シモン先生が死んだ。
俺は今まで、身内や知り合いが死んだ経験をしたことがなかった。母はまだまだ若く、元気だし、友人だって皆ピンピンしている。それが、当たり前だった。テレビのニュースで誰が事故死したとか、殺されただとか、そういったことは同じ現実世界で起きていても、異世界で起きたことのように思えた。
でも、今は違う。目の前には、もう動かなくなった、傷だらけの先生の亡骸が横たわっている。先生はついさっきまで生きていた。俺と話していた。でも、もう二度と先生と話をすることはできない。俺の日常には「当たり前」だった先生は、最早この世には存在しなかった。
「くそぅ…何でだよ……!!」
理不尽な現実に対する怒りが滲み出る。とにかく悔しくて、悔しくて、涙が止まらない。
「はっ、リリィ…!!」
思い出した。リリィがすぐ側にいた。脚が瓦礫に挟まって動けないようだ。俺は急いで駆け寄り、瓦礫をどかす。
「挟まれていただけみたいだ…折れてはいない…!」
リリィに大きな怪我は無かったようで、安心した。だが、彼女はまだ気を失ったままだ。
「先生……」
街には激しい闘いの跡が残り、そこには無惨な先生の亡骸が。先生と闘っていたコールの姿は、どういう訳か見えなかったが、この場に留まり続けるのが良いこととは思えなかった。
俺はリリィをおぶり、その場を後にすることにした。去り際に、振り返って先生の顔を見た。先生は、微笑みながら死んでいった。安らかな死に顔だった。
「先生……今まで、ありがとう……ございました……っ!!!」
心から出た感謝の言葉だった。深々と先生に礼をして、俺はその場を去った。
先生……どうか安らかに………。
☆
「うーん………」
長らく眠っていたような感覚がした。ぼんやりと意識が戻り、目を開ける。誰かの背中の上にいた。
「あれ…?私……?」
「!リリィ、気がついたか…?」
「え…?レイくん…?」
私は、レイくんにおぶられていたようだった。何で、彼が私を?そもそも、何で私は眠っていたの?記憶を少し遡ってみた。
「あっ……」
思い出した。私は、よく分からない内に逃げていて、よくわからない内に瓦礫に脚が挟まって、そして……。
誰かが、私の目の前で、お腹に何かを刺されて倒れたんだ。
「ひっ…!」
あの時の恐怖が蘇った。体が小刻みに震えて、寒気が止まらない。
「リリィ、落ち着け…!もう大丈夫だ。もう危機は去った…!」
「何が起きたの!?何であの人は…!?何でレイくんが私を!?それに、その服の血は何!?」
「……」
頭に思い浮かんだ疑問を次々とレイくんにぶつけたけど、レイくんは私から顔を背けるだけで、何も答えなかった。でも、彼の体が震えたのだけは感じた。
「あっ、ごめん……。……もう立てるから、大丈夫…」
いつまでもおぶってもらう訳にはいかない。私はレイくんの背中から降りて、自分の足で立った。少し痛んだけど、歩くのには問題無かった。
「リリィ、その質問だけど…」
そう言うと、レイくんは再び口を固く閉ざした。その表情には、やるせなさが感じられた。
「レイくん…?」
「ごめん……今は……!」
そして、彼の目から涙がこぼれ落ちた。
「どうしたの!?」
「俺は……!俺はぁっ……!!!!」
レイくんは膝から崩れ落ち、両手を地につけた。そして、大声をあげて泣いていた。
「大丈夫!?!?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
私は戸惑った。今まで彼が、こんな弱々しい姿を見せたことなんて無かった。どう声をかけても、彼の叫びは止まらなかった。私はただ、そんな彼を見つめることしかできなかった。
「大丈夫…?」
「あ、あぁ…もう大丈夫だ」
レイくんはしばらくして落ち着きを取り戻した。
「リリィ、あの人は」
「うん…」
「俺の道場の先生だ」
「えっ…」
レイくんが道場に通っているのは知っていた。でも、レイくんの先生には会ったことがなかった。まさか、あの人が先生だったなんて。
