きさらぎ駅の駅員なんですがもう限界かもしれない   作:おひょひょ

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#1 きさらぎ駅vs限界バカ飲んだくれ大学生

 

 

 規模で言えば、地方都市の中枢駅くらいはあるだろうか。それなりの広さのホームにはまだ電車が何本か往来している。

 だが深夜零時に程近い事を加味しても、その駅はあまりにも異常だった。構内に入っているテナントには灯りが点いておらず、その名前もよく見れば奇妙に捻じ曲がっており何と書いてあるか読めない。

 そしてまるで今改装したばかりのように美しい改札には、この時勢にあってICカードを受け付ける場所が一つもない。そしてそれ以上に、直接的に違和感を覚えさせるのは。

 

 人が一人もいない(・・・・・・・・)

 

 客どころか、電灯が明滅する窓口の中に駅員の姿すら無い。あるべき筈の場所にあるべき物がないその違和感は『気持ちが悪い』という原初の感覚を本能に訴えかけてくる。

 

 そして駅の最奥とも言えるホーム。

 その中で一際目を引く周りの雰囲気にそぐわない鉄錆びた標示板には本来存在しない筈の駅名(・・・・・・・・・・・)が記されていた。

 時刻表は出鱈目な数字を示し、文字化けした広告はじっと見つめていると意味が分からないのに知ってはいけない何かを理解してしまいそうになる。そんな最早人が立ち入るべきではない、異界とも言える場所に時たま迷い込んでしまう者もいる。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 駅があるならば、そこには駅員がいる。

 

 駅全体に伝わる、何か異物を飲み込んだような感覚で目を覚ます。

 大きく伸びをすると、寝ぼけ眼を擦って姿見の前に立った。客商売という訳でもないけれど、身だしなみは大切だ。

 身に纏っているダークネイビーを基調としたスカート型の小奇麗な制服の襟を正し、チロリアン型の帽子を被り直す。だが現在では殆どの場合、スカート型の制服は廃止されているらしい。先の改札と合わせてこれらは新しいのにどこか古めかしい、そんなちぐはぐな印象を見る者に与え不安にさせる。

 仮眠室から出ると、こつこつと足音を鳴らしながらホームへ向かう。

 

 

 他次元、幽世、異界。

 言い表し方は数多くあるが、結局の所それらが示しているのは一つしかない。

 ここではない何処か(・・・・・・・・・)。そしてそんな場所に誘い込むように口を開けている落とし穴は生活の端々に潜んでいる。

 例えばそれは自分一人しかいないエレベーターの中であったり。燃えるような夕焼けに背中を押される帰り道であったり。そして、普段通り乗っていた筈の電車であったり。

 とは言えども、そのような異界に人が取り込まれる可能性は限りなく低い。ただ、0という訳でもない。それはまるで、波に攫われて知らない岸に流れ着く漂流物のようでもある。

 私の仕事は、そんな駅にとっても異物と言っていい漂流者達を元の場所に返す事だ。

 

 階段を使い、ホームに降りる。丁度特急がこの駅を通過する所であり、吹き荒れる風に帽子が飛ばされないようぎゅっと押さえた。

 私自身もこの駅を通る全ての列車を把握している訳ではない。ここはあくまで目的地ではなく、通過点。今通り過ぎた特急に"何"が乗っているのかも分からない。ただ、恐らく碌なものではないだろう。

 

 

 今回の漂流者はホームの真ん中に四つん這いになり、顔を伏せていた。見た目からするに二十代前半の青年といった所だろうか。きっと腰を抜かして立っていられなくなってしまったに違いない。くすりと微笑んで、改めて相手を観察する。

 猫っ毛に強めのパーマをかけたアッシュグレーのウルフカット。

 黒のスキニーパンツに白のロンT、モカ色のロングカーディガンを緩く羽織って合わせている。現代風の大学生といった所だろう。背が高く痩せており、耳に所狭しと開けられた数多のピアスは軽薄で危なげな印象を受けるが、どこか少年のような幼さの残るその顔付きは顔面蒼白で挙動不審だった。

 何かを恐れるように震え、目を合わせる事すら避けたいと言わんばかりに地を見つめる彼を私は何の感慨もなく眺めた。

 

「失礼ですが……お客様はここが何処か、御存知ですか?」

 

