正義の名のもとに   作:李座空

35 / 55
正義の愚連隊(22)

 買い出しを済ませ、大量の食材を抱えシルクは帰路についた。不足すると思われる物品を考慮すると、結局いつも通りの買い込み量になってしまった。その総重量は百キロをゆうに超え、自らの身長の数倍はあろう荷物タワーを抱えている。

 ヒト以上の体力を持つウマ娘といえども、疲労蓄積中のシルクにとってはそれなりに辛い帰り道となった。トレーニングには丁度良いのかもしれないが、悶々とした心境の今は煩わしいだけだ。食堂に帰り着いたら仕事を放り出してそのまま寝てしまいたい気分だった。無論そんなことをすれば、家主である八谷から懲罰が下るので決してしないが。

「重てえなあ、くそっ」

 信号待ちで立ち止まったシルクは独りごちた。夕方で車も人も交通量が増してきて、思ったより帰路に時間がかかっていた。百キロ越えの荷物の負担も馬鹿にならないので、なかなか変わらない信号にやきもきする。

 少ししてようやく車両用信号に赤が灯る。通りを行き交う車が続々と止まっていく。入れ替わりに歩行者信号に青が灯り、待ちわびた歩行者たちが我先にと横断歩道を渡り始めた。

 やっとか、とシルクも足取りを再開する。

 だがその直後、交差点を左折する車両が横断歩道を進むシルクの目の前に強引に割って入る。よほど急いでいるのか、歩行者優先ルールもお構いなしに無理矢理通り抜けていった。他の歩行者も仰け反って驚いている。

 接触事故などは起きなかったが、多量の荷物を抱えていたシルクはそれに煽られふらついた。千鳥足になり、バランスを欠いて荷物タワーがぐらぐらと揺れる。態勢を立て直そうにも疲れのせいで思うようにいかない。

「う、うわっ」

 ついには抱えていた荷物タワーの荷箱が数個、制御を逸した。そのまま路上に落ちれば中身はおじゃんだ。それだけならまだしも、通行人にもし当たれば怪我を負わせてしまうかもしれない。

 一瞬の出来事で対処の余地も無く、我ながら抜かった──とシルクは思わず目を瞑る。

 が、荷物が落ちたと思しき音や気配は感じられない。その代わりに躊躇いがちな声が聞こえてきた。

「大丈夫、ジャスティスちゃん……?」

 シルクはぎょっとした。自分の落とした荷箱を巧みにキャッチしたエリモが、すぐ傍に立っていたからだ。

 すまない、助かった──反射的に喉まで出掛かった謝辞を飲み込んでシルクはついと目を逸らす。

「な、何だよお前。店で休憩してたんだろ。どうしてこんな所にいるんだよ」

 思わず憎まれ口を叩いた。普通なら礼を言うのが道理なのに、我ながらみっともない振舞いだと自己嫌悪する。

 エリモはそれを気にする風もなく、心配そうに真っ直ぐ見つめてくる。

「だって、疲れてるのに……買い出し行っちゃうから。放っておけなくて」

 健気な目線を払うように、シルクはふんと鼻を鳴らした。だがその表情はどこか面映ゆい。

「そうよ。こんなに買い込んじゃって。やらなくていい買い物でしょうに」

「シルクはホント世話が焼けるぞ!」

 援護射撃とばかりに、対岸の歩道からさらに声が投げ掛けられる。ランとダッツが歩み寄って来た。

「お前らまで……」

「あの後エリモちゃん、アンタを手伝いにいくって言って聞かなかったんだから」

「結局オイラ達三人も、こうして出てきたんだぞ」

 シルクは目を瞬かせ、何も言葉を返せなかった。せっかくの開店前の休憩を返上し、三人は手伝いに来てくれたらしい。しかもそう促したのはエリモときた。やること全てが裏目に出ているように感じ、横断歩道を渡り切ったシルクは長い溜め息を吐いた。

 それから四人で荷物を分担し、帰路を急いだ。時間がだいぶ押してしまったので、程無くして店の開店時刻だ。早く戻らねば八谷にどやされる。

 その道中、ふとランがシルクへ耳打ちしてきた。「アンタが助けたエリモちゃんでしょ。つれないわよ。もうちょい責任ある態度を取ったらどうなの?」その表情にはお節介屋のニヤニヤが浮かんでいる。

