「はぁ……はぁ……はぁ………」
10畳ほどの部屋。無機質な白い壁。灰色の床。
今、金髪の少女、リリィ=テルヌーラの前には、虚ろな表情を浮かべたまま動かなくなった、元波動使い・クレアがいた。
白い壁には真っ赤な血が飛び散り、灰色の床は血の色と混ざり、赤黒く染まっていた。
そして、リリィはその顔を、その胸を、その手を血に染めていた。彼女が握っている銀色のナイフからは、血が一滴、また一滴と滴り落ちる。
「なに……これ?」
リリィは、自身の目の前に広がる光景を見て、呆然としている。
辺り一面に広がる鮮血。充満する血の生臭い香り。物言わぬ骸となった、生気が感じられないクレアの顔。
そして、彼女自身が握る血まみれのナイフ。
全てが、今までの日常にはあり得なかったモノ。全てが、平穏とはかけ離れたモノ。
その惨状の中、彼女はただただ立ち尽くしていた。
「さて、どうなったかな?」
部屋の外にいたワルツは、ゆっくりと扉を開いた。
「っ!?」
「ほぉ………」
ワルツは腕を組み、部屋の中の地獄絵図を興味深そうに観察する。クレアの腹部に目を移すと、血まみれで見えづらいが、何度も、何度も刺された事が分かる。
「これは中々……」
「わっ、私っ……!」
「ふむ」
リリィは俯いていた。身体中が震えており、呼吸も大きく乱れていた。
「私が殺りました」
「っ!? ちがうちがうっ!!」
「違う……違うって、何が」
「わ、私…っ…は……」
ワルツは室内に入り、クレアの方へと寄っていく。
「凄いな、これ。滅多刺しじゃねぇか。10回以上は刺してるだろ」
「ぁ………」
ワルツは屈むと、クレアの首に手を伸ばす。少しして、眉を八の字にして口を開いた。
「脈は……無いな」
「っ!!」
「死んでいる」
「そ、そ……な………」
「いやぁ……にしても」
ワルツは立ち上がると、リリィの方を見て微笑んだ。
「ここまでやるとはねぇ…」
「あ……ちが……私っ……」
「何かを『治す』というのがお前の力だったな。だが、その手で何かを『殺す』ことも出来た訳だ。表裏一体ってやつか」
「や……わた…っ………」
「ここまで徹底的にやるってのは、いざとなったら躊躇しないって事だ」
「ちが……ちがうの……」
「じゃあ、誰が殺ったんだ? 部屋には2人きりだった。誰がコイツを、むごったらしく殺したんだ?」
「そ…の……」
「教えてくれよ」
重い沈黙が生まれる。ワルツの眼は、矢のように鋭く、氷のように冷たい。
「お前じゃなかったら、誰がクレアを殺したんだ」
「ぁ………」
「だんまりか?」
ワルツは、瞳が定まらない程に動揺したリリィに向かい、足を動かし始めた。
「ひっ……」
リリィは後退りをした。ワルツから逃げようと、足を後ろに動かした。
だが、図らずもそれにより、今度はクレア……凄惨な現実との距離が縮まっていった。
「お前は殺してないんだよな? じゃあ、誰だ。俺は部屋の近くにいたが、人の出入りは無かったぜ」
「あ…、あ……の」
トン。
何かが、リリィの踵に触れる。
リリィは、恐る恐る、足に触れた何かに目を向ける。
「ああっ!?」
リリィの踵には、クレアの身体が触れていた。血まみれの腹部、光を失った淀んだ瞳、口から流れた大量の血。
その全てが、彼女を現実から掴んで逃さなかった。
「ほら……」
ワルツは、自身に背を向けたリリィの後ろ首を掴み、彼女の顔をクレアの腹へと近づけた。
「………!?」
「これが刺された痕だ。血で分かりにくいが、皮膚がグズグズになっているな」
「ひ……」
「手をねじ込めば、どうなるかな…」
「ぁ………」
すると、ワルツは唐突に、リリィの首から手を放した。それにより、リリィは重力に引っ張られて地に吸い寄せられる。
結果、リリィはクレアの上にもたれかかる事になった。
べちょり。不快な感触が、リリィの胸を伝う。
「……っ!? いやぁぁぁっ!?」
リリィは、大慌てでクレアから離れた。足をバタバタと動かし、クレアから一刻も早く距離を取ろうとした。
「クククク……」
ワルツは、そんなリリィを見て静かな笑いをこぼす。
「なぁ、リリィ…」
ワルツはリリィの前まで来ると、屈んで彼女と目線を合わせた。
「もう一度聞くぜ。クレアを殺したのは、誰だ?」
「ぁ……ぃやっ……」
「誰だ?」
