ホルロス国内、11月29日午前9時21分。
パキンスタ共和国にて発生した爆発事故……クレアによる大量爆殺事件を確認したグレイドは、ホルロス国内にあるどこかの飛行場にいた。
グレイドが歩く先には、ジェット機がある。グレイドが所有する、プライベートジェット機だ。
グレイドは、世界各地に飛行場を所有している。御三家・メイヤー家の次期当主であったグレイドは、かなりの資産を有していた。
「パキンスタ、メレルシティ……そう時間は要しないだろう。待っていろ、小僧共……」
プライベートジェット機の扉を開き、中へと入っていく。コックピットに移動し、席に座った。
グレイドは波動の達人だが、機械類にも強い。ジェット機の操縦もお手の物であった。
機内には、他に誰もいない。部下も全員失い、今の彼は、完全に一人だ。だが、彼は微塵も動じていない。いずれ自らの手で葬るつもりであった部下の面影など、グレイドの頭からは消え失せていた。
彼の脳裏をよぎるは、レイスとテオ。そして、闇の波動使いであるザークと、部下を皆殺しにした袴の女。
「皆殺しにしてやる…」
グレイドは不敵な笑みを浮かべ、操縦を開始した。ジェット機は滑走路を走っていき、ホルロスの地から離れる。
彼もまた、修羅が待ち受けるパキンスタの地へと飛び立つのであった。
パキンスタ共和国、11月28日15時34分。
グレイドの部下を皆殺しにした袴の女は、どこかの演劇ホールにいた。舞台上では、舞踊が行われていた。観客席にはちらほら人がいるが、あまり賑やかではない。踊り手はどれも、あまり熟達した動きではなく、観客も退屈そうにしている者が多かった。
女は真顔で舞踊を眺めていた。それは、舞踊の退屈さ故か、それとも胸中故か…。
だが、彼女はある男が登場すると、目を見開く事になった。壇上に現れたのは、白髪の若い男。背は高く、スラリとしていながらもたくましい男の筋肉を感じさせる、スマートな体型をしていた。
男は観客にボウ・アンド・スクレープを見せると、バレエを始めた。先程までの踊り手とは打って変わり、一挙手一投足が全て優雅で、観客たちの視線は釘付けとなった。
「……!」
女は、観客とは違う理由で、男から目を離せずにいた。
「あの男……波動使い……!」
白髪の男の身体からは、波動使いの波動の流れが感じられた。
しかも、それだけではなかった。
「闇の波動……!」
優雅な男の動きとは裏腹に、彼の身体からは不気味で寒気のする闇の波動が放たれていた。
だが、男はただ舞うだけで、何かをする気配は見せなかった。女の方も、ここで男に何かをする気は無く、結果として劇場では何も起こらなかった。
男は最後に、もう一度深々と礼をすると、舞台の幕が下り、終演となった。観客は、男に対して盛大な拍手を送っていた。
「あの男、どうして……」
女は劇場から出ると、立ち止まった。男が放っていたのは、闇の波動。しかも、内に秘めている波動は達人のそれであった。
当然、男の方も女に気付いていただろう。だが、男は女に一瞥もくれることなく、ただ踊っていただけであった。
「………」
女は、後ろに誰かがいるのに気付いた。女の背後には、男が立っていた。
「『
「そいつが取り柄なもんでね……もっと近付くつもりだったが、気付くとは流石だな。舞踊の方はお楽しみいただけたかな?」
女が振り返ると、そこには黒い革ジャケットを羽織った、白髪の男がいた。髪は白く、肌も色白なのに衣服は全体的に黒い。
「あんた、あの時から変わっていないようだな。相変わらず美しいことで…」
男は口端を歪め、静かに笑う。
「私はあなたを知らないわ……何者なの?」
女は警戒心を隠さずに男に話しかける。
「放蕩息子……バカ息子……まぁ何とでも思うがいいさ」
「答えになっていないわ」
「だろうな…答えていないんだから」
女は、男にザークに似た、人の神経を逆撫でにする態度を感じ、気分が悪くなっていた。
「初めてあんたに会ったのは、パーティの時だったか?御三家でもないのに呼ばれていたあんたは、良くも悪くも目立っていたな…」
「パーティ……まさか、あなたは御三家の」
「あんたを見て、俺はビビッときた。いつか俺の望む姿を見せてくれる、ってな」
「何を言っているの?」