 ゆっくりとそう語りかける。駅員に似つかわしくない溶けない氷を思わせる無機質な口調を浴びせてやれば、大抵の人は周囲の状況もあって恐怖するか、空元気で怒り出すかのどちらかを選ぶ。

 ポイントは相手が安心してしまうような優しい調子で話し掛けない事だ。今まで怯えていた反動で攻撃的になり、その矛先がこちらに向く事もある。あくまでこちらが上の立場である事を相手に分からせる、それが重要だ。

 

「……」

 

 青年は黙りこくったまま顔を上げる。額には脂汗が浮かび、もう限界だと表情だけで訴えている。きっと怯えているのだろう、可哀想に。

 

「ふふ、もうお分かりでしょうね。そう、ここはかのきさらぎ駅(・・・・・)です」

 

 きさらぎ駅。

 インターネットに触れている若者ならば一度は耳にした事があるだろう、匿名掲示板発のスレッドを起源としている都市伝説のビッグネーム。

 多くの体験がネット上に書き込まれているが、大まかな筋書きとしては本来存在しない筈の駅に迷い込んでしまい不気味な目に遭うといったものだ。

 元々は話の通り、ここは誰もいない小さな無人駅だった。しかしその『きさらぎ駅』という名前が広がれば広がるほど、都市伝説としての格も高くなっていく。それに比例するように無人駅だった筈のこの駅はホームが増設され、構内の規模は今も増していっている。今後も電子の海(インターネット)が日常生活を少しずつ波削るに連れて、この場所も広がっていくのだろう。

 

 そしてそれを管理する『駅員』として私が生み出されたという訳だ。

 

 だが、それにしても。目の前の青年の反応は拍子抜けするほど薄かった。この名前を聞けばネットに親しんでいる若者は大体「そんなの信じられるかよ!」だとか「う、嘘だ……」だとか何かしら喋ってくれるのだが。

 彼の顔色は胡瓜の断面図のように青白くなっている事から、何かしら精神的なダメージを受けているのは間違いない。

 

「あの、聞こえてますか? ここはあのきさらぎ──うわ酒くさっ!!」

 

 顔を近付けた瞬間、もうなんかこうヤバいくらいのアルコール臭がぷんと漂ってきた。

 こいつ、もしかしてビビってた訳じゃなくて。単に酔い過ぎて気分悪いから顔色とか悪かったんじゃ──そう思い至った時。

 

おえええええええええ

 

 それはもう見事な嘔吐だった。

 大学生イキリ飲酒嘔吐大会があったならば彼が間違いなく金賞を取ったに違いない。安い食べ飲み放題で詰め込んだのであろう餃子の残骸が浅ましさと哀愁を両立させている。その後ももう炒飯が出るわラーメンが出るわ中華料理屋が開けそうな始末だった。

 突然ホームに小間物屋を開かれて私は思わず思考停止してしまったが、肩で息をしながら苦しそうに己の罪と向き合っている青年に途切れた台詞を続けようと試みる。しかしそれは彼が吐いてから十数秒は後の事であり、この時点で私の完敗は既に予見されていた。

 

「えっと、き、きさらぎ──」

「あっ、ちょすんませんまだ無理、おえええええええええ

「ホームで吐かないでくれますか!?」

 

 二度目の嘔吐により、この場においての力関係は完全に定まってしまった。こういう場合どう足掻いても突っ込んだ方が負けである。主導権(イニシアチブ)をがっつり取られた。

 

「あーもう……ほら、立って下さい。そのままだと汚れますから」

 

 よく見ればその手にはまだちゃぷちゃぷと鳴るストロング缶が未練がましく握られていたので没収しておく。そのまま私に担がれるようにしてベンチに寝転ぶと、キリッとした表情で彼は手を合わせて頼み込んできた。

 

「すんません、お水買ってきてもらえません? 金払うんで」

 

 溜息を吐き、肩を落としながらさっき下りてきた筈の階段を再び上る。数分後、未開封のペットボトルを片手にホームへ戻ると青年は大いびきをかいて眠りこけていた。

 むにゃむにゃと何か呟きながら時折「俺は限界を超える!!」と絶叫する様を眺めていると苛立ちがピークに達した。ペットボトルの蓋を開けるとその間抜け面にどぼどぼと掛けてやる。

 

