翌朝、「窓際クラス」での朝礼の風景。
いつものようにやる気なく出欠点呼を取る女担任とそれに応じる生徒たちの声が交互に響く。
「シルクジャスティス」
「……へぇい」
「ランナイジェル」
「はい」
「アルダッツ」
「ハイっ!」
遅刻常連面子が連日時刻通り登校したことに少々面食らうも、担任はその後も淡々と名前を読み上げていく。
二十名にも満たぬ数を読み上げ最低限の伝達事項を告げると、すぐさま出欠簿や業務書類を教壇で纏め、こんな教室に長居は無用と云わんばかりに退室する準備に入った。
「うん?」
出欠を取った時点で、シルクは違和感を察知した。名を呼ばれたが返事のない生徒が数名いたのだ。
例のブラック下宿談義の際、様子がおかしかったクラスメイト達が欠席している。
「なあ先生」直感が働き、シルクは挙手して訊ねる。「今返事が無かった連中、どうしたんだ」
「はい?」担任は怪訝な顔で応じる。「知らないわよ。何も連絡、来てませんから。そもそもシルクジャスティスさん、他人の出欠にどうこう言える立場?」
挑発的な言葉を云われ、シルクは眉を寄せる。教室の空気が冷える、険悪な気配。
しょせん窓際だからと、自分のクラスの生徒にも冷たく接する担任を、シルクはじっと睨みつける。
「な、なによ」さすがに気圧されたのか、狼狽気味に担任が云う。
しかし直後、シルクはおもむろに担任の背面を指差して、
「先生。背中に、ゴ●ブリがっ」
わざと切迫した早口でそう告げた。
刹那、金切り声が教室に反響する。
「ああぁぁあ誰か取っ払って、きええぇ──っ!?」
手にしていた出欠簿や業務書類を放り出し、担任はその場で踊り狂った。
それを見て笑い転げるクラスメイトたち。やれやれと苦笑するラン。取ってあげるぞ、と律儀に構いにいくダッツ。教室はしばらくの間、騒乱状態に陥る。
(悪いな先生)
その隙を見計らい、シルクは床に落ちた出欠簿を拾い上げ、一挙に目線を走らせた。
そして人知れず吃驚した。
(なんだ、これは──?)
ねちねちと説教したのち担任は去った。
一限目が始まるまでの間、クラスメイト達はシルクを熱賛した。
「さっすがシルク、あの横柄な担任に目にモノ見せたわねー」
「いつもむっつり塩対応なのに、あのきりきり舞い。思わず笑っちゃったわ」
笑い冷めやらぬクラスメイト達の対応もそこそこに、シルクは尋ねる。
「なあ、今日休んでる連中のことなんだけど」
担任に訊いたのと同様の質問をクラスメイト達にした。すると何人かが、情報を持っていた。
「あの子達、最近よく欠席してるみたい」
「もうすぐ、新バ戦でデビューするって話してたのにね」
「確か、みんな同じ下宿先だった筈だわ」
「……同じ下宿だって?」シルクは眉をひそめる。
「そうそう。多摩川の向こうの、山の手のニュータウンにある下宿って聞いた」
「家が大きいわりに、家賃がすっごく安いんだとか」
話を聞いて、シルクは心中に妙な引っ掛かりを感じた。昨夜、酔った八谷の語りを聞いた時の胸騒ぎと同じだ。
「その下宿先のこと詳しく分かるか?」
「えっと確か、学生支援課の賃貸物件紹介にあったような」
「トレセン学園周辺の下宿先を、生徒向けにリストアップしてるでしょ。確かそこに──」
すぐさま一限目の授業を抜け出し、シルクは廊下を進んだ。その後ろを、ランとダッツが少し遅れてついてくる。
「ねえ、どうしたの。今日も授業サボるの?」
「どこ行くんだ、シルクー!」
「お前ら、別についてこなくていいって」
「そんなこと言ったって気になるじゃない」
「もしやまた何か、ひと暴れか!?」
ランとダッツは、シルクが何かしようとする時はいつも一緒について回るのが慣例だ。
シルクはまだ何も答えず移動を続け、やがて「学生支援課」と札の掲げられた部屋の前で足を止めた。
学生支援課は、トレセン生の学園生活に関連した各種手続き、相談、雑務等を受け持つ部署だ。生徒と学園間の事務手続きや、施設利用申請、健康相談、アルバイト募集閲覧などで誰しも一度は訪れる場所である。
中に入ると、相談スペースには数十名の生徒が列を成していた。支援課は一限目の開始とともに始業となるので、朝一で相談に訪れた生徒達だろう。
