なに、なに、なに!?
私は、突然フィーリアさんのお兄さんに連れ去られて、抱えられながら空中にいた。
「〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰!!」
空を飛ぶなんて、経験したことがない。お兄さんが着地して、跳び上がって、と繰り返す度に、私は落下死しそうな恐怖に見舞われた。
それだけじゃなかった。
「クククク……あと少しだ」
お兄さんの目と私の目が合った。その目は、温かさを少しも感じられない、冷たい目だった。
目だけじゃない。お兄さんから、物凄く不気味で、凍えるような、嫌な雰囲気が感じられた。
もしかして、これはお兄さんの波動なのかな…?私には、波動のことは全然分からなかったけど、ここまでくっついたら流石に分かる気がした。
そのせいで、さっきから身体の震えが止まらない。お兄さんの身体自体は冷たくないのに、まるで雪山に裸でいるような気分になる。
「さぁて……ここだぜ」
お兄さんは着地すると、私を降ろした。乱暴に手を離したりはしなかった。
「…?…?」
私は、まだ身体の震えが止まらなかった。
ここはどこなの?周りを見渡してみると、人気が全くないようには思えなかった。
でも、目の前にある建物は、今は使われていないようだった。これから、何をする気なの…?私は、不安で不安で、塞ぎ込みたくなる。
「そう怯えるなよ…。そうだ、名乗っていなかったな」
お兄さんは、そう言うと私の肩に手を置いた。その瞬間に、私は大きく震えた。お兄さんの行動一つ一つが、怖くて仕方がない。
「俺は、ワルツ=ゼルフォード。フィーリアのお兄サマだ。よろしく頼むぜ、リリィ……」
ワルツ……それがお兄さんの名前なんだ。でも、今の私はそれどころじゃない。
「あ、ああああ、あの………」
声が震えて、ちゃんとした言葉が出ない。
「ん?どうした」
ワルツさんは、私を見下ろしていた。身長は、180センチくらいかな……結構高い。
だから、なんとも言えない威圧感もあった。ワルツさんは、薄っすらと笑いを浮かべて、私の次の言葉を待っている。
「こ、これから、何を、するんですか……?」
「そいつは後のお楽しみだ…」
ワルツさんは静かに笑った。
「な、なんで、私のこと、知ってるんですか…?」
「それを知って、どうするんだ?」
「それは…」
知ったところで、どうしようもないと思う。ただ、私はどうにかして、この不安を少しでも吐き出したかった。そうしないと、おかしくなってしまいそうだった。
「ついてきな」
ワルツさんは歩き始めると、建物の入口の扉を開いた。私が先に中に入れるように、扉を開けたままにしている。
「そ、その……」
私は、足が震えて動かなかった。そんな私を見て、ワルツさんは私のもとまで来て、手を掴んだ。掴まれたとき、またびくりとしてしまった。
「ホラ、急ぎな」
手を掴まれた。でも、痛くはなかったし、乱暴に引っ張りもしなかった。
だけど、とても怖い。掴まれたところが、凍えるような、そんな感じがした。
室内には、人がいる様子は無かった。電気はついてなくて、少し薄暗い。昼だからまだ明るい方だけど、夜ならお化けが出そうな雰囲気さえある。
ワルツさんは、入口から少し歩くと、私から手を離した。そして、通路の脇によって、私に先に歩くように促していた。
「……」
流石に、私はもう歩くことは出来るようになっていた。今すぐここから逃げ出したい。
でも、私には、ここから逃げ出す勇気は無かった。私は、恐る恐る歩き出すしかなかった。
私の遅い歩みに、ワルツさんは文句を言わずについてくる。
「あの……」
突き当りまで来ると、階段があった。上の階に向かう階段と、下の階に向かう階段。どちらに行けばいいのか、私はワルツさんを見て尋ねた。
「下だ」
「………」
私は、手すりを掴んで階段を下り始めた。今はとにかく、何かに掴まっていたい気分だった。コツコツと、足音が響き渡る。一歩、また一歩と下りていくたびに、もう後には戻れなくなるような、そんな不安感が頭の中で暴れ始める。
「転ばないようにな…」
後ろでワルツさんの声がした。どんな表情をしているんだろう…。私は振り向くこともせず、ただ階段を下りていく。
地下一階に着いた。日の光は完全に届かなくなっていて、夜のような暗さだった。
「右だ」
右を向くと、真っ暗な通路だった。
「ぶつかる物は無い。そのまま進んでいいぜ」
「……」
私は言われた通り、そのまま足を進めた。しばらく歩くと、と左側に薄っすらと光が見えた。扉の隙間から、光が漏れていたようだった。
「ここだ。扉を開けな」
ドアノブの場所は、近いから見えた。私はノブに手をかけ、扉を開ける。
中の部屋の光が、少し眩しかった。
