12月4日、午後6時47分。
フィーリアは、確かなる成長を感じていた。
レイスとのあの会話で、心が解きほぐされたからか、落ち着いた精神で修行に打ち込めるようになった。
結果、フィーリアは術の負荷の中でも、身体を自由に動かせるようになり、波動量の増加を実感出来ていた。
「凄いな、フィーリア! もうそんなに動けるようになって!」
レイスは、フィーリアの急成長に驚いていた。
「ふふ、ありがとう。あなたのおかげよ」
フィーリアは、レイスに微笑んでみせる。
「え?俺のおかげ?」
彼女の意外な言葉に、レイスはきょとんとした。
「俺、何かしたっけ……」
「私の緊張を解いてくれたわ。そのおかげで、修行に完全に集中出来るようになったの」
「俺が……。でもとにかく、上手くいってるなら良かったよ」
「ええ。戻りましょう。お腹が空いたわ」
はじめはどうなるかと思われた修行も、各々活路を見出していた。希望の光が差し込んでいる。彼らの心は、少しずつ晴れていく。
彼らは知らない。
この翌日、化け物と化け物がぶつかり合う、正真正銘、本物の激戦というものが、遥か遠くの地で繰り広げられる事を。
そこで闘う者たちと、彼らとの間に存在する、絶対的な差を。
今はまだ、知らない方が良い。
12月4日、午後10時57分。
グレイド=メイヤーは、瞑想の真っ只中であった。超越的な波動は、しかし彼の身体を薄い膜のように包んでおり、荒々しさは感じられない。
「……………」
グレイドは、自身の首元に飛ばされた鋭利な氷の刃を、無言で受け止めた。
「良いねぇ。隙が全く無い」
刃を投げたのは、ワルツ=ゼルフォード。並の使い手ならば、今の刃で首を刺されていた事は言うまでもない。
「どうだ、決戦前夜ってヤツはよ」
「言い様の無い昂ぶりだ。俺はかつて、己より力を持つ者と対峙した事は無かった……」
「だろうな」
「だがアリス=リヒトワールは、この俺の力を超えているやもしれん女。いかなる闘いが繰り広げられるか、興味が尽きんというものだ」
「そいつは良いな。何せ、こんな才能の塊共が同じ時代に生きるなんてのは、人類の歴史でも無かった事だろうぜ。俺たちは正に、奇跡を前にしているのさ……」
「ククク………」
グレイドとワルツ。人智を超えた化け物2人。彼らもまた、遥か化け物の敵を前に、心を躍らせるのであった。
12月5日、午前5時54分。
決戦当日。絶海の孤島「
その200メートル程上空に、飛行船が飛んでいた。
搭乗するは、グレイドとワルツ。両者は飛行船のハッチを開け、上空から勢いよく飛び降りた。
島に着地すると、凄まじい轟音が鳴り、荒々しい土煙が空高く舞い上がった。
決戦を前に相応しい、豪快な登場である。
「おやおや、俺たちよりお早いご到着とはな……ククッ」
ワルツが見据える先には、長い黒髪に青い瞳の、美しくも哀愁の漂う白袴の女、アリス=リヒトワールがいた。
「ワルツ=ゼルフォード。此度は、貴女に決闘を申し込ませていただきました。どうぞ、宜しく……」
ワルツは、ボウ・アンド・スクレープで、礼儀正しくアリスに語りかけた。しかし、その顔は邪な笑顔を隠しきれておれず、慇懃無礼な態度が見て取れた。
ワルツが身に纏うは、「
そして、隣りにいたグレイドが口を開いた。
