just a MAN but a HERO その1
HCLI社本部の意向により、西アジア某国に新たに建設される軍事道路の計画責任者として選ばれたのは、アジア地域での販路を一手に担うキャスパー・ヘクマティアルだった。
本部の意向、即ち実父でありHCLI社総帥フロイドの意向である。その実現は急務とされ、全権を任されたキャスパーは計画遂行の為の第一歩として、瀬踏みを兼ねて、現地軍とのコネクション構築の為に、数年来の部下であるユスフ・ガスードを新聞記者としての身分を与えて送り込んだ。
近隣国家との紛争や内戦の遺産は、無数の地雷原として、この西アジアのとある国にも存在していた。冷戦下の闘争の残り火に、冷戦終結後に生まれた世代が焼かれる悲劇は、この国において珍しいことではなかった。
新たな火種にも、希望の道にも変わり得る巨大な軍事道路の建設がこの国の将来に何を齎すのかなど、キャスパーには予見こそすれど、商人として以上の興味など無かった。西アジアでの工作も、彼にとっては無数に熟してきた仕事の一つでしかなかったのだ。
しかし、事態は偶発的な事件により一変することになった。
新聞記者として地雷原近辺を散策し、目標である地上基地部隊との接触を図っていたユスフ・ガスードが拘束されたのである。一時的な拘束の後、彼は解放され、副司令官の後ろ盾を得ることに成功した。基地内部の現状とその勢力図などを逐一報告するなど、キャスパーの工作は成功していたかに見えたが、ここでガスードが欲を出した。
ガスードは副司令官との個人的なビジネスを展開し、これをキャスパーが本来売り込む予定であった商品に紛れさせ、ひそかに国境を越えさせたのである。明らかな越権行為に対する監視の目が無かった訳ではないが、HCLI社からの正式な報告が届くより早く、事態は動いた。
急遽ガスードから報告があり、これがキャスパーと彼の私兵一行が基地へ入るための下準備が整ったというものだった。ヘリでの接近を可能とするための対空網の管理もつつがなく、とのこと。
石油利権が絡んだこの不穏な山岳地帯は多くの金を生む。キャスパーがこの場所に、本部からの命令が無くとも注目していたことは当然であり、その為の準備に抜かりはなかったといえよう。
しかし、現実問題として、この対空網の統制には不備があり、というのも基地内部の司令官と副司令官の間には緊張状態が続いており、一部を除いて対空兵器の管理には抜けがあった。
そしてガスードの連絡を受けたキャスパー一行が、基地に向かう当日にこの対空網の管轄権が僅かに変動していた。副司令とガスードの画策するビジネスを知らない基地司令官の指揮下、30mm機関砲が不運なヘリを一機撃墜したことは、様々な偶然と必然が重なった出来事であった。
撃墜されたヘリの搭乗員は負傷し山中で遭難中のジタンを除いて全滅。パイロットを含めて全員が即死の状態だった。
この報告を、ガスードの背信報告と共に基地帰還後に聴いたキャスパーは白い顔が赤くなるほど激怒した。怒髪天を衝くほどであった。
激しい回避運動を続け、這う這うの体でヘリが飛び立った現地の航空基地に戻って来るなり、キャスパーは言った。
「ははッ!まさかまさか、ですよ…話を付けるまでが仕事だってのに、利潤の追求は商人の信条ですが、僕だって少しは弁えてますよ!だというのに、自分の分を弁えずに度を過ぎた欲を出すからこういうミスを犯すんです。僕だって危ない橋は渡りますよ?でも、それとこれとは別でしょう。挽回できるミスなら犯すこともありますよ?でも、これは違う。致命的なミスを犯した時の代償は命で払って貰いましょう。」
