正義の名のもとに   作:李座空

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峠の交錯(10)

 ブリッツの最終攻撃をガードレールキックターンで掻い潜ったシルクは、首位をキープしたまま最終コーナーをパス。いよいよゴールまでの最後の直線に入った。

 直線といっても、その長さはほんの数十メートルであり、既に目と鼻の先にチェッカーラインは見えている。そこに至るまでの沿道には、フォーリナ贔屓のギャラリー達が所狭しとひしめいている。誰もが驚きを隠せずにいる様子だった。フォーリナによる峠の無敗が陥落する瞬間が、間も無く眼前で繰り広げられようとしている。

(カタキは、取ったぞ)

 引退レースを棒に振ったクラスメイト達に思いを馳せながら、シルクはすっかり消耗しきった脚を一歩ずつ踏み締めゴールへ近づく。

 思えばぎりぎりの戦いだったと感じていた。誘引工作に対抗すべく予め準備していたガードレールキックや、インベタ攻めと最終コーナーでの心理的駆引きが上手く嵌り勝てたものの、多重誘引策で転倒させられた際はさすがに泡を食った。不慣れなダウンヒルであったことも相俟って疲労は凄まじく、ゴールに着いたらその場でへたばってしまいそうだ。もうすぐ夜が明けるが、今日一日はまともに動けないだろう。

 学園の授業、今日もサボっちまうか。そんな事を思い浮かべながら、ゴールまで残り僅かと迫った時だった。

 コース脇にある崖の上、そこの雑木林が不意に揺れた。何かの気配を察知したかと思うと、ばさっと草葉が散り、人影が飛び出してきた。

 ギャラリー達も、コースを駆けていたシルクも、いきなりの事に吃驚する。

「なにっ!?」

 人影は草木を散りばめながらコース上に着地した。走るシルクの、すぐ真横だった。

 瞬間的に、シルクは人影と目が合った。目線だけでなくその姿形もはっきりと捉えた。シルクと同様にトレセン学園の制式ジャージを着た、小柄な黒鹿毛のウマ娘。

「ま、待って!」

 その黒鹿毛は、身を起こすや否や追って来た。シルクの背に縋るように。

 なんだアイツは。あれも三区走者の一人か。コース外の林の中を突っ切ってくるなんてアリなのか。幾多の疑問がシルクの脳裏で渦巻くが、競走者としての本能が唯一明快な結論を断じる。

 ――コイツ、アタシからトップを奪おうってのか。しゃらくせえ。フォーリナをぶっ倒しておきながら、この土壇場で他のヤツに抜かれて終わりじゃ、格好つかないだろうが――。

「抜けるもんなら、抜いてみやがれ!」

 悠々とゴールラインを落とし込むつもりが一転、シルクは残る脚力を振り絞り、再スパートを切る。強烈な蹴り出しで突き放しにかかった。

 ギャラリー達はゴール前の更なる急展開に、すっかり浮足立って狂乱している。

「なんだ、あのちっこいの!?」

「あの子、フォーリナを負かした問題児を、更に負かそうっていうの!?」

「うああっ、とんでもねえ事になっちまった!?」

「ど、どっちだ、どっちが勝つんだ!?」

(決まってる、アタシだ!させるかよ!)シルクは最大限の末脚を引き出し、大きく伸びた。そのままゴールへいの一番に滑り込むかに思われた。

「待って!ジャスティスちゃん!!」

 しかし背後から投げ掛けられた黒鹿毛の叫び声に、脚が鈍らされる。何故かはわからないが不意に体が反応した。

 いかないで、という風に聞こえたのだ。

 追い付いてきた黒鹿毛と並ぶかたちで、二人はほぼ同時にゴールラインを割った。

「ああ……フォーリナが負けた!勝ったのは例の問題児と、ちっこい黒鹿毛だ、同時ゴールだ!」

「待てよ、あのちっこいウマ娘って第一区の走者じゃないのか?」

「全区間通しで走って来たのか、どういう体力してんだ」

「どっちも、とんでもねえやつらだ……!」

 囃すギャラリー達を尻目に、シルクはゴールインするや否やその場に倒れ込む。今のスパートで、完全に体力を使い切ったのだ。仰向けになり肩で息をつき、呼吸の安定に努める。

 黒鹿毛もそれは同じらしかった。小さな身をよろつかせ、屈んで咳き込みながら息を整える。が、すぐさま身を起こすとふらつきながらもシルクの方に歩み寄ってきた。疲労困憊ながらも、瞳に煌々とした光を湛えながら、彼女はシルクのもとで膝をつく。そして愛慕を込めた言葉を零した。

「やっと会えた、ジャスティスちゃん……。わかる?私だよ……エリモダンディーだよ。またようやく会えた……」

 云いながら、黒鹿毛の頬には幾条もの涙が伝っていた。嗚咽を漏らし、黒鹿毛――エリモはシルクの胸に顔を伏せてさめざめと泣きはじめた。

 まるで生き別れた近親者同士が再会したかのような光景に、周囲のギャラリーは呆気にとられる。

 が、対するシルクはというと、息も落ち着き冷めた目で状況を見つめていた。

「……誰だよ、お前」

「え……?」

「いきなりなんだ。誰だって聞いてんだ」

 苛立たしげに問うシルクに、エリモは身を固くする。潤んだままの目が、驚いたふうに見開かれている。

「私だよ、エリモダンディーだよ。覚えていないの……?」

「知らん。お前なんざ知らねえ、誰だよ!」

 突き放すように云われ、エリモは体を起こし後ずさる。その顔には驚愕と困惑がない交ぜになって浮かんでいる。

「カァ~ッ……同着だぁ?なんてざまだよ、格好つかねえ、締まらねえ。アタシとしたことが、最後の最後で抜かった、ぐぐう……」

 頭を抱え悶絶し、シルクは地団駄を踏む。苛立っているのは、最後の直線で追いつかれた自身に対してらしい。フォーリナを破り完勝を飾るつもりが、結果的に水を差される形となってしまった。

