眼前にはまだトレーナーがつかない生徒たちが、三々五々練習に励んでいた。
「おーい、そこの生徒! 練習始める前にちゃんと準備運動しなさい」
僕がやることといえば外ラチに凭れ掛かり、缶コーヒーを飲みながらのんびりと生徒たちを眺め、時々生徒たちが危なっかしいことをするから注意することくらい。
ただ、問題があるとすれば、生徒たちがいうこと聞かないことだろうか。
特に、負荷が強過ぎる気がする練習をしているウマ娘たちが。
「そこの影の右耳リボン! ああ、君じゃなくて奥の方! ちょっとくらい休憩した方がいいよ!」
もちろん教師に言われていることなので表面では従う。あくまで表面は。
なぜか耳もいい僕には、彼女の口から「教師のくせに口出しするな」というありがたい言葉を受ける。
まあ、そうだわな。
「あれ? イナナキ先生が今日監督? なんで?」
「ほんとだ。なんで? 教師なのに」
「ああ、君たちか」
遅れてやってきたのは僕が受け持つクラスの生徒たち。確かまだ担当がついていない子だ。
「トレーナーの資格持ってるとか?」
「持ってないね」
「んじゃあどうして?」
僕もわからない。と素直に答えてみんなで笑う。
「私たちさぁ、まだ担当いないんだよねー。でもさー。今度模擬レースあって」
「今度こそ担当見つけるんだ! って頑張ってんだけど、なかなかタイム上がらなくて」
「イナナキせんせー見てくれない?」
「見てくれないって言っても、素人だよ? 僕は」
いいのいいの。なんて言いながら準備運動を始める生徒たちは、僕にストップウォッチを押し付けた。マジかよ。なんていう暇もなく3人はターフに入る。
「とりあえず先生のところまで一周、合図してー」
仕方ないので、よーい、どん! と気の抜けた合図をスタートに彼女たちが走り始めたのだが……。うん、なんというか、自分のフォームに比べてにはなってしまうが、拙い。
足の出し方。地面への着き方。姿勢。コース取りとかは正直わからないけど、まあうん。って感じ。だと言って良くする方法なんてわからないんだけど。
約2分半。多分3分かからないくらい。あの日の夜の自分の走りとは大体2〜30秒遅い彼女たちの走り。思うに、担当がついているついていないの話ではなく、これは彼女たちが持つスピード、パワー、スタミナといった基礎的な部分がかなり低いということ。
一周し、肩で息をする3人に僕は拍手をしながらナイスランと声かける。
「ハァ、ハァ……。んで、先生的に、どうすれば早くなると思う……」
この子達は、なんて子なんだろうと思う。
現状に満足していない。同級生、同じクラスの中で遅れ始めている自分たちに焦り、上を目指している、ギラギラとした目をしている。
ただ、そんな彼女たちの問いに返せる答えは持っていない。なんせ彼女たちに話した通り自分は素人だ。正直、この体を持て余している自分では、自分の走りの言語化もできない。足を踏み込み、腕を振り、特に何かを意識して走っているわけではない自分に何をあげれるのか。
「なんだろうなぁ。軸を作る。とかかなぁ。僕は素人だしなんともいえないけど、この前みんなに教えてもらったウマ娘たちは、体の軸が直線もコーナーもブレてなかったよ」
彼女たちが向こう側を走ってる時に前を通って行った、赤いマスクの学生とかがまさにそうだ。軸が綺麗に保たれたままコーナーに入って行っていた。
ぶれかー。なんて言い合う彼女たちに僕はいいアドバイスは送れただろうか。
とりあえず、ストップウォッチを返してみる。
「えーと、スポーツとかあんまりだけど、バランスボールとかを日常的に使うとかで上手いことできないか? 走る時と止まってる時で意識だったりは違うけど、根本的なところは一緒な気がするし……。なんだっけ、体幹?」
「おっけーおっけー。とりあえず教官に今度相談してみるわ」
「ありだね。確かに」
残っていた缶コーヒーを煽った僕は、ゴミを捨てるためにターフから一度離れる。
指導的なことねぇ。あいにく興味もないしなぁ。
自販機の横のゴミ箱に空き缶を入れる。
「イナナキ教諭。先ほどのアドバイスは見事ですね」
「ふぇ?」
あ、いけない。急に女性から声をかけられて変な声が出てしまった。
