正義の名のもとに   作:李座空

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正義の愚連隊(9)

 板張りの長い廊下の水拭きを終えて、エリモダンディーは小さく吐息をついた。肉体労働は全く苦にならない。生まれ故郷の牧場で幼い頃から手伝いをしていたので、体力的にはまだ余裕があるくらいだ。

 それよりも、この下宿先で共同生活するウマ娘達の間に漂う、悲愴な空気の方がエリモにとっては辛かった。

「そこの、新入りの。エリモさん、エリモさんや」

 廊下の角から件の老婆に呼び付けられ、エリモはびくりと肩を揺らす。

「廊下掃除、済んだようだね、感心感心。もう昼だ、居間に飯を用意してあるから食べなさいな」

 温和そうに手招きする老婆に、エリモは恐る恐る付き従った。

 レースに出たいと懇願する者に対しては烈火の如く怒り狂う老婆は、平時は不自然な程に優しい。果たしてどちらが「素」なのか、判断はつかない。

 居間に入ると、老婆を上座に、下宿生達がずらりと居並び長机を囲っていた。総勢で二十人弱はいるだろうか。

 机の上には、満漢全席といえるような豪華な食事の数々が。ヒトの数倍も食べる育ち盛りのウマ娘の食欲を満たして余りある分量だが、こんな昼間からこれだけの食事を手配する老婆の財力と、そして意図が計れずエリモは泡を食う。

「さあ、皆で食べなさい。遠慮はいらないからね。さあさあ」

 老婆は一同を前にして促した。が、積極的に食事を行おうとする者はいない。誰もが萎縮気味に、少量ずつ食事を啄むのみだ。

 皆、老婆を下手に刺激することを恐れているとエリモは思った。そしてあらためて、大変な場所に下宿してしまったとも感じた。

 ここに住むウマ娘達は、トレセン生でありながら、家主である老婆が課す労働により学園への通学を制限され、その結果本懐であるレース出場すらままならなかった。彼女らは老婆が斡旋した労働を最優先させられ、学園に通えるのは労働の無い日に許可を得て登校できるのみで、その頻度は並の生徒を遥かに下回る。下宿生達が悄然としているのは、こうした典型的ブラック下宿環境にすっかり気が滅入っているからだ。

 状況の改善を訴えようとも家主の老婆は聞く耳を持たず、あまつさえ家の外周に頑丈な柵を立て、下宿生の自由な外出も制限しようとする現状だ。労働力を担保に賃貸契約を結んだとはいえ、その実態はもはや「軟禁」に近い。

 エリモがここに来てまだ日は浅い。シルクと峠のレースで邂逅したのが一週間前。それから生活拠点をトレセン学園近辺に移すべく、取り急ぎ居住条件と家賃が低く抑えられるとあって老婆の屋敷に下宿入りしたのがほんの数日前のこと。転居にあたっての手続きをする間もなく、彼女はこの怪奇な下宿先の洗礼を受けることとなる。

 入居後、エリモに課された労働は下宿先の家事・雑務だった。最初は屋敷で丁稚奉公をさせ、適性に応じた働き口を探すという老婆の方針によるものだが、おかげで短期間のうちに屋敷の異様な状況は十分に察せられた。

「どうしたんだい、食べないのかい、お腹空いてないのかい」

 食事に碌に手を付けない下宿生を見渡しながら、老婆が心配そうに首を傾げた。

 皆、居心地悪そうに苦笑する。労働により競走活動は抑圧してくる反面、平時は温和であり十分な食事を与えるなど下宿の居住環境には気を遣ってくる老婆の心理は誰にも分からない。それがまた一層、不気味さを際立たせていた。

「私、もうここに住むの嫌だよう」

「うん、ウチも同感、でもさあ……」

「ここより条件良いところなんてまず無いし、引っ越し代もまた掛かっちゃう。学費のことも考えたら苦しいよ」

「それに家主さん、私達の話全然聞いてくれないし。下手にここを出るなんて言ったら、またあの剣幕で怒り出しそう……」

「逃げ出そうにも、外の柵がね……」

 食事もそっちのけで、下宿生達はひそひそとそんな会話を聞こえぬよう繰り広げていた。彼女らの不満は相応に溜まってきている様子だった。

 無理もない。難関を潜り抜けやっとの思いで入学した日本最高峰の中央トレセン生が、労働の為に、本分である競走を疎かにして活躍の時機を逸しては悔やむに悔やみきれない。ゆえにこの下宿の状況改善、或いは支配からの脱却を望んでいる。

 だが老婆の得体の知れなさ、闇の深さに腰が引けて、二の足を踏んでいるのが、今の下宿生たちの現状だった。

「……おや、来客かね?」

 そんな気まずい昼食時間の最中、突如居間に呼出し鈴が響き渡る。下宿生達は驚いてぴんと背を張り、老婆はおもむろに玄関の方を向く。

 屋敷への来訪者が、門扉で呼び鈴を鳴らしているらしい。居間から戸口までは離れているので、当然外の様子は窺えない。

「エリモさん、出てきて下さるかしら」

 老婆が命じた。こうした雑務もエリモの仕事の一つだった。

 断る理由もないので、エリモは頷き席を立った。気まずい食卓を離れられて少し安堵もあった。

 訪問販売でも来たのだろうか。高級住宅街という土地柄ゆえ、営業にはもって来いなのかもしれない。そんな事を思い浮かべながら玄関の外に出ると、格子をかました門扉の外に立つ赤い髪の少女を認め、エリモは目を丸くした。

「こんちわ! 偵察……じゃなかった、“チンタイブッケンナイラン”をさせて欲しいんですけど! ってあれ? お前は確か、シルクの友達の……」

 アルダッツとエリモは門扉を挟んで、しばし互いを見合わせた。

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