部屋の中には、女の人が一人いた。ピンク色の髪の、大人の女の人。
……この人、どこかで見た気がする。
「っ!?だ、誰!?」
女の人は立ち上がると、私の方を見て顔色を変えた。少し後退りをして、警戒心を示していた。
「え……あの……」
私は、どう反応すれば良いか分からなかった。だけど、女の人は、たちまちに青ざめていった。
「あ………」
「よお、クレア。帰ってきたぜ」
女の人は、クレアという名前みたいだった。クレアさんの目線は、私ではなく、私の後ろ……ワルツさんに向けられていた。
「そ、そいつは誰!?何をする気なの……!」
「そう怯えるなよ……まだ何もしてないだろ?」
ワルツさんは薄っすらと笑いながら、クレアさんに近付いて行った。
「こ、来ないで!?」
クレアさんはそんなワルツさんから離れようと、壁の方へと寄って行く。でも、壁に突き当たると、もうどうにもならなくて、ただ怯えた表情でワルツさんを見ていた。
「俺を化け物みたいに見るなよ、傷つくぞ?」
そう言いながらも、ワルツさんは笑っていた。
「あ、あの……これは一体……」
私は、恐る恐るワルツさんに声をかけた。
「説明がまだだったな…」
ワルツさんは振り返ると、私の方を見た。そして今度は、私の方に近づいて来る。
「…!」
結構近い所まで歩いてきた。お互いの距離は、50センチメートルにもならないぐらい、近かった。ワルツさんは私を見下ろしながら、口を開いた。
「この女の名前は、クレア。こいつに見覚えは無いか?」
「え、えっと……」
私は、記憶を遡ってみた。結構最近に会ったような気がする……。
「……!」
思い出した。そして、怖くなった。この女の人は、私たちがこの国に来た日に、鉄道を爆破した張本人だった。
それによって、多くの人が死んだ。レイくんも、腕を失った。テオ君も、フィーリアさんも、傷ついた。
「思い出したな。そう、こいつは、エレーカ鉄道を爆破した悪女さ……そうだろ?」
ワルツさんは振り返り、クレアさんを見た。クレアさんは、すぐに目を逸らした。
「報道によると、死者は3500人以上、行方不明者を含めれば、4000人は超えるだろうな。こんな大量殺人、歴史を見ても稀だなぁ……」
「………」
4000人……?
クレアさん一人で、4000人……?私は、身体が再び震えるのを感じた。
「そこでだ。こんな大量殺人鬼、どこの国でも死刑は確定。そうだろ?」
ワルツさんは、私の目を見て言った。
死刑……恐ろしい言葉だけど、私は何も応えられなかった。
「でも、こいつは法律じゃ裁けない。1人の人間が4000人を殺すだなんて、立証のしようが無いしな」
ワルツさんは静かに笑った。
どうして、どうして笑っているの?
クレアさんの表情も、再び怯えが混ざってきた。
「そこでだ、リリィ」
「…?」
「この大罪人は、お前が処刑しろ」
………は?
「っ!?!?」
ワルツさんは、今、何て……………。
「冗談じゃないわ!!ここで死んでたまるものですか!!」
「お?」
「死ね!!」
「……!?何で、何で波動が出ないの!?」
「オイオイ、まさか忘れちまったか?」
ワルツさんは軽く笑うと、腕を組んで語り始めた。
「お前はあの時、波動能力を一生使えなくなる条件を自らに課して、波動を放とうとした。だが、そいつは俺が阻止してしまったからなぁ……不発に終わっても、波動を溜めた事実は揺るがない。つまりお前は、今後一生波動を使うことは出来ない。……クククク」
「!?そ、そんなこと…!?」
「波動を出せないのが、何よりの証拠だ……」
クレアさんは、両手をじっと見つめると、どんどん顔が青ざめていった。そして、私の方にゆっくりと顔を向ける。怯えきったクレアさんの瞳と、私の瞳が合ってしまった。
「今言った通り、こいつに波動は使えない。もう一般人と同じだ……これなら、お前にも殺せるだろ?」
「何を……言ってるの……?」
私が、人を……殺す?
ワルツさんは、何を言っているの……?
頭の理解が追いつかない。
「とは言え、素手で殺せ、というのは酷だ。……だから」
ワルツさんはそう言うと、ポケットに手を入れた。手を出したときには、そこには銀色の何かが握られていた。
「それ」
ワルツさんがそれを振ると、カチンという音がした。銀色の何かは、長くなっていた。よく見るとそれは…。
「ひっ……」
小さく悲鳴が漏れた。
それは、ナイフだった。
「こいつがあれば、大丈夫だろ?こいつを使って、クレアを刺し殺せ」
ワルツさんはナイフを私に出してきた。私は、少し後退りをした。それでも、ナイフから目が離せなかった。
声が出なかった。冗談でも何でもない……この人は、本当に私に、クレアさんを殺せと言っているんだ。
何で、ワルツさんはそんなことを…?
