競走史の授業後、シルク達三人は空腹を堪えながら校舎を抜けだした。次の授業のバ化学(ウマ娘化学の略称である)を受けるつもりは更々なかった。育ち盛りの空腹は苦痛以外の何物でもない。
校舎の裏手にある、ひと気のあまりない庭園に陣取った三人は、その場で袋いっぱいの昼食を広げた。ごくありふれたコンビニの食品群が、空腹効果でご馳走に見える。
「あ、焼きそばパンはオイラが食べるの!」
「ダッツてめえ。先にアタシが目星つけてたんだ」
「まあまあ、他にもいっぱいあるからケンカしないの」
和気藹々としながら三人で遅い昼食を摂った。たっぷりと仕入れたコンビニ飯を、我先にと取り合い平らげていく。
トレセン学園にはビュッフェ形式の豪勢な学食があるが、堪能できるのは高額な食堂使用料を納めた生徒のみである。シルク達は経済的理由でそれを利用出来ず、日々の食事は自前だ。
今日は不良退治の報酬で、いつに無く大量の食糧を確保し得たわけである。
「食った食べた、満足だ! こりゃ当分動けないぞ」
一番がっついていたダッツが、いち早く満腹となったようだ。残る二人もすぐに満腹になり、草地の上に仰向けになる。
「食べきれないくらいね。久々に満腹だわ、これは」
「……ああ」
三人とも庭園で横になったまま動こうとはしなかった。成長期の凄絶な空腹を満たした後の充足感に勝るものなし。暗黙の了解で次の授業のサボりは確定だった。
学園全体がまだ課業中というだけあり、第三者の来訪は皆無なので、庭園は静寂に包まれている。そのままぼうっと横になっていると、眠りに落ちてしまいそうな弛緩した空気が流れていた。
実際、ダッツは昼食を終えた直後からすやすやと寝息を立てている。
「お前なあ、ここは家じゃねえぞ」
「まるで子どもね」
布団で熟睡しているかのような寝姿に、シルクもランも呆れて苦笑する。心易い空間だった。チーム・アルルバの三人衆は、そのまま自由気ままに昼下がりを満喫するかに思われた。
が、不意にシルクは顔を上げて視線を射った。その目線の先には校舎の柱。そこに人影を認めた。
「どうしたの?」
「何でもねえ」
ランに問われ、シルクは平静を装って応じる。
が、何でもなくないことはランにもすっかり分かっていた。
「……また来てるわね。例のアンタの旧友」
「何が旧友だ、あんなヤツ知らねえっちゅうとろうが」
「ホントぉ?」
「知らねえもんは知らねえんだよ」うんざりとした面持ちでシルクは傍目に見る。柱の陰からこちらをじっと見つめてくる、小さな黒鹿毛の姿を。
エリモダンディーだった。あの峠のレースで、シルクによりフォーリナの無敗が陥落するかと思われたゴール間際に、乱入してきたウマ娘。
峠の一件後、彼女についてもちょっとした話題になっていた。ショートカットを駆使したとはいえ、峠を全区間踏破し最終的にシルクと同時ゴールを飾るという、常人離れした体力に関心が集まった。それに加え、ゴール直後にシルクと交わした修羅場めいたやりとりも相俟って、「学園の問題児シルクの跳梁跋扈に待ったをかける謎のチビ黒鹿毛」などという流言飛語が局地的に囁かれていた。
そんな事を知ってか知らでか、エリモは峠の一件以降、ちょくちょくシルクの周囲に姿を現すようになった。しかし彼女は素行調査の探偵よろしく、少し離れた所からじっと窺い見るという、奇妙な行動をしてくるのみだ。
「もう何度も言ったろ。アタシゃ、アイツのことなんか知らねえ。アイツ、何か勘違いしてやがるんだ」
「そうかなあ。峠で再会した時、あの子感激のあまり号泣したっていうじゃない。それって、よっぽど向こうはアンタに会いたかったってことよね。それを人違いなんかするとは思えないけど」
「んなこと言ったって」シルクは言葉を詰まらせた。ランのもっともな反論に、咄嗟に返す言葉が無い。仕方なく語気を強め「知らねえもんは、知らねえよ」と言い捨て、そっぽ向いて寝転んだ。
「ふうん……」
ランは曖昧に頷き、それ以上追及するのは一旦やめにした。気が短いシルクの性格上、執拗に訊き質すのは得策ではないとこれまでの付き合いで分かっている。
それでも不思議に思わずにはいられなかった。ランとダッツも峠の山頂でエリモと一度会っている。シルクは三区を走っていると教えた時、エリモの目が純白な煌めきを見せたのも覚えている。それゆえ、後からシルクに「あんなヤツ知らん」と聞かされた時には二人も驚いたものだった。
それからというもの、ランも、シルクとエリモの関係性が気になって仕方なかった。お節介焼きな彼女の、半ば興味本位からくる関心なのだが。
