「ダッツ、応答して。ダッツ──!!」
近場の公園で音声モニターしていたランは、屋敷内で起こっている事態を聞き取り、動揺も露わに同胞の名を叫んだ。とはいえ彼女が手にしている無線機は受信専用のもので、どう足掻いてもその呼び掛けはダッツに届かない。
「よせ、無駄だ。そいつは受信用だ」
見かねたシルクに宥められ、ランは掴んでいた無線機を放した。
「ああ、なんてこと。ダッツが……」
ダッツの偵察行は、ランが懸念した通りの結果となった。首尾よく屋敷に入り、エリモと談笑しているところまでは良かった。だがそのエリモから下宿内部の情報を聞き出そうとしたところで家主と思しき老婆が登場。雲行きが怪しくなったかと思いきや、義憤に駆られたダッツはすぐにボロを出し自爆。極めつけに空腹という弱点を突かれて食べ物で懐柔され、そのまま抱き込まれてしまった。
偵察という目的を達せられないばかりか、ダッツはブラック屋敷に取り込まれてしまった──そう判断せざるを得なかった。ミイラ取りがミイラになるというやつだ。そういうわけでランはすっかり途方に暮れていた。
その一方で、シルクは落ち着いたまま不敵に微笑を浮かべている。
「こいつは面白くなってきやがったぜ」
「ちょっと、カッコつけてる場合じゃないでしょ。ダッツはあの屋敷に囚われちゃったのよ。これじゃ偵察失敗だわ」
「失敗だって? いいや違うな。ダッツのヤツ、上手く切り込んだよ。十分に偵察の役目を果たしてくれたぜ」
「えっ、それってどういうことよ」
自信を滲ませそう言い切るシルクに、ランは思わず向き直った。
先にブランコを立ったシルクはスカートの後ろをはたくと、遥か離れた老婆の屋敷を一瞥した。
「一時撤退だ、学園に戻る。ダッツの犠牲を無駄にしねえためにも次の手を打つ」
学園に戻る道すがら、二人は通りに面したファストフード店で遅い昼食を摂った。ダッツのように二人も空腹だったからだ。
腹が減っては戦が出来ねえ、と云いながらシルクはハンバーガーにポテト、ナゲットを素早く腹に入れていく。見るからに彼女は次の行動を急いでいる。
今朝にクラス担任の名簿で一件が浮上してからというもの、ダッツを偵察へ急派し、さらにそのダッツを置いていく形で学園にとんぼ返りすることになり、ランはすっかり先の展開が分からなくなっていた。
何故今回のシルクは、事を急ぐのか。それに先程言っていた「ダッツは偵察の役目を果たした」という言葉の意味は。
それらを問いたげな視線を注いでいると、先に完食したシルクは手を拭きながら話し始めた。
「あまり時間もねえから手短に説明するぞ。食いながらでいいから聞いてろ」
そういってまず、シルクは懐から一枚の紙を出し、ランに見えるよう机上に広げた。
「これ、なに? ……うちのクラスの出欠簿の写し?」
「そう。アタシらのクラス担任が持ってるのとまったく同じやつだ」
「いつの間にこんなものを」
「トレーナーのパソコンで学園のデータベースを閲覧したとき、ついでに見つけた。今朝にも担任の現物を盗み見たけど、まだ確認したいことがあってな、こっそりプリントアウトしてきた」
そしたらどうだ、とシルクは出欠簿の写しを指で叩いた。
「ここを見ろ。うちのクラスで、ブラック屋敷に住んでる面子の『欠席日数』の累計数を」
「うわ、やっぱり多いわね。よくサボるシルクや私達より多いじゃない。それだけたくさん働かされて、登校する余裕もないってことなのかな」
出席簿の端には、生徒ごとの欠席回数が記載されていた。ランの短評通り、ブラック屋敷に属する生徒はその数がずば抜けて多い。
「あっ……もしかして」そしてすぐにランは思い当たった。シルクが行動を急ぐ理由の一端を察し、身を竦ませた。「そうか、出席日数が足りなくなるのね。欠席した回数が規定を超えちゃうと、進級が出来なくなる……!」
「ああ、つまり」シルクは頷いた。「『留年』しちまうってことだ」