「穏やかだったあんたは今、闇に堕ち、その手を幾度となく血で染めてきた。そうだろう?波動使い殺し…クククッ」
「……っ」
険しかった女の表情が一変し、後ろめたいような、複雑な面持ちとなっていた。
「そうそう、その顔だ。実に良い……俺の見込みは正しかったな」
「あなたの目的は……」
「目的、目的ねぇ…。そんな大層なものは持ち合わせていないが……」
男は目を見開く。女の目と男の目が合った。女は、男の瞳に底しれない闇を感じ取る。
「あんたになら、殺されても良いかもな……ククク………」
「…!」
女は、一瞬寒気を覚えた。男の狂気的な笑みは、とても人間が浮かべるものとは思えなかった。
「だが、まだだ…。まだ死ぬ訳にはいかない。これから面白いものが見られそうなのでね…」
「あなた、一体……」
「その内分かるさ、───────」
「……………」
「あんたといるあの男にも宜しく頼むぜ……」
男は不敵に笑いながら、歩き始める。
「……………」
女はただ、去っていく男の背中を見ていた。
11月28日、18時42分。レイスらは、ホテルの中で時間を過ごしていた。
「今日は何も起こらなかったな…」
レイスはホッとしていた。今、レイスらは万全とは言えなかった。テオが「条件」により波動および波動能力の使用が不可能になってしまっており、戦闘は不可能である。単純に戦力が減少しており、ここを誰かに攻められれば不利になるだろう。
「これからも何も起こらなければいいのに…」
リリィは心からそう願っていた。彼女は、今この時も何かが起きるのではないかと、内心穏やかではなかった。
「そうね…」
フィーリアもリリィと同意見である。もう、昨日のような大惨事は御免である。そう思っている。
「まだ今日は終わっていない。警戒を緩めては駄目だ。…と言っても、何も出来ない今の俺が言うのはあまり良い気がしないな」
「テオは何も悪くないよ。あの女は、テオが条件を作らなきゃならない程、ヤバい奴だったんだ」
レイスの脳裏には、鉄道を爆破する寸前にクレアが見せた、狂気的な笑みが過ぎる。とても正気とは思えない、歪んだ感情を孕んでいた。
「…あの女、どこへ消えたのかしら。あの傷じゃあ、一人でまともに歩けそうにないのに」
「奴の行方は分からない。奴が最後に見せた波動は、明らかに奴の限界を超えていた。師範の波動よりも力強かった程だからな。かなりの期間、波動能力を封じる条件を設けたはずだ、しばらくは俺たちとは闘えんだろう。……だが、気になる点はある」
「どうした?」
「奴は、鉄道爆破の直前まで、一切波動を放っていなかった。波動使い特有の存在感や波動の流れを一切感じさせなかった」
「『
「『空』?何だそれ」
レイスは、初めて聞いた単語に首を傾げた。
「『空』っていうのは、波動を完全に隠す技の事よ。波動は、普通の人間にも流れているけど、『空』を使う事で自分に流れる波動を他人からは全く分からないように出来るの。その間は波動は流れてないから、無防備にはなるけどね。昔、波動を使う一流の暗殺者とかが使っていた技術で、今は使える人はほとんどいないわ。物凄く会得が難しいの」
「暗殺者の技、かぁ。でも確かに、能力発動の直前も、波動自体は感じられたし、『空』ではなさそうだな」
「……まさか、『
「『亜空』!?そんな事が出来るの?」
「え?『亜空』?」
レイスは、またもや登場した知らない単語に疑問符を浮かべた。
「『空』の応用技よ。波動使い特有の波動の流れを消して、一般人と同じ波動を装う技なの。『空』と違って、完全にゼロになる訳じゃないから、逆に調整が求められて難易度はもっと高くなる。御三家の当主のお母様でも、『空』は出来たけど『亜空』は出来なかったわ」
「そんなに難しいんだ…」
「だが、あの女に『亜空』はおろか『空』すら出来るとは思えん。そのレベルの使い手とは言えなかった」
「そうね…あの常に漲った波動、最初から条件を課して闘っていた可能性が高いわ。条件を課してあのレベルだとすると、普段は更に格が落ちるわね」
「でも、実際にあいつは波動を隠していた。その『亜空』を使っていたんじゃないか?」
「そこが問題ね……。一体どうやったのかしら……」
「条件…ってことはないのかな」
リリィがふと尋ねる。
