『失敗は許されない、勝て、成功者たれ。さもなくば、お前の一生に価値はない──』
『敗者は悪と成り下がる。そう、勝者こそが正義なのだ──』
あの屋敷で聞かされた、呪詛のような言葉の数々。
抑圧につぐ抑圧を堪え忍んだ幼少の日々は紛れもなく地獄だった。
そんな日々の中にも救いは有った。
それが母だった。
『あなたはいつも一生懸命ね、よく頑張ったわね──』
父から自分を庇い、そのたびにくれた慈愛に満ちた労いの言葉にどれだけ救われただろう。
だがその母は消えた。
あの日、あの屋敷で起きた事件を境に──。
(お母さん、どこにいったの。アタシを置いていかないでよ。お母さん、お母さん!)
いなくなってしまった母。
しかしその消息のカギを握る唯一ともいえる相手が、いま目の前にいる。
その父はこう云った、「お前がG1レースを獲ることがあれば、私はお前の望みを一つ聞き入れる」と。
だからこのダービーを獲れば、GⅠを勝てば分かる。
いなくなってしまった母の消息が。
だから負けられない。絶対に負けられない。
二着で終わるわけにはいかない。
一着でないと意味がない。
勝たなきゃ、
勝たなきゃ、勝たなきゃ、
勝たなきゃ、勝たなきゃ、勝たなきゃ──
「──勝たねえとダメなんだあぁッ!」
その瞬間、シルクの体の中で何かが膨れ上がり、弾けた。同時に、脚のストライドもピッチも増し、末脚がもう一段伸び出る。
『ま、まだだ。大外のシルクジャスティス沈まない。ここに来てまだ伸びるぞ、先頭を奪い取るのか!? あと五〇メートル!!』
「ぐおおおああああああああっっっ!!」
鬨の声を散らしながら、シルクはどんどん伸びた。四バ身、三バ身、二バ身と、先頭との差が縮まっていく。
全身全霊、本領を発揮したシルクの激走。だがその走りは彼女の中の何かを削り取り、それを起爆剤として無理に引き出された悲愴なものに見えた。
後方からその様を目にしたランとダッツは、悲痛さえ感じさせる走り姿に身震いする。エリモに至っては思わず目を背け、まるで自分の事のように苦しげに唇を噛んでいた。
それでもシルクは前に進んでいく。敗者は悪に成り下がる──その被虐思想に追い立てられるように。
『大外のシルクジャスティスか!? 内のブリリアントサンか!? シルク届くか!? ブリリアント逃げ切るか──!?』
「ううおおぉああああぁぁあぁあぁ────!!!」
最後の雄叫びを轟かせ、シルクは遮二無二に大股を踏み込んだ。差は着実に縮んでいた。
二バ身、
一バ身、
いける。
差せるぞ。
勝つのはアタシだ!
そう思いかけたのとほぼ同時だった。
真横を流れていく景色の中を、ゴール板が擦過していったのは。
『ブリリアントサンだ、ブリリアントサンだ! これはもうフロックでもなんでもない! 二冠達成──!』
割れんばかりの大歓声が包むターフを、優勝したウマ娘がウイニングランで駆けていく。二冠目を獲り、ダービーウマ娘の称号を手にした喜びを爆発させるように小躍りしながら。
その傍ら、他の走者もそうしているように、シルクはゴール後、その場にへたり込んだ。激走の影響か、体が鉛を付けられたように重い。狂ったようなペースで息を吐ぎ、目は虚ろだった。
審議も無く結果は早々に確定した。
シルク二着
エリモ四着
ラン五着
ダッツ六着
以上がチーム・アルルバの四人の結果だった。
シルクは差せなかった。着差約一バ身。
二着止まりだった。
観客席からは拍手と共に走者達の健闘を称える声が幾つも飛んでいた。その中にはシルクへの声も少なからずあった。
「凄かったよ、あの末脚!」
「惜しかったな、でもよく頑張ったよ!」
「私、ファンになっちゃったわ!」
優勝を逸したとはいえ、日本ダービーという大舞台での二着は余りある価値がある。競走界での実績としても、世間の注目を集めるという意味でも、紛れもなく大健闘であることに違いない。
だが今のシルクには、そんな自分を称える声全てが空しく聞こえた。
「シルク……」
「ど、どうしたんだよう。ダービーで二着だぞ。なのに……」
「………………」
傍らに集まってきたラン、ダッツ、エリモの三人は声を掛けることも憚られ、しばらくの間見守ることしか出来なかった。