「……なんだよ、それ」

「命を助けてくれた相手を、慕ったり恩返ししようとするのは当然じゃない。なのにエリモちゃんをつっけんどんに突き放すのはつれないって言ってるのよ」

「ベタベタされんのは好かねえだけだっ」

「あら、ムキになっちゃって。前から思ってたけどアナタ、エリモちゃんが絡むとなんか調子狂ってない?」

 ランのお節介焼き攻勢にシルクはたじたじだった。

「仕方ないぞ。多分、昔の自分を知ってるエリモの前だと、シルクも色々やりづらいんだと思うぞ!」

 駄目押しとばかりに、ダッツが絶妙な指摘を挿し込んだ。

 好き勝手に言われてさすがに堪らず、「だああ、うるせえ黙って歩け」憤慨したシルクは二人に吠えた。

「うわ、おっかなっ」「怒らないで欲しいぞ!」二人は後ろを歩いていたエリモの陰に隠れるように後ずさる。

「エリモちゃん、ほんとにあんなインテリヤクザと友達だったの?」

「シルクとエリモじゃまるで、正反対だぞ!」

 ラン、ダッツが冗談交じりに尋ねる。

 エリモは僅かに息を吸い、小さく、それでいてはっきりと頷いてから、しんみりと云う。「うん。ジャスティスちゃんは……変わらない。昔のジャスティスちゃんのままだよ」

 その口調と言葉がどことなく意味深に思え、ランとダッツは顔を見合わせる。

 そんな二人を尻目にエリモは小走りで前方に、シルクの方へ駆け寄った。

「あの、ジャスティスちゃん」

 今度は何だ、とシルクは戸惑いがちに一歩下がる。真っ直ぐで真摯な目線を再び向けられどきりとする。

「……まだ、キチンとお礼を言えてなかったから」

「れ、礼?」

「うん」エリモは目を細め、微笑を浮かべた。

「私をあの炎の中から助けてくれてありがとう。命懸けで助け出してくれて、本当にありがとう──」

 抱えていた荷箱を脇に置き、そう告げたエリモは深く頭を下げた。感謝の想いが十二分に込められた、「お礼」の挨拶だった。

 屋敷の火災から救出されて以降、状況が目まぐるしく変わり、エリモは面と向かってシルクに感謝を述べるタイミングが無かった。シルクがエリモを避けていたことも拍車をかけていた。そうしてようやく今、エリモは機会をみて礼を告げられた。

「おおっ」「いったー!」それが得も言われぬ尊い光景に思え、後ろのランとダッツは絶賛の声を上げる。

 感謝を告げられたシルクも、こうも直球で来られては打つ手なしだ。顔の温度が上がるのを自覚しながら、「そんなの、別にいい」と絞り出すように応じるので精一杯だった。

 かくして、正体不明な当惑を与え自分の調子を乱してくる黒鹿毛──エリモダンディーと名乗る少女と、シルクは競走生活を共に過ごしていくこととなる。

 自身にとって不本意な展開にシルクは億劫だった。だが表面的な忌避感とは裏腹に、エリモが近くにいることで心のどこかで安息を得る自分がいることにも気付いていた。その矛盾した真情が意味するところを、シルクはまだ知る由もない。

 エリモとの間に秘められた謎を、彼女はこれから徐々に知ることとなる。自らに科せられた過去の十字架とともに。

 

 

 ***

 

 

 来客用の入校許可証を返納し、スーツ姿の大人達が受付の窓口前を足早に過ぎ去っていく。おそらくこの日最後となるであろう来客を一礼して見送ったのち、四十路の女受付員はあくびをして両腕を伸ばした。時計を一瞥して今日も定時退勤できそうだと確信した彼女は、来客窓口の締切り時刻前からそそくさと片付けを始めている。

 来客や荷物の搬入出に用いられるトレセン学園通用門は、数千名の生徒が出入りする巨大な正門と異なり校舎裏手の目立たぬ場所に存在した。そこには小さな詰所型の受付窓口が置かれており、生徒以外の外来客の訪問対応を行っている。