「『空』や『亜空』は技術よ。条件は技の威力とかの、能力の底上げには効果があるけど、それで技術まで洗練される訳じゃないの」
「そうなんだ…」
「…何か、奴の裏で力が働いたように思える」
「力?」
3人は、テオの事を見た。
「力、ってどういうこと?」
「そもそも、あの女は何故、俺たちが電車に乗っている事を知っていたんだ?偶然に乗り合わせた訳ではないだろう」
「確かに。同じ電車ってだけじゃなくて、時間まで同じだった。さっき女が条件を課していたって言ってたし、そこまで準備してるのに、偶然ってことはあり得ないな」
「確か、あの女はグレイドの部下だったわね。裏で動いている力って、グレイドの事かしら」
テオは、静かに首を横に振った。
「俺も、一度はそう思った。だが、それだとグレイドは俺たちの動向を全て知っている事になる。時間単位で知っているのだから、それこそ全ての動向をだ。その場合、奴がわざわざ誰かを仕向けるようには思えない。一度は俺たちを取り逃したんだ、確実に自分で始末するだろう」
「…そうね。話を聞く限り、グレイドは本当に重要な事は自分でやる性格に思えるわ」
「………」
「…?レイス、どうしたの?」
レイスの表情が、少し固まっていた。
「……その力ってさ、もしかして…ザークの事なんじゃないかな」
「……」
テオは目を閉じた。彼もまた、同じ結論に達したようだった。
「ザークは、俺たちが
ザークが女を裏で操り、レイスたちに仕向けた。かなり突拍子も無い話だが、他に思い当たるフシはなかった。
「…じゃあ、ザークが女に何かをして、『亜空』を使わせたってこと?」
「その可能性があると、俺は考えている」
「ザークの波動能力かしら…?でも、『亜空』を使わせる波動能力なんて、あまりにも奇妙だわ」
「恐らく、そのような能力ではないだろう。奴の能力については全く分からないが、俺たちの動向を知っている者は、ザークぐらいしか思いつかない」
「……」
リリィも、ザークの事は普通ではないと考えている。自身の心の内まで知っていた彼の事は、かなり疑問に思っていた。
「……まぁ、あれこれ考えてもしょうがないわね。結局真相なんて、今は分かりっこないんだから」
「…そうだな。もう今日は何も考えないことにするよ」
レイスはそう言うと、ベッドに横になり、腕枕をした。天井を見ても、何も変化は無い。退屈なようで、変わり映えのない日常のありがたさを、この2週間で嫌という程分からせられてきた。
今日も残すところあと5時間。何も起きませんように、と切実に思うレイスであった。
そして、彼らに転換点が訪れる。
11月29日、午前8時12分。彼らは出発の準備を整え、ホテルを出て行った。
「シーラまでは、歩いていけばそれなりに時間はかかるが、それでも歩いて行ける距離だ。今日中にゼクトさんと合流出来るかもしれない」
「でも、人通りの多い道は避ける必要があるわ。結構遠回りになるわね」
「そうだな…ルートは少し特殊だから、4時間前後を目安に行こう」
彼らは、波動使いと遭遇した時の事を考えて、一般人になるべく被害が出ないよう、ゼクトの勤める会社まではかなり遠回りして向かう事になった。
交通機関を使えないというのは不便だ。だが、それでも4時間前後で到着出来るかもしれないという事実は、彼らにとってそう悪いものではなかった。
彼らはホテルを離れると、道なりに進み、土手に出た。土手からは、少し遠くにビルが並んでいるのが見えるが、土手の近くには人の集まりそうな建造物は無い。都市部では珍しい、広々とした静かな空間と言える。
平日の朝という事もあり、土手を歩いている人はほとんどいなかった。
「ここからは一本道ね。1時間ぐらいは、こういう人の少ない所を通れるわ。……」
「?どうしたの、フィーリアさん」
「あ、いえ…。なんでもないわ」
心なしか、フィーリアはソワソワしていた。今朝から、妙な胸騒ぎがする。何か、とんでもない事が起きそうな、そんな予感がしていた。
「疲れているのか」
「いえ…本当になんでもないわ。気にしないで」
テオもフィーリアの様子が気になったが、本人がいいと言っているので掘り下げる事はしなかった。
そんな彼らを少し離れた所から眺める2人の男がいた。
「奴らが、ターゲットだな」
