正義の名のもとに   作:李座空

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峠の交錯(2)

 峠のレースで故障するウマ娘が続発している。

 そんな噂が立ったのはここ最近のことだ。

 トレセン学園内で野良レースに傾倒する者達から始まった風評は、やがて実態が浮き彫りになっていく。

 手や脚に傷を負った者、包帯を巻く者、中には骨折にまで至りギプスをつける者など、実際に峠のレースで怪我をする者がぽつぽつと現れだしたのだ。

 故障した者達は皆、口を揃えて当時の状況を「路面に足を取られた」と述べた。怪我の原因は峠のレース中に単独で転倒したからだという。

 急カーブの連続する急峻なコースに最高時速六〇キロで挑まねばならないとあって、無理を押した末にコースへ対応しきれず自爆――彼女らの証言から当初はそんな認識が定説として流れた。

 しかし程なくしてその風説は変容する。断続的に発生する峠での故障者の中に、こう証言する者が出始めたからだ。

「皆、ただ転倒しているんじゃない。転倒に追い込んでいる連中がいる」と。

 そしてさらにこう付け加えられる。

「一連の事故は全て、あの『チーム・フォーリナ』が取り仕切るレースで起きている――」

 

(で、あいつらがその連中ってわけね)

 事前に仕入れた情報を反芻しながら、ランナイジェルは後方集団の中に位置を取りつつ上り坂を駆けていた。

 アルダッツからタスキを委譲され峠のリレーレース第二区に臨む、青鹿毛のウマ娘である。文字通り青みがかったロングの黒髪を揺らし、同年代より少々大人びた風貌を持つ娘。ラン、とダッツから呼称されたのはこれも渾名だろう。

 落ち着いた足取りを維持し、彼女は俯瞰するように走者達を見つめていた。

 自身と同じ後方集団には、脚をためるべく意図的に後段についた者や、既に険しい峠の道程に呑まれ後退を強いられた者たち。中団には先行脚質の者や、間も無く仕掛けようと押し上げつつある者。

 これらはいずれも「フォーリナ」に属さない、所謂“挑戦者側”にあたるウマ娘ばかりだ。

 問題となるのは前方集団。数十メートル彼方に目線を向けると、けばけばしい出で立ちのフォーリナ二区走者の面々が列を組んで前衛を占めている。その様は、後ろからの追撃に対し壁となるような印象を与えた。

(この二区でも「やる」つもりね)

 のっぴきならぬ気配を察知し、ランは少しだけペースを上げた。

 彼女が後方についたのは警戒のためだった。フォーリナの面々が峠で繰り出してくるという「妙技」。それを実際に目にしたことはまだない。

 だが一区を駆けたダッツはもう目の当たりにしたはず。そんな彼女が先刻タスキパスの際に耳打ちしてきた忠告がこれだ。

「アイツらに近づくな!」

 ……仮にもレースをしているのにそれでは負けるしかない。身も蓋も無いアドバイスに内心呆れながらも、奔放かつ純粋で、しばしば野性的な勘のはたらくダッツがそう云うのならと、ランは後団で様子を見ている。フォーリナの手口を自分の目で見極めるべく。

 そうしているうちに二区コースも早くも中盤に入った。

 高尾リサイクルセンターから山頂にかけては、上り傾斜もさることながらカーブも増していく。カーブがある箇所はブラインド(目隠し)にもなり得る。

 もしも何かを仕掛けてくるならそこか。現に峠の故障者達の多くもカーブでの転倒らしい。

 目星をつけたランは、一挙手一投足も見逃すまいとフォーリナ達を注視した。件の連中は間も無く右コーナーに突入する。

「くっ、山頂まで持つかどうか分からない。ええい、ままよ!」

 その直前、ランのすぐ傍らで声が弾けた。思わずかぶり見た時には彼女の隣を人影がすり抜けた後だった。

 峠道にコンディションが合わず、後団で四苦八苦していた走者の一人だった。このままでは埒が明かないと判断したのか、背水の陣でトップをもぎ取ろうと二区中盤からスパートを掛けだしたらしい。

 普通に考えてあまりに早すぎる、次の中継地点までスタミナが持たない。しかしそれよりもランには別の懸念が浮かんだ。

 迂闊だ。フォーリナの連中は今まさにブラインドになるコーナーへと差し掛かる。いまスパートしたら、丁度そのコーナーであいつらと交錯することに――。

 案の定、後団を脱し瞬く間に中団もパスしたスパート走者は、フォーリナ連中にぴたり追従する形で右カーブへ突入した。遠心力に抗うべく右に体を傾けた先頭集団は、スパート走者も入り交えた直後にコーナーのブラインドへと一瞬、姿を消した。

 嫌な予感が走る。何かが起きる。

 逸る気持ちを抑えつつランも右カーブに入る。遠心力に持っていかれぬよう減速し、アウトインアウトの軌道で通過軌道を――

「あっ!?」

 その途上で思考は霧散した。カーブ通過中に目の前に飛び込んできた光景に肝を冷やす。

 曲線途中の左方ガードレールに、先程スパートを掛けた走者が体をもたれかけていた。その手前数メートルのガードレールには数カ所、接触痕らしき凹みが出来ている。

 決定的瞬間は確認できなかったが、明らかに体勢を崩しガードレールに衝突したとわかる状況だ。

 その場でリタイアとなった走者は非常に混乱した面持ちで周囲を見回していた。一見すると軽傷で済んだものの、何が起こったのか、何故転倒したのかも理解出来ていない様子である。が、やがて自身の状況を理解したのか、口惜しそうな表情で路上に項垂れた。

(やったわね……)

 唇を噛みながらランはリタイア者を抜き去った。救護してやりたい気持ちはあったが、仮にも今は勝負の場だ。それにまだフォーリナの手口がはっきり掴めておらず、レースは続けねばならない。

