11月15日。今日は祝日だ。学校は無い。普通の学生はゆっくりと起きる日だろうが、俺は道場に行くことになっている。普段から早起きなので、そこまで苦痛じゃない。
「波動」。全くの未知の世界だった。空想でも何でもない、現実の世界の話だった。確かにあの感覚は、普通の人間の世界にいては感じることのない、超越的な何かだ。そして俺は、これからそんな世界に足を踏み入れる。
ただの街道場だと思っていた。でも、そんなものではなかったのかもしれない。「
朝食を済ませて、家を出る。当然、学校に行くのではないので、リリィは待ってはいなかった。
リリィは、「波動」を知ったらどう反応するのだろうか。作り話だとして笑い飛ばすだろうか。本気で信じるだろうか。いずれにせよ、あまり人に話すべきことではないだろう。
「今日は一段と冷えるな…」
天気は悪く、曇っていた。一面に広がる曇天からは、今にも雨の雫が落ちてきそうだ。一応、雨は振らないとの予報だが、念のために折り畳み傘を鞄に入れてから家を出ていた。
道場は家から歩いて30分の距離にある。遠いと言えば遠い。俺は体を温める準備運動がてら、ジョギングをしながら行くことにした。
いつも通る道路。いつも通る商店街。早朝ということもあって、人の気配はあまり無かった。広い道も、人がいなければただ寂しい感じだ。何だか、世界に自分しかいないかのような、奇妙な孤独を感じた。こんな気分になったことはあまり無いので、自分でも不思議だった。今日は何故か、神経質になっている気がする。「波動」が関係しているのか。街もあと数時間もしたら、徐々に賑やかになるのだろうか。
特に、知り合いと会うこともなくジョギングは続いた。少しずつ体は温まり、肌寒い気温も気にならなくなってきた。それに伴って、少ししょんぼりしていた気分も、元に戻った。あんな気分になるなんて、柄じゃないかな。後数分もしたら、道場に着くだろう。気持ちを切り替えなければ。今日からの修行は、今までよりも真剣に取り組まなければならないだろう。
そして、ついに道場へと到着。古びた扉を開き、挨拶をした。
「おはようございます!」
シモン先生は、俺に背を向けて瞑想をしていたが、俺の声に反応して振り向いた。
「やぁ、レイス。おはよう。今日は冷えるね」
「はい。でも、ここまでジョギングして、体を温めてきました」
「いい心掛けだ。じゃあ、準備をすませてくれ」
今日は休日だったので、制服ではなく、はじめから稽古用の服装できていた。ズボンだけは、半ズボンで出歩くとかなり冷えるので道場で着替えることにしたが。早急に準備を整え、先生に声をかけた。
「では今日から、『波動』の修行を始めるよ」
「よろしくお願いします」
先生は、修行の前に「波動」について少し補足説明をした。
「想像は出来ると思うけど、『波動』の存在は一般的には知れ渡っていない。誰もが持つものだが、自在に操れる者は非常に少ないんだ」
「昨日、インターネットで調べてみても、何も出てきませんでした。オカルトみたいなサイトしか…」
「うん。普通に聞いたら、オカルトとか創作の類いだと思われるだろうね。だから、学校の友達だとか、家族だとかに伝えてもあまり意味は無いと思うよ」
やはり、伝えない方が良いようだ。俺だって、実際に体験しなければ信じられない話だった。
「それと、この道場の流派…『聖煌流』について調べてみても、何も分かりませんでした」
「うーん、そうだねぇ…」
先生は考えるような素振りを見せた。何かあるのだろうか。
「今まで、俺は流派の名前すら知りませんでした。先生に聞いても、『時が来るまでは教えられない』と。昨日が、その『時』だったんですか?」
「…その通りだ。聖煌流は、波動を操ることを本質とした流派。さっきも言ったように、波動は一般には知れ渡っていない。波動について知ってもらうまでは、名前は伏せておいた方が良いと思ったんだよ」
だから、流派の名前を教えてくれなかったのか。でも、そこまで隠す必要があったのだろうか?調べても、どうせロクな情報は無かったんだし、そんなに秘密にしておくことも無かったのではないかとも思える。
だが、もう先生の言う「時」が来たようなので、考えるのは止めた。
「前置きこれぐらいで良いかな?」
「はい」
気持ちを修行モードに切り替える。一般人は分からない程の力を学ぶのだ。中途半端な気持ちで臨んではならない。だから、波動や聖煌流について、湧き上がる疑問は全て切り捨てた。
