穢れなき虜囚   作:ヤン・デ・レェ

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just a MAN but a HERO その2

誰にも気付かれることなく、ジタンが匍匐で森を迂回し、基地に向かおうとした時、彼の耳元にまたしても騒音が届いた。

 

「ひぐッ…ぐす…ウワァーン!」

 

銃声ではなかった。ならば、そのまま進もうという所だが、この時ジタンは頭を低くして進むのではなく、勇壮にも立ち上がったのである。むくりと起き上がった男の表情はいつも通りの淡々とした真顔だった。だが、目に見えて青筋がジタンの額に隆起していた。赫怒の表れである。

 

ジタンの怒りを説明することは容易かった。何故ならば、聞こえて来たのは、幼い子供の悲痛な声だったからだ。

 

むっくりと立ち上がったジタンの10歩先で繰り広げられていたのは、端的に言えば外道の行為であった。

 

「さあ、進むんだ。一歩一歩、摺り足で進め。足の裏の感触をしっかりと、確かめながらだ。さもないと、こいつの頭を吹っ飛ばす。次はお前だ…わかるな?」

 

拳銃を少年の頭に押し付けたスーツ姿の男が、少女を脅して地雷原を歩かせていた。子供達はどちらもまだ幼い。黒髪の少女の頬にはガーゼが当てられており、帽子を被った少年の肌の見えるところにも生傷が見えた。子供達は二人とも泣いていた。地雷原を歩かされている少女はしゃくりあげては、後ろを振り返った。少年を見つめる少女を見ると、煙草を口に咥え、火をつけるばかりだったスーツ姿の男が、これ見よがしに少年の頭に銃口を押し付けた。

 

スーツ姿の男は時折子供たちの後ろで小太りの男と言葉を交わしており、男のことを副司令と呼んでいた。

 

ここに来てジタンは合点がいった。副司令、基地の副司令の後ろ盾を得たと言っていた男に一人心当たりがあったからだ。

 

つまり、電話と銃を持ち、ふてぶてしくも子供を追いつめているスーツの男が、よりにもよって件のユスフ・ガスードであった。ジタンの全身がぎちぎちと音を立てて軋む。瞳孔が収縮したり散大を繰り返した。口元は張り裂けんばかりに力が籠った、一文字を描いている。分厚い気配が匂い立ち、少女がまた一歩踏み出すのに合わせて、ジタンの左足がその重傷をも厭わずに一歩踏み出した時だった。

 

先刻の黒髪の指揮官と思しき男が、声を張り上げて子供たちの前に現れたのだ。

 

「マルカ!!モーリス!!そこから動くな!!」

 

「しれいかん!」

 

鬱蒼とした森林の中で、野太い男の頼もしい声と、か細くも希望を見つけた少女の声が響いた。まだ、ジタンの姿に気づいた者は居ない。両者ともに、目の前の状況を解消することに夢中なのである。

 

しれいかん…司令官…ということは、黒髪の男の方が基地の最高責任者と言うことで合っているらしい。だが、そうなるとガスードはやはり相当にヘマをしたということになる。見るからに人望の無いデブに媚びを売るとは…失望を通り越して呆れるばかりだった。キャスパーが聞けば「芸人に向いてる」と言い、笑い飛ばすことだろう。

 

だが、現状は芳しくなかった。突然のヒーローの登場に現場に静寂が満ちたのも束の間、司令官の背後にある銃が満載された軍用トラックと、その下で横たわる兵士の死体を眼に入れるや、ガスードがずかずかと地雷原に数歩踏み込み、司令官に向けて口角泡を飛ばして激高し始めたのである。

 

「おいおいおい、俺の部下皆殺しかよ…ジジィ!てめぇ、指一本でも俺の商品に触れてみろ!ぶっ殺してやる!」

 

ガスードが司令官に銃口を向け、冷静さを失ったのを皮切りに、副司令と呼ばれていた司令官と同じ軍服を着た小太りの男も、部下に対して司令官に銃口を向けるように命令を下し始め、司令官側も狙撃の為に四方八方から山岳兵の鋭い殺気がガスードや副司令を貫いていた。当人たちは狙われているとは理解できても殺気には気づいていなかったが。

 