 とはいえ今の一件で、カーブのブラインドを利用し隠密に事を運んでいるというフォーリナの悪質性が垣間見えた。

(暴いてやるわ)

 ランの心中は義憤により微かに熱を帯びる。

 続いて左カーブが迫ってきた。この先は連続ヘアピンのテクニカルコースが山頂の中継地点まで続く。

 それを前にして、ここまで先頭を独占していたフォーリナの一団が突然減速してきた。中団にまで一気に後退し、集団形成に大きな変化を生む。

 まずい。ランの危険察知センサーが鋭敏に反応する。

 減速したのは連続ヘアピンに対応するために見える。だが恐らくそれだけではない。真の目的はフォーリナ全員で後退し後続の隊列を掻き乱すことにあり、それによりペースが乱れ列からはみ出た走者を狙っているとしたら。

 案の定、中団から一人が左手へと押し出される。まるで狙い澄ましていたかのようにその一人の周囲を自然な流れで陣取ると、フォーリナの一団はそのままコーナーへ。

 右カーブだ。他の走者からは、左手に押し出された走者はフォーリナの連中そのものがブラインドとなって様子が窺えない。

(こいつら、また!)

 急ぎランも前に出る。決定的瞬間を確認しようと、止むを得ずカーブで大きく外側に膨らむ軌道をとった。当然外回りで走行距離が伸びてしまい順位は落ちる。

 それでも今はフォーリナの手口確認が第一目的だった。今夜の大垂水に参戦したそもそもの理由、それはフォーリナの跳梁跋扈に待ったをかけるためにあるのだから。

『――あんなやり方に道理も正しさもねぇ。我慢ならねぇ、見るに堪えねえ。奴らをこのままにしておけるか――』

 この討伐戦の発起人の言葉が思い起こされる。がさつで気が短く、それでいて存外にも頭が切れ、何よりも情に厚い、自分達『チーム・アルルバ』の頭でありながら異端の問題児扱いされるウマ娘。

 ランも、そして前走者のダッツも、彼女の抱く『正義』に翼賛したからこそ、ここへ来たのだ。

 カーブを大きく膨らみ、前方のフォーリナ達を見据える位置についた。彼女らに大きく押し出され、窮屈そうな走者の姿もはっきり視界に捉える。

 と、次の瞬間。その走者が脚を縺れさせつんのめった。

 あわや転倒かとランは背筋を冷やしたが、その走者は地面に手をつきながらも何とか踏み止まり、走行を継続する。もたついたために順位は後退し、後ろにいたランと並ぶ格好となったが。

(今の……やっぱり)

 ランはその走者がつんのめった地点を通りざまに確認した。アウトインアウトでちょうど右カーブを抜け切り、進路左手の道路端にあたる箇所。そこのアスファルト表面に、薄っすらと滲んだような「シミ」が見られる。

 路面凍結(ブラックアイスバーン)だった。冬の早朝の大垂水峠は氷点下を下回る日も多く、気象条件次第ではこのように凍結箇所ができてしまう。おまけにまだ夜明け前で路面は薄暗く、注視せねば視認や回避も難しい。先程の走者はそこに脚を踏み入れたために、転倒しそうになったのだ。

 問題は――その走者が運悪く凍結箇所にコース取りをしていたために起きたのか?

 答えは否だ、ランは端からそう断じる。

 思い出して欲しい。フォーリナの連中はこの直前、敢えて減速し走行集団を掻き乱していたことを。

 まず、「チーム・フォーリナ」は大垂水峠を根拠地とする野良レーサー集団である。彼女達は幾度となくこの峠を走り込んでおり、コースの地形や特徴は隅々まで把握していると考えるのが自然だ。……冬場に路面凍結が起こりやすい箇所も含めて。

 そこに近頃聞く「峠で怪我をする走者が多発。それも全てフォーリナが出場するレースで発生」という風評を重ねてみるとどうか。

『峠のコース地形を熟知しているフォーリナの一団は、意図をもって競走中に対戦相手を凍結危険箇所に誘引し、転倒させているのではないか。それも、事が露見しにくいカーブのブラインドで、複数人の連携走行で他走者を撹乱しつつ巧妙に行われているのではないか――』

 先程起きた転倒未遂を目の当たりにしランはほぼ確信に至る。

 こいつらやはり、黒だ。

 派手な外見とパフォーマンスでカモフラージュしているが、フォーリナはその裏では狡猾な戦術で周囲の走者を陥れている。怪我をした者達が一様に「路面に足を取られた」と証言していたのは、それだけ周到且つ潜行的な誘引工作により、凍結箇所へ他走者をごく自然に「追い込んでいる」からだろう。現に先程ガードレールに突入した走者も、今しがた転倒未遂に終わった走者も、フォーリナにしてやられたとは露程も思っていない様子である。

 実際に体当たりや露骨な煽り走行で、他者に直接的に怪我を負わせたわけではない。直に手を下すことなく、あくまで間接的に他者を転倒させているのだ。

 それがかえって憤懣やるかたない。言い訳をしようと思えばいくらでも効くその手口は、裏を返せばまさに悪意そのものではないか。

 確かに看過できないわね――峠道を駆けるうち蓄積されてきた体の熱は、運動によるものだけではないとランは実感する。

(やっぱりあんたの説、正しかったよ、シルク)

 全部、何もかもあいつの予想通りか。発起人のことを思い返し、ランも徐々にスパートを掛け始めた。

 フォーリナの手口を見るのは、この時が初見だった。が、おおよその見当は既にこのレースまでにつけられていた。大垂水の山頂、第二中継地点で待つ第三走者――シルクジャスティスの智慮によって。

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