12月1日、14時。
レイスたちが修行に汗を流している中、リリィは癒えぬ心の傷を抱えたまま、部屋に籠っていた。
レイスに掛けられた言葉。それは、今のリリィにとっては、かえって眩しすぎた。人を殺してしまった。そのあまりに強い罪の意識は、最早乞うことも叶わない許し、誰も下すことは無い断罪を求めていたのであろうか。
様々な感情が交錯する中、ただひたすらに時が流れていく。
「………………………」
レイスに側にいて欲しい。だけど、手の汚れてしまった、こんな自分と一緒にいて欲しくない。そんな相反する感情が、リリィの心を着々と削っている。
リリィの部屋の前には、ミシェルが立っていた。
「リリィさん、大丈夫かな……?」
レイスたちから、リリィの話を聞いていた。ワルツに操られ、知らずのうちに人を殺めてしまった。しかし、本人は自分が殺したと思っている。いや、操られたと知っていても、自分の手が人を殺めたという事実が、いずれにせよ彼女を苦しめた。
レイスたちは、修行に力を注がねばならない。リリィを救いたいと思っているだろうが、来る決戦の時に備え、一分一秒でも時間が欲しい。必然的に、リリィと過ごす時は減ってしまう。
結果、リリィは孤独な時を過ごしていた。
ミシェルは、それが心配であった。誰でもいい、誰かが側にいてあげて欲しい。そう思った彼女は、自分が側にいようと思った。知り合って間もない。リリィは、自分を知っているかも分からない。それでも、誰かが側にいるという事が、少しでも彼女の心を解き放つきかっけになれば。
ミシェルは、ドアをノックした。
「リリィさん、入っても良いかな…?」
「…………………」
リリィの返事は無い。
ミシェルは、そっとドアを開けた。リリィは、ただ俯いて動かなかった。その様子からは、生気を感じられない。およそ17歳の少女とは思えない、無残な姿であった。
「っ…………」
ミシェルの心が痛んだ。リリィの苦しみが、鮮明に伝わってきた。
そんな彼女の姿は、ミシェルの記憶を呼び起こした。
かつて、メイヤー家の兄・姉たちから受けた数々の暴行。毎日が地獄だった。死んだ方がマシだと、何度も、何度も思った。今のリリィのように、生きる希望を失い、虚ろで生気の無い目になっていた。
それでも、心が完全に死ぬ手前で踏みとどまれた。
それは、グレイドがいたから。自分よりも2歳年下の弟。自分などとは違って、溢れるばかりの才能に恵まれ、常に前だけを向いていた孤高の波動使い。
グレイドは、彼女を助けた訳ではない。自分の事だけを考えて生きていた彼は、ミシェルに興味を示さなかった。ミシェルが苦しみで涙を流しても、慰めの言葉一つかける事は無かった。
それでも、グレイドは彼女に決して暴力を振るわなかった。家族の中で、唯一自分を傷つけなかったグレイドは、ミシェルにとっては特別な存在であった。ただ、同じ空間にいるだけでも、不思議と心に安らぎを感じられた。
そして、彼女の脳裏に鮮明に刻まれている光景。グレイドが6歳の頃に、夜に彼の部屋に入ったあの日。
通常、自室に無断で立ち入る者には激怒し、叩き出す彼が、その日だけはミシェルを追い出さなかった。
酒を飲んでいて、気分が良かったからかもしれない。いや、きっとそうである。
だが、グレイドはミシェルを見た。そして、笑いながら語りかけたのだ。美しい月夜を背に、得意げにほほ笑んだグレイドのあの顔は、20年近く経った現在においても、忘れる事が出来ない。
側にいるだけで、グレイドは図らずもミシェルを救った。
自分も、何とかリリィを救いたい。その一心で、ミシェルは部屋へと足を進めた。
「リリィさん………私の事、分かるかな…?」
「…………………」
リリィの返事は無い。
「まだ、しっかりと自己紹介してなかったよね…。 私は、ミシェル=メイヤー。 覚えてくれたら、嬉しいな…」
「……………」
やはり、リリィの反応は無かった。話を聞いてくれているのか、それすらも分からない。
それでも、ミシェルは続けた。
「……私、リリィさんの苦しみの、ほんの少しでも助けてあげられるか、分からない」
「でも、リリィさんには、元気になって欲しいと思ってる」
「……………」
「側に……いてもいいかな」
「……………」
「私、それぐらいしか出来ないけど……リリィさんの側に、いさせて欲しい」
「……………」
ミシェルの言葉に、リリィはピクリとも反応しない。それでも、ミシェルは諦めていない。いつか自分の言葉が、リリィに届く事を。
たとえ今は無理でも、リリィが笑顔を取り戻す日を。
☆
あれから数時間経った。
日はもう沈んで、冬の冷たい風が、汗ばんだ身体に吹きつける。冷える。
ゼクトさんの言葉を聞いてから、私は修行に集中する事が出来た。まだ、身体が自由に動くわけじゃない。レイスやテオのようには、とても動けない。それでも、私は進む事を止めてはいけないんだ。
レイスの、テオの、ゼクトさんの期待に応える為にも。リリィを守る為にも。
「……ぁっ」
そう思っていた矢先、まるで糸が切れたかのように、身体の力が抜けた。
まさか、限界が来たの?