「よろしい。では、昨日の続きから始めよう。波動を体から放出する感覚は、昨日見せた通りだ。でも、放出させるだけが波動ではない。体の各部位に集中的に纏わせ、それによって肉体を強化させたりも出来る。…まぁ、しばらくは波動を自在に出し入れ出来るように訓練しよう。昨日のように、波動を練ってみせてくれるかな?」
「はい。やってみます」
昨日の感覚は、鮮明に覚えていた。というよりも、実は家で何度か練習した。最初は手こずったが、今は自然に波動を練られるようになった。体から湯気のように波動が湧き出した。
「うん、中々良いね。家で練習したのかな?」
先生はお見通しだったようだ。
「はい。寝るまでずっと練習してました」
「素晴らしい向上心だ。根本的な所は、もう大丈夫みたいだね。じゃあ次は…」
ここから起こることを、俺は生涯忘れることはないだろう。
道場の門が開いた。
「ん…?」
俺も先生も、奇妙に思った。道場に出入りする者は、俺と先生の2人ぐらいだった。
門を開いたのは、男だった。髪は白色。年齢は先生と同じくらいに見える。そして、鋭い目つきだった。
「君は…まさか」
先生の表情が変わった。目を大きく見開き、明らかに驚いているのが分かった。
「コールか!?」
「久しぶりだなぁ、シモン」
男は、「コール」と呼ばれていた。知り合いのようだが、どうも雰囲気が淀んできた。
「あの時くたばったと思っていたが、こんな所でコソコソ生きていたとはな」
コールは、どこか蔑んだ表情で先生を見据える。
「…君の方こそ、無事でいたんだね」
「おかげさまでな」
コールは吐き捨てるように言った後に、口を歪めた。
「あの、先生。この人は…」
「あ、あぁ。かつて、私と共に修行をした男だ」
「そのガキは弟子か?まさかお前が弟子なんぞ持つとはな」
先程から、コールの言動には棘があった。先生に対して、何故こうも攻撃的なのだろうか。
「なぁ、シモン。俺は、聖煌流で修行したことを後悔してんだぜ。あんなことになるんなら、俺は波動なんて学ばなかった。そして、俺が波動の道を歩むことになったのは、お前のせいだ」
コールは、先生のことを睨みつけた。話の内容が全く掴めなかった。
「俺たちに才能なんて無いのによ。なのに、落ちこぼれのお前はやる気だけはいっちょ前だった。あの若き日の俺は、お前のご立派なやる気に影響されちまった。思えばあん時、手を引いておけば良かったんだろうな」
「私は…私は武の道に進んだことを後悔していない。波動が悪だったんじゃない。波動の使い道を誤った、人間の心の弱さこそが、あの惨劇を引き起こしたんだ」
「ふん。ナイフに罪は無いってか?俺からすれば、ナイフも、それを使って刺してきた野郎も、どっちも憎いんだよ」
コールは、道場の中に足を踏み入れた。
「そこでだ。身も心もズタズタにされた俺は、あることを考えた。もう好き勝手生きようってな。聖煌流だけじゃない。世界中の波動使いたちにも、俺と同じように思ってる奴らがいるんだぜ?波動なんてのは所詮、破壊の道具だったんだよ」
「何…?まさか、君は…」
先生の顔が険しくなる。
「でだ、ようやくお前の居場所を突き止めた。俺は、過去の俺と決別するために、お前を殺す。そして、こっからは自由に生きるんだ」
今、何と言った?俺の思考が停止した瞬間、コールの姿が消えた。
「!?」
コールは、先生の顔面に拳を突き出していた。先生は、それを受け止めていた。腕には血管が浮き出ており、相当力んでいたことが分かった。
「ほお、流石に止めたか。細々と修行を続けていた甲斐かな?」
「君の拳は…弱くなったな。あの時の君は、もっと力強かった…!」
「ふん、所詮俺らなんてその程度なんだよ」
「…!レイス、ここから離れろ!」
コールは、もう片方の拳を突き出した。その勢いは凄まじくて、道場の壁に大きな穴を空けて、2人は道場から消えた。
「え…?」
何なんだ、これは。一体何が起きているんだ。2人が、突然闘い始めたのは分かる。だが、一瞬にして道場はボロボロになった。たった2回のコールのパンチでだ。2人がどういう関係で、昔に何があったかは分からない。何故闘っているのかも分からない。
だが、一つだけ分かることがあった。それは、このとてつもない破壊が、波動によってもたらされたということだ。コールは、自分を波動使いだと言った。そして、先程の攻撃も波動によるものだったに違いない。
これが、「波動」なのか。この破壊的なパワーが、波動の真髄なのか。
俺は、そのまま立ち尽くすしかなかった。
☆
シモンとコールの闘いは、熾烈を極めた。コールは自身のことを「所詮」や「その程度」と評しているが、あくまで波動使い。それも、何年も修行を重ねてきた男だ。通常の人間の身体能力とは、天と地ほどの差がある。シモンとて、それは同じ。一般人からすれば超人と言える2人の闘いは、街で行われるには激しすぎた。