「おい!なにボサッとしてる!撃て!司令を撃たんか!」

 

「し、しかし!!」

 

ガスードが喚くのに合わせて我を取り戻した副司令が部下に命令した。だが、兵士は銃を向けても撃つことが出来ない。一触即発の緊張状態を維持しながら、膠着する一瞬の間に、司令官と副司令官の舌戦が始まった。

 

「その男に従うな!このッ…欲に溺れたブタ野郎め!!」

 

「なんだと!クソッ!基地は保育所じゃねえ!イカレじじぃめ!」

 

互いを指差しで罵り合うも、本気で舌戦に参加しているのは副司令だけである。舌戦の背後で司令は目線を子供たちに向けては、部下に目配せを送り、少しずつガスード達を包囲する準備を整えていた。

 

「クソッ…クソッ…ああ、もう滅茶苦茶にしやがってぇぇ!!テメェの所為でキャスパーが死んでたらどうしてくれる!!」

 

「武器商人の口車に乗せられやがって!おい!武器商人!子供達が先だ!子供たちを安全な場所に移動させたら、そのあとで何でも話を聞いてやる!そこのブタ野郎じゃない、俺が改めて聞いてやる!だから、まずは子供たちを!」

 

司令官の視線や態度で自分の話をまともに取り合われていないことに、副司令が癇癪を起こし、拳銃まで抜いて威嚇する。状況が悪化の一途をたどる中で、ガスードのすぐそばで震えながらしゃがみ込んだマルカと呼ばれた少女を見遣りながら、司令官はガスードに懇願するように言った。

 

だが、副司令もガスードも、初めから議論する気などなかった。

 

「うるせぇ!このクソジジィが!」

 

ガスードは苛立たし気に口に咥えた火のついていないタバコの前で一向に火のつかないライターを擦っていたが、司令官からの提案に神経質な声で返し、携帯のアンテナで突き刺す様に司令官を指しながら一歩踏み出した。

 

「おいデブ!早くッ!コイツを撃ちやがるぇッ!?」

 

<<バンッ!!!>>

 

踏み出した瞬間だった。カチリという音と共に、ガスードの足元に埋まっていた跳躍地雷が地面から勢いよく飛び上がったのである。

 

「な?え?あ……。」

 

地雷の跳躍に弾かれ、片足を空中に遊ばせたガスードがポカンとした表情で、そう言葉を漏らした。僅かな、ほんの僅かな滞空時間。死に直結する数瞬間の行動猶予において、その場にいる誰もが目を見張り、息を呑み、屈んで伏せて、我が身を守ろうと、あるいは何もできずに身を固くしていた。

 

沈黙と灰色の視界が全員に共有され、脳の演算能力を置き去りにして、道徳も倫理も置き去りにして、ガスードの肉体は本能のままに直ぐ傍にいた少女に、マルカに手を伸ばした。

 

一息に殺してしまえそうな、それほどの馬鹿力でマルカの首を鷲掴み、宙に放った。目と鼻の先で燃え滾り、鉄屑の殺人粒子をまき散らさんと膨れ上がる跳躍地雷とガスードは、マルカという一枚の壁を以って隔てられたのだ。その壁が、生と死を分ける壁でもある。

 

 

マルカの見ている世界は、酷く緩慢で、静かな世界だった。人が生きている間に見ることのできる物のなかでも、恐らく最も貴重で、最も恐ろしい世界だった。生と死が繋がってしまった世界が、マルカの痩せていて小柄で、それでも温かい体に宿ってしまった。呑み込まれてしまった。

 

首にガスードの手が掛かるが早いか、グエっと圧迫された喉からうめき声も上げられず、最期の一呼吸も終えないうちに、足が地面から離れた。落ち葉がまだ舞っている。円運動をしながら、旋回しながら落ちていく。マルカと一緒に。

 

ツンと痛む鼻の奥。たすけて、そう叫びたくてもがっちり握り込まれたガスードの腕の所為で声が出ない。えー…えー…と音のない声を上げた。誰に聞こえていなくともマルカは声を上げた。

 

 

ゆっくりと涙で滲んでゆく視界には三つの顔があった。

 

一つ目は鬼の様な醜悪な形相のガスードの顔。

 