「メイヤー家第43代にして末代当主、グレイド=メイヤー。アリス=リヒトワール。此度は、貴様と拳を交えに到来した」
グレイドが身に纏うは、「
腕と脚の肌は見せない白い道着に、紺色の貫頭衣、そしてそれを帯で縛った、オリエンタルな雰囲気を感じさせる武闘服。胸には、メイヤー家の家紋である「龍」が描かれており、厳格な「武人」の風格を感じさせる。
アリスは、グレイドの姿を見ると、少し驚いた顔を見せた。
「貴方は………」
「何だ?」
「………意外」
アリスの言葉に、グレイドは疑問符を浮かべる。
「貴方みたいな人は、一対一の正々堂々とした決着を着けると思ってたから……」
「正々堂々…? ククククッ…………」
グレイドははじめ静かに笑い、少ししてそれは高笑いへと転じた。
「よもや貴様がそのような戯言をほざくとはな……何も学んでいないというのか。さればこそ、ザークの権謀術数に堕ちたと言えるか」
「……っ!?」
アリスの目が見開かれた。その瞳には、様々な感情が複雑に混ざり合っていた。
「アリス=リヒトワールよ。『正々堂々』などという世迷言は、蜚蠊の汚穢に驚くほどよく似ている………この世で最も価値の無い、唾棄すべき虚妄だ」
「………………」
「戦場において、勝者とは何者か?それは言うまでもなく、最後にその地に立つ者だ。いかなる御託を並べようとも、敵を確実に殺し、大地を踏みしめる者こそが真の勝者。揺るがぬ理よ」
「ケケッ、ごもっとも………」
「アリス=リヒトワール。此度は、貴様を殺しに来たのだ。紛れもなく命の奪い合い、そこに美徳の欠片も存在しない。然らば、貴様をより殺し得る状況を用意する事に、何の躊躇いがある?」
「…………独善的ね」
なんて冷酷で、冷淡で、冷徹な話か。
それでも………。
(貴方のように、ブレない「強さ」があれば、私はこうならずに済んだのかな………)
アリスはむしろ、決して揺るがないグレイドの思想を前にして、自身の在り方に後ろめたさのようなものを感じていた。
「独善、大いに結構…。それで貴様を殺せるのならばな……」
「ケケケッ………」
ワルツは静かに笑うと、その場から一歩退き、岩の上に立った。
「まぁ、俺の事は気にせず、始めてくれや」
「……………」
先程までの話とは違った展開。ワルツは後方で見守る形となる。だが、それが「正々堂々」を意味しない事は、アリスにもはっきりと分かっていた。ワルツの邪な微笑が、アリスの目に映っている。
次の瞬間、グレイドの波動が爆発的に高まった。
「………!」
その圧倒的な波動は、天へと昇るように、グレイドから放たれる。一点の陰りもなく光り輝く波動は、思わず目を閉じてしまう程だ。周囲には強風が吹きつけており、早くも超越者としての実力が見て取れた。
(凄まじい波動ね…。加えて、「光の波動」。この子は、間違いなく「デルタ」の実力がある)
天高く昇る波動は、次第にグレイドの拳へと集中していった。
(この感じ……拳圧に波動を混ぜて撃ってくる気ね)
間合いとグレイドの構えから、アリスは彼の攻撃を予想した。
拳が太陽の如き輝きを放つと、グレイドは拳を引いた。
「ハッ!!!!」
アリスは、腕を交差させて、拳圧を防ごうとした。
「がっ………!?」
気づくと、アリスの鳩尾に、グレイドの渾身の拳が深く食い込んでいた。
(……!? この間合いで………!?)