何よりも、その先生が、私の目の前で。
「うっ…」
吐き気に襲われた。あの人は、お腹を大きな槍のようなもので貫かれた。血もいっぱい出ていた。
「はぁ…はぁ…」
何とか、その場で吐くことだけは止められた。でも、口の中には、苦いくしょっぱい液体が。吐く寸前というサインだった。
「大丈夫か、リリィ」
声を出すと吐きそうなので、首を振って答えることしか出来なかった。
今度は私の方が弱ってしまった。
人があんな風に傷つくところなんて、見たことが無かった。膝を擦りむいて出血したとか、そんなレベルじゃない。串刺しにされて、そして彼の足もとにはおびただしい量の血が。
あの人は何故、あんなことになったのか。突然のことであの時は分からなかったけど、あの槍は私の向かってきていた。そして、レイくんの先生は、私の前に突然現れて、そして。
その後だ。あの人が串刺しにされてしまったのは。
「うぅっ!」
今度こそ我慢できず、吐いてしまった。吐瀉物が喉を通り、喉が焼ける感覚がする。あの人の血まみれの姿が頭から離れない。私は、胃がすっからかんになってしまう程に吐いた。
「リリィ…」
「ゴホッ…レイくん…」
私たちはお互いに、心に深い傷を負った。今日…11月15日は、私たちにとって、忘れられない、辛い日となってしまった。
帰り道は、お互いに無言だった。私もレイくんも、何も話す気にはなれなかった。私には、あそこでレイくんの先生が何をやっていたのか、何で街が壊されたのかは分からない。でも、はっきりと分かったことがある。それは、私を庇ってレイくんの先生が死んでしまったこと。
今日は、友達と遊ぶ予定だった。あの近辺で待ち合わせをする予定だった。なのに、あんなことに巻き込まれてしまった。
もうすぐ家だ。近所の公園の前を通ると、小さい子供が親とボール遊びをしていたり、犬の散歩をしている人たちを見た。何の変哲もない、普通の光景。でも、私には遠い世界のことのように思えた。
私、どんな顔をしているかな。お父さんもお母さんも、私の顔を見て何と言うかな。どう説明しよう。私、顔に出るタイプだから、嘘もつけそうにない。
「リリィ」
長い沈黙を破って、レイくんが口を開いた。
「なに?」
「先生が死んだのは、お前のせいじゃない」
「それは…」
「先生は、昔の修行仲間と闘っていたんだ。俺には、昔何があったか分からないけど、相手は先生を憎んでいた」
「…」
「先生はそいつに殺されたんだ。そいつは姿を消したから、そいつがどうなったのかは分からないけど」
「じゃあ、街が滅茶苦茶になったのは」
「2人が闘ったからだ」
闘った。2人の人間が闘って、あんなに街が滅茶苦茶になるの?でも、そんなことは気にならなかった。
私のせいじゃない。そうなんだと思いたい。私がどうこうとか、そんな話じゃないんだと思う。でも、それでも。私の心は、言いようのない罪悪感とか、後悔とか、否定的な感情で満ちていくのを感じた。
「難しいとは思う。でも、今日のことは忘れてほしい。リリィには、またいつものように笑って欲しい。じゃないと、俺…」
レイくんはそこで口を噤んだ。また沈黙が訪れる。
それから少しして、家の前まで着いた。
「リリィはここまでだな」
「うん」
「リリィ、どうか気を落とさないで」
「…うん」
そして、私たちは別れた。家の扉を開く手が、とても重く感じられた。
☆
「ただいま」
俺は玄関の扉を開いて、家の中に入った。
「あれ?早かったね。今日は道場に行ったんじゃないの?」
リビングから母さんが顔を出した。
「!?どうしたのその血は!?何があったの!?」
先生を抱えた時についた血。母さんはそれを見て、血相を変えて部屋から飛び出して来た。
「あ、いや、これは…」
「怪我したの!?」
「違う…」
「じゃあ何なの!?」
「ごめん…。怪我はしてないよ、大丈夫」
「だったら、この血は…」
「…今は、話したくない。風呂に入ってもいいかな。その後で、話すから」