コールが突けば、シモンが弾く。シモンが突けば、コールが躱す。2人の実力は拮抗していた。互いの攻撃の余波は、建物の窓ガラスを割り、アスファルトにはヒビを入れていた。街の人々は、その場から逃げ惑っていた。
「はぁ…はぁ…何故闘うんだ!私たちは、同胞じゃないか!私はこれ以上、同胞の傷つく姿は見たくない!」
「同胞か…。ケホッ」
コールは血反吐を吐きながらも、シモンを笑い飛ばした。
「あの日から、俺たちは散り散りになった。毎日毎日、奴に殺されるんじゃねぇかと怯え、逃げ惑う日々だった。俺はてめぇを恨んだぜ。そんなてめぇに、同胞なんぞと呼ばれる筋合いはねぇ!」
コールは、シモンの腹を目掛けて全力のパンチを放った。
「ぐっ!」
シモンは両手でそれをガード。かなりの痛みが走ったが、何とか勢いを止めた。そう思えた。
「甘いぜ…!」
シモンは、拳に波動を全集中させた。突きの勢いは増し、そのままシモンは上空へと押し上げられてしまう。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
シモンを殴り飛ばしたコールは、再び拳に波動を集中させ、地面を勢いよく殴りつけた。大粒の瓦礫が飛び散り、宙に舞う。
「こっからだ」
「波動」は、生命エネルギー。生物は皆、身に宿す。そして、修練によって波動を練ることができるようになれば、その身体能力は飛躍的に上昇する。だが、それは波動の真髄の半分に過ぎない。波動の真髄のもう半分は、波動によって人間が編み出す特殊能力。魔法や超能力のような特殊能力を、波動によって操ることが可能なのだ。これは、波動を単に練るのとは、全く異なる次元の話である。そして、コールは波動を操るだけではない、「波動能力者」であった。
宙に舞った瓦礫の数々に、念を込めるように意識を集中させる。すると、それらは各々、鋭利な形状へと形を変えた。まるで、槍のような鋭さである。
コールの能力は、「大地を操る」能力であった。「大地」と言っても、自然的な土や岩だけを操るのではない。人間の手によって加工されたコンクリートやアスファルトなども操れる。応用の幅が広い能力なのだ。この能力によって操作された物は、本来よりも更に頑丈になる。
「こいつで串刺しになりな、シモン」
コールが指を鳴らすと、上空で留まっていた槍は、シモンを目掛けて勢いよく飛び出していった。
「ぬぅ…これはまずい…」
シモンは空中。ただ落下を待つ身である。当然、物伝いに避けることなども出来ない。
「ふぅぅぅぅ………」
彼は呼吸を整え、意識を集中させた。そして、目をカッと見開いた。すると、彼に向かっていた槍たちは、次第に動きを止めた。
シモンもまた、波動能力者。彼の能力は、「念力」。対象に触れずに波動を送り込み、それを自身の波動の力の許す限り動かせる能力。一見、地味でありきたりに思えるが、普通の波動使いは、直接触れなければ物体には干渉できない。
「チッ、止めやがったか」
顔をしかめるのも束の間、コールは次の攻撃に出ていた。
そこら中に散らばった瓦礫を、一つに纏めて巨大な塊を作る。そして、その塊を先程のように鋭利な形へと変えていく。
「よーし……ん?」
コールは、シモンへとそれを投げようと思ったが、目を凝らすと、逃げ遅れた人間が一人いることが分かった。金髪の少女で、瓦礫に足を挟まれて動けないようだった。
「良いことを思いついた」
コールは、邪悪な笑みを浮かべた。
「シモン!投げるぜ!」
既に地に着いたシモンは、身構えていた。だが、コールは体の向きをシモンから少女のいる方へと変えた。
「あいつにな!」
「何っ!?」
そこでシモンも、少女が逃げ遅れ、動けないことに気づいた。
「さあどうするシモン!」
高速で投げ出された巨大な槍は、少女を目掛けて一直線。最早、時間に猶予は無かった。
「コール、君は…!」
当然、それを見過ごせるシモンではなかった。彼は波動で脚を強化し、槍よりも速く少女の元へ駆けつけると、念力で槍を止めようと波動を練る。
「そうだ、それでいい」
自らの目論見通りに動いたシモンを見て、コールは気分が良くなった。
「ぐぅぅぅぅ…!!」
少女の前に立ち、死力を尽くして槍に念力を送る。汗が溢れ出し、顔中の血管が浮き出た。
「ひっ…!」
少女は、何が起きているのか分からず、ただ怯えるだけ。そして、その少女の正体は、レイスの友人であるリリィであった。顔は青ざめ、体の震えは止まらなかった。