しかし、アリスの目の前には、グレイドの姿は無かった。そこにあるのは、空間に空いた謎の穴と、そこから突き出されたグレイドの拳だけであった。
そして、アリスは超高速で吹っ飛ばされる。「万能の天才」の予想すら上回った一撃。
初撃を決めたのは、グレイドであった。
「ヒュー、クールだぜ、グレイド」
ワルツは口笛を吹き、口もとを歪めた。
「さぁ、これで終わりなんて事はないだろ?アリス……」
いくつもの岩山を貫き、大きな岩場に叩きつけられたアリス。
腹部には、鋭い痛みが走っていた。今の攻撃で、あばら骨は粉々に砕け、内臓のいくつかもやられた。口から血も吐いていた。
「……………」
ゆっくりと目を閉じる。しかしアリスの身体は、無意識のうちに「転禍為福の術」を自身にかけていた。それにより、ズタボロになった腹部はあっという間に全快し、痛みも完全に消え失せている。
「っ……これでも死ねないの……」
アリスはゆっくりと身体を起こすと、下唇を噛んだ。その心は、何を思うのか。
そうこうしているアリスに、グレイドは急接近してきた。次にグレイドは、足に波動を込めて、回し蹴りを放ってきた。アリスの顔面を狙った、勢いのある殺人キックだ。
アリスは腕を顔の前に持っていき、これをガードしようとする。
「ぐっ…!?」
しかし、その蹴りは顔面ではなく、またもや腹部に命中していた。
(おかしい…!! 角度的にあり得ない…!!)
腹部に目を移すと、またもやそこには空間に空いた穴と、そこから突き出された足があった。
蹴られた方向に高速で吹っ飛ぼうとするアリスだが、その前にまるで磁石のように、グレイドのもとへと引き寄せられた。
グレイドは拳に波動を込めると、何も無い空間へと突きを何度も放った。
だが、それらは全てアリスの身体に命中。顔、肩、胸、背中。あらゆる部位へと拳を打ち付けられたアリスは、その場で片膝をついた。
そんなアリスの頭の上に、グレイドは足を持ち上げ、そのまま勢いよく踏みつけた。
「やはり、闇の波動の使い手ならば、光の波動により受けた傷も治癒出来るようだな」
「ぐぅっ…!?」
「どうした?アリス=リヒトワール。貴様はこの程度の女であったのか?」
足により力を込め、アリスの頭をグリグリと踏む。地面にはヒビが入っていた。
(あり得ない…!あり得ない角度からの攻撃……。この子の能力は、まさか…!)
「気づいたようだな、アリス………」
ワルツは、グレイドとアリスの様子を見て、一人ほくそ笑んでいた。
グレイドの波動能力「
空間を操る波動能力である。その熟練度は極めて高く、先程のようにワームホールを生成し、遠距離から近接戦闘をこなすことも出来れば、空間を歪める事で物体を引き寄せる事も出来る。
そしてグレイドは、まだこの能力の真価の、ほんの一部しか見せていない。
「驕りが過ぎるぞ、アリス=リヒトワール」
「うっ…………」
「いかに『万能の天才』と言えども、この俺の能力に対し、能力を用いずに闘うなど笑止千万」
アリスの頭から足を離すと、その髪を鷲掴みにし、自身の顔の位置まで持ち上げた。
「よもや、この程度の実力ではあるまい?」
「……………」
アリスは、グレイドから目を反らした。どこか物憂げなその瞳は、かえってグレイドの不興を買ってしまう。
「何だその目は…?」
グレイドは髪から手を放すと、落下するアリスの顔面を殴りつけた。
アリスはまたも岩山を貫き、島の奥へと消えていった。
岩盤に叩きつけられ、力なく地に伏したアリス。身体中に打撲の痛みがあった。
だが、そんな痛みも次の瞬間には消え失せる。グレイドの猛攻は、全てアリスにとっては無意味と帰す。
アリスが空を見上げると、そこには空中で立ったようにして腕を組んでいるグレイドがいた。これも、能力の応用である。しばしアリスを見下ろしたグレイドは、地上へと降りてくる。その様子は、「落下する」というのではなく「舞い降りる」という表現が正しい。ゆっくりと、しかし威圧感を放ちながら、地に足を置いた。
「貴様、やる気の欠片も感じられんな」
「…………………」
「俺など、相手にもならんという事か?」
