは、最後に失敗するのは、私のせい?
乗ってきた暴れるようなベースに、慣れたお手本のようなギターに、拙いドラムが必死に食らいついて得た答えが、それ。
必死に叩くドラムの音が迷っているのがわかる。
迷うな。
迷わないで。
そんな不甲斐ない音にすらに掻き消されてしまうのは、私の心の底から漏れ出した声。
「私が悪いんだ」
ステージのライトに照らされて浮き上がった、醜悪な私の姿。
ライブ中に何を考えてるんだろう。
考えるな、考えるな。
曲に集中しなきゃ。
お願いだから。
交友関係も広くなくて、ドラムもそんなにうまくない。
音楽センスもよくて人並みで、人を集めるカリスマもない。
ただ突っ立っているだけの、夢の看板を掲げたハリボテに寄りかかってくれるのは、付き合いの長さからくる同情に似た支えだけ。
そんな空っぽの、誰かが希望を注いでくれないと自立できないような抜け殻の夢って、何?
くらくらとした視界に、うるさい風の音。
私の呼吸音が奏でるテンポは歪で、ひどく下手くそだ。
心音のリズムキープすらできない錆びついた体に、もう力が入らなかった。
演奏が終わった時の観客の表情は、瞳がわざと焦点を合わせてくれないからわからない。
「ありがとう、ございました」
誰かの声に重なった、かろうじて紡いだ頼りない感謝。
観客からの疎らな拍手すら、私を駆り立てるブーイングに見える。
次のバンドがやってくる。
マイクは外して……外さなくてよくて、ドリンクのオーダーを聞いて……違う、今はステージに立ってるんだ。
受付ならチケットを渡して……クラスメイトとうまく話を合わせて……もう心配をかけないよう気をつけて……リョウが円滑に抜けられるように考えて……。
喜多ちゃんに、今度こそ伝えて…。
逃げなきゃ。
ここから、逃げなきゃ。
なにから?
焦燥が、緊張が、恐怖が。
今、確かに私の首に触れた。
「はぁ、はぁ……」
暗転したステージの端、軋む体をなんとか引っ張ってたどり着いた隠れ蓑。
なにも保証されてないのに、ひび割れた私の緊張の糸が切れた。
リョウが変わらない表情の裏に喜びを滲ませているのが、とても、とても疎ましく思えた。
そう思う自分が、いちばんきらいだ。
「虹夏、調子悪い? 今日の打ち上げは……」
「もうやだ」
自分の運命を呪いたくなるような、血反吐に塗れた悍ましい嘆きが、黒っぽい床の染みになる。
慌てて拭おうとした袖口は濡れていて、ぐらりと膝が落ち込んだ。
赤く濁ったその汚泥に向き合えば、くしゃくしゃの顔をした私と目が合う。
赤い瞳が揺らいでいた。
世界が加速して、地面に体が吸い込まれる。
聞き慣れた終わりの合図と鈍痛。サイレンのような悲鳴。
宙を舞う思考に体が置いてけぼりになって、そのまま捨てられてしまいそうになる。
時計の針は逆へ進み、太陽が引き上げられて夜に沈む。
後悔した過去へ後ろ向きにダイブして、振り返りながら歩む。
なんでもできる期間内になんにもできない私という器が、空虚な中身にガラス音を反響させた。
逃げなきゃ。
何から?
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4月○日
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始まりはいつも同じはずだった。
だけど、今回は違った。
今回から、違った。
朝起きて、学校に行く理由が見当たらない。
夢を
空っぽの私の体に詰まっていたはずだった、夢という希望のエネルギーがそのまま毒になる。
私を蝕んでいた。
なにもかもが。
天高く飛んだはずの流れ星は見えない。
目元から重力に引かれて落ちるのは、星の煌めき。
それがあまりにも多くて笑えた。
「今回は、いいかな」
膝を立てて顔を埋めると、世界が暗転して見える。
暗がりの向こうには何もない。
それが私をひどく安心させて、それが私を閉じ込めてしまった。
スマホの暗転した画面に映る憔悴しきった顔。
お姉ちゃんになんて言えばいいか、考えるのが億劫だった。
口には出さないだけで過保護だから、取り乱すかもしれない。
リョウもああいう性格だけど心配性だ。
休むなんてメッセージを送れば、余計に心配させるに違いない。
嫌になる。
悪いのは、全部、全部、全部全部全部────!
「あっ」
手元が滑ってスマホが落ちる。
ガラスフィルムに蜘蛛の巣に似た線が刻まれる。
画面越しに、
失敗の数だけ並んだそれが、ひどく私を落ち着かせる。
窓の向こうは見なくてもわかる。
ただ、今日だけは土砂降りであってほしかった。
・虹夏ちゃん
前半はかなりよかった。後半はストレスと緊張でメンタルボロボロ。
下手とかじゃなく、そんな状態で万全のパフォーマンスができるわけない。
今回が本当に四回目だったかどうか、誰も答えを知らない。
・リョウ
パーフェクトコミュニケーションをかます幼馴染の悩みに気付けず後悔。
一番伸び伸びと育って、最高のタイミングでどん底に叩き落された。
・廣井
虹夏ちゃんがギラギラしてるときの星歌さんそっくりでビビっと来た。
もちろん結束バンドのライブも見に来た。
・喜多ちゃん
初めて自主的にバンドに入りたいと言ってくれた人。
この後、ライブハウスをSNSで特定して謝りに来る。
・サポートの人
結束バンドのライブに参加してくれたサポート。原作にはいない人物。
夢に真剣な虹夏ちゃんを応援してくれている。