「…」
母さんは俺が怪我をしていないと知ってホッとしたようだ。
先生が殺された。先生を抱えた時に、この血がついた。そのまま正直に言ったら、どうなるだろうか。そもそも、どこから話せば良いのか。どれもこれも、現実離れし過ぎていて、話しようがない。
だから、少しでも現実から逃げたかった。
「とにかく、怪我じゃなくて良かった。お風呂は今から沸かすと時間がかかるけど」
「じゃあシャワーで良いよ」
風呂でもシャワーでも、どっちでもいい。俺はただ…。
風呂場で、手についた血を洗い流した。シモン先生の血。排水口に流れていく先生の血を見ると、心を抉られたような気分になる。
「先生、俺はどうすれば…」
最後に先生は言った。波動を極めろと。何故先生は、俺に波動を教えたのか。そして、先生が言っていた「あの人」とは誰なのか。
母さんは言っていた。母さんは、実は俺の本当の母親ではないと。母さんの姉が、俺の本当の母親で、俺が赤ん坊のときに死んだと話していた。そして、俺の父親もその時に一緒に死んでしまったらしい。
シモン先生は、俺の本当の両親のことを知っていたのか。
「分からない」
分からないことが多すぎる。何故、先生とコールは闘わなければならなかったのか。
「あの時くたばったと思っていたが、こんな所でコソコソ生きていたとはな」
「私は…私は武の道に進んだことを後悔していない。波動が悪だったんじゃない。波動の使い道を誤った、人間の心の弱さこそが、あの惨劇を引き起こしたんだ」
先生とコールの会話から、過去に聖煌流に何かが起こって、先生たちの仲を引き裂いたのは間違い無かった。
でも、先生はそのことについては、何も言わないで亡くなってしまった。
「波動は善ではない。だが悪でもない」
「君が波動を光へ導くんだ」
波動を光に導く。先生が俺に望んでいたのは、それだったのか。
俺の頭には、先生を喪った悲しさと、先生が残した疑問が入り混じり、もう何も分からなくなった。
でも、一つ言えることがある。
「恨んだりなんかしませんよ」
先生は、自分を恨んでも構わないと言った。でも、それだけはしない。先生は俺の、先生なのだから…。
シャワーを終えて風呂場から出た。結局、母さんにどうやって説明するかは全く思いつかなかった。
でも、母さんは何かを察してか、何も言わなくていいと言ってくれた。少しだけ、救われた感じがした。
昼食も夕食も、食べる気にはなれなかった。俺はそのまま、部屋に一日中籠もった。何も考えたくなかった。何も見たくなかった。
そして、眠ることもなく一日が過ぎ、11月15日は終わりを告げていった。
翌日、俺は学校に行った。本当は、誰とも会いたくなかったし、誰とも話す気力も無かった。でも、あのまま家に籠もっていたら、どんどんと俺の心は沈んでいってしまう気がした。
それは、先生が望んだことではないはずだ。まだ、何をするべきか、これから何が起こるのか全く分からないけど、ウジウジとしていることだけは違うと分かった。
今日ばかりは、リリィと待ち合わせをすることはなかった。でも、教室でリリィの姿を見た。何とか学校には来られたようだ。でも、何も話す気にはなれなかった。
同級生たちに話しかけられたが、力の無い返事しか出来なかった。何があったか分からないけど、元気出せよ。彼らの励ましの言葉は、素直に嬉しかったけど、まだ元気にはなれそうにないや。
朝のホームルームが終わると、担任の先生に話しかけられた。
「リヒトワール、昼休みに校長室に行ってくれ。校長先生がお話があると言っていた」
「校長先生が…?」
校長先生が、俺に何の用だろう。俺は分かった旨を先生に伝え、昼休みを待つことにした。
そして、昼休みになった。俺は教室を出て、校長室に向かった。思えば、校長室に入るのは初めてかもしれない。
ドアをノックすると、「どうぞ」と女の人の聞こえた。校長先生だ。
「失礼します」
俺はドアを開けて、校長室の中へ足を踏み入れた。