正義の名のもとに   作:李座空

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競走界改革宣言(9)

 それ以後、シルクは一言も口を利こうとしなかった。険しい表情のまま、パドック、出走前検査、本バ場入場と、決められたプログラムをこなしていく。

 あらためて見せつけられたシルク父子の確執が、ラン達には気掛かりで仕方なかったが、間も無く彼女らもレースを走らねばならない。一旦そのことは脇に置き、気持ちを切り替え自分の走りに集中することとした。

『……以上、本バ場入場致しました一七人により、今年の栄えあるダービーウマ娘を目指して争われます、第六十四回目となる日本ダービーであります』

 実況に煽られるように、スタンドから歓声が上がる。今日のこのレースを見るため訪れた十万を超える観衆の熱気で、場内は微かに揺れている。

『返しウマを終え、ゲート前に走者が集って参りました。皐月賞ウマ娘ブリリアントサン、表情が多少硬いが気迫を感じます。メジロブライトは覚悟を固めたか、黙想し勝利を思い描いているかというところ。そして目下二連勝中、ダービーの最終切符を手に乗り込んできたシルクジャスティス。ご覧下さい、このいかめしい表情。初のクラシックに臨む彼女の心境は如何程のものでしょうか』

 スターターが上がり赤旗が振られる。ファンファーレが鳴り、出走者たちがゲート入りを開始した。

 チーム・アルルバの四人の枠番は、

 シルクジャスティス3枠5番

 エリモダンディー4枠7番

 ランナイジェル6枠12番

 アルダッツ3枠6番

 となっていた。

「シルク、その、頑張ろうな。気にするなよ!」

 出走前、ゲートが隣同士のダッツが遠慮がちに声を掛けた。どうしても気掛かりで、声を掛けずにいられなかったのだ。

「ああ」

 シルクは抑揚なく応じた。しかしその目線はゲートの先を向いたままだった。

 

 

 ***

 

 

「アンタ。こんな大事な日にもギリギリで来やがってまあ、一体どういう了見してんだい、ええ?」

 観客をかき分けて現れ、謙った表情で低頭する島原に八谷は呆れ声を上げた。売店で買ったどて串片手にやってきたことがより油を注いだ。

「いや……どうも交通規制で道が混んでたもんで。それに朝から何も食ってなくて、小腹が空いちゃいましてね」

 言い訳がましく島原が言うので、八谷はため息をついて額を手で押さえた。一本どうです、とどて串が差し出されたが、要らんわ、と押し返す。

「まったく、あの娘らが可哀想だよ。せめてレース前に控え室に行って、ハッパくらい掛けてやれってんだ。これじゃ放ったらかしじゃないかい」

「俺の激励なんか無くても、アイツらちゃんと走りますから。むしろ、余計なお世話だって煙たがられるだけですよ」

「ふん、つべこべと言い訳ばかり。とんだクソボケの下についちまったもんだよ、あの娘らも」

「まあまあ、今はこういう距離感でやっとるもんで」

 詰ってくる八谷を前に、から笑いで島原は茶を濁した。

 八谷はこの日、店を臨時休業してレース場に観戦に訪れていた。我が家に下宿する四人全員が出走する大レースとあって、現地で応援してやろうという親心だった。

 しかしその案内役を務める筈だった島原が遅刻間際に会場に現れ、しかも担当ウマ娘のレース前フォローも碌にしない様を目の当たりにし、すっかり呆れ果てていた。

「情けない。見下げ果てたトレーナーになったもんだ。こんな風に育てた覚えはないんだが」

「はは……それを言われると弱っちゃうな。でも、俺だってなりたくてこうなったわけじゃないですよ。それにほら、弟子は師匠に似るともいうし?」

 お小言を浴びせられ続けてさすがに辟易したのか、島原は下唇を突き出し戯けてみせる。

 だが、ついさっきまで臍を曲げていた八谷がしんみりとターフを見つめているのを横目で気付き、バツが悪そうに頭を掻く。

「……かれこれ何年になるんですかね。俺が新人トレーナーだった頃、先輩に散々しごかれたの。今思えばあの頃が一番楽しかった」

 合わせるように、島原も遠い目をしながら言う。

 しかし八谷は「やめな。女々しいったらない」とぴしゃりと撥ねつけた。同情を拒む響きがあった。

 傷付いたような表情を島原は浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。

 暫しの沈黙が流れる。コース上では、出走ウマ娘たちのゲートインが始まっている。

「……それで、どうなんだい」間を空けたのち、八谷が切り出した。「あの娘らは今日のレース、いけそうかい」

「うん、いいんじゃないですか。皆、相応に仕上がってますよ。俺の指示なんかなくとも、自分達で率先してトレーニングをやり切った。四人とも、二重マルを付けたいくらいだ」

 でもね──、と目を伏せ島原は続けた。

「良くて二位止まりです。一人、凄いのを纏ったやつがいる」

 断言するような口調に、八谷は思わず振り向いた。昼行灯な振る舞いだった島原が、そう語る時のみ、何かを諦めたように表情を消していた。

(島原、やはりオマエ──今でも()()()()()()()

 八谷は内心慄く。そして追及しようかと逡巡する。目の前の冴えない中年男が断言した『順位予想』について。

 だが今度は島原が、それ以上は聞くなと言いたげに明後日を向いて煙草を取り出した。ライターを取り出すが、場内禁煙であることを思い出したか、ゆらゆらと首を振って仕舞う。

「それより問題は、レースが終わってからだ。トゥインクルシリーズの歴史が変わる」

 若干の緊迫感を滲ませ、島原は代わりに手にしたどて串を食い千切った。

 直後、ターフ内のスターティングゲートが開放された。

 

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