キャスパーの言葉に珍しく笑みを消したチェキータも同意した。
「キャスパーに賛成。でも、その前にジタンを見つけなきゃ。いいわね?」
「えぇ!勿論です、チェキータさん。たかがヘリから落ちた程度であの人が死ぬなんて考えられませんよ!」
「「「(う、うわぁ…ガスードの奴、ただじゃ死ねないな……。)」」」
爛々と好戦的な笑みを浮かべるキャスパーと、笑みを消したチェキータ。二人の凄みある表情にエドガー、アラン、ポーは頷きつつも、静かに二人から距離をとった。
時は進んで、あの後血を失いすぎて失神したジタンは青白い顔で朝焼けを迎えた。
周囲には依然として動物の気配が無かった。身体は指先まで冷え切っており、血も温度も足りなかった。ジタンは体を引きずり木に背中を預けると、バックパックの中身を漁った。
「なにか、食い物でも、なんでもいい…。」
ファスナーを開き、中のものをひっくり返すと、出て来たのはチョコレートバーが3本と、方位磁石1つ、ライトが1本、折り畳み式のナイフが1本だった。頼りないことこの上なかったが、それでも何もないよりマシである。
ジタンはその場で手早く包みを破くと、チョコレートバーにかぶりつきながら、手の届く範囲の落ち葉や落枝をかき集めた。
キャラメルのにかにかする食感と、ピーナッツのカリカリが独特の、濃厚な味わいのチョコレートバーが体に沁みて、ジタンに生きる為に必要な活力を与えてくれた。最重要な水が一滴もなかったことは問題だが、今はまだ喉が渇くだけで納まっている。これからの迅速な行動が命取りになることは明白だった。
ジタンはナイフを軽く振って刃を開くと、集めた枝を削り木くずを手の平一杯分ほど用意して、ポケットからライターを取り出し、口をへの字にして、渋々フリントを擦った。
<<カシュンッ!>>
背に腹は代えられない。木くずに火が灯ると同時に、すうっと瞳から怯えや不安の色が消えた。代わりに浮かんだのは冷徹で淡々とした瞳。ジタンの意識はウラへと還った。必死な表情が丸わかりだったつい先ほどまでの彼が別人であるかのように、突然表情が変わった。頬や口元から余分な力が抜けて、感情が抜け落ちた表情へと眼差しに変わった彼は、それまでの迷い迷いの行動から一転、痛みも迷いも振り切った行動に移りだした。
燃え盛る焚火を仕立てた彼は、ナイフの刃を火で炙り、服を噛みしめると、左足の負傷部位を躊躇なく焼灼した。既に止血している状態だが、それでも立ち上がり、行動するためには傷口を物理的に塞ぐ必要があった。真っ赤に熱されたナイフのブレードが生身の肌を焼き、じゅうじゅうと音を立てた。恐ろしい音だ。自分の皮膚が焦げる臭いは筆舌に尽くし難い。
だが激しい苦痛を伴う処置にもかかわらず、ジタンの顔には脂汗が浮かぶにとどまり、うめき声を漏らすことなく、眉間に深いしわが寄るだけだった。それも、痛みと言うより不快な香りに対するものだった。
左足の負傷部位を粗方塞ぐと、ジタンは荷物をバックパックに纏めると、左腕にシリコンバンドで巻いてある腕時計…Ollech&Wajs社製C1000…を見た。現在の時刻は06:30を丁度過ぎた頃であった。
今のジタンの出で立ちは、前日のチェキータ達に合わせた、黒尽くめの戦闘服であった。左膝が肌色と赤黒い色に染まっている点を除いても、十分に怪しい姿だった。ヘリを堕とした側の兵士に見つかれば、まず無事では済まないだろう。運が良ければ捕虜として拘束されるかもしれないが望みは薄く、既に敵対関係にある以上はほぼ確実に尋問の後で射殺されることだろう。