「むにゃ……あ、冷たっ、え、なに、ごぼごぼ、溺れる!!」

「本当に溺れちゃえばいいのに」

 

 呪詛染みた言葉を呟きながら半分ほど残ったペットボトルを彼に渡す。へへ、と受け取る際に出した三下臭い笑いが妙に似合っていた。

 

「それでえっと何すか、ここが何処かでしたっけ」

 

 冷えた水を美味そうに飲み干すと、袖で口元を拭いながら彼はちょっと気不味そうにそう尋ねた。アルコールで脳はやられているが一応気は使えるようだ。

 

「ごほん。ええ、ここがかの────きさらぎ駅です」

 

 そう言って目を閉じ、胸を張る。ふふふ、怖いだろう。

 だが、いつまで経っても流れ続ける沈黙に違和感を覚え目を開く。これまで「きさらぎ駅」という単語を聞いた者は皆、恐れるかそんな訳があるかと一笑に付すかのどちらかだった。

 しかし、目の前の相手は。

 

「え〜、どこだろ……あ、きさらぎ駅!? 山手線にありましたよね! 良かったあ、都内ならギリ家帰れるわ」

「ないです!! 山手線にありません!!」

「え、嘘!? 五反田と大崎の間くらいになかった!?」

 

 もうなんかこう、駄目であった。最初に醸成した筈のミステリアスな雰囲気は遥か彼方に置いてけぼりにされている。別に彼が知ってようが知らなかろうがやる事は変わらないのだが、それはそれとしてなんか癪だ。

 

「……本当に知らないんですか? きさらぎ駅」

「ごめんなさい、知らないっすね。駅とか路線覚えるの苦手で結構あるんですよ、こういう気付いたら知らない所いるの。でも駅員さん優しいっすね。この出会いに感謝っす、マジで」

 

 うぇーいとへらへら笑う青年に尚も食い下がる。せめてここが普通の駅でない事くらいは理解させなければならない。こんな奴にまた迷い込まれたらたまったもんじゃないし。

 

「ネットで怖い話とか都市伝説とか見た事ありません? 八尺様とか聞いた事ありません?」

「あ~無理無理、俺怖い話とかマジで駄目なんすわ。ホラー映画の予告とか流れるだけで目えつぶっちゃって、ひい〜って感じ」

 

 その(なり)で女の子みたいな事を言うなと沸々と怒りすら湧いてくる。ええい、きさらぎ駅自体を知らないのなら周りの異常性で攻めていくしかない。

 

「というか貴方、おかしいと思わなかったんですか? どう見ても日本語じゃないでしょう、この広告も」

 

 ホームに取り付けられている文字化けした広告をバシバシと叩きながら私が力説するが、どうも青年にはいまいちピンと来ていないようだ。口をぽかんと開けてアホ面を晒している。

 

「いや、酔ってるからこんなもんかなって。あと漢字苦手なんすよ、俺」

「漢字どうこうじゃないでしょうがこれは!!」

 

 頭を抱えながらどうしたものか考え込む。こいつ相当バカだ。しかしながら、とりあえずこんなバカでも家に帰してやるのが私の務めである。

 

「ここに来るまでに買った切符はありますか? 定期やICカードでも構いません」

「切符? どこやったかな……あれ、落とした? やっべ嘘だろ……」

 

 ショルダーバッグの中をひっくり返しながら慌てている青年に少し溜飲が下がる思いがした。現実的な問題にようやく彼の表情に恐怖の色が差す。

 いや、でもそれはきさらぎ駅が彼にとって落とし物以下の厄介事でしかないという事になるのではないだろうか。

 

「ふん、薩摩守(無賃乗車)ですか?」

「なんすかサツマなんたらって、さつま芋なら知ってますよ。美味しいですよね、あ……あった!」

 

 皮肉を言った筈が、何故かこちらの方がバカにされているような気になってくる。

 というか辺りに散らばっているモバイルバッテリーや財布に油性ペンで書かれている謎の文様は何なのだろうか。こいつこんな顔して怪しい宗教団体とかにハマってるんじゃないかと心配になってくる。

 そうこうしている内にICカード型の定期券を彼は何とか見つけ出し、私に手渡してきた。

 

「……この定期、落書きがしてありますね」

 