パッと顔を見れば、ポニーテールにまとめたスーツ姿のオシャレさんがこちらを見ている。胸元にバッジが付いていることと、職員室で見たことがないことから想像するに……。
「トレーナーさん?」
「すみません。チームリギルのトレーナーの東条です。あなたのことは沖野から……。黄色い飴を咥えたトレーナーから聴いてます。イナナキ先生」
これはご丁寧にどうも。と彼とは全く違うスタンスの彼女に驚きつつ、多分こっちが普通だな。と当たりをつける。
「それで、見事っていうのは?」
「ああ、すみません。たまたま近くでチームの練習をしていたのもあって、貴方がそ彼女たちにしていたアドバイスを聞いてしまった。ただの教員としては的確であり、手っ取り早く早くなる方法を見抜いていたなと思い、思わず声をかけてしまったのですが、今時間はよろしいですか?」
「非担当たちの子を監視しないといけないので、それをしつつでよければ」
なんか最近、トレーナーたちと話すなと思いつつ、僕たち二人はターフの方へと戻る。
「スポーツとかはしていないというのは本当ですか? スーツの上でもわかるくらい短距離の陸上選手のような筋肉ですが」
「沖野トレーナーにも言われましたが、スポーツはしてないですよ。見てもないし、今はまだ生徒たちに教えてもらってます。あ、そこの奥で坂路走ってる君! そう君! いつまで坂路走るの、せめてトレーニングルームなりプールなりにしといた方が、オーバーワークになるよ!」
「ほら、やっぱり的確だ」
「まあ、的確だとしても、僕がここにきた時から5〜6本登ってたら止めるでしょう。本人は聞く気なさそうですが……」
まあ、トレーナー資格も持ってないただの教師に言われても、誰も守る気はおきねぇわな。こんなんだったら引き受けなきゃ良かったわ。
それにしても、この子達はよく走るな。
才能がある子ならすでに担当を捕まえていて、一部早熟な子であれば中等部の時点でデビューしている。本格化が来ていない、なんて自分を騙していても、明確にデビュー期限があるわけだ。
たぶん、僕なら辞めてるね。うん。
「ここにいる子達は、全て地元じゃ連対し続けていたような素晴らしい子達だった。どんな子と走っても負けず、天狗になる。デビューして一勝はできる。そう思って入学してくるんです」
「でも、現実は甘くないはずだ。じゃなければ、昨日まで教室に来ていた生徒たちが辞めることはない」
「そうです。誰しもここにいる非担当ウマ娘たちのように、上だけ見続ける事はできない。辞める子もいる。転校して地方のトレセンに入る子もいる」
まあそうだよなぁ。どんだけ汗をかいて走り込んでも、歯を食いしばってベンチしても、才能の一言で負け続けるんだから、どうしようもないわな。
「でも、いつか彼女たちはあなたのことを思いますよ。ただの素人教師に言われた休めの一言を思い出すんです」
「どういうことですか」
「いや、支離滅裂なことを言いました。忘れてください。ただ、あなたが少しでも彼女たちの未来を見てみたいと思うなら、少しでも良いのでトレーニングに関する本を読んでみてください。彼女たちにとって普通の女の子でいられる時間は、授業を受けている間のごくわずかしかない。そこを離れればアスリートとして見られるんです」
彼女は続けた。
さらには担当もいない。そんな時に、唯一みんな同じただの学生である時間に頼れる、教師という立場の存在がアドバイスをできれば、彼女たちが諦めることも少なくなる。と。
トレーニングの勉強ねぇ。
「自分が走れねぇのに意味ねぇよ……」
「なにか?」
「いえ、特には。そうですね。何か生徒から相談されるかもしれませんし、今度図書室で何か見てみます」
◆◇◆◇◆◇◆◇
「グラスグラス! エル聞いちゃったデス!」
「どうしたんですか?」
「イナナキ先生、自分が走れないって言ってたデース。あれ? でもなんでそんなこと言ってるデスか? イナナキ先生自己紹介の時、スポーツはしてないって言ってたデス」
「エルちゃん。人には秘密にしたいこともあるので、あまり気にしちゃダメですよ? でも、あの的確なアドバイスに関しては不思議ですね……」