「っ………」
ワルツから顔をそらしたい。なのに、それが出来ない。リリィの目から、静かに涙が零れ落ちる。
ワルツはそれから、何も言わずにリリィと向き合っていた。
その間、リリィの頭の中では、何が起こっていたのか。彼女の他に、それを知る者はいない。
何分経ったか分からない。リリィはついに、口を開いた。震えた、小さな声が聞こえた。
「……し」
「ん? 聞こえないな、もっとはっきり言ってくれ」
「わた……し……」
「ほお……殺したのはお前なんだな?」
「ぅ…………」
「お前なんだな?」
「…」
リリィは何も言わなかったが、涙が滲む目をぎゅっと瞑り、ゆっくりと頷いた。
「…………っ!?」
その瞬間、リリィに途轍もない悪寒が走った。
殺しを認めてしまった。本当に、自分がクレアを何度も、何度も刺して、死に至らしめてしまった。そう認めてしまった。
リリィは、もう後には戻れないと思った。もう、かつてのように笑う事は出来ない。いや、許されない。
何故なら、自分は罪を犯したから。
何故なら、自分は人の未来を奪ったから。
もし、笑ってしまったら。もし、幸せそうにしたら。
血だらけのクレアが目の前に現れて、こう呟くだろう。
「あぁ……いゃ……やめて…………」
「コノ、ヒトゴロシ」
「レイスがこの光景を見たら、きっと、こう言うだろうな」
「この、人殺し」
「いやぁっ!?………いやぁぁあああああああああああああ!?!?」
時は少し遡る。
殺し屋・セブンスとの闘いを終えたレイスとフィーリアは、ワルツが向かっていった方角を目指し、移動していた。
「レイス……もう大丈夫。回復したわ」
「もう良いのか?」
「えぇ…ありがとう」
そう言うと、フィーリアは、レイスの背から降りた。少しは波動が回復し、2人は再び跳び始めた。
「所々に、波動の痕跡があるわ。兄は……ワルツは、わざと居場所を教えているのかしら」
「ワルツ…っていうのか」
「えぇ。今まで、言ってなかったわね」
ワルツは、移動の際に、地面に波動を張り巡らせてから跳んでいった。
通常、このような事をする必要は全く無い。自らの居場所を、わざわざ手間をかけて伝えている訳で、全くメリットが存在しないのだ。
それなのに、ワルツは痕跡を残していった。
それは、レイスたちに自分を追って来いというメッセージを残している事を意味する。
「リリィは無事なのか……?」
「多分、死ぬような事は無いわ。もしリリィを殺したいのなら、あの場で殺せたはずよ」
「じゃあ、一体何なんだよ…」
「分からない…。私にも、ワルツの考えてる事なんか、昔から分からない…」
フィーリアの表情が、少しだけ切なげになった。
「ん……あれ、テオじゃないか?」
「え……本当だわ」
2人は、道端で座り込んでいるテオを見つけた。息が荒く、遠目でも辛そうにしているのが分かった。
「テオ!!!」
名を呼ばれたテオは、声がした方を見た。
「レイス……フィーリア……」
レイスたちは、テオのもとへ駆け寄る。
「大丈夫か!? 身体中血だらけじゃないか!!」
「あなたも、敵にやられたのね…!」
「俺のことは……いい……早く、リリィを……!」
「テオ……」
「大丈夫だ……死にはしない……だが、もう動けそうにない……早く、リリィの所へ……」
「レイス、テオの言う通り、今はリリィを助けましょう…!」
「くっ……テオ、後で来るからな、待っててくれ…!」
そう言うと、2人はテオから飛び立って行った。
「リリィ……ぐっ」
そして、テオはその場に倒れ込んだ。
「ここか……!」
そして、レイスとフィーリアは、痕跡が最後に残された場所である、無骨な建物の前にやって来た。
「リリィが、この下に……」
「急ぎましょう!」
フィーリアは扉を開けると、室内に足を踏み入れた。
入口から続く通路からはいくつかの部屋の扉があり、それらを開けて一つ一つ、リリィがいるかを確認する。
「くそっ、ここにはいない!」
「奥へ進みましょう」
そして、階段の所までやって来た。上の階と下の階へと通じる階段に分かれており、2人はどちらに行くべきか迷う。
「二手に分かれるか?」
「そうね…」
その時、地下から誰かの声がした。
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?」
