いかにも校長室、といった風な大きなデスクが見えた。椅子に腰掛けていたのは、この学校の校長先生である、シフォン=アルヴィナス先生だ。
「こんにちは、リヒトワール君。よく来てくれましたね」
「こんにちは、校長先生」
実際に一対一で話すのは初めてだ。どこか緊張してしまう。
「そこのソファに腰掛けてください、私も移ります」
デスクの前には、応接用のソファがあった。俺はそこに腰掛けると、校長先生もまた腰掛けた。
「それで、今日は一体どのようなご要件で…」
「昨日、シモンが亡くなったと聞きました」
「!!」
今、なんて?どうして、校長先生がシモン先生のことを…。
「私は、シモン=レテーナの妹です」
「校長先生が、シモン先生の…?」
全く知らなかった。2人が兄妹だったなんて。
「兄が亡くなったと聞いたときは、とても残念でした」
「それは…」
家族だったなら、俺以上に辛かっただろう。俺は目の遣り場に困った。
「でも、いつかはこうなると思っていたんです。兄は、以前自身の死について語っていました」
「…!どういうことですか!」
俺は大きな声を出してしまった。取り乱したことにすぐ気づき、先生に謝罪した。
「いえ、良いんです」
「それで、先生は何を…」
「順を追って話す必要がありますね」
そして、校長先生は俺に質問をした。
「リヒトワール君、あなたは兄から『波動』については聞きましたか?」
「!」
波動のことまで知っていたなんて。
「…はい。一昨日、俺に初めて『波動』について教えてくれました。あと、道場の流派のことも」
「なるほど。根本的な事は聞いたようですね。そして、もう一つ聞きたいことがあります。兄は何故、死んでしまったのですか?」
「それは…」
俺は、先生が昔の修行仲間であったコールという男と闘い、そしてコールに殺されたことを伝えた。
「コールさんに、ですか。やはりそうだったんですね」
「知っているんですか?」
「ええ。コールさんは、兄の弟弟子でした。そして、彼もまた亡くなっています」
「!」
「兄が亡くなった所からすぐの所で、コールさんも亡くなっていたのです」
コールも先生と闘って死んでいたのか。かつての修行仲間が、どっちも…。
「私が何故彼らの死を知っているのか。簡潔に説明すると、私の夫が警察だからです。警察の中でも上の地位にいたので、現場の状況を知ることができました」
「そうだったんですか」
「とは言っても、警察はあくまで普通の人間。私たち夫婦は、兄から波動について伝えられていたので何が起きたか分かりましたが、2人の闘いについての完全な解明はほぼ不可能でしょう」
確かにそうだ。一般人には理解不能な領域の話だと思う。
「では、本題に入りましょう。兄が何故、自身の死について語っていたのか」
俺は緊張した。心臓の鼓動が少し速まったのが分かる。
「と言っても、私も波動や聖煌流について、詳しくは知りません。私は波動も操れませんしね。あくまで、兄が教えてくれた範囲でのみお伝えします」
「聖煌流の歴史はそこまでは古くなく、およそ70年ほど前に創設されたものです。兄は、若い頃から聖煌流で修行を積んでいました。波動を操る流派なので、一般的にはほとんど知られていません」
「そして現在、聖煌流はまとまった一つの流派としては壊滅状態にあります」
「壊滅状態…?」
とても不穏な話だった。
「はい。創設者は生死不明。それに次ぐような有望な弟子たちも、足取りが掴めなくなっています」
「そして何よりも、ある時に修行者たちの大半が殺されてしまったのです。聖煌流で学んでいた者は、1000人には満たなかったとの話ですが、その多くは現在まで生きてはいません」
「!」
聖煌流の人たちが、殺された?
