正義の名のもとに   作:李座空

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競走界改革宣言(10)

『さあ今、栄光へのスタートを切った、第六十四回日本ダービー!』

 開幕の大歓声の中、ゲートを飛び出した走者たちが地鳴りを響かせホームストレートを通過していく。

 芝・二四〇〇メートル。左回りの東京レース場を約一周強。天候は晴天にして芝状態、良。

 クラシック二冠目、東京ダービーが始まったのである。

『行った行った、早くも先行争いだ。内に食い込んで皐月賞ウマ娘ブリリアントサンが早くも先頭。そしてそのインコースをサイレンススズカが押さえた。さらにフジノミヤマ、ダイニチ、マチカネフクキタル、こういったところが前に行っています』

 序盤は、先行勢による熾烈な位置取り合戦が繰り広げられた。第一コーナーに入るまでに、逃げ脚質とそれに準ずる走者達が我先にとせめぎ合う。

「私達も行くわよ」

「食らい付くぞ!」

 このレースを先行策に賭けていたランとダッツも、それに混じり積極的に前を目指した。下手にバ群に呑まれれば、後半が苦しくなるからだ。

『スタート後の攻防で、各ウマ娘、やや縦に伸びたバ群でレースを進め、スタンド前から最初のコーナーへ』

 第一コーナーに入っていく。西向きに走っていたのが南向きへと変わり、斜め上から眩い陽光が突き刺さってくる。

『やはり大方の予想通り、皐月賞ウマ娘ブリリアントサンが逃げ、ペースを握ろうとしています。そしてサイレンススズカも抑えた。掛かってはいない感じ。メジロブライトは虎視眈々、現在後方三番手。ここから各ウマ娘どんなレースを見せるか』

 争いが一段落した先行勢のペースが落ち、全体のバ群の長さが縮む。第二コーナーが終わる頃には、先頭からしんがりまでがほぼ途切れなく一丸と化した。

 走者達は太陽を右手に見ながら、向こう正面のストレートに突入する。

 ランとダッツは先頭集団のやや後ろに付けていた。思ったほどのスタミナ消耗も無く、足取りも重くはない。先頭までの距離も遠くなく、終盤に向けた余力は十分ある算段だった。

 これもここまで積み重ねてきたトレーニングの賜物か、と得心する。

 毎年八千人以上が新参するトゥインクルシリーズの競技者人口の中にあって、未勝利戦を勝ち上がり、条件戦、オープン、重賞、そしてクラシックまで這い上がる者はほんの数十人。その一握りの選ばれたウマ娘達の中にいま、チーム・アルルバの四人はいる。

 その火付け役となったのがシルクなのは紛れもないだろう。彼女は父と邂逅したことで良くも悪くも触発され、自分を追い込む猛練習により格段に実力を上げた。それは間接的に、シルクの身近な者達へも強い刺激を付与した。無鉄砲と化したシルクを抑止すべく追随するうち、はからずも他の三人も力を伸ばしてきたのだ。ウマ娘が競走能力を急激に伸ばす事を「本格化」というが、彼女たちのクラシック期に入ってからの急成長はその体現といえた。

 ランとダッツは、その契機を与えてくれたシルクに心底感謝していた。今こうしてダービーという大舞台にまで登り詰められたのは、シルクが自分たちごと引き揚げてくれたからだ。数か月前の自分に、クラシック戦線で走っているといってもきっと信じないだろう。

 だからこそ、父との奇妙な確執に苦悶する今のシルクは気掛かりだ。レース本番の今は敵同士だが、それが終わったら話を聞いてやりたい。あの性格だ、容易に話してはくれないだろうが、せめて仲間として支えになってあげたい。そんな細やかな献身も抱きながら、ランとダッツはひた走る。

(早く来なよ、シルク。エリモちゃんも)

(もう半周だ。最後は四人で勝負なんだぞ!)

 バックストレートの中盤辺りで後方を窺った。

 件のシルクはというと、後方集団に紛れて追走していた。開幕からずっと、後ろから三、四番手辺りをキープしている。このレースでも終盤の末脚に賭けて温存しているのは明らかだった。

 そのさらに後方を位置取ったエリモも同様だろう。いつしかシルクと似た差しの脚質となった彼女も、ピタリとトレスするようにシルクの後ろに付いている。見ようによっては、シルクのことが気掛かりで見守っているようにも見える。

 後方の二人にまだ動く気配はない。末脚勝負に向けて雌伏の時なのだ。

『向こう正面が終わろうとしていますが、先頭は依然ブリリアントサン、二番手フジノミヤマ、その後ろからサイレンススズカ。ペースはそこまで早くない。先頭からしんがりまで十バ身の間隔。どうやらこれは決め手勝負になるのでしょうか』