いずれも、どこか窮乏した風体の生徒ばかりだった。経済的に切迫しているであろう彼女らの目当ては、学園近辺の好条件のバイトか或いは──家賃を抑えた労働前提の下宿の紹介だ。
案の定、相談用個別ブースの衝立の向こうからはそうした話題が断片的に聞こえてくる。
「支援課で、何するの?」
ランの問いには応じず、シルクは相談ブース横の資料コーナーに向かう。自由に閲覧できる新聞や各種資料類、記録台帳などが所狭しと並んでいる。
そこから一冊のファイルを探し出すと、手に取って待合テーブルの上に広げた。ファイル表紙には「下宿先紹介一覧簿」と書かれている。トレセン生向けの下宿先紹介チラシが、地区・相場別にプロファイルされている。
紹介物件の総数は数百件あるが、その殆どは学園近傍の府中市内のものだ。隣接地区のものは少数しか見当たらない。
シルクはファイルを一気に捲って「多摩市」の物件頁を見た。学園から通学圏内であるが、やはり物件数は十数件と数える程しかない。
その中に一件、大きな日本家屋の写る物件写真が目に留まった。シルクがじっとその項目を見つめるので、他の二人も倣って覗き込む。
「そんなの見て、今さら引っ越しでもするの?」
「おっ、夜逃げか夜逃げか!?」
「違わい」茶化す二人にシルクは半目を向ける。
だがその物件紹介を見て、二人もすぐ妙な事に気付いた。
「……なんかこの物件、いやに条件が良いわね」
「本当だ。家はでっかいし、部屋はキレイそうだし、家賃もすっごく安いぞ!」
三人が怪訝に思うのも無理はない。その物件は多摩地区随一の高級住宅街という好立地であり、紹介写真を見た限り家屋の内観・外観ともに綺麗で、多くの下宿生達が住まう場末のボロ宿場とは見るからに別格だ。にもかかわらず、家賃・管理費・水光熱費は相場より遥かに低く、価格破壊といってもいい。
家賃代わりの労働は当然あるのだろうが、不自然なほど条件が良すぎる。ここまでくると一周回って怪しささえあるが、それでも居住環境の良さ、家賃の低さという魅力が重なっているので、下宿先を探すウマ娘なら取り急ぎ即決しても不思議ではない。
「今日休んでるクラスの連中、皆ここで下宿してるらしいんだが」
シルクは指先で顎を揉みながら、何かを考え込むように眉間に皺を寄せる。
「……もしかして、何か問題ある感じ?」
ランが慎重に尋ねた。シルクがこういう風に思案に耽るのは、いつも決まって何か問題事に首を突っ込む前触れであるのを知っている。
「ええっ、本当に夜逃げするの!? 確かに見た感じ住みやすそうなとこだけど……でも八谷のオバちゃんのまかないも捨て難いし、うーん……」
何を早とちりしたのか、ダッツは飛躍した懸念を抱き一人で懊悩しだす。天然である。
そんなダッツの頭をポンと叩いたシルクは、ファイルを元の場所に戻して立ち上がった。
「もう少し調べてみるか」
「ちょっと、今度はどこ行くの」
まだ話が見えてこないランに問われ、シルクは天井を指差した。上階には、三人の直属の指導者でありながら普段あまり顔を合わせることのない「あの男」の執務の間がある。
「トレーナー室だよ」
フロアの最果てにある、一見すると物置きのような小さな部屋が、島原のトレーナー室だった。
一般的なトレーナーにあてがわれるそれと比べると広さは半分も無く、窓を開けても風通しは悪く日当たりも悪い、日陰者に相応しいその部屋の中には、空になったインスタント食品の容器やコーヒー缶、煙草の吸い殻が山積していた。デスク上とその周辺の床には業務書類や資料、書籍類がそこかしこで無造作に積み上がり摩天楼を形成している。使われる機会のない来客用ソファは埃を被っていて、ゴミ袋の集積場と化していた。
「……勝手にトレーナーのパソコン使って、次は何する気?」
「今に分かる」
「なんかスパイみたいでワクワクするぞ!」
デスク上に据付けられている島原の業務用パソコンの前に、三人は陣取っていた。電源を入れたばかりで、ディスプレイ上には起動画面が映し出されている。ややあってユーザーパスワードを求める入力画面が出た。
「パスワードは……『djfo7rg』っと、ほい」
「わ、正解じゃん。なんでわかるの」
「凄いぞシルク! 本物のスパイみたいだ」
シルクは吐息をつきながら、ディスプレイ脇に貼られた小さい付箋を指で小突いた。汚い字で『djfo7rg』と記されている。ちなみにこれをキーボードでかな入力すると『しまはらやすき』──。