シルク達が属するクラスは高等部だ。義務教育課程の中等部と異なり、高等部では学業不振による留年が有り得る。その条件の一つに「年間の全授業日の三分の一以上を超える欠席」というものがあった。これは日本の多くの高等教育学校で定められている基準日数で、トレセン学園高等部でも用いられている。
あらためてランは出欠簿に視線を落す。欠席日数の溜まった者の中には、そのボーダーラインに抵触しそうな者もちらほら見られる。
「ブラック屋敷に下宿する生徒の中には、あと数日の欠席で留年確定しちまう奴もいる。そんなことになれば、どうなるか分かるだろ」
「留年者は、翌年以降のカリキュラムが全て変更を余儀なくされる。そうなれば、トゥインクルシリーズへの出走計画も全部狂わされる……」
「それだけじゃねえ。留年したってだけで周囲からの目も一変する。本人のショックもでかい。成果主義の競走界じゃ、ある種のハンデにもなる。レース出走者を選定するURAがマイナスと断じるのは確実。それを理由に、レースの出走機会を損なう恐れもあるだろうな」
そこまで告げてシルクはドリンクのカップを煽った。
ランは、シルクが事を急ぐ理由が分かった気がした。このままブラック屋敷を看過すれば、あとほんの数日の欠席で留年するクラスメイトが出てしまう。実際に留年しようものなら以後の競走生活に致命的な支障をきたすこととなり、そこからの再浮上は苦しくなる。
今朝に担任の出欠簿を見た時点で、シルクはブラック下宿生の欠席累計による留年危機まで概ね見通したのだろう。だからこそ、少しでも早くあの屋敷を暴こうとしていたのだ。
それが分かると、ランも居てもたっても居られなくなってきた。話を聞くのに夢中で止まっていた手を動かし、ポテトを掻きこみドリンクで流し込んだ。早食いには慣れてないので、思わずむせる。
ちゃんと噛めよ、とシルクが窘めた。
「それともう一つ。ダッツは偵察を果たした、って言った意味だが」
シルクは人差し指を立てると、今度はポケットから無線機を取り出した。先程までダッツの偵察行動を音声として受信していたものだ。
それを操作してシルクは音声を再生した。無線機には録音機能が付いており、屋敷でダッツが拾った音声が全て収録されているようだ。
やがてある箇所で「ここだ」と注意を促した。傾聴しろ、という事らしい。
『……お客様は…あと…私が。ア…タに…風呂……掃除でも頼……かね。つ…でに…今日もお参り…行くから道具…準備し……てお…れ…』
その音声は、あの老婆のものだった。エリモに対して放った言葉だ。無線越しなので音声の明瞭度は低いが、決して聞き取れない程ではない。
その部分だけをシルクは一時停止と巻戻しを繰り返し、反復再生しながら説明する。
「家主の婆さんはここでこう言ってる。『今日もお参りへ行くから道具を準備してくれ』と」
「確かにそう聞こえるわね。お参りって……お墓参りってこと? それともお寺とか神社に参拝する方?」
「そこはいま問題じゃねえ」シルクは指を立てて左右に振った。「この婆さん『今日』もお参りに行く、って明言してんだ。つまり、本日のこれ以降のいずれかの時間帯、家主はあの屋敷を確実に留守にする」
「シルク、アンタまさか……」
「そのまさかだよ」
説明を聞き、薄々展開を察してきたランは表情を引き攣らせた。ダッツが図らずも無線を通して入手していた、ブラック家主の不在予告情報。それを頼りに、シルクは留年危機のクラスメイトを救うべく電撃作戦を起こそうとしていることを悟ったのだ。
「これで分かったろ。今は少しでも時間が惜しいってことがさ」
長居は無用、と言わんばかりにシルクは食器トレイを持って席を立った。
ランも慌てて残るドリンクを飲み干し、後ろに続き店を出る。
一連の話を理解はした。が、ランにはまだ解せない点がある。
「でもそれなら、どうして学園に戻るの?」
「決まってら。あの屋敷を攻略するには戦力が足りない。アタシら二人だけで仕掛けるのは無謀というもの……だから」
ニヤリと口を歪めたシルクに、ランはどことなく嵐の予感がした。
「“兵”を集めに行くのさ」