(本当に単なる勘違いなのかしらねえ──)
青鹿毛の髪をかきあげながら疑問符を浮かべていたその時。
ぐうぅ──……
低い唸り音が庭園に響く。静寂ゆえに鳴り渡った、といえようか。
シルクとランは聞き覚えがあるものだった。つい今しがたまで、自分達も体内からその音を発していた。空腹時に鳴る腹の虫の音である。
その発生源はどこか。
今庭園にいるのは、四人。シルク・ラン・ダッツは昼食を食べたばかりで腹の虫が鳴る筈はない。ということは。
「…………!」
離れた所で様子を窺っていたエリモが、羞恥で頬を赤くした。お腹が鳴ったのは彼女に違いなかった。
「ぷっ、ふふ。アンタの旧友ちゃん、お腹空かせてるのね……あはは」
ランは笑いを堪えた。こっそり様子を窺っているつもりだろうが、あれでは一発でバレてしまう。
何だアイツ──とシルクは顔を顰める。ダッツは隣で依然すやすやと眠ったままだ。
ふと、ランに妙案が浮かんだ。彼女は手元に残っていた昼食袋に手を伸ばす。
「これ、あの子にわけてあげない?」袋を翳してシルクに尋ねた。コンビニで大量に工面して貰った昼食のうち、三人がかりでも食べきれなかったものが一つ残っている。
「は? 何でだよ」
「もう私達お腹いっぱいだし、いま食べなきゃ消費期限過ぎちゃうし。あの子に譲ってあげましょうよ」
「どうして、んなことしなきゃならねえんだ」
「まあいいじゃない、ほら」
ランはシルクに袋を押し付けた。中には足の早いシーチキンおにぎりが一つだけ入っている。
「ねえそこの、エリモダンディーさん、だっけ! お腹減ってるんでしょ。残り物で悪いんだけど、おひとついかが」
そしてその場で身を起こし、エリモへ呼び掛け手招きした。
「おいラン、何のつもりだ」思わずシルクは浮き足立つ。
が、そうやって当惑する間もなかった。
いつの間にやら、気付けばエリモがすぐそばにまでやってきていた。いかにも空腹を堪えた風情の彼女は、口元に滴る涎を寸でのところで塞き止めながら、シルクの眼前にて居住まいを正していた。その様は、さながら主に付き従う忠犬のようだ。
「な、なんだよ……」
「……」
「シルクがこれ、譲ってくれるってさ」ぎこちない二人を仲介するようにランが口添えた。
「いいんですか」
エリモの目が食欲で揺れている。相当に空腹らしかった。
ランめ余計なことを、このお節介やろう──シルクは心中で毒づく。すぐに辛抱ならなくなり、おにぎり袋をエリモに押し付けた。
「言っとくけど、このまま残すともったいねえから、くれてやるだけだからな」
釘をさすように云うと、シルクは立ち上がってその場から退散した。
「ちょっと、どこ行くのシルク」
「うっせえ」
「なによ拗ねたの? 変なの……」
一人で庭園から出ていったシルクは放っておいて、ランはあらためてエリモに向き直った。押し付けられた袋を開け、彼女はしみじみとおにぎりを味わっている。
「よっぽどお腹空いてたのね。見たところあなたも私らと同じで、学食とは縁がない苦学生ね」
「…………」
「ああ、自己紹介まだだった。私はランナイジェル。こっちで寝てるのがアルダッツ。一応、シルクと同じチームなの」
「…………」
無言で食事を頬張りながら、エリモはこくこくと頷いた。小動物のような庇護欲をそそられる仕草に、思わずランは相好を崩す。
どうやら友好的に話せそうだ。好機とみて、ランは思い切って質問した。
「ねえ、あなたシルクとどういう関係? 旧友だって話だけど、いつから知り合いなの」
エリモはよく噛んで飲み込むと、何か考えるように目を伏せ、少ししてから応じる。
「……小さい時から、です。同じ町に住んでいて、よく一緒に遊んでもらったの……」
「へえ、幼馴染ってことね。そういやシルクって昔の事全然話したがらないのよね。アイツ、どんな奴だった? というか、出身はどこ? 学校は?」
興が乗り、ランは身を乗り出して色々尋ねた。
しかし対するエリモは身を引き、神妙な面持ちになり返事を控えてしまう。
「ごめんごめん、不躾に聞き過ぎたわね」さすがに初対面の気弱そうな相手に前のめりになりすぎた。「でも再会して泣いたってくらいだから、余程アイツにまた会いたかったのね」取り繕おうと、ランはさり気なくそう言い添えた。
あまり深く考えずに発した言葉だったが、エリモは思い染めるように悠然と頷く。
「ジャスティスちゃんは、あの人は──」直後にエリモが目を細めて告げた言葉に、ランは少なからず喫驚した。「恩人なんです。私を救ってくれた、光をくれたひとなんです」