「止まれえぇぇ…!!」
そして、何とか槍の動きが緩まった。そして、それがシモンの心にほんの僅かだが隙を作ってしまった。
「甘いぜシモン!それを狙っていたんだ!!」
槍の力が緩まったのは、コールの作戦であった。シモンの心の隙を突き、瞬間的に爆発的な力を槍に込める。
「なっ!」
最早、シモンの念力は槍を止めることが出来なかった。槍は、シモンの腹部を容赦なく串刺しにする。
「あぁっ…!」
突如、目の前で繰り広げられるグロテスクな光景に、リリィの恐怖心は頂点に達した。あまりの恐怖に、彼女は気を失ってしまった。
「よぉし!死ね、シモン!」
完全に勝利を確信したコール。彼もまた、油断した。
「ガハッ……ぬぅぅう!!!!」
大量の血を吐いたシモン。槍はこのままだと、少女をも貫いてしまう。それだけは避けなければ。そう思ったシモンは、自身に残された最後の力を振り絞った。火事場の馬鹿力というが、彼は通常時よりも強大な波動を放出させ、槍を彼方へと飛ばした。
そして、その飛ばされた槍は、意図せずにコールへと向かってしまっていた。
「なにィッ!?」
完全に油断していたコールは、能力を用いて槍を操る隙も無かった。
「グワァッ!?」
彼もまた、槍で串刺しにされてしまった。
シモン、コール。両者ともに、致命傷を負った。最早助からない。二人共、力無くその場に倒れ込んだ。
「ゴワっ…」
口の周りが血だらけになるほどに血を吐いたコール。目は霞み、意識は薄れてきた。
「ハ、ハハッ…俺も…くたばる…ってわけ…か」
力無く笑う。
「つまらねぇ…人生…だったぜ…」
「なぁ……あんた…は……なん……で……俺たち…を…裏切っ……ゲホァっ…」
「ア……ワ…ル…」
最期に何と言ったのか、彼の今際の言葉を聞いた者はいなかった。
☆
俺は道場を飛び出し、先生たちの後を追った。街の至る所に破壊の跡があった。先生とコールが闘っていたんだ。そして、何かの衝撃音が聞こえた方へと向かう。
「先生…!」
先生がどうなっているのか、不安でしょうがなかった。
ふと上方を向くと、巨大な槍のようなものがあった。そしてそれは、目にも留まらぬ速さで、ある方向へと向っていた。
「あそこで…!」
先生たちかが闘っているに違いない。俺は全速力でそこへ走る。
駆けつけるとそこには、血溜まりができていた。
「……!?」
そして、そのすぐ側には、気を失ったリリィが。
「何が……何でリリィが……」
頭に浮かんだ疑問は、一瞬で消し飛んだ。血溜まりの上に横たわっていたのは…
「!!!先生ーーーッ!!!」
ただ、一目散に先生へと駆けつけた。
「レイ……ス………」
腹部に大きな穴が空いていた。体中が血だらけで、息も絶え絶えだ。
「先生ッ!!一体何がっ………」
「レイ……ス…よく…聞くんだ……」
「先生っ………」
「君には………あの人…の…気高い…誇りが……受け継が……いる……」
「喋らないでください!!!傷口が……」
「私は…も……助から……」
「そんなことは…!!」
「よく聞け…!!」
先生が初めて、語気を強めて言った。今までには無いほどの必死な形相だった。
「君を…入門…させたのが…正しかったかは…分からない……!」
「後で……私を恨んで…くれても…構わない!」
「だが…これだけは……!レイス…波動……を……極め…るんだ……」
「波動は……善では…ない…!だ…が……悪でも……ない……」
「君が……波動を光へ……導くん……だ……かつて……かの……が……そうしよ……した……ように……!」
「先生……!」
「人生……の……最後……に……君と……修行でき……て……良かった………君は……私……の………………自慢の……………弟子…………だ……………………」
先生はかすかに微笑むと、そのまま動かなくなった。
「先生……?」
「先生、起きてくださいよ……?」
「これから、先生と波動を学ぶんでしょう!?起きてくださいよ!!!」
先生の肩を揺らした。だが、そこで気づいてしまった。先生から、少しも波動を感じなかった。
「そんな……!先生……!」
涙が、涙が溢れてきた。眼の前が霞んで、何も見えない。
「先生ぇぇえええええええええええええええええ!!!!!」
11月15日は、俺の始まりの日だった。修羅の道への、入口だった。
シモン・レテーナ
年齢45歳。聖煌流の師範で、レイスに武道を教えていた。「波動」を扱わずに、聖煌流の動きのみを教えていた。
過去に何かがあったようだが…。
波動使いの人数
波動使いが総人口に占める割合は極めて低い。20年前の時点、つまりレイスらが生まれる少し前の時点では2万人程であった。