「一体、何でそんなことが…」
「それは分かりません。何故殺されてしまったのか、誰が殺したのか。兄は知っている素振りを見せていましたが、結局分からずじまいでした。ただ、一人の者によって殺されたことは分かっています」
一人の人間によって、数百人の波動使いたちが殺された。とてつもなく恐ろしい話だった。
「それは今から17年前の話です。兄は命からがら逃げ延び、この街に行き着きました。そして、私に自身の状況について話してくれたのです」
17年前。俺が生まれた時じゃないか。そんなに前から、先生はここでひっそりと生きていたのか。
「自分は、何とか生き延びた。だが、いつかは殺されるかもしれないと。結局、その者によって殺された訳ではありませんが…」
校長先生は、静かに目を閉じた。思う所も多いのだろう。
「リヒトワール君、兄は最期にあなたに何か言っていましたか?」
今度は、校長先生が質問をしてきた。
「…先生は、俺に波動を極めろと言いました。波動は善でも悪でもない。だから、俺が光へと導けと」
「そうですか…兄は…」
「兄は、リヒトワール君に聖煌流の意志を継いでほしかったのでしょうね。最早、聖煌流は滅びるしかない状況にあります。兄も、長く修行をしてきた身。それだけは避けたかったのでしょう」
「それと、俺にはあの人の誇りが受け継がれている、とも言っていました。あの人というのが誰か分かりませんが…」
「受け継がれている…ですか。すみません、それについては私も何と言ったら良いか…」
流石に、校長先生にも分からなかったようだ。
「リヒトワール君は、どうしたいのですか?」
「え?」
「兄は、あなたに波動の修行を続けてもらいたいと言った。ですが、聖煌流の人間は多くが殺されてしまっています。兄自身も、この街で隠れるように暮らしていました。修行をする内に、あなたの身に危険が及ぶ可能性は十分にあります」
「それは…」
先生の死に落ち込んでいたが、自分がこれからどうするかは考えていなかった。
確かに、とても危険だと思う。波動は、街をあれほど滅茶苦茶にできる力だ。その力をもって、自分を殺しにくる奴がいるかもしれない。そう考えると、一層どうすべきか分からなくなった。
「私としては、我が校の生徒に、そんな危険な世界に身を投じて欲しいとは思いません」
教師の立場としては当然の意見だった。
「ご家族も、望んでいないと思います」
母さんも、俺がそんな世界に入ることには絶対反対するだろう。
「…もうこんな時間ですか」
時計を見ると、もう休み時間は残り5分となっていた。
「そろそろ授業が始まります。とりあえず、伝えることは伝えました」
「今日は色々教えて頂き、ありがとうございました」
俺は校長先生に礼をした。
「もし、何か相談事があれば、私に話しかけてください。…最後にもう一度念を押すようですが、兄の言うことに従う必要はありません。今の波動の世界が険しいことは、誰よりも兄が知っていたはずです。彼の思いは分かりますが、あなたはあなたの人生を第一に考えなさい」
「…ありがとうございます」
今後、どうするか。それは後々考えることにする。先生の意志を継ぐのか、波動の世界に別れを告げるのか。今の俺には分からなかった。
放課後。いつもなら道場へと向かうが、もう先生はいない。道場に通うことも出来なくなった。
「レイくん」
靴を履き替えていると、リリィが話しかけてきた。
「一緒に…帰れるかな」
思えば、中学に入ってから帰りにリリィと一緒に歩くことは少なくなった。リリィ自身もテニス部で忙しかったし、俺もあの時は様々な部活の助っ人をやっていたから、互いに時間が合わなかった。
「…うん。一緒に帰ろう」
俺は久々に、リリィと帰ることにした。
「…」
まだ、昨日のことが頭に残っている。お互いに明るい雰囲気にはなれなかった。せっかく一緒に帰るのに、会話は無い。
「そ、そういえばさ!」
話を振ったのは、リリィの方だった。
「お昼、校長先生に呼ばれていたよね。何を話してたの?」
何と答えるべきだろうか。波動や聖煌流について、言う訳にもいかない。俺は何とか誤魔化そうと思考を巡らせる。
「今、誤魔化そうとしたでしょ」
リリィがジト目で俺を見てきた。
「え、いや…」
「レイくんも私と同じで、嘘が下手なんだから。すぐ顔に出るし」
そう言われて、俺は下を向いた。やっぱりリリィは、俺のことをよく知ってる。
「良いよ、何も言わなくて。私に言いたくないことなんでしょ?」
リリィは微笑んでみせた。
「…ありがとう」
リリィの笑顔が見られて、俺はホッとした。昨日はお互いに、心がボロボロだった。でも、リリィはどうにか乗り越えてくれたみたいだ。
俺は、乗り越えられるだろうか。
随分と久しぶりに、和やかな空気に触れた気がする。また、いつものような日常に戻れると良いな。
そう思っていると、俺の携帯が振動し始めた。
「ん?電話だ。母さんからか?」
俺はポケットからスマホを取り出し、画面を見る。
「え、テオ?」
「テオくん?」
もう随分会っていない、俺のもう一人の幼馴染だ。あいつが電話をかけてくるなんて、何があったのだろうか。
俺は画面をスワイプし、テオからの通話に応じた。
ライム第一高等学校
レイスやリリィが通う公立の高校。ライムシティにはライム第一高校、第二高校が存在しており、ライムシティの少年少女の多くはそのいずれかに通うことが多い。
第一高校校長はシフォン・アルヴィナスが務めている。
ホルロスにおいては、小学校6年・中学校3年・高等学校3年がスタンダードな教育期間と言え、その後に大学や専門学校等の専門教育機関へと進学するケースが多い。
シフォン・アルヴィナス
波動使いシモンの妹。年齢44歳。姓が違うのは、結婚の後に旧姓の「レテーナ」から「アルヴィナス」へと変えたからである。
気丈な性格で、兄の死にもめげなかった。シモンからは、「波動」と「聖煌流」について、過去に何があったかを一部聞かされており、彼が街で生きていく援助を行っていた。