術はかかり続けている。このままだと、地面に倒れ伏して動けなくなる。不格好だな…。
「おっと」
「…!」
だけど、倒れる前に、両肩を誰かに持ち上げられた。
「レイス…?」
「大丈夫か、フィーリア?」
顔を上げた先には、レイスの顔があった。すると、少しだけど、身体に力が入り込んでくる気がした。
「これは…?」
「俺の波動を、少し流した。ちょっとの間なら、それで大丈夫だと思う。今、ゼクトさんを連れてくるよ。それまで、待ってて」
「ありがとう…」
レイスは、優しいな。
ゼクトさんを呼びに行くレイスの背中を見て、私はあの時の事を思い出した。
レイスが、波動使いの女の攻撃から私を庇った、あの鉄道での出来事を。
会って間もなかったのに、彼は私を守った。その結果、片腕が無くなっても。あの場にリリィがいなければ、レイスはあの場で死んでいた。それでも、自分の身を顧みないで、私を助けてくれた。
「…?」
今一瞬、胸がドキドキしたような…。
何だったんだろう…?
そういえば、あの時のお礼、まだちゃんと言ってなかった。後で、言っておかないと。
そうこうしていうと、レイスとゼクトさんの姿が見えた。
ゼクトさんは、私の肩に手を乗せると、波動を流し込んできた。かなりの量の波動が流れ込んできた。身体に力がみなぎってくる。先ほどまでの疲労が、嘘のように消えていた。
「ありがとうございます」
「いえ。今日はもう遅いです。家に戻りましょう。…あれから、しっかりと集中できたようですね」
「! …はい」
「その意気です。一日、一日の積み重ねが、地味なようで最も重要なのです。 私は、先に戻っています」
ゼクトさんは、一足先に家に戻った。
「フィーリア」
レイスに呼ばれて振り向くと、ペットボトルを渡された。スポーツドリンクだった。ちょうど、喉が渇いていたところだ。
「ありがとう、レイス」
キャップを空けて、ドリンクを飲む。冷たい液体が喉に流し込まれると、頭が冴えわたる感じがする。程よいしょっぱさが、どこか心地良い。
「修行、キツイよな」
「え?」
レイスの言葉に、不意を突かれた気がした。
「…でも、レイスはもう動けるようになってるわ。私に比べれば、全然…」
「確かに、頑張って動けるところまできたけど、それでもかなり無理してる。何度も、倒れそうだって思った。俺なんかより、テオの方がよっぽど凄いと思う」
「…」
レイスは、そのまま続けた。
「だから、最後の最後まで踏ん張ってるフィーリアは、本当に凄いと思う」
「…?」
私が…?
さっきまで、くよくよしていた私が…?
「俺、シモン先生が死んだ時、凄く落ち込んだ。もう、何も考えられなくなるぐらい、不安だった」
シモン先生…。レイスが言っていた、お師匠様の事ね。
かつての修行仲間に襲われて、相討ちとなって亡くなった。
「テオに一緒に修行しようって言われた時も、すぐに決断できなかった。自分も、先生みたいに死ぬんじゃないかって思うと、凄く怖くて…」
「そんなの…。そんなの、当たり前じゃない…」
「でも、フィーリアは違った」
「…!」
「フィーリアは、離れ離れになったお兄さんのワルツを、世界中を旅して探し回って…。それで、ようやく再会出来たワルツが、あんな事をして…。それでも、フィーリアは迷わなかった。自分のすべき事をしっかりと見つけて、ひたむきに努力している」
そんな…。そんな風に、思ってくれていたのね。
でも。
「…私は、そんなに立派な人間じゃないわ。さっきだって、レイスたちと比べて動けない事に気を乱されて、修行に集中できてないってゼクトさんに言われた」
「でも、今はもう迷っていない。本当に強い人だよ、フィーリアは」
「………」
そんなに褒められるなんて。何だか恥ずかしい。
今、言わなくては。
「私も、言っておく事があるわ」
「? 何だ?」
風が少し強くなってきた。
「出会ったあの日、まだ知り合って時間も経っていないのに、レイスはあの攻撃から私を守ってくれた。あの攻撃で、死んでいたかもしれないのに…」
「…あの、鉄道での事か」
「ええ。 …あの時は、私を助けてくれて、ありがとう」
「……」
レイスは、私から目をそらし、頬を指で搔いた。
「あの時は、咄嗟だったから。別に、大層な考えがあったわけじゃないよ」
「それでも、私は助けられた。本当に感謝してる」
「……」
しばらく、沈黙が続いた。お互いの髪が、風に揺れている。
「なんか、改めてそう言われると、恥ずかしいな。 でも、お礼は受け取っておくよ」
レイスはニカっと笑った。その笑顔を見ると、私も自然に笑顔になった。
「さぁ、戻ろう。もう腹ペコだ」
「…そうね」
まだ、レイスが言うような、強い人には届かないかもしれない。それでも、いつの日か、届いてみせる。彼の優しさに、応える為にも。