敵との遭遇が移動に伴う危険の最たるものだったが、ジタンはこのリスクを踏まえた上での移動を決定した。既に、最後にキャスパーから受けた<先行して基地に向かう>という指令は有名無実に等しい。これはヘリが墜落してから20時間以上経過しているにも関わらず、チェキータ達のヘリが捜索隊として墜落現場上空を旋回していない、という現在の状況から判断できる。つまり、ガスードは完全に下手を打ったのである。基地とHCLI社の間に契約を結ぶことは、基地責任者の総意ではなかったということだ。
だが、最寄りのランデブーポイントを選定した場合、事前にオモテのジタンが見た際の記憶に照らし合わせれば、最寄りの安全で開けた場所は半径10km圏内に存在しなかった。目的地だった基地を除いて。
敵地だったが、地上基地までの1km未満の道のりと安全地帯までの10kmを越える道のりを考慮すれば、正確な方位まで把握している敵地に向かった方が、今のジタンにとっては賢明な判断だった。
なぜならば、連絡手段のない現状で行動半径の拡大は、捜索隊による発見を遅らせ、かもすれば発見が遅れることで致命的な感染症に罹患する恐れをも高めてしまうからだ。ほぼ賭け事に等しい決断だったが、最悪、虜囚としての待遇を覚悟してでも基地を目指すべきだ、とジタンは考えた。
決断するが早いか、ジタンは木に手を肩を恃みにしつつ、方位磁針に従って一路北上を開始した。約5時間半で1kmを走破する頃、目の前に森林の終わりが現れると、彼は道中で拾い集めた丈夫な蔓と落枝で患部を固定し、太く長い木の枝の杖に体重を預けて立ち上がり、森林と未舗装の道路を挟んで遠望される地上基地へと向けて、更に行軍を速めた。
ジタンが基地を視界に納めて間もなく、彼は基地の手前の森林に敷かれた未舗装の道路から一定の距離を保ちつつ、ここに来て歩行での移動を断念した。
息や焦燥を殺す努力は感じるが、それ以上に鋭い気配が首の後ろでチリチリと騒いだのである。よく訓練された兵士の存在を敏感に感知したジタンは、周囲を二度見回してから焦ることもなく緩慢にも大地に伏すと、左足を体の後ろに放り出し、健在の右足を前に進む為に胴体と地面の間で擦りながら、やや上体を起こす匍匐の姿勢で前進を再開した。
匍匐で進み始めてから数分後のことだった。けたたましい銃声と共に、木々の隙間を飛び交う、低く唸るような音が耳元に残った。流れ弾だった。
流れ弾の飛来より早くから頭を低く下げて木陰に隠れたジタンが目を凝らすと、彼の先ほどの予測が的中していたことが証明された。銃撃戦を展開していたのは、どうやら地雷除去戦車を伴った山岳兵と、2か3台の軍用トラックを運転していた武装集団のようだった。ジタンの張り詰めた感覚に引っかかったのは山岳兵の方だったらしく、その動きは無駄が無い…いや、特殊な訓練を積んできたというよりも、森林や山岳地形での戦闘に慣れている様であった。装備にしても周囲に溶け込むことを前提とした迷彩を纏っており、何より状況から推測してお手本通りの伏撃を展開したことが伺えた。
ジタンは山岳兵側に実戦経験豊富な指揮官、しかも中隊、大隊長クラスの存在を予想し、10分足らずで制圧された軍用トラックの武装集団が実戦経験に乏しい警備の域を出ない兵士、或いは山林地形での戦闘経験が貧困な警察官や一般兵あがりの傭兵で構成されているであろうと予想しつつ、戦況を見守った。
戦闘が山岳兵の一方的な掃討戦に移行した頃、一人だけヘッドギアを装備していない黒髪の男が現れた。トラックや死んだ兵士を指で示しつつ、何か指令を出していることが伺えた。トラックの積み荷がアメリカ製の銃だということまでを茂みの中から見聞きしてから、ジタンはこの男を先刻の伏撃の指揮官だと仮定し、この場から静かに離脱しようと動き出した。