 女受付員はその窓口に単独で詰めていた。どこかで見た顔である。忘れてはいまいか。少し前まで「窓際クラス」の担任を請け負っていた、あの四十路女担任である。

 職務怠慢を暴かれ担任を降りることとなった彼女の新たなポストが、この通用門窓口係だった。春のレースシーズンを間近に控える昨今は競走界関係者や取材目的の報道陣の出入りが多くなっていたが、窓口業務はさほど煩雑でもなく、教壇で指導を行う教師や競走ウマ娘を育成するトレーナーと比すればはっきりいって地味なポストであった。仮にもいちクラス担任をしていた頃に比べれば都落ち感は否めなかったが、意外にも彼女はこのポストを気に入っていた。長年の教職でストレスを溜め、いつしか生徒への愛着も失くし、自己都合優先気味となっていた彼女にとっては性に合っているらしい。何といっても、昨今彼女が注力している婚活パーティとやらのために定時で上がれるのが大きかった。

 この日も女はさっさと仕事を切り上げ、夜の街へ繰り出す魂胆だった。定時とともに職場を出られるよう、不要箇所の施錠や収納をフライング気味に段取りしていた。これもある意味怠慢であるのだが、いま窓口には彼女一人しかおらず咎める者はいない。

 だが、あと十分程で窓口が終了するというタイミングでそろりと一台、黒塗りのリムジンが通用門から入ってきた。停車したその車の後部座席から、おもむろに男が単身降り立ち窓口へ近づいてくる。

「誰かいないのかね」

 身を屈めた男はバリトンの効いた声で窓口の中へ呼び掛けた。

 前倒しで終業することも辞さないつもりだった窓口女は、奥のキャビネットの施錠をしていたが遮られる格好となり顔を顰める。こんなタイミングで現れた来客に対応していては定時通りに上がれない。かといって追い返すわけにもいかず「はいはい」と面倒臭そうに応じる。

 が、女は窓口に現れた男の姿に瞠目する。

 いかにも上質な背広を着込み、腕には高級そうな金色の腕時計を嵌め、整髪料で小綺麗に固めた黒髪、余裕を湛える眉目秀麗な顔立ち。女が婚活途上で相手にしてきた有象無象とは一線を画する、いかにもハイレベルな男が目の前にいた。醸される雰囲気からして年齢は女と同じ四十代を想起させるが、外見だけでいえばもっと若く見える。衣服などの装飾品を見るからに、金回りもかなり良さそうだ。企業オーナーや政治家といった上流階級者を窓口女は連想した。総括するとその男は、彼女の思い描く結婚対象そのものだった。

「よ……ようこそいらっしゃいませえ。どうぞこちらの来客者名簿にお名前とご連絡先を頂けますか」

 イイ男と見るや手の平を返した窓口女は、一度仕舞った来客記入用紙とボールペンを手にうやうやしく窓口に舞い戻った。声色もよそ行きのトーンになって「あわよくば」の意思が透けて見えるようだ。

 そんな女の態度を冷笑するように、男は口角を上げ不敵な表情を浮かべている。

「あのう、本日のご用件は」

 女は躍る気持ちで来客時の手続きを進めていき、その一環で来訪理由を尋ねた。その理由に応じて学園内の関係部署に取次ぐのが慣例業務なのだ。

 身なりからして、男は競走界に関わる重鎮だろうと思った。取次ぎ先は学園の上層部の誰かだろうとも予測した。学園理事長か、はたまた生徒会会長だろうか。

 しかし男の口にした訪問相手の名に、窓口女はあらゆる意味で驚くことになる。

「何のことは無い、些末な用事だ。娘に会いに来た」

「へ? ご息女、ですか」

「そう。近頃世間を騒がせている困り者だよ」

「えっと、それは当学園の生徒ということで?」当惑した女が確認する。

 当然だろう、というふうに男は息をふっと漏らす。そして冷徹さを感じさせる微笑を湛えながら告げた。

「シルクジャスティスに会いに来た。私はあの子の父親だ」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。