何で、人を殺さないといけないの……?
そんなこと、私にできるわけ…。
「な、何よそれ……ふざけ」
「お前は黙れよ」
ワルツさんは、そこで始めて凄みのある声を出した。クレアさんの身体は大きく震え、そのまま汗をダラダラと流していた。
私も、ワルツさんの声で固まってしまう。
「ほら、受け取れよ」
ワルツさんはナイフを私の胸に押し出してきた。私は怖くてそれを受け取れなかった。
でも、ワルツさんはそれを認めなかった。私の手を掴んで、ナイフを握らせた。冷たい金属の感触が伝わる。今はそれが、身体の芯まで私を震え上がらせた。
「……っ」
「放すなよ」
さっきまで私に話しかけていた声とは変わって、冷たく低い声で念を押してきた。
そんなこと言われても……。
私に人殺しなんて……無理だよ。
「じゃあ、後は任せるぜ。また来るからよ」
「え…」
ワルツさんはそう言うと、私たちに背を向けて、扉を開けた。
「ま、待って!!」
やめて。
こんなこと、やめて。
そう言おうとしたけど、その前にワルツさんは部屋から出て行ってしまった。
「っ…」
私は、ナイフを見つめた。放したいのに、今すぐに放したいのに、私はナイフを握った手を放せなかった。心臓の鼓動が早くなる。息が荒くなって、冷や汗が流れてくる。
これでクレアさんを刺せば、クレアさんは死ぬ。それも、苦しんで死ぬことになる。
「あ……いやっ……!」
こんなもの、投げ捨てたい!
今すぐに投げ捨てて、レイくんのもとに帰りたい…!!
誰か、助けて……お願いだから、助けてよ……!
「いや……死にたくない……こんなところで、私……」
クレアさんは俯いて、ブツブツと呟いていた。
しばらく沈黙が続く。お互いに、その場から一歩も動けなかった。
「……やる」
「ぇ……?」
クレアさんが、ゆっくり…ゆっくりと顔を上げた。
「ひっ……」
クレアさんの瞳は、物凄く荒んでいた。濁った目で、私を見つめて離さなかった。
「殺してやる……お前に殺される前に、私がお前を殺してやる!!!」
「クレアさんっ!?」
「うああああああああ!!」
クレアさんは、私に向かって突進してきた。私が握っているナイフに手を伸ばし、それを奪おうとしてきた。
「ちょっ……やめ!!」
「放せ!!それを寄越しなさいよ!!!」
「やめ……やめて!!お願い、クレアさんっ…!!」
「うるさい、黙れ!!」
血が飛び散った。
「えっ…?」
「うっ…!!!」
なに、今の……?
ナイフ…?
ナイフに血がついている。クレアさんの頬から、血が流れている。
この血って…。
「………!?」
ナイフには、クレアさんの血が着いていた。
これが、人の肌を切る感触…。私が、クレアさんを傷つけた…。
全身に鳥肌が立った。ブルッと身体全体が震えた。
「ひっ…!?ご、ごめんなさいっ……!!」
どうして、こんなことに…………。
何で、人を傷つけなきゃいけないの……?
「よくも……よくもよくも!!!」
クレアさんは、そんな私に恨めしさと怒りを含んだ目を向けると、拳を握った。
「あああ!!」
「ぎぃっ!?」
痛いっ!?
クレアさんに殴り飛ばされた。その時、ナイフは落としてしまった。
「許さない……許さない!!!」
それなのに、ナイフには目もくれずに、私に馬乗りになって、拳を振り上げた。
やめて。
「ぃ……やめて……やめて!!」
「うらっ、うらぁっ!!うらぁ!!」
痛い!?
何度も、何度も顔を殴られる。
殴られる度に、鈍い痛みが顔を覆う。痛みで涙が滲んできた。
「ひっ…うぁ!…ぁっ!!」
悲鳴をあげることしかできない。私には何もできない。
痛い。
痛い。
痛い。
私、これで死んじゃうのかな。このまま、クレアさんに殺されちゃうのかな。
死にたくないよ……。もっとレイくんとテオ君と、一緒にいたいよ……。
「はぁっ……はぁっ……ぶっ殺してやる……滅多刺しにして殺してやる…」
死にたくない…。
もっと生きたい…………。
────────────気付くと私は、血まみれのナイフを握ったまま、ひとり部屋に立っていた。