 先に言った財布などに書かれていた文様と同じ物が定期にも書かれている。本当にこいつやばいんじゃないか、と内心冷や汗をかいていると彼は何故か誇らしげに胸を叩いて語り始めた。

 

「あ~、それあれです。飲んでる時にツレと『持ち物にはちゃんと名前書かないといけませんねえ!!』ってノリでその時カバン中に入ってた物に全部サイン書いたんですよ。頭いいっしょ、これでもう何も失くしませんよ」

「バカなんですか?」

 

 物以前に人としての尊厳だとか知性を失っている相手を蔑んだ目で見る。

 よく見れば白のロンTにも同じようにミミズがのたくったような落書きがしてあったが、もうツッコむのも疲れたのでスルーして定期に目をやる。まあ、これが原因だろう。

 

「今回の原因は恐らくこれですね、たまにあるんです。切符やICカードに傷が付いて、偶然ここのような本来では辿り着けない場所(・・・・・・・・・・・・)に繋がってしまうこと」

 

 そう言って定期を返し、耳元に付いているインカムで連絡を取る。砂嵐のような音が鳴り続けている向こう側に一言呟くと、一瞬途切れるようにノイズが走った後また雑音を垂れ流し始める。

 

「今、帰りの電車を呼びました。もうすぐ来るのでそれに乗れば家に辿り着く事ができます」

「あ、本当っすか? 助かります、明日1限テストなんすよ」

「それ多分もう助からないと思うんですけど」

 

 本来ならもう駅員室に戻って紅茶でも嗜みたい所だが、この酔っ払いを放置しておくとうっかり足を踏み外して線路に飛び込んだりしそうで洒落にならない。私の時とは違って今は割と電車が通っているし。

 

 そのまま姿勢を正して件の列車が来るのを待つ。しかし誰かとこうして喋るのは何日ぶりだろうか。いや、このきさらぎ駅においては時間の概念などあまり意味を成さないのだけれど。

 そうぼんやり考えていると青年が欠伸混じりに話しかけてきた。

 

「暇なんで、もし良かったらそのきさらぎ駅ってのが何なのか教えて下さいよ。怖いの我慢するんで」

「ええ、いいでしょう」

 

 こちらも同じく手持ち無沙汰ではあったので、列車が来るまでに最も有名な『はすみ』のきさらぎ駅の話をしてやる。これで怖がってくれればもう言う事はない。原典にして今も最も語り継がれているそれはきさらぎ駅のイメージを大きく固定した。

 先が見えず、帰る事ができず、打つ手が無い。電車という慣れ親しんだ環境から突然叩き落とされる奈落の淵。

 

「……という訳ではすみは男の車に乗ったまま、今も行方知れずになっています。匿名掲示板に彼女を名乗る者が『帰る事ができた』と書き込んでいたそうですが、真っ赤な嘘です」

「怖〜……駅員さんはそのはすみさんの時にはまだいなかったんすね」

 

 そう、いなかったのだ。いなかったから、その話はそれで終わりだ。

 

「っていうか気付いたんすけど、ここ駅員さん以外人いないですよね? もしかしてずっと独りぼっちなんすか?」

「まあ、そうですね。時折貴方のように迷い込んでくる人がいますが、それ以外は一人です」

 

 まだ酔いが覚める気配はないのか、ふらふらと頭を揺らしながら幸せそうな表情で「ひらめきました!」と彼は手を打った。

 

「んじゃ駅員さん、俺と友達になりましょうよ。いや言うじゃないすか、袖ぶつけ合って一生を得るみたいな」

「それ袖すり合うも他生の縁、ですから。あと友達にはなりません、早く帰ってください」

 

 本音であった。もう面倒臭いしゲロ臭いのでとにかくとっとと帰って欲しい。私はまたこの駅に漂う沈黙に浸りながら優雅に時を過ごしたいのだ。そんな私の思いとは裏腹に、青年はまだべらべらと喋り続けている。

 

「そういや名前言ってませんでしたね、悔いると書いてカイって読みます。変な名前っしょ、駅員さんのお名前は?」

 

 (カイ)

 彼が言う通り親が子に付けるには些か変わった名だと感じたが、別に私の知った事ではない。そして都合良く列車がブレーキの金属音を立てながらホームに入ってきた。少し間の抜けた電子音と共に開いた扉は牙を剥いた口のようにも見える。

 

「……教えません、そもそも貴方の名前を覚えるつもりもありません。無事に帰り着いたら、その定期は捨てて下さい。それでもうこの場所(きさらぎ駅)に行き着く事もないでしょう」

 

 ぐいぐいと彼の身体を停まっている電車へ押し込む。中には明らかに生きている人間ではない薄靄のようなぼんやりとした何かが犇めいているが、それでも帰れるだけマシというものだろう。

 ホームに発車を告げるメロディが流れ出す。絶妙に音を外しているそれは人の本能に訴えかけて不安感を増幅する筈なのだが、何故か青年は車両の中でそれに合わせて縦ノリしている。バカなんじゃないの? 