二つ目は自分に手を伸ばす蒼褪めて必死なしれいかんの顔。

 

そして三つめは…死の恐怖を一瞬忘れてしまうほど美しい、見知らぬ男の人の顔だった。

 

 

 

 

マルカの背後で眩い閃光と共に鉄屑が吐き出される瞬間、ガスードから3歩の位置にあった茂みの中から黒い影が飛び出した。その影は残像と共に鋭く、死ぬばかりのマルカの背後に回り、彼女を呑み込む様に抱きしめると、マルカの首に伸びるガスードの腕の筋だけを切断した。

 

ガスードの胸を足場にして、反発を利用するや影はマルカを胸に大事に大事に抱えて、跳躍地雷の<直下>で小さく丸まった。

 

瞬間。炸裂。

 

赤とオレンジと黄色の眩い閃光と黒々とした散弾が周囲を横薙ぎにした。光と共に熱が噴き出し、しがみつくマルカを抱いた影の背中をこんがりと焼いた。

 

だが、跳躍地雷の直下を除き、無傷のものはほとんど存在しなかった。

 

無数の小さな鉄の粒が秒速数百mで、衝撃波と共に人体に突き刺さるのである。撃ち抜かれた肉体が無事なわけが無く。真正面から受ければ、重要臓器は無論、眼球を含む粘膜部分もまた無事では済まない。焦げ臭いにおいと、血の匂いが充満する森林の一角において、そのあまりの惨状に即座に再起できるものは、無傷であれ皆無であった。

 

マルカを抱いて守った、影の存在を除いて。

 

 

 

 

マルカも、地雷から離れていたもう一人の子供のモーリスも、二人とも奇跡的に無傷だった。

 

煙や燃えカスが燻る惨劇の血だまりで、体を起こした影はゴプっと泥のような血を口から吐き出した。

 

ずるずるに焼けただれた背中の肉が木霊すような鈍痛を全身に伝えていたが、影は背中を気にした素振りも見せずに、腕の中の少女、無傷のマルカに目を遣った。

 

身体を小さく丸めて声を殺し、ぎゅっと口と目蓋を噤んで泣いていたマルカは、いつまでもやってこない痛みに訝しみ、恐る恐る薄目を開けた。

 

「…あ。」

 

「……よかった……」

 

目蓋を上げると、そこに居たのは恐ろしいガスードでも、頼もしい司令官でもなく、三つ目の見たこともない顔の男だった。男は黒尽くめで、頭からも足からも血を流していて、指の先まで全身傷だらけだった。初めて会う人なのだから、とても恐ろしい筈なのに、マルカはこの男を恐ろしいとは思わなかった。はにかんだ表情が愛らしい、うっとりするほど美しい相貌の男に、マルカは見惚れていた。まるでお伽噺の王子様か、優しく守ってくれる神様のようだと。

 

「……痛い、所は、ないか……」

 

「ぇ…は、はいっ…あ、あの…」

 

「マルカ!マルカーー!」

 

むわっと血が臭うが、マルカにはさっぱり気にならなかった。そんなことよりも、目の前で優し気に微笑んでくれる男のことを少しでも長く見ていたいと切に思った。細い脚や腕を気遣わし気に触れられる。いやらしさなんて、あるわけが無い。優しい手つき、温かくて、マルカは両親の事を思い出した。

 

マルカの意志とは関係なく、手がゆっくりと伸びて、男の傷だらけの顔に、頬に、唇に指が触れた。ヌトっと黒々として熱い血が指の先に着き、マルカは男のことが途端に心配になり、声を掛けようとしたが、彼女が声を出す前に少年の声が聞こえて来た。

 

帽子を被った少年がマルカに泣きながら抱き着いた。

 

「うわぁあああん!よがっだよぉぉ!」

 

「モーリス!モーリスも、無事でよかった!」

 

抱き着かれたマルカも、モーリスと呼ばれた少年の無事を心底喜んでいた。

 

二人が落ち着くまで見守ってから、男は鼻を啜る少年の体に慎重に触れながら、身体に違和感は無いかと二度三度聞いた。

 

「……君は、どこか、痛いところは、無いか……」

 

「えッ!?あ、あ、うん…大丈夫だよ。その、マルカは!マルカはケガ、してないの!?」

 