「こうやって見えるところにメモ書きするやつ多いんだよ。機械オンチのあのオッサンなら然もありなん、こりゃパスワードの意味が無えわな」
スタート画面に遷移したのを確認し、シルクはマウスを操作し始めた。
チーム・アルルバ所属時より渡されている合鍵を使い、三人は島原のトレーナー室へやってきた。今日も遅刻か欠勤か、島原が在室していないのは好都合だった。相変わらずの部屋のたばこ臭に辟易しつつも、シルクはすぐに彼の業務用パソコンを立ち上げて今に至る。
まずデスクトップ画面からトレセン学園のデータベースを開いた。トレーナー業務で使用する、学園のサーバーと直接繋がるページだ。学園の業務も昨今は電子化が進んでおり、書類のやり取りや関係箇所との連絡、データ管理等も全てこれを介して行われている。
その中には当然、部外秘の業務資料や個人情報等へのアクセスルートもあった。
「ねえ、シルク。それってちょっと……」
「悪用なんかしねえ」
気を揉むランを先読みするように、シルクはきっぱり云った。
ページは次々と進み、画面上には学園に在籍するウマ娘の名簿と思しき一覧表が現れる。名前や学年、住所、連絡先等個人情報が横書きで無数に連なり、シルクはテキパキとマウスを操作してそこから何かを割り出そうとしている。
その横顔は真剣そのものになっていて、ランもダッツも口を挟むことも忘れ見守った。
何かが起こる、否、起こすつもりか。いつものように「正義の活動」を──そんな予感を二人は知覚してくる。
やがて、数名のウマ娘の名簿だけが絞られて画面上に残った。見ると、その生徒達は全員現住所が同じ場所だった。おそらく同一住所で下宿生活をしているようで、シルクはその割り出し作業をしていたらしい。
「あれ、この住所って……」
「さっきの、でっかい屋敷のところだぞ」
その住所は今しがた見覚えのある場所だった。例の多摩地区の、破格の好条件物件の住所に間違いなかった。
「今、画面上に名前のある連中は皆ここが現住所みてぇだな」
腕組みして画面を俯瞰し、シルクが云う。その名簿の中には、窓際クラスを本日欠席した面子が含まれていた。
「さらに付け加えるとだ」シルクは続ける。「名簿にあるその他の連中も、アタシら『窓際クラス』に在籍してるクラスメイトなんだよ」
「「ええっ?」」
ランとダッツは当惑した。すぐにはシルクの云う意味が理解できなかった。
「それってつまり、どういう事なの?」
「昨日、朝礼の後にランが言ってたろ。ウチのクラス、また随分人数減ったなって。でも今朝、担任の出欠簿を盗み見て気付いた。ウチのクラス、所属人数自体は今の時点で限度一杯いる。クラスの名簿欄を見た限りはそうなってたんだ」
「えっと、じゃあ、そのずっと来てない子達も、今日休んでた子達も、ええっとううんと……みーんなこの下宿に住んでる子たちって事か!」
「その通りだ、ダッツ」シルクは机をとんと叩いた。
そこまで云えば、二人もおぼろげに察したらしい。
「これじゃまるで……この下宿に住む生徒はどんどん不登校になっていくみたいじゃない」
「或いは──登校できねえ状態になっちまってるか、だ」
「登校できない状態、って、なんだシルク!?」
「昨晩、ハチさんが力説してたろ。アタシらウマ娘の本能を利用しようとする奴がいる、って。過重労働を強いられても競走界に拘る、従順なウマ娘をこき使うブラック下宿の家主にそういう奴がいるとしたら──」
異様な好条件物件、不穏な欠席者増加。その二つは繋がっていた。それが発覚した今、三人は思いも寄らぬ事件の匂いを嗅ぎ付けた。
「つまりこの家で何かが起こってると、そう言いたいわけね?」
「その可能性がある、ってこった」
「だとしたら……大変だぞ! 学園に通わせないなんて、“ジドーギャクタイ”だ! どうするシルク、殴り込みか!? 殴り込み!」
ダッツが鼻を膨らませ息巻く。
やれやれ、と云わんばかりにシルクは両手を翳し「待て」をする。
「慌てんな。まだ相手の情報が足りない。そんな状態で仕掛けるのは無謀というもの……そこでだ」
ニヤリと口を歪めたシルクに、ダッツはどことなく波乱の予感がした。
「ダッツ、悪いけど偵察に行ってくれ。名付けて、賃貸物件内覧ツアーだ」