 憤懣を振り撒き近寄り難くなったが、それでもなおエリモは食い下がる。

「本当に覚えてないの。忘れちゃったの?」

「だから何なんだ、お前は!知らねえっつっとろうが」

「昔、あの公園で遊んだでしょ。お喋りしたり走り回ったりしてくれた。でも、ある日突然……いなくなっちゃって、ずっと探してたんだよ……」

「はあ?何の話だ、意味が分からねえ。人違いじゃないのか」

「私は、私は……ジャスティスちゃんとまた会いたくて、一緒にまた走りたくて、だから」

 哀しげに顔を歪め、エリモは再び縋る。

「いい加減にしろ、しつこいんだよ!」自分の勝利にケチを付けた相手から訳も分からず距離感を詰められ、業を煮やしたシルクは思わず手を出した。そして直後にあっ、と内心慌てた。振り払うだけのつもりで薙いだ手の甲は、間が悪く相手の頬をまともに張ってしまったのだ。

 突如繰り広げられる修羅場に周囲のギャラリーは息を呑み、場がしんと静まり返る。

 さすがにシルクもばつが悪かった。意図しなかったとはいえ、手を上げてしまった後ろめたさに狼狽する。こいつのせいで妙な事になっちまったと心中で毒づくも、義理人情が根にあるがゆえ、そのまま放っておくことも出来ない。

「わ……、悪かったよ」

 仕方なく、はたかれて俯いてしまった黒鹿毛に手を差し伸べる。差し当たりとりあえず、シルクの性格上そうしてやらねば良しとしないからだった。

 ところがその直後、不思議な事が起きた。

 沈んだ表情をしていたエリモは、突然意を決した表情になると、差し出された手を強く『()()()()()』。さっきので怒ったのか、とシルクが身構えた矢先、不意に奇妙な感覚が全身を駆け抜ける。頭の中や、心の奥底を、何かが通り過ぎていくような感触がした。それは得も言われぬ温もりを湛えた、緩やかに吹く風のようであった。どこか温かみのある不可思議な安堵感を覚えたシルクだったが――それはほんの一瞬だった。

 一転して直後、猛烈な忌避感と拒絶感がシルクを襲う。同時に、脳裏を幾つもの残影が擦過した。

 古めかしい洋風建築の屋敷。

 抱きしめてくれる母親の笑顔。

 睥睨する父親の鉄面皮。

 扉の向こうで言い争う父と母。

 散らかされたダイニング。

 赤く染まった小さな手……。

 決して見られてはならないものを覗かれ、見透かされたような――心を粟立てる怖気にたまらず、反射的にエリモの手を強引に振り解く。

「お、お前……今、何を」気付けば異様な早鐘を打っている心拍を自覚しながら、恐る恐るシルクは問う。

 エリモはそれには答えない。無理矢理振り解かれた自らの手を、張り詰めた様子でじっと見つめ続けている。

 が、少しして彼女はおもむろにシルクへと向き直った。先程まで哀色を滲ませていたその眼差しには、打って変わって真摯な光が宿っている。残る涙を拭い、気丈にはにかんだエリモは絞り出すようにただ一言こう告げた。

「大丈夫。私が必ず、あなたを取り戻すから――」

 

 ***

 

 既に朝陽は昇りきった。

 新たな一日を告げる眩い陽光を反射しながら、ボロボロの旧車《パブリカ・スターレット》が、がたがたと音を立てながら路肩に止まった。如何に無茶な走行をしてきたのか、ボンネットから立ち昇る湯気が物語っている。

 停車位置から少し離れた場所では、若者たちが寄り集まって喧噪を奏でていた。峠のレースの観戦者であろうか、電話越しに受けた情報通り、峻烈な野良レースが日夜行われているという大垂水峠のゴール地点はどうやらここらしい。

 今日はどうやって灸を据えてやるか、そんなものが今さら響く連中でもないか――中年オヤジトレーナー・島原は自問自答しながら、車のドアを開けてその場に降り立った。朝の身を切る峠の寒さに身震いし、思わずくしゃみを一発。びろんと伸びた鼻水がアスファルトへ伸びる。

「うへぇ、きたな……」

 地べたから拾い上げた小枝で、伸びた糸をみっともなくも細断しようと振り翳す。

 そのさなかに島原は見た。意図せず視界に飛び込んできた。

 ギャラリー達が注目する只中に、佇む二人のウマ娘の姿。うち一人は、自身が主宰する『チーム・アルルバ』の良くも悪くも顔ともいえるウマ娘、シルクジャスティス。

 そしてもう一人。小柄な黒鹿毛のウマ娘。

 両者は、何やらひと悶着起こしている様子らしかった。シルクが手を上げ、場が張り詰めたかと思うと、黒鹿毛の方が再び詰め寄り、何か大事そうに告げている。距離が離れているので、何を言い合っているのかも、どんな状況なのかも子細までは分からない。

 それでも島原は、鋭敏に感じ取った。運命の遭逢、止まっていた歯車が動き出す瞬間を。

 シルクジャスティスとエリモダンディー。あの二人は、出合うべくして出会い、そして今再び、再会すべくして再会した。それが意味する処とは――。

「とうとう、出会っちまったか」

 島原は買い足したばかりの煙草をふかしつつ、眉の皺を深くした。その表情は二人の再会を祝するようでもあり、憂いているようでもあった。

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