「…………………」
アリスは黙ったまま、何も答えない。
(この子なら、このままいけば私を殺せる…。私の波動が切れれば、私は死ぬ。そうすれば、私はもう…………)
自身の死が思い浮かぶ。今まで背負ってきた、身に余るばかりの業。
死ねば、もう背負わずに済む。この地獄から解放される。そう思うとアリスは、気が軽くなった思いになる。口もとが、わずかに綻んでいた。
「貴様…………そこまで腑抜けていたか」
だが、そんなアリスの表情は、激闘を期待してやって来たグレイドにとっては、不快でしかなかった。
「ワルツよ、貴様はこの女ならば、俺の興を呼び起こすと言ったな。だが、結果はこのザマだ。所詮、取るに足らぬただの女でしかない。何とも嘆かわしい」
「………………」
グレイドに語りかけられたワルツは、何故か微笑を浮かべていた。それは、「期待」を孕んでいた。
(ここまでは想定内。あんたは、あわよくばグレイドに殺される事を望んでいる。その可能性は、想定内だ)
(そして、ザークがそれを許さないという事もな……ククッ)
「もうよい。興が醒めたわ。ここで死ね」
すると、グレイドの右手に光の波動が集中する。それはほどなくして剣の形となり、アリスへと向けられた。
「………はははっ」
長かった。17年間、何度も、何度も生まれてきた事を後悔した。
自分が生まれたから、皆不幸になった。自分が生まれたから、皆死んだ。
そんなアリスの苦悩も、苦痛も、あと少しで終わる。自然と、笑いが込み上げてきた。
グレイドは、剣を構え、アリスに向かい突進する。そのまま、首に刃が立てられれば、死。
いかなる波動使いも、首と胴が離れれば、蘇る事は最早不可能。
大きく振り上げられた光の剣が、アリスの首へと振り下ろされた。
「ん………?」
刃は、アリスの首を斬り落としているはずであった。
「……!?」
アリスもまた、目を見開いていた。
アリスの手は、グレイドの腕を掴んでいた。刃は首に当てられるまでに止められ、結果としてアリスは生きている。
「ほう……」
グレイドは、ニヤリと笑った。
(身体が……っ……)
アリスの表情が歪む。
彼女の肉体は、彼女の意志とは逆に、グレイドの攻撃を止めた。そして、次の行動に出ていた。
「これは……」
アリスの右手人差し指に、黒く冷たい、闇の波動が集まっていく。
「『閃』か!!」
「いや…っ!! やめ……!」
グレイドはその場を離れようとするが、片腕をアリスに掴まれていて動けなかった。人差し指は、グレイドの心臓に向けられている。
(中々の力だ。『閃』の放出までに振り払うのは容易ではない。ならば)
そして、アリスの意志とは裏腹に、漆黒の「閃」が放たれた。
しかし、それはグレイドには命中しなかった。
岩山を幾度と貫き、島の外へと消えていく「閃」。
グレイドは、左手に波動を込め、「閃」を弾いたのであった。
「ふん!!」
その左手で、そのままアリスの顔面を殴ろうとしたが、ついにアリスは手を放し、グレイドから距離を取った。
「あえてこの手で弾いたが……」
グレイドは、自身の左手を目の前まで上げる。
「敵の攻撃により『痛み』を感じたのはいつぶりか……。長きに渡り、この感触を忘れていたぞ」
彼の左手からは煙が上がっており、表面が焦げている。だが、グレイドはその左手を見てほくそ笑んでいた。
「先程までの無様な闘いは、小手調べ故という事にしてやる。さぁ、真の闘いの幕開けといこうか……」
焦げていた左手は、「転禍為福の術」により瞬く間に回復し、最早痛みの欠片も残っていない。グレイドは、
(結局、結局こうなるの……)
相対するアリスは、俯いたまま、下唇を噛んでいる。
ザークの術により、自死、あるいは死を招く行為は禁じられている。それに逆らえないアリスは、グレイドたちと闘うほかなかった。
アリスの身体から、蒼い炎が湧き上がる。
「ほう。炎か…………」
グレイドはそれを、興味深そうに眺める。
「っ…………………」
対するアリスは、その炎を出した時から、一層辛そうな顔となっていた。
最強と最凶と最狂の闘いは、まだ始まったばかりである。