「!?」
「これは……リリィの声だ!!」
「下ね!!」
2人は手すりから、螺旋状の階段の間を縫うように地下一階へと下り、声がした方へと向かっていった。
暗い通路の中、少し奥に光が見える。扉が開いて、室内の光が漏れていたのだ。
「リリィ!!」
「っ…!? これ……は……」
2人は室内を見て、絶句した。白い壁には、返り血がべっとりと飛び散り、床は血で染まっている。
そして、何よりも彼らの目を引いたのは、虚ろな瞳のまま、腹部を血で真っ赤に染めて動かない桃髪の女・クレアと、血まみれの姿で床に座り込んだ、クレアよりも虚ろな瞳のリリィであった。彼女の側には、血だらけのナイフが転がっている。
そして、そのリリィの側には、腕を組んだ白髪の男・ワルツが立っていた。目を大きく見開き、裂けるような笑みを浮かべたワルツがいた。
「何だよ……これ………」
「リリィ………?」
「来たか、お前ら」
「!?」
2人は、顔を上げた。ワルツの邪悪な笑顔が、2人の脳裏に焼き付いた。
「ワルツ……!!」
フィーリアは、ワルツをギリッと睨みつける。
「悲しいぜ…もう『お兄様』とは呼んでくれないのか?」
「リリィに何をしたの……!」
「俺は何もしてないぜ?」
からかうようなワルツの顔を見て、フィーリアは歯ぎしりをした。
「何をしたかって聞いてるのよッ!!!」
「怖い怖い……そうだな、俺は何もしてないが……リリィが、そこの女を滅多刺しにして殺したのは確かだな」
「っ!?」
「何だって………?」
2人とも、信じられないといった表情となり、リリィにゆっくりと視線を移した。
相変わらず、リリィは動かない。ずっと、死んだような虚ろな表情のまま、ピクリとも動かない。
「人は見かけによらないよなぁ……穏やかそうに見えても、時には人も殺すもんだ」
「ふざけるなっ!!」
今度は、レイスが怒りの声をあげた。
「リリィが……リリィが、人を殺すはずがない……!」
「だが、実際に返り血を浴びてるのはリリィだし、この女は死んでるぜ?」
そんなワルツの言い分になど、レイスは耳を貸さなかった。
「お前が……お前が何かしたな……っ!!!」
レイスの波動が高まる。バチバチと、彼の身体から火花がほとばしる。
「リリィはさっき、自分から殺しを認めたんだ。言い掛かりは止めてもらおうか……」
「このっ!!」
レイスの身体から、電流が溢れ出した。
「ほお……闘るか?」
すると、ワルツからも波動が溢れ出した。
「……っ!!」
怒り心頭に発していたレイスだが、ワルツの波動が辺りを覆うと、言い様のない寒気を感じて、怒りに歯止めがかけられた。
「これは……」
フィーリアもまた、凍えるような寒さを感じていた。
「ザークと同じ……!」
ワルツから溢れ出るのは、どす黒い波動。
ザークにも感じられた、凍るように冷たい波動。
闇の波動であった。
「さぁ、始めるか?」
「くっ…!」
レイスもフィーリアも、ワルツの間近にいる事で、彼の力量を悟った。
強い。
あのグレイドや、ザークにも引けを取らない程の波動の強さ。
だが、レイスは退くつもりは無かった。
「俺は……お前を許さない…!!」
「ハハッ…場所を変えようか………ん?」
突如、ワルツがレイスから目を離した。何かを感じ取ったかのような様子であった。
「これは……」
「……?」
「何よ……」
2人は、何があったか分かっていなかった。
すると、ワルツの口角が、ゆっくり、ゆっくりと釣り上がっていった。
「レギレウス家相伝の技……!」
「!?」
「何ですって……?」
廊下から、コツコツと足音が聞こえた。音は徐々に近くなっていく。
そして、その者はレイスたちの前に姿を現した。
黒い髪、黒いスーツ。そして、黒い眼鏡。
知的な雰囲気を感じさせるその男は、ただワルツを見据えていた。
男は、おもむろに口を開いた。
「……地に堕ちたようですね、ワルツ」
2人は、男の口からワルツの名が出た事に驚いた。だが、その後に更なる驚愕の事実を聞かされる。
「クククッ……そいつはお互い様だろう……ゼクト……!」
「なっ!?」
「!?」
男の名は、ゼクト=レギレウス。
元・レギレウス家の次代当主にして、聖煌流の三英傑の一人とも言われた、波動の傑物である。