 ここまで来てもバ群は然程散らなかった。とはいえ団子状態という程でもなく、各人の動きやライン取り次第で、誰しもが先頭を狙えるという戦況だ。

 第三コーナーの大ケヤキを横切る。続く第四コーナーも曲がり切れば約五〇〇メートルの最終直線、その先には栄光のゴールが待っている。

 既にレースは終盤戦に差し掛かろうとしていた。

『三コーナーから四コーナーに流れていく。ダイニチ踏み込んだか、ランナイジェルも行った。中団から上がってきた!』

「先に行くわよッ!」

 アルルバの四人の中でいち早くスパートに入ったのはランだった。第三から第四コーナーにかけて、外を回って大きく蹴り出していく。

 大ケヤキが目印だったかのように、彼女以外のウマ娘も一人また一人と押し上げを開始していく。

 太陽を背に受けながらスタンド前へと戻って来る一団を出迎えるように、はちきれんばかりの歓声が轟く。

『四コーナーをカーブして間も無く直線コース。やはりブライトは外に出した、ダイニチもいる。各ウマ娘、ここから正念場であります』

 四コーナーから中団が一気に外に膨らむ。スパートで抜け出すために自ずと広がったのだ。

 このどさくさに紛れ、ダッツも加速を開始した。

「オイラだって!」

 埋もれ気味だった位置から視界が開ける。数バ身先にランの背中を認め、負けじと追い縋っていく。

 いよいよ一団は最後の直線へ突入した。

『さあーっ、四コーナーを終えて直線コース。二冠を獲りフロックの汚名返上なるかブリリアントサン、依然として先頭。後続のフジノミヤマが、そしてマチカネフクキタル割って来る。その間のサイレンススズカは苦しい位置。凄まじい叩き合い、外をついてアルダッツ、メジロブライトも来ている!』

 もはや誰もがスパートに入った。自身に秘めた力を全開放し、栄えあるダービーの称号を得んと、遮二無二になって駆け上がる。

 先頭が近いランもダッツも、顔を歪めながら全エネルギーを脚先に伝えターフを突き進む。

 ゴールまで残り四〇〇。この辺りからゴール前にかけて東京レース場には高低差約二メートルの坂があり、ウマ娘達をさらに振るいにかける。序盤でスタミナを大きく消耗した先行勢の中には、ここでぽつぽつと脱落する者も出た。ランとダッツは必死に堪え邁進する。

『長い坂を上がる。試練の坂だ、サイレンススズカは沈んだ。ダイニチ、フジノミヤマも後退していく。二番手にメジロブライト上がっているが、さらに大外から飛んできた、あれは──』

 その時だった。ターフに何かが発破したような衝撃がこだまする。

 アナウンサーは一瞬呆気に取られ言葉を詰まらせる。

 前を往くランとダッツは、すぐさま直感した。

 二人が来た。同時に上がってきた。

『大外から、シルクジャスティス、シルクジャスティスが上がってきた! 内をついてはエリモだ、エリモダンディー割って入る! 凄まじい末脚だ、チーム・アルルバで上位争いとなるのか、残り二〇〇!』

 とうとう後方の二人も末脚勝負に出た。シルクは大外を、エリモは内の間隙を、それぞれ猛烈な勢いで上ってきたのだ。

 ヨレた走者をかわし、坂をどんどん駆け上がってくる。最後方にいた二人は瞬く間に先頭集団に食い込んできた。

「やっぱりきたわね!」

「負けないぞ!」

 ランとダッツもいよいよ最後のひと踏ん張りを込めた。

 ゴール板まで残り一五〇メートル。

 余力を残す者、既に墜ちた者、明暗は前後に分かたれたバ群にくっきりと浮かび上がる。

 アルルバの四人は前者だ。上位争いにしっかり加われている。

 先頭は、最序盤から大逃げを続けているブリリアントサン。皐月賞では人気薄だった彼女は下馬評を覆して一冠を得た。二冠目の期待を背負い臨んだこのレースでも、最終直線に入ってなおその脚色が衰える気配はなく、追随を赦さない隔絶的なオーラがあった。そんな相手から一着をもぎ取るにはあと一つ、最後の決め手を要する。

『あと一〇〇メートル。ああっとランナイジェル、アルダッツは伸びが苦しいか!』

 ここにきてラン、ダッツは限界にぶち当たった。上り坂でのスパートは消耗が凄まじく、一気にスタミナを喪失したのだ。

「駄目だわ、ぐぐッ~~!」

「く、くそぉ~~──!」

 二人とも脚の感覚は希薄になり、ピッチが頭打ちとなった。後ろから追い上げてきたエリモにもかわされ、一位争いから決定的に脱落した。

 否、二人だけではない。二位以下の全ての走者が、決勝線を目前にあと一伸びが出せずにいた。スタミナを使い切ったのか、それとも先頭が速過ぎるのか、或いは両方か。

 とにかく決着までもう距離が無い。このまま大勢変わらず先頭の逃げ切り勝ちかと思われた。

『ゴール手前の攻防、このままブリリアント逃げ切って二冠成るか──!』

 実況が叫ぶ。一〇万の観客も猛る。決着の瞬間に合わせ場内の全てが最高潮へと登り詰める。

 もはや誰もが数秒後に訪れるダービーの結果を予期した。

 しかし。

(勝つのはアタシだ……勝たなきゃ……)

 コース上で二番手にまで詰めてきたシルクは、それをまだ受け容れようとしなかった。

(勝たなきゃ、意味がない。

 勝たなきゃ、価値はない。

 そうだ、勝たないと、一着じゃないと、母さんは……!)

 伏せていた顔を、シルクは弾かれるように上げた。

 その瞬間、シルクの眼が仄暗いものに覆われるのを、並走していたエリモは見た。

 

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