気遣わし気な男にモーリスは驚いたが、されるがままにケガの無いことを確認されてから、ポーっと男を見つめて微動だにしないマルカに声を掛けた。

 

「……」

 

「マルカ!ねえ、大丈夫?」

 

「ぇ?…あ、ぅん。大丈夫、だよ?」

 

「よかったぁ、よかったよぉ…。」

 

「ありがとう、モーリス…。」

 

モーリスの声に一度では反応しなかったマルカも、身体を揺さぶられれば流石に気づき、きょとんとした表情で、正面から飛び込んできたモーリスを抱きしめた。

 

「うん!うん!アッ…で、でも、あの、その人、誰?マルカの知ってる人?」

 

マルカの胸で泣いていたモーリスがふとそんなことを言うと、マルカは首をゆっくりと横に振った。

 

「ぅぅん。でも…助けてくれたの。」

 

「……そっかぁ。あの…。」

 

マルカは男の方を向き、目が合うと耳まで真っ赤にして俯いてしまった。モーリスはマルカを助けてくれた男が何者なのか見当もつかなかったが、会った時から傷だらけ血だらけで怖いはずなのに、表情は柔らかく、声も両親が諭す様に優しかったから、ガスードや副司令よりもずっと素敵だと思った。

 

素直にありがとうと伝えたい。そう思いモーリスがもじもじと、名も知らぬ男と目を合わせると、男は切れ長の目を垂れさせて、内緒話をする時みたいに、手を口元に立ててモーリスに言った。

 

「……ジタンだよ……」

 

「…え?」

 

「……俺の、なま、えは…ジタンだ、じたん、コッポラ……」

 

上目づかいで、くりくりとした目を開き、ぼんやりと口を開けて、ジタンの言葉を噛み砕いたモーリスは、愛らしい笑顔を浮かべて自信一杯に頷いた。

 

「うん!ジタンさん!マルカを、助けてくれてありがとう!」

 

「あの、ありがとう、ございます。でも、そのせいでケガが…。」

 

モーリスは元気いっぱいに、抱き着きながら。マルカは目を伏せて、唇を申し訳なさそうちょみっと尖らせて、泣きそうな顔で。二人の子供たちはこの得体の知れない男に、全く健気にもありがとうと言ってくれた。ジタンは血が垂れる頭に手を遣り、髪をかき上げながら重い息を吐いた。痛みの種類が、重く響くようなものから、全身を切り裂いたり焼いたりするようなものに変わって来たのだ。

 

「………ぁぁ…し、心配いらない、さ……」

 

だが、アドレナリンの枯渇により、大の大人でも泣き叫びそうな激痛を露ほども悟らせず、だらだらと滲み浮かぶ脂汗を拭い払ってジタンは涼しい顔で子供たちに言った。だが、子供たちとて戦場の孤児である。現実の非情さは嫌と言うほど思い知っている。ジタンのやせ我慢などお見通しなのだ。

 

「…じたんさん?ねぇ、ヒッ!背中、酷いケガだよ!」

 

くるりとジタンの背後に回ったモーリスが鼻に掛かった泣きそうな声を上げると、マルカはジタンの手をテディベアを抱くように、大切そうにギュッと抱いた。ジタンの眼が細められ、潤んでキラリと瞬き、口元はギュッと噤まれたかと思えば、我慢ならずに波打った。モーリスとマルカの円らな瞳がジタンを、痛いほど優しく見つめていた。

 

「……ぁあ、なんてことない。さ、基地に、行こう、俺も、基地に、用事があるんだ……」

 

ジタンは顔を二度、三度、ごしごしと拭ってから、近くの木の根元まで右足と両の腕で這い寄ると、木の幹に手を肩を預けて、右足に力を込めて立ち上がって言った。

 

ぜいぜいと荒く熱い息を吐きながら。片目を瞑って見せると、モーリスとマルカが木の杖を持ってきてくれた。杖を恃みにして、砕けた膝と剥き出しの骨から、血が止めどなく伝い落ちる左足を引きずりながら、ジタンは再び歩き始めた。道中で、ついさっき放り投げたバックパックを背負い直し、手招きする彼の隣を、モーリスとマルカは寄り添うように歩いた。

 

 

 

 

 

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