「えー何々…金髪の男がレイスで……黒髪がテオ。金髪の女はリリィだな。ん?あの青髪の女は誰だ?」
「依頼人からの情報にはねぇな。しかも、波動使いだ」
「イレギュラーだな。まぁ仕事にイレギュラーはつきもんか」
「依頼人は、レイスとテオを分断して殺せと言ってるな。何か理由があるのかね?」
「知らねぇな。俺らが気にすることじゃねぇ」
「ま、それもそっか」
男たちは腰を上げて立ち上がる。だが、何か異変を感じ取り、目を凝らしてレイスたちを見た。
「何だ?あの白髪の男……」
「波動使い……ではなさそうだが」
土手を歩いて20分程経つと、前に誰かの姿が見えた。歩行者はちらほらいたので、彼らは特に気に留める事もなく、通り過ぎようとした。
だが、そこでフィーリアの足が止まる。
「……えっ?」
「ん?どうした、フィーリア?」
3人は突如立ち止まったフィーリアを見た。フィーリアの視線は、白髪の男に向いていた。
「どうしたんだ?」
レイスが尋ねる。フィーリアの目は見開かれ、何かに驚いている事が見て取れた。
「嘘………」
すると、白髪の男が彼らの近くまで歩いてきた。
「よお。久しぶりだな、フィーリア」
「お兄………様………?」
「!?」
彼らの視線が、白髪の男に釘付けになった。
「えっ!?」
「この人が……?」
突如家を出て行き、行方も、生きているかどうかさえ分からなかったというフィーリアの兄。その兄が、今目の前にいた。
「大きくなったな。母様にそっくりになった……」
「なんで……?」
「ん?」
「なんで……ここにいるの…?」
「ん…そうだな。里帰り…ってやつか」
男はニヤニヤと笑った。
「ふざけないで!!」
フィーリアは大声をあげた。リリィは怒気を孕んだフィーリアの声に少し驚いた。
「あなた……今まで何をやっていたの…?あなたが急に家を出て、お母様は悲しみに明け暮れて……お父様も病気で……あの日から、私たちの人生は変わってしまったのよ!?」
「親父もか?うーむ…」
男は頭をポリポリと掻く。
「どうして……どうしてあの時、家を出て行ったの…?」
感情が昂ぶったからか、フィーリアの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「そうだなぁ…」
男は腕を組むと、少しばかし俯いた。
「………」
テオは、違和感を覚えていた。男からは、波動使いの波動を感じなかった。御三家次代当主と言われていた男が、波動を感じさせないなどあり得ない。となると、「亜空」を使っている事になるが…。
男は顔を上げると、邪悪な笑みを見せた。
「母様を愛していたからだよ」
「!?」
4人にとてつもない悪寒が走った。
そして、男から波動が放たれる。黒く、禍々しい。闇の波動であった。
「ハッ!」
「えっ!?」
男は、リリィの肩を掴むと、その場から飛び立った。
「リリィは借りていくぜ!!」
「!?何故リリィの事を!?」
地上に取り残された3人は、あまりに突然の事で反応が遅れた。
「レイス、フィーリア!今は追うんだ!」
頭に残る疑問は全て後回し。彼らは、リリィを連れ戻すべく男を追おうと飛び立った。
だが、それは叶わなかった。
「ぐわっ!?」
レイスは、何者かの蹴りを喰らい、住宅街へと吹っ飛ばされた。
「レイス!?」
「そぉら!」
その者は、今度はフィーリアの腕を掴み、彼女も投げ飛ばした。
「何が起きている…!?」
「おっと、お前の相手は俺だ」
テオの前には、レイスを蹴り飛ばした男とは別の男が立っていた。緑色の髪の男は、口端を歪めて彼の前にいる。
「何者だ……」
「そうだな…俺は……」
「The Gunman」
カウボーイハットを被った男は、指を銃の形にしてそう呟いた。
レイスを蹴り飛ばした男は、建物の屋上に立ち、様子を探っていた。オレンジ色の髪をした、ボロい服を着た男だ。
「あの白髪の男は一体何だったのかね?まぁ、リリィは殺すなと言われてるし、とりあえず後回しでいっか」
男は何かを取り出す。トランプだ。カードをシャッフルし、一番上のカードをめくる。
「さて、俺の吉凶を占おう。……うわ、
「でも、やるっきゃねぇな。ピンチをチャンスに変えるんだ。なんたって俺は」
「The Gambler……なんだから」
レイスたちの修羅は続く。