 周りの何かも肩身狭そうに心なしかなんかこう、ぎゅっとなっている。

 

「他のお客様の迷惑になるからやめなさい!!」

「え、これ他に誰か乗ってんの!? 怖い事言わないでくださいよ」

 

 慌てて椅子にちょこんと座る様はほんの少しだけ可愛げがあった。よくよく見ればバカっぽくはあるがスタイルは良いし顔もそう悪くはないのだ。でもバカだから駄目だ。

 

「ねえ駅員さん、この電車はどこ着くんすか?」

「貴方の家の最寄り駅です、お望みなら沖縄でも北海道でも飛ばしてあげますよ」

「へえ〜、選べるんだ。いや、本当にお世話になりました。また明日!」

 

 最後まで手を振りながら彼は人懐っこそうな笑顔を浮かべていた。軋んだ音を立てて扉が閉まり、列車は彼を元の世界へと送り届けていく。

 やっと肩の荷が下りた、とほっと一息ついた。とりあえずこれからやる事としてはホームに無残にぶちまけられたゲロ……吐瀉物を掃除して、もう一度駅構内の見回り。その後でやっと休む事ができる。そんな感じで掃除道具を用意しようとした時、ふとある事に気付く。

 

 ……あいつ、さっきまた明日って言わなかっただろうか? 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 翌朝の事である。だが朝と言ってもきさらぎ駅の中は常に薄暗く、外はぽっくりと日が暮れたまま保たれている。過ぎ行く時間も、四季も無い。

 昨夜のようにたまに迷い込んでくる人が現れるのを待ち、ここに取り込まれる前に元の場所に返す。

 それが私の仕事だ。

 

 駅員室に置いてあるケトルでお湯を沸かし、暫し待つ。いつも気付かない内に何処かから補充されているティーバッグで紅茶を淹れ、優雅にカップを傾ける。もう何度となく飲んだ味、嗅いだ香りではあるがここでの娯楽はこれしかない。それを最大限享受した後に何をしようか考える。昨日は飛んだバカの相手をさせられてしまい、調子が狂ったが。

 今日は未だ増築を続けているこの『きさらぎ駅』の端を見に行ってみようか。"一本足の老人"や"トンネルを抜けた先の男"に出会うのはごめんだけれど。

 そんな事を考えていると、突然大きな音を立てて駅員室の扉が蹴破られるようにして開かれた。

 

「すんません駅員さん、大学の最寄り駅までお願いしたいんですけどー!」

 

 どたどたと忙しない足音と共に告げられた一言に、思わず口に含んでいた紅茶をぶーっと噴き出す。昨日のバカが捨てろと言った定期を片手に何故か私の前に立っている。

 

「昨夜! もうあの定期は! 捨てろって! 言いましたよね!」

「いや、だってどう考えてもこっちの方が便利だし。乗り換えとかあって色々ダルいんすよ」

 

 あんぐりと口を開けた。昨夜、痛い目を見たばかりの筈なのにこの青年は全く懲りていないのだろうか。

 

「俺は日常生活が便利になって? 駅員さんは話し相手ができて? もう最高じゃあないっすか……誰も悲しまない世界、うぇーい」

 

 分かった。そもそもこいつは昨日の出来事を痛い目どころかラッキーくらいにしか認識していない。

 けらけらと笑いながら「ほら駅員さん、うぇーい」とハイタッチを要求してくるバカを前に、頭を抱える。

 

 斯くして、私の変化は無くともそれなりに平穏であった生活は。きさらぎ駅の仕様をフル活用しようとするバカによって叩き壊されていくのであった。

 

 

 

 

 

 





これをきさらぎ駅二次と言い張る勇気が人生には必要です。
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